ちょっと中休み
「第九章 ミンズメアをつくる」でイギリス国内の話は終わり、第十章からは世界各地で著者が携わったこと、各地での保護活動の体験見聞記となります。その前にちょっとだけ中休み。訳者が見たことや著者の手紙から、アクセルさんの人となりをお伝えできれば。
ちょっと中休み
アクセルさんとのひととき
「嫉妬だよ」
思いがけないことばにどきっとしました。私はただ単純に、「ヨーロッパ地域遺産賞とはどんなものですか?」と伺ったつもりだったのです。
「ミンズメアは、僕が作ったんだ。僕がやったことなんだよ。でも、ミンズメアではものごとがあまりにもうまく行ったので、よく思わない人もいたわけだ。嫉妬されることにもなった。でもまあ、それが人間と言うものさ」
私の質問は、アクセルさんには「ユーロピアン・ディプロマはどういうことなんですか?」と受け取られたのです。ミンズメアにこの賞が与えられたのは、アクセルさんが引退した後のことでした。アクセルさんが受賞者ではなく、その当時にミンズメアの管理にあたっていた人が受賞者になったわけです。たどってこられた道が決して平坦なものではなかったことが、胸にずっしりとこたえました。
「それが人間と言うものさ(That is human being)」
これはよく聞いたことばでした。あきらめにも似たことば。でも、決して否定的ではなかった。バートさんはいつでも前向きで、人間が大好きだったのです。
一九九五年九月、私の初めてのイギリス旅行は、友人の吉安京子さん(山階鳥類研究所)、箕輪義隆さん(画家・当時は日本鳥類保護連盟)と一緒でした。現在は行徳野鳥観察舎(耐震性に難ありとされて、二〇一五年十二月末から無期限休館中)の「舎長さん」として業務の中心役を担っている佐藤達夫さんは、この年の四月から一年間にわたって、ミンズメア保護区を皮切りに、イギリス各地のRSPBの保護区でボランティアとして働いていました。達夫さんが他の保護区に移る時に合わせて、アクセルさんにお会いしてお話を伺い、生まれ故郷のライの町やダンジネスの保護区へも案内していただきました。
私たちがイギリスにお邪魔する直前に、奥さんのジョーンさんは足を骨折して入院されていました。もしよろしければお見舞いにご一緒したいとお願いして、お供させていただきました。この時偶然、一人息子のロデリックさんとも病院の外でお会いしました。長身で恰幅のよい、私よりも少し年上の方です。イギリス人らしいというか、男親らしいというか、おふたりの会話は淡淡としたものでした。お互いにプライバシーを尊重する、踏み込まない、という態度のあらわれだったのでしょうか。
病室は六人部屋だったか、ジョーンさんのお見舞いは当然ながら、同室のご婦人がたひとりひとりに、私たちがお土産に持って行った金平糖をくばって、ちょっとしたおしゃべりを。後に連れて行っていただいたイックルシャムの個人でやっておられる鳥類標識センターや、ダンジネス鳥類保護区など、どこに行ってもバートさんが歓迎される理由がよくわかりました。
「こっちがお買得だよ」スーパーで食料を買い込む時のちょっとしたアドバイス。木苺などのかわいい詰め合わせに思わず目を惹かれると、「ノー」と。つましい暮らしぶりがよくわかりました。移動時にはアクセルさんの車に乗せていただいていましたが、そういう時のいつもの習慣どおり、ガソリン代は何がなんでも私が払うと言い張ると「スミ、今までずいぶんいろんな友達を案内したけれど、ガソリン代を持つと言われたのは君が初めてだよ」と喜ばれました。
「気をつけて!」ミンズメアの全体が見渡せるダニッチ・ヒースの崖の上で。砂の崖は崩れやすく、端に行きすぎてしまったためです。ダニッチは昔、東アングリアの中心都市だったのですが、十四世紀、一夜の大嵐で海に呑みこまれてしまったとのこと。教会が七つもあった大きな都会だったそうです。「沈んでしまった教会の鐘の音が聞こえてくるという話もあるよ」 「ニルスのふしぎな旅」に出てくる悲しい物語を思い出しました。東日本大震災の大津波を日本が経験した今では、いっそうの実感がこもる気がします。
連れて行っていただいた生まれ故郷のライの町は、古い「五港」の面影をそのままに残しており、日本では鎌倉などの古都に性格が似ているかもしれません。「ここがロンの住んでいた家。あそこの高台の大きな家が、父がいたころに僕らが住んでいたところ」 クリケット・ソルツにあったお家は今はなく、グリーンさんの羊毛店はガソリンスタンドになっていました。
「あの辺はまだ新しい住宅地なんだよ。八〇年くらいしか経っていないからね」これはダンジネス付近で。ウェスルトンで泊めていただいたB&B(イギリスではごくふつうの「ベッドと朝食」という民宿)も、築二百年という石造りのお家でした。築三〇年で古家扱いされる日本とはずいぶん様子が違います。気候や建築材料の違いなのでしょう。
「こどもの頃は、ここでジャングル探検をしたものさ」ライの町の裏山のような急斜面で言われた時に、思わず「バート、あなたは今でもわんぱく坊主のままなんでしょう?心の中では」と言ってしまいました。
こんなふうに書くと、私は英語に堪能で、おしゃべりも翻訳も難なくできてしまうように思われそうですね。とんでもないっ!アクセルさんは英語が苦手な人たちと話すのにとても慣れておられ、伝えたい意味を察するのもお得意でした。私はと言えば、ただその本が読みたいというばかりに、日本語に翻訳しないと読むことができないために翻訳をしているのです。すらすら読めるなら、こんな面倒なことをやろうとはしなかったかもしれません。自分で文章を書くよりは、もとがあるだけに翻訳のほうが楽、という時もないわけではありません。でも、口語で、時には方言や「その場の勢い」もまじる「鳥と人と」の翻訳は、実はいまだに自信が持てない部分がいくつも残っているのです。それでも、バートさんの自伝を訳すには、私以上の適任者はいないと、それだけは自負しています。
イギリス国内での話はミンズメアで終わり、後半は世界各地で携わってこられたこと、各地での見聞になります。有名なスペインのコート・ドニャーナや香港のマイポ保護区にもかかわっておられたことは、この本で初めて知りました。世界をまたにかけたダイナミックな後半も、お楽しみいただければうれしいです。
新浜だより三八 日本野鳥の会東京支部報 一九九五年十一月掲載
ミンズミアの保護区で 蓮尾純子(行徳野鳥観察舎)
「さあ、タツ、ここへ来て、この春から君がやってきたことをみんなに説明してあげなさい」
イギリスの東海岸、サフォーク州ダニッチ・ヒースのゆるやかな崖の上からは、ミンズミア鳥類保護区が一望される。左手は黄茶色に濁る荒々しい北海、砂丘をへだてて広大なアシ原がひろがり、十一年の年月をかけて営々と開削されてきた水鳥の繁殖や採餌のための浅い開水面「スクレイプ」が見える。右手はダニッチの森から続く森林地帯である。ハイイロガンやオオバンが群れる静かな沼、アイランズ・ミアはここからは見えない。
「春に来たときは、まずあの林の中で、切った木の片づけや鹿よけの柵づくりをやってました。それからヨーロッパチュウヒの営巣調査で一日すわってなわばりや下りる場所を記録するのをやれと言われて、四つがいくらい繁殖しています。向こうの方では若木の引き抜きをやったり、ああ、この前スクレイプの中にも入りましたよ。アシを片付けて焼いたりするんで。夏ごろはこのアシ原の中でずっとサンカノゴイのレーダー追跡で、アンテナを持ってとぼとぼ歩いていました」
この四月から単身渡英し、イギリス鳥類保護協会(RSPB)のミンズミア鳥類保護区でボランティア・ワーデンとして研修している佐藤達夫君。こう書くといかにもカッコよいが、実際はそんななまやさしいものではない。英語はわからない、生活や習慣は違う、朝は六時半か七時に起きるとまずまっすぐにスクレイプを一回りして鳥の記録をつけ、週に何回かは鍵あけとトイレ掃除の当番、あとは夕方までひたすら仕事の毎日だ。現地時間で夜の一〇時ごろを見計らって宿泊所に電話をかけると誰も出ない。一一時前になってようやくつかまえた達ちゃんは「仕事中なんです。あと三〇分くらいで終わると思うんですが」 四〇分後かけると「まだ終わらないので」
ミンズミア鳥類保護区に「スクレイプ」を築き、RSPBの代表的な保護区として育て上げたハーバート・アクセルさんは今年八〇歳。この六月に平凡社から黒沢令子さんの訳で「よみがえった野鳥の楽園」として出版された「ミンズミアーある鳥類保護区の肖像」の著者でもある。もう十五年以上も前にこの本に出会ってからというもの、いつか私たちの保護区にもこうした環境改善事業を、と考え続けていた。十三年前にご夫妻で来日された時に観察舎でお会いして以来、私たちのことをひいきにしてくださっている。昨年はじめに自叙伝をいただいて、アクセルさんとの連絡が再びはじまった。達ちゃんの渡英を真剣に考えはじめた時から、RSPBとの間に立ってくださり、四月にいよいよ初めての土地に降り立った心細い達ちゃんを、駅から保護区へと送ってくださったのもアクセルさんである。
今、ミンズミアの保護区が眼下にひろがっている。そしてかたわらにはこの旅行に誘った山階鳥類研究所の吉安京子さん、鳥類保護連盟の箕輪義隆さん、達ちゃん、そしてアクセルさんがいる。
「ミンズミアは僕が案内する。タツじゃだめ」
アクセルさんが心血を注いだ保護区。「ほら、あの島にはビニール袋を三千枚敷いてある。このハイドは建て替えたものだけれど、目かくしに藪を植えた。この道を毎朝往復して砂利を運んだんだ。もう三〇年も前になるなあ」 私の心の目には、その一つ一つの作業がはっきり見えている。
「いいかい、スミ、自然環境が変化して行くままにしてはいけないんだ。アシを増やしたいところには増やす、除きたいところは除く。ハイドの前は泥地を開けておかないと。管理がすべてだよ」
「でも、管理はたいへんな作業でしょう?」
「違う、時間とか労働量の問題じゃないんだ。問題となるのはたいせつにする気持ちだ、愛情だよ」
火の玉のような行動力のアクセルさんと何日かご一緒させていただいた初めてのイギリスは、あおられ、まいあがり、心の奥にしみる旅だった。
豆だらけになった手、真っ黒に日焼けした笑顔。達ちゃん、あと何か月か、がんばれ!
アクセルさんからのお手紙(1995年9月)
スミ、お手紙ありがとう。手紙は昨日(投函後三日だったよ!)受け取って、今日はみんなのイギリス旅行の写真の小包がとどいた。
すばらしい!君がここにいた本当にすてきな時間の記念の写真は、最高のおみやげだ。百万回も感謝しているよ。旅行がもっと長くて、君がまだここにいてくれるのだったら、どんなによかったことだろう。君はチャーミングで理解力がある。今、ここに君がいないのがどれほど残念なことか。
君の友だちも楽しい人たちだ。君たちみんながイギリスに初めて来たというのに、すっきりととけこんで、何ひとつトラブルにあわずに過ごせたというのもりっぱなものだ。ヒースローからのジャングルのようにややこしい道ですら、迷子にならなかったのだから。
今日の午後、ジョーンのところに写真を持って行くよ。きっととても喜ぶと思う。特に、君が病院に会いに来てくれたことを思い出してね。今、ジョーンはアルデバラの病院にいる。ウェスルトンから車でわずか二〇分のところだ。昨日、医者はジョーンが二週間以内に退院できるだろうと言ってくれた。近々、セラピストがわが家に来て、ベッドを階下に運ぶこととか、その他の手助けをしてくれることになっている。ジョーンはずいぶん歩くのがうまくなって、フレームを使って自分でいっしょうけんめいリハビリをやっている。きっとジョーンはまた歩けるようになるし、二階に上がることもできるようになると思う。でも、ぼくが背後からずっと支えている必要があるね。まだまだ長い間!
君のイギリス旅行の計画がすべてうまく行って本当によかった。ぼくの生まれ故郷のライの町をみんなが気に入ってくれてとてもうれしい。ね、玉石の道が丘を上がったり下りたりしていただろう。それに、イックルシャムの鳥類標識センターもよかった。そうだろう?僕たち全員―特にケイコとタツオがねー鳥をたくさん捕獲し標識できてよかった。
君の手紙で、タツオがイギリスで自分がしていることに疑問を感じていたことがわかった。ぼくはタツオがイックルシャムで、他のどこよりもずっと落ちついてくつろげると思っていた。きっとイックルシャムで忙しく楽しく過ごしていると思う。ぼくは、タツオが何か役にたつ建設的なことをしたいといつも思っていることがよくわかる。今、君のところは行徳保護区の改善のために重機がはいっているだろうね。重機のエンジンがごろごろいう音だって、猫がごろごろいうのと同じようにすてきだろう?タツオはきっと、君のよい助け手になるよ。
君にまた時間ができて、何千もの質問がくるのを楽しみにしているよ。その間にぼくはまえがきを書いておく。おおいに批評して、思うとおりに修正してかまわないからね。でもあまり急がないで。そんなに早くは書けないから。
ケイコ、ヨシタカ、そしてご主人にくれぐれもよろしく。
大好きなスミ、ぼくたちの愛とともに。 アクセル




