第八章 特秘任務 1 ミサゴの卵
保護区管理とは別に、特別(しかも秘匿の)任務を依頼されることがありました。どんな状況だったのでしょうか。
第八章 特秘任務+
1 ミサゴの卵
一九五八年、スコットランドのスペイ・バレーで繁殖していた一つがいのミサゴの卵が盗まれるという事件があった。逆説的な言い方になってしまうが、これは、イギリスにおける鳥の保護活動の中でも、最大の貢献をするに至ったできごとであった。
RSPB(イギリス鳥類保護協会)を中心とした議会への働きかけによって、卵のコレクションは一九五四年に違法行為と定められた。それにもかかわらず、イギリスでは卵収集の脅威は世界のどの国と比べても最大のものだった。
ミサゴの卵は長径が六八ミリもあり、濃い赤茶色とチョコレート色のくっきりとした斑点がある。美しさとあいまって、ミサゴがたいへん希少な種類であることから、卵のコレクターの垂涎の的である。ミサゴは猛禽であるため、長いことヨーロッパの繁殖地で迫害されてきた。しかし、北アメリカではイギリスのような卵コレクションはけしからぬ所業とされ、ミサゴが水辺で巣を作ったとすれば、たとえそれが庭園の奥であったとしても、歓迎されている。そのため、この鳥たちは旧世界のように人間をおそれてはおらず、中には結びつきのゆるいコロニーをなして繁殖しているものさえあった。信じられないことだ。フロリダのキーズで、交通量の多い海岸のハイウェイを南下している時、私が数えたところでは、道路ぎわの高圧線の鉄塔上に作られて、現に使われているミサゴの巣が二〇もあった。そしてエバーグレーズの上空では、秋の渡り途中のミサゴを四〇羽も見ることができた。
スコットランドにおけるミサゴの不幸な歴史は、一八〇〇年代の初めにさかのぼる。当時、フォース湾の北ではミサゴは広く分布しており、普通に見られる種類だったが、イギリス諸島の他の場所では既に繁殖しなくなっていた。卵コレクターのために、ほとんど一羽のヒナも育て上げることができなかったためである。一八六五年、A・G・モアは「アイビス」誌に「ミサゴは卵ともども収集家にきわめて熱心に求められたため、スコットランドのどこにおいても、ほとんど繁殖しなくなっている」と書いている。鳥学者にとっての貴重な記録である。珍しい鳥であればあるほどいっそう熱心に欲しがられるという悪循環が、ミサゴの運命を決定づけてしまった。一九〇八年以降に繁殖したものはいない。およそ半世紀後になって、RSPBが救援に乗り出すまでは。
ミサゴは魚をねらう茶色と白の大型のタカで、高い山の領空に君臨しているイヌワシのように、もっと低い地方で空の王座を占めている。スコットランド高地の広い谷あいで、ミサゴが湖の上をかすめて滑空し、カワカマスをひっさらって、一方の足の鈎爪で魚の頭を前に向けてがっちりとつかみ、飛び去って行くところは、猛禽類が好きな人にとっては有頂天になるような見事な光景である。
ロシームークスの森のロッホ・アイレインにある崩れかけた城館には、一隅の低い塔に古くからのミサゴの高巣があった。城は十四世紀、悪名高いバーデノックのウルフの砦だったところだ。湖と島にある城館の美しい景色は、長年にわたって観光客をひきつけてきた。現在ではここは自然保護会議による国立の自然保護区となって、更に広く知られるようになり、利用者に対するたいへんすぐれたサービスと、イギリス最良の水準である自然歩道を備えている。
ロマンチックな背景の中のこのミサゴの巣は、最もよく記録がとられたものである。名うての職業的なコレクターが何人も、この高巣の卵をとって売った。もっとも悪名高い人物はルイス・ダンバーで、一八四八年から一八五二年にかけて、湖を渡って卵を盗んだ。時には雪の中、また岸にたどりついたところをある婦人に目撃された後は夜間に、氷のように冷たい湖水を裸で泳ぎ渡った。ロシームークスの地主であるジョン・ピーター・グラントの保護の努力にもかかわらず、ミサゴの繁殖はめったに成功せず、一八九九年以降にはとうとう繁殖しなくなってしまった。
スコットランドでミサゴが再び繁殖を試みたのは、次の世紀の半ばになってからのことだ。ロッホ・ガルテンで見張りがついてガードしていた巣の卵が盗まれたのは一九五八年だった。当初、報道機関はほとんど関心を示さなかった。しかし、この不幸な事件こそすべてのきっかけとなった。
今日では想像もつかないことだが、当時RSPBの委員会は事件を公表すべきかどうかで意見が対立し、何の助けもできなかった。ハーコーム卿とジェフリー・デントという大物中の大物ふたりが、すぐに報道機関に発表することに難色を示したのだ。事務局のフィリップ・ブラウンの頼みがやっとのことで受け入れられ、少なくとも「タイムズ」紙に手紙を送ることだけは承諾された。掲載された記事には事実そのものしか書かれておらず、ミサゴの保護に対しての会の努力については何も触れられていなかった。
RSPBのスコットランドの代表者であるジョージ・ウォーターストンは、フィリップや他のわずかな人々と提携してミサゴを守るための対策に莫大なエネルギーを費やしてきたが、この記事にかんかんになって、こんな情報では「ウェストエンドのクラブや上流社会」にしか届かない、と憤懣をぶちまけた。彼とアーサー・ダンカンは、自然保護会議を代弁して連名で手紙を書き、「スコッツマン」と「グラスゴー・ヘラルド」に送った。事件を知った人々は、スコットランドの国民的遺産に加えられた損害に対して激高した。スコットランドの宝ともいうべき繁殖鳥種、ミミカイツブリ、イヌワシ、ライチョウ、コバシチドリ、アオアシシギ、ハマシギ、アカエリヒレアシシギ、カンムリガラ、イスカ、その他の種類の卵は、南からやってくる悪逆非道な卵コレクターにねらわれ、餌食にされているということはよく知られていた。更に許すことができない悪行は、「南部人」がハイランダーズ(スコットランド高地人)を金で雇って、熟練や手技を要する汚い仕事をさせているのは間違いないと言われていることだ。
スペイ・バレーのRSPBの監視人は、一九五四年の秋まではデズモンド・ネザーソール=トンプソンだった。スコットランドで最もすぐれた野外鳥学者として知られている人物である。会にミサゴの情報を提供していたが、彼と子息のドーンは、一九五三年にスラッガン・パスの昔からの営巣場所にミサゴのつがいが再びあらわれたのに気づいていた。一九五四年にはヒナが二羽育ったが、これは「スコッツマン」紙に彼がこのことを書くまで公表されていない。
イギリス唯一のこのミサゴのつがいは、一九五五年と一九五六年には繁殖に失敗したことが確かめられている。翌年、RSPBは繁殖に失敗したスラッガンのつがいが作った、あまりうまく行きそうもない高巣を守るため、小さなチームを組んだが、この時は一羽が一回姿を見せただけだった。
不撓不屈のジョージとフィリップは、一九五八年のための計画を立てた。ランブレッタ・スクーターで湖のまわりを巡回しているボランティアのスカウト、ロバート「ボブ」・ドーキンズ空軍大佐とともに、四月から監視作戦を開始するというものだ。ドーキンズ空軍大佐の根拠地は、イアン・グラント大佐が好意で提供してくれたアルトナンケイバ―・コテージである。グラント大佐の偉大なる祖父はスペイサイドのミサゴ保護の功績によって、一八九三年にロンドン動物学会から銀メダルを授与されていた。
五月九日、ボブ・ドーキンズはエディンバラのジョージ・ウォーターストンを暗号電報でたたき起こした。「インフレーション」 風船は上げられた。ミサゴがロッホ・ガルテンに戻ってきて、巣をつくり、交尾していたのだ。フィリップ・ブラウンはロンドンからかけつけ、ロビー・ロバーツをくわえた四人でチームを組んだ。キャンプは高巣の反対側に作られた。前の年、ガイ・ブラウンローや他の人々が、小さなハイドから希望を持って監視をしていたところだ。
到着してすぐさま、RSPBのボスは立ち向かう相手への気構えを示す羽目になった。
無垢なバードウォッチャーであるベティ・ガーデンは、アバディーンで働いている鳥学愛好者だったが、ひと気のない灌木林や湿地帯を歩いているうち、見とがめられる前にキャンプと高巣の間に迷い込んだ。捕まるとすぐに、ベティは監視チームのメンバーになることを申し出た。
ベティが非常呼集されてからまもなく、よく知られているサセックスの卵コレクターがくだんの木に登り、彼の言によれば、卵を一個目撃している。細君と合流するために下りてきたところを監視チームにつかまって、厳重な警告を受けて追い返され、車のナンバーが警察に報告された。当時、法律の許す範囲でできることはそこまでだった。こうした状況では、ミサゴの保護のためにはより踏み込んだ活動と、もっと多くの監視人が必要であることが痛いほど明らかになった。
ピーター・コンダーはロンドンからジョーンに電話してきて、私が「特秘任務」に出られるかどうかとたずねた。ダンジネスの仕事をカバーする手配はすぐにできたので、翌朝私はアビーモアで列車を降り、ジョージ・ウォーターストンと落ち合った。
ロッホ・ガルテンの近くの新しいキャンプ地は、ヨーロッパアカマツの下にあった。杜松やコケモモのやぶの間に小型テントが散在し、料理や食事、談笑のためのキャラバン車も一台あった。前年も用いられたズック地と板きれでできたハイドは、林の縁の灌木の中にうまく隠されており、湿地と若木の間を抜けた一八〇メートル先に高巣があった。
ハイドから描いたスケッチによれば、巣はさしわたしが九〇センチもある大きなもので、半ば枯れかけたヨーロッパアカマツのてっぺんに作られ、遠い山々の稜線の上に二メートルほど突き出したシルエットを見せている。木の下には灌木が茂っていたが、幹のほとんどはよく見えた。水平に突き出した枝が間をあけずにずっと続いていて、不吉にも、まるで巣までまっすぐにたどりつくためのはしご段のように見える。その場の雰囲気、そしてミサゴの保護活動に対する一同の確固たる決意を見ると、二度とない機会に恵まれたという印象が強かった。私はものごとを細大もらさず日誌に記録しておこうと思った。
いまや六人になった私たちは、護身用のステッキ、呼び子、懐中電灯を手に、二四時間のうちにハイドで三時間ずつ二回の監視任務につくことになった。監視に続く三時間は、二〇メートル後方にあるテントの中で、ハイドからひかれたひもを手首に結んで、服をぜんぶ着込んだまま休む。この監視体制は、戦時中に訓練を受け、数えきれないほど経験してきた監視任務よりもさらに睡眠時間が少ないものだったが、ダンジネスでいつもやっているのと大差なかった。加えて、私は田園の深い闇の中でめざめているのが好きだ。知る人が少ない別世界である。
小さくて倒れそうなハイドの中はきゅうくつで居心地が悪かったが、時間はあっという間にすぎた。ミサゴが巣のふちから糞をする時でさえ、書き留める価値のあるできごとだ。空が明るくなるのは午前三時前。暗くなってから最初の光が射しそめるまでの夜の時間は、野生動物がたてる音を聞き分けたり、時には姿を見ようという努力に費やされた。
小さなノロジカはおそろしく大きな音を立てた。何だかわからなかったげっ歯類も同様である。モリフクロウは音を立てずに飛び、いきなり金切り声を上げて人をぎょっとさせた。ヤマシギも暗がりを飛んで、奇妙な、まるっきり対照的な二重音声で一日の終わりと始まりを合図してくれた。この声たるや、半分は口から、半分は肛門から出しているように聞こえるしろものである。
真夜中に聞いた渡り途上のサンドウィッチアジサシの声は、スコットランド高地の中央部ではおよそ場違いな感じだった。はるか遠くのレック(集団で求愛をするところ)では、恋に狂ったクロライチョウの雄が狂暴に争っている。時にはもっと大型のキバシオオライチョウが、まるでコルクをポンと抜いたり、しゅうしゅう泡立つような声をひびかせて、クロライチョウを圧倒した。
こうした声は、夜明けのコーラスの本番に備えるオーケストラの音合わせのようなものだった。午前三時八分にカッコウ、三時九分にはシロビタイジョウビタキ、三時一五分にはウタツグミ、三時一八分にダイシャクシギ、三時二五分にヤナギムシクイ、三時二六分にはクロウタドリとズアオアトリ。南から来たイングランド人のバードウォッチャーにとっては、日中はこれに加えて、この地方にいることそのもの、そして初めての種類の鳥に接するという楽しみがある。カンムリガラやイスカといった種類だ。普通種のヤナギムシクイでさえ、ここでは色が淡い亜種になる。イングランドのものとは異なる節回しの亜種のさえずりをなんとか書きとめようとして、私は長い時間を費やした。
キャンプにボランティアが手伝いに来てくれた時には、マム・スームにイヌワシのヒナを見に出かけたり、ジョージ、ベティ・ガーデン、そしてケン・ウィリアムソンの門下生中のナンバーワンであるヴァレリー・ソム等と山々にライチョウを見に行ったりすることもできた。ヴァレリーとはフェア島で知り合っていた。モナドリアス丘陵とケアンゴームの山々に囲まれたスペイサイドの地は、まさしく胸躍る土地である。
モーリイ・メイクルジョン教授とトム・ウェイアも割り当ての仕事をやった。イアン・グラント大佐は弾丸をこめた二二口径のライフルで武装して任に当たっており、もし巣が襲われたりするなら、自分がハイドにいる番の時に起きてほしいものだと言っていた。私もそうしてくれればありがたいと思ったー私の番の時には起きてほしくはなかった。
しかしながら、事件が起きたのはグラント大佐の番の時ではなかった。
三週間にわたって、私たちは連日連夜、一分たりとも休むことなくミサゴを見守っていた。ふ化まであと二週間前後という時になって、襲撃者が現れたのだ。事件当夜の六月二日から三日にかけての夜、私がハイドに入る番は午後一〇時から午前一時までだった。この時の日誌を読んでみよう。
「PEBが早めに交替してくれたので、〇時三五分にハイドを出てテントでまどろむ。二時四〇分に時計を見た。それから何分かすぎたところで、手首のひもが強く引っ張られた。テントをとびだして支えのロープにけつまずき、ハイドのところにのぼると、PEBが立っていた。『あいつが木にのぼった』と言ったが、巣のところに人がいるかどうかはわからなかった。我々はあわてていたので、四〇センチの深さの湿地の水に踏み込んでしまった。木のところに人がいるようには見えなかったので、私は密猟者が逃げてしまったものと思った。その時PEBが『木から離れろ!』とどなった。私は彼のことばを信じて(その時も誰も見えなかったのだが)木に向かい、呼び子を鳴らした。PEBが水の中にうつむけにばったり倒れてしまい、おそろしく重くて助け起こすのには息切れしてしまった。木にやっとたどりつきーミサゴが鳴いていたーまわりを探した。PEBは東へ向かう物音を聞いたと断言した。そこで私は護身用のステッキと懐中電灯をひっつかみ、あたりを探した。木のところに戻ると、PEBがこわれたミサゴの卵を見つけていた。彼に言われて私は木にのぼり、こわれた卵と同様の斑点がついた完全な卵を二個見つけた。巨大な巣に対して、卵はいかにも小さく見えた。あとは精一杯呼び子を長く、やかましく吹き鳴らし、キャンプの注意をひいて助けがくることを期待した・・・・」^
ミサゴが頭上で時々鳴いていたことを別にすれば、暗闇の中は死んだように静まり返っていた。フィリップはキャンプと警察に通報しに行き、私は他の場所を探していたが、深い 下生えを抜けて一本の木のところに来た時、木が頭の上でいきなり爆発して、腰を抜かしそうになった。七面鳥ほどの大きさがあるキバシオオライチョウが、その木でなんと九羽もねぐらをとっていて、すさまじい羽音を立てて突然飛び立ったのだ。
休憩中だった監視人、ジョージ・ウォーターストン、ジム・マクドナルド、ハリー・ニール、ルイス・ステュアート、そして警官は、昼の光のもとで森や沼地を探したが、何も見つからなかった。次の夜、午前二時四〇分までは何ごともなかった。その時に雌は再び巣から舞い上がり、四〇分間にわたって鳴きながら飛びまわった。西のほうで、同じく巣についていた何羽かのダイシャクシギも警戒声を上げた。この時の攪乱の理由は何ひとつ発見できなかった。そして、ミサゴはまた高巣に戻った。




