はじめに
著者、ハーバート・アクセル氏は一九五二年からイギリス鳥類保護協会(RSPB;世界最大の環境保護団体とされる)のスタッフとして働き、湿地で繁殖する水鳥の保護に尽力されました。RSPBのシンボルマークになっているソリハシセイタカシギの繁殖環境を作り上げたミンズメアの保護区のおいたちと経緯は、この本の中にも生き生きと語られています。現役を退いた後も、スペインなど各地で鳥の生息環境を作る指導にあたり、日本でも東京港野鳥公園の前身にヒントとアドバイスをいただきました。
著書 「ミンズメア」(邦訳「よみがえった野鳥の楽園 ミンズメアーある鳥類保護区の肖像」平凡社 黒沢令子訳)に初めて出会った時の感動をおぼえています。私は夫嘉彪とともに行徳野鳥観察舎で住み込みの管理員をしており、水鳥の繁殖に適した環境をどうやって作り出すべきか、試行錯誤を続けていました。友人に紹介され、辞書を片手にぽつりぽつりと読んだ本の中には、私たち夫婦と同じ軌跡、同じ悩みが語られていました。
一九八二年にアクセル氏夫妻が来日された時、行徳野鳥観察舎にも来訪されました。私が著書を既に読んでいたこと、また同様の仕事をしていることから、お互いに深い共感を抱くことになりました。アクセル氏の自伝が出版され、贈呈いただいた時、苦手な英語ではあるものの、その内容にひきこまれ、翻訳のチャレンジが始まりました。
一九九五年、私たちのスタッフのひとり、佐藤達夫がRSPBのボランティアとしてイギリスで一年をすごした時、アクセル氏に多大なお世話をいただきました。彼がミンズメアから他の保護区に移る前、私も友人たちとミンズメア、そしてアクセル氏を訪ね、生まれ故郷のライの町やダンジネス保護区を案内していただきました。翻訳時にわからなかったことや固有名詞の発音などを直接うかがうこともできました。
アクセル氏(何度かアクセルさん、とお呼びした後「僕はバートだよ。そう呼んで」と釘をさされましたが)は私にとって、鳥のお師匠さんであり、イギリスのお父さんです。ただし、それとは無関係に、この本はとても面白いものです。自伝にありがちなくさみもなく、世界最大の環境保護団体となったRSPBの黎明期と、手探りで進んでいった保護区管理のありさまが、涙や笑いとともに生き生きと描かれています。そして第一次世界大戦後・第二次世界大戦前の少年の日々の思い出も。
多くの方々の目に触れて、私が感じた面白さが伝わりますように。
はじめに
一九二〇年代、第一次世界大戦と第二次世界大戦の二度にわたる戦争に挟まれた時代に私は少年の時期をすごした。
私の故郷は英仏海峡に面したライの町で、イギリス東海岸のいわゆる「五港」のひとつに当たる。(註 実際は七ヵ所。フランスの侵略に備えて築かれた要塞都市で、海の守りを司る代償として諸般の特権が与えられていた。ヘイスティングス・ロムニー・ハイス・ドーバー・サンドウィッチ・ウィンチェスター・ライ)
ライの町はサセックス州の森におおわれた丘陵地帯と、ケント州のロムニー・マーシュの間に位置している。ふるさとの自然は親たちにとってはどうということもない平凡なものだったかもしれないが、私たちにとってはありとあらゆる多様な環境、あらゆる鳥たち、そしてあらゆる秘密に満ち満ちた驚くべき土地だった。
豊かとはいえないこの時代、地方に生まれ育った私たちにとっては、遊びや娯楽と言えば自分の手で作り出すものに限られていた。私は友達と同様に熱心な卵コレクターだった。野生の鳥の保護に対する一般の関心などほとんどない時代で、鳥の卵を集めている少年に注意する人などまずいなかった。
卵のコレクションといっても、ラベルには地方での呼び名や推測による種名しか書き込めない標本がたくさんあった。正しく種類の同定ができる人などいるわけがない。私が通った学校は、玉石で舗装されたマーメイド街にあったが、先生にも鳥の種類などわかりはしなかった。
私たちが鳥学に興味を持つようになったのは、こうした経緯から、まったくの自然のなりゆきというわけである。卵を集めるために巣を探し、ありかをつきとめるスリルは、それぞれの種類の鳥が特定の環境で、どうやってうまく身を隠して巣を作るかということの理解へとつながった。小鳥の卵はほんとうにかわいらしく、ぜんぶ取りたくて指先がうずうずするほどだったが、たいていは一個だけとって、あとは残しておいた。コレクションに加えるためだ。ただし、もっと大きな卵についてはひと腹の卵をぜんぶ取った。海岸で巣をつくるカモメやアジサシ類、野原で見つかるチドリ類、堤に巣を作るカモやバンなどの水鳥といったものだ。家で食べたり、八百屋に売ったりするためだった。当時はそれが問題になるようなこととは考えられなかった。こうした卵どろぼうはわずか一か月間のことだったし、翌年の春も鳥が少なくなったりはしなかった。鳥たちはいつでもたくさんいて、現在よりもはるかに数が多かったものだ・・・・ーただし、カラスやカモメといったゴミ捨て場に群がる掃除屋のたぐいは今のほうが多いだろう。
少年時代、町に住んでいた四五〇〇人の住民のうち、卵コレクターの域を脱してほんもののバードウォッチャーになった少年は、私を含めて二人しかいない。私たちふたりは一年中野外でいっしょに長い時間を過ごしていたので、皆から変人扱いされ、白い目で見られていた。
やがて私たちは鳥の標識調査に参加するようになった。鳥の足に番号が入ったアルミニウム(註 アルミニウムは摩耗に弱いので、現在はモネル等の合金が使われている)の足環をつけ、その鳥が再び発見されることによって、渡りなどを中心とした鳥の生活をよりよく知るための調査である。今でこそ鳥が海をこえて長い渡りをすることはよく知られているが、農夫である知人のひとりなど、カッコウは冬になるとチョウゲンボウに変身するのだと長い間かたく信じていた。戦後になって、バッキンガムシャーで標識足環をつけられたカッコウの若鳥が、冬にアフリカのコンゴで殺されて発見されたというニュースがテレビで放映されるまで、この人はカッコウが国外に渡去することを信じてはくれなかった。
科学としての鳥学は、扱っている分野が狭い上に歴史もたかだか三五〇年ほどしかなかったため、二〇世紀初頭まで、関係する人はごくわずかしかいなかった。大きな博物館などでは「ナチュラルヒストリー講座 入会自由」といった掲示がいくつも出ていたが、その一方で、農業と工業による野生生物の生息環境破壊が続いていた。
鳥が暮らせる環境は減っているのに、イギリス人は「世界で最悪の鳥ごろし」の域を脱していなかった。単に楽しみのためだけの銃猟が盛んで、ボートを出して崖に営巣している海鳥を撃つようなやからまでいた。陸地で営巣するエリマキシギ、オグロシギといった鳥は、食道楽の人たちに珍重されたために、イギリスではもはや巣を作らなくなり、繁殖種のリストからはずれてしまっている。羽毛を装飾用にするとか、売りものにできるといった高級な鳥でなくても、撃ち落とすことができ、食べられればそれでいい、という理由で鳥は殺されてきた。
一九五二年、私はイギリス鳥類保護協会(RSPB)とともに、まったく新しい種類の産業に専従で従事するようになった。自然環境が急速に失われてゆく中で、鳥の生息環境の回復につとめ、鳥たちを観察するための施設を作るという仕事である。
現在、農業技術の進歩はかつて想像もできなかったほどの効果を上げ、少なくとも先進国の間では、安価な食物が十分に供給できるようになった。余剰作物の貯蔵は高価につくため、余剰を減らすためにヨーロッパ共同体が生産調整の土地を必要とするようになるなどということを、いったい誰が予見できただろうか。
おかげで、わずかな土地が自然の手に戻された。しかし、工業や農業によって排出される毒物は、食物連鎖の根底に大きな影響を与えている。そして、世界全体が人口過剰という問題に直面しているかぎり、森林が伐採され、湿地が干拓されてゆくという事態は緩和されようがない。観察が楽にできる鳥は、こうした悪影響のよい指標になる。十七世紀末にドードーが消滅して以来、すでに六〇種類の鳥が絶滅し、絶滅への速度は次第に加速している。国際鳥類保護会議(ICBP)によるレッド・データ・ブックのリストによれば、種の生存が深刻な危機にさらされている鳥は一千種類以上にもなる。
現存する世界の鳥の種類数は、分類する際に統合的に見るか、細分するかで異なってくるが、八六五〇種から九〇〇〇種の間とされている。たとえば、ヨーロッパでは黄色い足をしたセグロカモメの亜種を昇格させて別種とみなすことが検討されている。一方アメリカでは、これまで翼下面の色が異なるハシボソキツツキを三種類に分けていたが、それぞれを亜種として一つの種類に統合した。
古生物学者は、五〇万年前には一万一五〇〇種類の鳥が生息していたと見積もっている。しかし、種類の減少は人間のせいとばかりはいえない。特殊化しすぎて環境の変化に適応できなかった種類は、進化によって切り捨てられるからだ。
私たちイギリス人は、これまでに十分すぎるほど悪いことをしてきた。その償いのために、私たちは環境保護事業を大きく育て上げた。今では政府をはじめ、工業や農業に携わる人たちにも環境保護の主張が受け入れられ、マスコミが好むテーマにもなっている。少なくともヨーロッパ共同体の領域の中では、野生生物に対する姿勢全般が明らかに変化した。ただし、地中海沿岸諸国の状態は感心できるものではない。
イギリス諸島では陸地の八〇パーセントが農地であり、その多くは自然の損失によって成立したものだ。RSPBは単独で既に一五〇ヵ所以上の保護区域を獲得しており(一九五〇年にはわずか一ダースにすぎなかった)、さらに毎年数を増やしている。イギリス自然保護協会は四七ヵ所にのぼる州単位のワイルドライフ・トラストを持ち、RSPBと競う進捗状況を見せているが、保護区域の総計はまだ少ない。イギリス田園保存審議会は開発を計画しているデベロッパーや企画者に対して、お目付け役としてたいへん効果的に働いている。
かつて考えられもしなかったような世界の隅々で、野生生物のための貴重な保護区域が確保されるようになった。こうした地域では、パッケージ・ツァーの観光客が娯楽を求めてどっと流れ込むおかげで、旅行者に対する配慮を行うのと同様に、教育のための管理も行われている。観光客は現地の人々をもうるおしてくれるわけだ。
環境についてのイギリスの国民意識が方向転換されるのには、すばらしいことに、わずか二世代分の年月しかかからなかった。はじまりは、現在のように人間環境の現状に対する危機感から発したというわけではない。戦争で抑圧された年月に対する反動として、戦後になってアウトドア志向が一挙に花開いた。テレビの自然番組や、従来よりもずっと手軽に入手できるようになった本も、自然への興味を呼び起こす効果を生んだ。鳥―活発で変化に富むこの生きものーを観察し、もっとよく知ろうとするバードウォッチングは、とりわけ多くの人々に好まれた。鳥は自由そのもののシンボルであり、自然遺産や生息環境を守ろうとする私たちの寄付金そのもののシンボルでもあった。
一九五〇年には、RSPBのような環境保護団体に属する人々は、人口の〇・〇一パーセントに過ぎなかったが、RSPBの組織は急激に発展し、創立一〇〇周年をむかえた一九八九年には六五万人、一九九一年には一〇〇万人に手が届きそうになっている。会員はもっと行動的になって、さかんに保護区を訪れるようになった。そして新しい保護区の取得や維持のため、物心両面からの援助を惜しまないようになっている。かつて追いやってしまったものを取り戻し、壊したものを復元したいというさしせまった気持ちがあるのだ。
環境関連用語は、これまで全く親しみがなかったことばであるにもかかわらず、情報設備の発展ですみやかに広まった。たとえば「オゾン層にやさしい」というような新しいキャッチフレーズは誰にでもよくわかる。「有機栽培の」果物や野菜は、お値段が高いにもかかわらず、スーパーや道路沿いの売店で大人気になった。
新しい自然保護家の中には、少々行き過ぎた発言をする人たちもいる。誰もよいとは思わないことなのに、確実にしようと熱心になるあまり、限度をこえて被害を非難したり、原因を誇張して言い立てて、かえって本来の責任者から賛意を表されてしまうようなやからだ。
「地球の友」「グリーンピース」「世界野生生物基金」などの国際団体は、地球環境全体の番人として、ことばで主張するだけでなく実際の行動にも移しており、温室効果を引き起こす炭酸ガス等について正しく注意を喚起し、納得のゆく戦い方をしてくれている。おそろしいことには、気候が温暖化し、海水面が上昇して世界の各都市に洪水がひきおこされるのがいつになるかということは、科学者にも予想がつかないそうだ。
こうした警告にもかかわらず、私たちは未だ十分に自覚しているとは言えない。ヒトは、自らにとって良好な状態を保ってゆくにはあまりにも頭脳ばかりが発達し、ずうずうしく、何よりも数が多すぎるー毎分一八〇人もの赤ちゃんが誕生しているのだ。人類全体の五分の一は飢餓状態に近く、野生生物の存続を気づかうよりも、まず自分の生存をはからなくてはならない状態だ。多くの人にとって、鳥は食用になるか、ペットとして楽しむか、非合法的な輸出市場で売るねうちがあるというのでもないかぎり、何の意味もない存在である。
一九五〇年代のはじめ、鳥のための保護区の管理や開発技術について、私はどのような先例も見つけられなかった。ろくろく財源もないままに、眼前にせまっている問題に対処するためには、経験主義と、いうなれば実用的な白紙委任といったものがあるのみだった。頼みとするのは三〇年間にわたるアマチュアとしての野外における経験、そして鳥が必要としているものごとへの関心だった。理論的には、陸地や水域に手を加えることについては、それによって生じる地域の生態系への影響を知るため、何年にもわたる研究が必要になるだろう。理想的には、こうした研究が必要に決まっている。しかし、RSPBは本質的に実用主義である。精密にものごとを組み立てるための資金も時間もないからだ。
鳥たちをはじめとする野生生物の生息環境について、というだけではなく、保護区域を所有したり、借りたりして確保した組織の会員に対しても、早急に手を尽くす必要がある。どっと押し寄せるバードウォッチャーに対して、駐車場、ビジターセンター、売店、トイレ、観察路、遮蔽物や観察小屋といった必要な施設を準備することは、いまや全く新しい産業のひとつと言うべきものになった。鳥を見る人間の存在は、国内であれ海外であれ、鳥そのものと同じくらい大切であることがおわかりと思う。会費、寄付金、そして賛意の表明がなくては、存続が脅かされている生息地を購入したり、改善したりすることができるはずがない。
どんな場所であっても、人々は鳥の存在を必要としているのだ。「世界の抱える諸問題から、私は鴨たちへ向かう」
およそ二〇年ほど前、見た鳥のライフリスト(自分が野外で目にした鳥の種類のリスト)に新しい種類をつけくわえるために出かける鳥見旅行に「トウィッチング」という他愛ない呼び名がついた。週五日の平日の間じゅうずっと、週末に鳥を見に出かけたくてうずうずしている(トウィッチング)ことから来た呼び名だ。この熱にとりつかれるのは男女共通で、趣味そのものは汽車あてゲームと同じく無害なしろものなのだが、一種類でも多く見ようとしてかっかとのぼせ上がる状態への安全策として、とかく珍鳥のもとへと群れ集まる習性がある。かくして、アジアかアメリカから風に流され、食物と休息を求めて陸地に漂着した、体重わずか十五グラムそこそこの地味な褐色のムシクイの姿をひと目見るため、何千人ものトウィッチャーが繰り出すという事態が起きる。これは科学的かつ競争的なスポーツの一種とも言える。最新の情報技術が駆使された信じられないほど効果的なホットラインによるネットワークができており、高級誌も出ている。
ひと目ちらっと鳥を見て、それっとばかりに次へ移動してゆく珍鳥かせぎのバードリスターは、今では鳥学上の恩典の範囲外になった。大多数にとって、ある鳥と別の鳥の識別点は以前はA+B=Xで十分とされていた。しかし今では、稀な種類が記録されるにあたっては、A+B+C+D+E、あるいはもっと多くのポイントが確かめられなければ十分とは言えなくなっているからだ。
バードリスターと、神に忠実なる善き愛鳥家(どちらか、またはどちらにもなりうるわけだが)とは、生息環境の保全を世界中で助けている。趣味に夢中になるために、お金を出してくれるからだ。鳥の本、鳥の餌、旅行、ホテル、高価な装備、保護団体の会費等にこの人たちが払ってくれる何百万ものお金、その会費は生息地を購入するために必要となる高い金額を賄ってくれる。ガチョウを助けて、金の卵を生んでもらおうということだ。
他のどのようなレクリエーションと比べても、バーダー(野鳥愛好家)たちは田園の自然を尊重する人々である。自然保護区域では、ゴミの投げ捨てや乱暴狼藉を見かけることはまずない。何よりよいことは、おかあさん、おとうさんたちが子供たちを連れていっしょに来てくれることだ。観察小屋に入った家族が、初めてすぐ間近で鳥を観察しながら、声をひそめて熱心に話をしている時こそ、野生の生きものについてのほんものの教育と楽しみとを共有している時間である。未来への希望を持つことができるというものだ。