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第五章 ダンジネスの捕食者たち  3 さまざまな捕食者

3 さまざまな捕食者  


 バローズ老の鉄砲と、借りてきた二二口径のライフルで、私はダンジネスのキツネに対する戦いを続け、アウトランズの疑わしげな土地を掘りまくった。カモメ類やアジサシ類のヒナはせっかくふ化してもほとんど育つことができず、あいかわらず夜になると消えてしまうのだった。事態は絶望的になってきた。有害鳥獣駆除局の役人からストリキニーネをいくらかもらっていたが、私はこれを自分で使うわけには行かなかった。もし使いでもしたら、RSPBから解雇される羽目になる。

 月がこうこうと照る夜、私は砂利の上で、細長いお棺のような恰好をした金網と帆布のハイドの中に横になっていた。鼻づらを下に向け、石の間を探しながら近づいてくる捕食者に対して、鳥たちのつがいが見せる反応を観察しているのは魅惑的だった。デンジマーシュ・ビーチの平坦で影のない地域では、夜とはいえ、ものが非常によく見えた。キツネを撃つのではなくて、見ているだけでよいのであれば、すばらしく有意義な観察ができただろう。

 なわばりの中に敵が入ってくると、つがいの鳥が警戒の声を上げるので、いつ、どこにキツネが近づいたかがよくわかる。しかし、夜はコロニー全体が警戒声を上げて騒ぐことはなかった。セグロカモメはキツネが巣に来ると、ほんの二、三メートルのところに立っているのに、昼間に出すよりももっと静かな声で、ただウォク、ウォクとつぶやくだけだった。カモメのつがいはすぐそばを飛びまわり、悲しげな声で鳴きたてた。コアジサシやアジサシは、キツネが数メートルの距離に近づくと舞い上がり、無言のままキツネの上でホバリングをした。まさに、卵を食べている最中であってさえ、だ。ハジロコチドリやイシチドリの卵がキツネに発見されるところは見たことがない。まったくにおいがしないのか、巣作りをしないため、鳥も卵も石にまぎれて見つからないためだと私は信じている。

 キツネを殺したり、被害をくい止めるためにさまざまな手段を講じてきた。忌避剤は役に立たなかった。もっとも風や雨のせいもあるのかもしれない。キツネの死体を切り刻んで、巣のまわりに立てた杭にさしてみたりもした。ある猟犬主任がキツネ除けに効果があると言った方法だが、だめだった。いくつかの巣のまわりに広い砂の帯を作り、足跡を識別しようとしてみたことがある。目立ってしまって、侵入者がかえって食物を思い起こすのではないかと心配だったが、この工夫はじっさい何年かにわたって、卵から捕食者を遠ざける役に立った。しかし、ヒナがかえってからは無理だった。

 落とし穴もいくつも掘った。ただし、付近に羊が出現するに至って、埋め戻さなくてはならなかった。羊が踏みつけてしまった巣も二つや三つではない。この広大な囲いのない土地で、羊飼いの役を演じるのは容易なことではなかった。ブラックロック農場とペイン町長が、ロムニー・マーシュの一〇〇〇頭にのぼる羊をここで放牧する権利を持っていることを、私は聞かされていなかった。羊たちは石のような奇妙な外見の苔や、まばらに生えた針金のようにかたい草や、がんじょうな灌木を食べる。地面を這うように生えたやぶの鮮やかな黄色の花は特に好まれていた。世界の羊の総数の十分の一、およそ三千万頭にのぼる羊は、四六もの異なる国々で、こうした限界ぎりぎりのやせ地でよく育っている。

 フィリップ・ブラウンは、巣のまわりに金網をはってみて、どうなるか見てみたらどうだろうと言った。これはよい考えだった。最初に囲いを作った巣の卵は無事だったので、もっと規模を広げてみることにした。単独の巣のまわりは長さ三・六メートル、高さ三〇センチの金網で囲った。そしていくつかの巣をまとめて囲む延長三二〇メートル、高さ六〇センチのサークルを作った。囲いの中の卵はほとんどぜんぶが無事に残った。そして、囲われていない卵はあいかわらずなくなった。

 ところが、囲われているヒナも、巣立ちが間近な大きなものまで含めて、あらゆる日齢のものが夜の間に姿を消すようになった。アジサシの小さい卵も同様に消えた。ただしカモメ類の大きい卵は無事である。私は金網の下に掘られた穴を探してみた。網の囲いにポッター・トラップがしかけられて、すぐさま別の捕食者の存在が明らかになった。トラップにはハリネズミが二頭かかっており、もう一頭が金網の下につっかえていたのだ。開けた砂利場のような環境で、いちばん近いやぶからたっぷり一マイルも離れているところで、ハリネズミが記録されたことはいまだかつてなかった。

 金網でサークルを作り、縁を深く砂利に埋めて、ハリネズミを一頭とじこめて飼ってみた。鶏卵は、殻がこわれていなくては食べられなかったが、放棄巣から卵を手に入れてやってみると、アジサシの卵の殻には簡単に穴をあけることができた。ハリネズミがかじってできた穴は、アジサシのコロニーで発見された中味を吸われた卵に開いていた穴と、きっちり同じ大きさ、同じ形である。わなにかかったハリネズミは、何マイルか離れたところに持って行って放してやった。その後は金網囲いの中のアジサシの卵は無事だった。

 皮だけが裏返しになったハリネズミの残骸をいくつか見つけたが、キツネのしわざである。頭だけ食べて獲物の体を残しておくという食べ方のほうがよく知られているが、これも典型的なキツネ流の食べ方だ。ダンジネスにおけるハリネズミ個体群を一掃するにあたっては、私だけでなく、キツネも一役買ってくれたというわけだ。粘液腺腫のためにウサギが全滅してしまった時、他の獲物を探す必要にせまられたためである。

 ダンジネスでの私の仕事は、大半が捕食行動の調査になってきた。捕食者になるかもしれないぜんぶの種類の活動を記録する必要があった。ミヤマガラスは、ヒナたちが成長してリッドのコロニーから一緒に飛んでくることができるようになると、すぐに大挙してカモメ類やアジサシ類の繁殖場所に侵入することがあった。卵を餌にして何羽かを捕らえたが、ミヤマガラスがやってくるのは繁殖時期の終わりごろなので、脅威というほどにはならなかった。カササギは、ハシボソガラスと同様に地域の中で数が増えていたし、カモメ類の間で餌あさりをしていた。しかし、カササギはカモメ類が吐き戻したペリットや、魚のかけらを漁っているだけだった。

 二つがいのコキンメフクロウが保護区の中に住んでいた。一八七〇年代から四半世紀にわたって、大陸から多数導入された勇猛なハンターである。私はこの種類がイギリスに定着したことを喜ぶ気にはなれなかった。少年のころ、この小さなフクロウの巣穴の中で、大きさも体重も同じくらいのクロウタドリの死体が丸ごとそっくりあるのを見つけるたびに、ひどく狼狽させられたものだ。ここ、デンジマーシュでは、アジサシのコロニーの中で夜コキンメフクロウが鳴いているのを時々聞いた。殺されたばかりのアジサシを一羽とか二羽見かけることもあった。一度などは、私の小屋の近くのくずれかけたバンガローで、屋外便所の座席のところで、アジサシの死体が二つもあるのを見つけた。いちばん近いコロニーからたっぷり一マイルは離れている場所だ。数少ない私のアジサシのうちどの一羽にしても、コロニーの再成功の核となるべき存在で、私のいとしいものであった。コキンメフクロウの導入に一役買ったリルフォード卿が私の考えていることを知ったら、お墓の中でひっくりかえってしまったに違いない。


 私の鳥たちにとって、ものごとはなかなかうまく運ばなかった。しかし、少なくとも保護区の中にはネズミはいなかったし、テンやイタチも外の草地や藪地からずっと離れたこの砂利場の中までは侵入しようとしなかった。私が知るかぎりでは草へびもいなかった。

 巨大な砂利場には、安全な営巣場所はわずかしかない。私の小屋からデンジマーシュ・シューアに向かって行く途中に、木材とアスベストでできた小さいバンガローがあって、戦争が始まってからというもの、ずっと打ち捨てられて廃墟になっていた。一九五四年春のバード・ノート誌に、私は「すてきな住まい」と題した記録を寄せた。

「廃墟になったバンガローで、次に挙げる種類ぜんぶが同時にうまく巣をかけている。こわれた煙突の上にはハシボソガラス、屋根の反対側の煙突の中ではコクマルガラス、屋根裏部屋の床にはヒメモリバト二つがい、台所にはイエスズメ、窓枠ではスズメ、正面の空き缶の中にはハシグロビタキ、そして裏口のドア近くにあるイラクサのしげみでノドジロムシクイ」

 もう一つの廃墟、ブリックウォール農場の中庭で見つけたハシボソガラスの巣は、一・八メートルの高さのサンザシのしげみのてっぺんにあって、大きなヒナがいた。巣の下の一方の側には卵が六個入ったイエスズメの巣があり、反対側には小さなヒナがいるスズメの巣があった。カラスの古巣にいつも巣をつくっていたイエスズメのつがいがいるが、この古巣がチョウゲンボウのつがいに利用されていた時も同様だった。

 カササギにとっても、広大で開けた環境のなわばりの中で、いやしからぬ営巣適地を探すのは同じくたいへんなことである。カササギのかさばった巣のうち、もっとも低い位置にかけられたものは、なんと地面から四五センチの高さしかなかった。カササギの古巣はトラフズクによく利用されていた。

 ハシグロビタキは適応できる範囲がいちばん広い。四歳の時、ライの町で、古い空き缶の中に巣を作っていたこの鳥と遭遇してからというもの、私の心の中で大切なものになっている種類だ。アウトランズのウサギ穴から離れた土のない砂利場の中では、利用できるような穴が地面にはまったくない。こうした中で、どれほどさまざまなものを覆いに利用しているかを見るのはとても楽しかった。

 一九五四年のバード・ノート誌に、「ダンジネスのハシグロビタキ」として私は営巣場所のリストを挙げている。「ウェリントン・ブーツ、フェルトの帽子、トランプの箱、難破した小舟、飛んできた爆弾やこわれた戦車のさまざまな部分、こわれたコンクリートの割れ目の下、各種の空き缶、それに、いちばんよく使われているのは、さびた波型トタン板の下」

 ハシグロビタキは、必ず何かの中か下に巣をつくる。繁殖する鳥の数は、営巣場所があるかどうかで限定されているようだった。餌となる昆虫は十分にいたからだ。リッドの基地の地域司令官から古い三〇三口径の弾薬の箱をたくさんもらったので、砂利の間に半分埋めて、開口部はレンガでせまくした。そのほか、軍隊のがらくたのあれこれも同じ用途に利用した。まもなく繁殖個体は七〇つがいにまで増加し、卵の数を調べたものについては、巣立ち率は通常六六パーセントにもなった。

 エリック・ホスキングが撮ったこうした「巣箱」にいる鳥の写真がブリティッシュ・バーズ誌の一九五六年六月号に掲載されると、ハシグロビタキの愛好者からたくさんの手紙が届いた。ずっと後、一九八九年一〇月になって、ピーター・コンダーのたいへん面白い本「ハシグロビタキ」の中に、ダンジネスでの私の記事が載っているのを見てうれしかったものだ。四〇年間にわたって彼が研究してきたこの興味深い種類のことがとてもよくわかる本である。

 営巣する鳥については、ほんとうにわずかばかりの成果とおびただしい失敗があった。おおいに価値のある経験だった。何もかもわすれて夢中になるような仕事だった。さらに、加えていつもの、あるいは特別のテーマについてのレポートや記事を書くことで、神の与えたもうた時間はすべて費やされてしまった。

 不運につぐ不運という事実の報告は、RSPBの委員会、フィリップ・ブラウン、そして彼の副官にあたるピーター・コンダ―の同情を呼び起こした。ちなみにジェフリー・ボスウォールは一九五四年一月に退職し、BBCで野生生物の録音に携わるというめざましい職に転じている。ジェフリーの後を継いだピーターは、最近までスコックホルムの鳥類観察ステーションにいたこともあって、私の仕事をたいへんよく理解してくれていた。

 ある日、フィリップ・ブラウンは私にこういう手紙をくれた。

「あえて言わせてもらう。野外で野生の中に座っている時、きみはダンジネスが望ましい状態からほど遠いと感じてがっかりしていることだろうね。でもどんな段階であるにせよ、ダンジネスはミンズメアやハバゲイトのような場所と比べても、あらゆる点で興味深い存在なんだ。私はきみのやり方、問題に対する現実的なアプローチがおおいに気に入っている。きみの仕事は、究極的にはえらく大きな価値を持つことになると思う。じっさい、私は確信をこえたものを感じているんだ」

 マックス・ニコルソンはダンジネスの保護に対して非常に熱心で、保護区で知り得た事実について、当時編集長をしていたブリティッシュ・バーズ誌に書くべきだとすすめてくれた。そこで、私は「ダンジネスにおける鳥類保護と捕食」と題した長い記事を書き、一九五六年六月の発行号に掲載された。

 当時は、いわば霊感ともいうべき一致協力の気運が非常に強かった。RSPBは小さな会で、私たちはみな、資金不足の中で望みうすい戦いを続けていた。

 一九五四年八月の「ウォッチャーズ年報」(もう、わずかな関係者が保存しているだけになってしまったものだ)に、ピーターによる紹介記事が載った。この雑誌と、あとを引き継いだ「保護区年報」は、RSPBの内部機構の中でも、もっとも利用価値の高い歯車というべきものになった。その一方、一般にも野生生物と環境に対する関心が芽吹いてきて、鳥の保護に関して、法律の上でもフィールドでもよりよい保護策が求められていた。労働時間の短縮とともに、人々はもっと多くの娯楽を必要としていた。私の保護区に対しても、こうした人々が何かをもたらしてくれることを私は期待していた。

 


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