第四章 砲兵隊と野戦病院 1 召集
第四章 砲兵隊と野戦病院
1 召集
ジョーンと私は、ライの古く美しいセント・メアリ教会で、一九三八年十二月五日に結婚した。現役で動いているものとしてはイギリス最古の時計の有名な長い振り子の下に寄り添って立ち、互いの愛に確信を持っていた。時計台の外側では、文字盤の両側にひとりずつ、ふたりのふとった金ぴかの天童がならび、十五分ごとに鐘を鳴らすようになっている。縁どられた額にはおそろしいメッセージが掲げられていた。「われらが時はいたく暗し。すぎさらんことを」
私たちは気にもとめなかった。二人は若く、愛は不滅であった。
われらが教区牧師さんは芝居っ気たっぷりな上、いつでも布教の機会をねらっている人だった。
「あなたがたの前に立っていると」牧師さんは朗々と抑揚をつけて言った。「おふたりではなく、三人に見えます」
そこで牧師さんはことばを切り、こともあろうに、深い意味をはらませた間合いを十二分にとったものだ。ただ単に、次のことばを引き立てるための間合いであったのだが、後に披露宴のワインが入ってから、友人たちはもろにそのとおりのことを言った。その間私は、満場の目という目がジョーン(誓って純潔であった!)の姿に集まり、どんなものかと値踏みをしているのを、いやというほど意識させられた。
「神があなたがたと共にいます」
ああ、当然そういう意味であるべきだった。もちろん、もっとよいやり方もできたはずだ。それでも、牧師さんは正しかったのだ。これが、私たちふたりがともに暮らしてきた長く幸福な日々のほんとうの門口であった。まさしく神がともにいまし、導きたもうたのである。
私は昇進への期待とともに、もっと大きな事務所で働くようになった。私たちはレッドヒルに引っ越して、レッドストン・ヒルの小高いところに所帯をもった。ここからの眺望はすばらしく、サリーとサセックスの豊かな境界地方から、サウス・ダウンズに至るまで、五〇キロも先まで見はるかすことができた。庭に餌あさりに来る鳥の中にはゴジュウカラがまじっていた。これはライでは見なかった種類だ。
新しい何百人もの同僚の中には、残念ながらバードウォッチャーはひとりもいなかった。しかし、事態はあまりにも早く動き、一九三九年九月三日に戦争がはじまった。軍隊に志願するか、召集されるか、どちらかの選択しかない。じっさい、仲間うちのほとんどは、最初の年のうちに予備役の兵員となっていた。ライは軍の制限地域になった。しかし、親族がいるので休日に戻ることもできたし、なつかしい遊び場、キャンバー・サンズの完璧な静けさを享受することすら可能だった。
一九四〇年五月のある晴れた日、私たちは一羽のシロチドリを見つけて興奮した。ラザー川河口の砂利の岸辺で、ぜひともまた繁殖してくれるようにと願っている種類だ。砂丘や海岸は、子供のころと同じく平和そのものだった。まして、イギリスでもっとも稀な種類になってしまった珍鳥を目のあたりにしているのだ。なんとすばらしい世界であったろう。軍の防衛網があるにしても、目には入らなかった。遠くを飛ぶプロペラ機のぶうんという音も、マルハナバチの羽音のようにのどかで眠気をさそった。
しかし、ほどなく海峡の対岸のフランス側で、もっと切迫した物音が聞こえはじめ、水平線が煙で黒くなってきた。夜のBBC放送で聞いたところによれば、その時まさにダンケルクからの撤退が行われていたのだ。私たちがすごしていた天国のような場所からわずか五〇キロのところで、そんな地獄絵が繰り広げられていたなどとは、とても信じられなかった。
この年の秋に私も召集された。そして糊のきいたカーキ色の軍服に身をかため、がんじょうなブーツをはいて、イーストボーンの街の中を行進していた。南海岸にあるこの街は、新米の兵隊が大声で怒鳴られる命令に飛びつくように従うことを学ぶのによいところだった。我々の班は、しょっちゅう爆弾を落とされ(どなりつけられ)、機銃掃射を浴びせられ(罰せられ)ていた。
数週間が経つうちに、私は「訓練をつんだ兵員」として、あらゆる小型の火器を扱うことができるようになった。爆撃されたビルから人々を掘り出し、不発弾の歩哨に立ち、そのほか、つばを吐いたり、磨いたり、古い軍隊の歌―旋条銃を使っていたインド軍のころからのものーを歌うといった、予期せざるさまざまな技術にも習熟することになった。
上品なイーストボーンの家屋の宿舎から、我々はロムニー・マーシュの海岸に位置したアスベスト製の休暇小屋へと移送された。イギリス砲兵隊の新しくできた第四防衛連隊第九一六中隊に徴発されたものだ。私たちの隊と、海軍の一〇センチ口径の大砲は、なんとキャンバーのブルームヒルの砂利浜に配備された。生まれ故郷のヒースの上に戻ってきたのだ。木曜日の給料日の行列に並んでいる間じゅう、こみあげてくる笑いが止まらなかった。
もしも六か月前に、かくも突拍子もない偶然の事態が起きていたなら、私は軍隊生活が好きになっていただろう。そう思わざるを得なかった。もしもそうであったら、愛するキャンバー・サンズで釣り針や網をしかけたり、ダンジネスからカモメの卵をとってきて、軍隊のメニューに変化をつけることができたはずだ。半日の休暇が出た時に友人や親類を訪問することもできたはずだった。
ドイツ軍がこの無防備とも言うべき海岸線に上陸する機会を常にねらっていることなど、気になりはしない。支給された三〇三口径(七・六ミリ)の銃の七六発の弾を使い果たし、我々の体そのものさえ消耗品として扱われることも気にするものか。歩哨に立つ長い寒い夜、航空機の着陸を妨げるために砂に立てられた、まるで酔っ払ったように傾いた竿の柱を越えてくるあらゆる物音に耳を澄ませ、聞き分けようとする努力も気になりはしない。ドイツの戦闘機、メッサーシュミットから突然撃ち込まれる機銃掃射に対するむなしい反撃も、ふるさとの町の爆撃を目のあたりにすることも、気になりはしない。キャンバー・サンズにおける私の戦いが、たとえごくわずかにしても、よくやったものとして記憶にとどめてもらえるものであるのなら。ああ、ノスタルジアとはかくもよきものなのである。
しかし突然、すべてをよきものとばかりは言っておられなくなった。一九四〇年から一九四一年にかけての冬、我々の部隊は海岸線から少し離れた帯状にひろがる住宅地に宿舎をとることになった。グレイトストンからダンジネスのパイロット・インに至る新しい道路沿いの住宅地である。裏庭の向こう、ロムニー、ハイス、ダイムチャーチを通る軽便鉄道の小さな線路を越えたところに、広大なレイドの砂利砂漠がひろがっていた。ロン・ウィリアムズと私がいつもシロチドリの巣を探していたところだ。小さな列車の蒸気エンジンと荷台には装甲がつけられ、高射砲の砲火の光を浴びながら、軍需物資や人員を乗せて勇ましく走っていた。北にはリトルストン・サンズの砂浜が湾に沿って一〇キロにわたってひろがり、どうぞお入りくださいと侵入を誘うような地形だった。いつもおなじみのコオバシギ、ハマシギ、ダイシャクシギ、ダイゼンなどはたくさんいて、戦争で餌ほりの漁師が出ていないので、人と競合せずにすんでいた。
どちらに向かう側にもコンクリート舗装の狭い道路が掘られていたが、クリスマス前後の数週間にわたって雪に埋まり、トラックが通るには危険すぎる状態になった。我々は水も石炭もなしに孤立してしまった。缶詰の食料だけはおびただしくあった。我々は目につくありとあらゆる木を燃やし、雪を溶かして飲料水にした。バターまで燃料に使う始末で、私は飢えたカモメにも食物をやったが、五種類もいた。
これまで、こんなに長い間、これほど寒い思いをしたことはない。毎朝、雪もよいの夜明け前二時間というもの、トラックの鋼鉄の装甲の上に備え付けられた古い海軍砲のまわりに立ち尽くしているのだ。ふだんはレンガ積みの仕事に使われていたトラックは、宿舎と宿舎の間に置かれていた。ドイツのEボートが沖合で静かな律動音を立てていたり、複数の人間が海岸を歩いている物音を聞いた夜もいく晩かあった。海岸からの探照灯を待ち受けていたが、一度も光はつかなかった。
我々は、大きな海軍砲には点火できないことを知っていた。これに合った点火用のピンが見つからなかったためだ。ロムニー・マーシュの村々で平服のドイツ人が捕まったと聞いたが、何のふしぎもない。まったくのきちがい沙汰だ。大笑いしたいところだが、神経質にならざるを得ない。
一か所に長く留まってはいられなかった。戦争の進行とともに新しい任務のうわさが増大してきて、ついに現実となった。我々の分隊の半数はペベンシー湾の第九一五独立防衛砲兵中隊に配属された。一〇六六年に征服王ウィリアムがここに上陸して立証したように、この海岸はたいへん攻撃を受けやすいところである。手薄な防衛に六ポンド砲が追加されたこの時点でも、海からの侵入に適した場所だった。
警報や出動命令がひんぱんに出た。ある晩、イーストボーンでどんちゃんさわぎをやった後に帰ってきた我々四人は、すべての兵舎が空になり、あらゆる場所が真っ暗で、死んだように静まり返っているのを発見した。星もない闇夜だった。海岸に設置されている大砲をめざして、手探りで道を探しながら進んでゆくと、闇を裂いてささやき声の命令が飛んだ。「位置につけ、口をきくな。命令を待て!」
ナンバー三の席につき、私は小さい大砲の銃身を見下ろしていたが、真っ暗闇の中では何ひとつ見えなかった。砕ける白い波頭さえ見えなかった。我々は待った。そして更に待った。押し黙ったまま、敵の侵入を迎えうつのに間に合うように戻れたことを喜ぶべきかどうかと考えていた。
その時、いきなり海岸から探照灯が閃いた。波打ち際で、私の大砲からわずか七〇メートル前のところで、三艘の上陸用舟艇から人間が吐き出されている。ドイツ兵だ。確実な的だ!命令を、後生だ!
彼らがざくざくと砂利を踏んで上陸してくると、見慣れない制服、見たことがない自動兵器、黒く塗った顔、そして白い目が見えた。ああ、ついに彼らがやってきた。しかし、あらゆる地獄のような光景をもたらすべき一発の閃光も命令もない。引き金にかけたままの指が、ひりひりするような緊張でこわばっているのをゆるめてくれるものはない。
彼らはまっすぐに我々のほうに向かって歩いてきた。銃が向けられている。畜生!それなのに、まだ、砂利を踏むブーツのざくざくという音しか聞こえない。彼らは私たちの眼前を通りすぎて行く。ちらっと見えた顔は冷酷そうだった。そして、彼らはそのままマーテロ・タワーを通過していった。我々は不動の姿勢のまま、大砲の位置についていた。やがて、耳慣れたべドフォードの三音節の鐘の音が聞こえてきて、ナイフの刃のような緊張をやわらげてくれた。海岸の光は行ってしまった。
「歩哨小隊、立て!残りは安全確認、すわれ。兵舎に戻り、待機!」
おしまいに、砲兵少佐殿が宿舎内を巡回した。「我々が出会ったやつらはえらく数が多かった。反対側を急襲するところだった。上陸用舟艇のうち二艘は被害を受け、残る一艘に引き戻された。あのあわれなやつどもをお前らが殺さなかったわけは、神のみがご存じだ。さあ、消灯して寝るんだ」
床に敷いた固いわらのマットレスの上、目の粗い毛布の間で、私は長いこと目をさましていた。私は軍隊に属している。キップリングも言ったではないか。
「ああ、ミスター・アトキンズ、ありがとう!部隊が攻撃をはじめてくれた」
すべては的はずれの教練のためだ。すべては陸軍省―このために我々は歌ったのだーに埋没した記録だ。「広場に立って、彼らはわめき、そして叫ぶ。彼らが知りうる仕事とは、何かに対して叫ぶことのみ」
あらゆるプライドはまっすぐに逆戻りしてぺしゃんこになってしまった。耳を聾してひびく軍楽隊のマーチを背後に、街の中を行進していた時には、誇りで胸がふくらんだものだったが。ともかく、もはやこれはなされたことなのだ。
私は集団の一員になっていると、いつも落ちつかない気分だった。それでも、この事態をむしろ喜んでいる自分に気づいた時にはびっくりした。現に今、私は無傷でいるし、真の意味での訓練を受けたわけではないか。苦痛をこうむるのを喜ぶようなおろかなまねをするつもりもなかった。




