第九十五話 戦場の異物
今年最後の投稿となります。皆様来年も『空の勇者と祈りの姫』をよろしくお願いします。
ホランド軍がエルドラを包囲してから半月が経過しようとしている頃、サピン王宮では連日会議が開かれていた。会議の内容は当然、城壁の外に展開しているホランド軍への対応だった。現在もこうして城で話し合っていると、時々城壁に何かがぶつかる音が城の中にまで聞こえてくる。城攻めとは時に数年を要する戦であり、半月程度ではまだまだ序盤戦でしかない。それを分かっているサピン王を始めとした王侯貴族や将軍らは、内心はともかく顔に余裕を浮かべていた。
「城壁はまだまだ持ちこたえられそうか?」
アーロン王が娘婿であり、王都守備軍の主将のアルフォンソに問いかける。実の甥を戦場で失った王は、一時は随分と気落ちしたが今はそんな状況ではないので、老体をおして気丈に振る舞っていた。
「はい、まだまだ壁は健在です。こちらの方が攻撃の射程が長いので、相手も攻めあぐねているようです。特にドナウから買い上げたナパームは非常に殺傷力が強く、効果的にホランド兵を焼いてくれます。ですが問題は、周辺地域からの略奪を止められない事です。ホランド軍は攻城戦に役立たない騎兵を周囲の村や街に差し向けて、略奪を繰り返していると船を使った物見からの報告があります。これでは王都が耐えられても、サピン全土が蹂躙され尽くして国政が立ち行かなくなります」
戦況はこちらに有利とは言え、国民が被害に遭っているのを、ただ見ているだけなのは辛い。特に利害調整能力を買われて貴族の頭目を務めるアルフォンソには、毎日のように被害を受けている領地の貴族から陳情を受けていた。助けたいのは山々だが、城から出ればすぐさまホランド兵に討ち取られる事を考えれば、のこのこ助けに行くのは自殺行為だ。
「そんな些事は放って置かれよ、今はこの王都が堕ちない事が肝要。優先順位の第一は王家だという事をお忘れかね?王あっての国、王あっての民。それは貴族も変わりありません。アルフォンソ殿も辛い立場でしょうが、ここは耐えて頂きたい」
王国宰相のマウリシオがたしなめるが、アルフォンソは顔に出さずとも不快感を感じていた。
(何が些事だこの爺が!何もせず、ただ惰眠を貪る貴様などに一々命令される謂れなど無いわ!)
事実アルフォンソが寝る間を惜しんで軍の統率を保ちつつ、貴族の陳情を宥めすかしていた時に、この爺は碌に仕事をしていない。
頼みの綱であるレゴスの援軍は断られ、孤立無援の状況に追いつめられた現状の責任は、敗れたエウリコとマウリシオにあると、アルフォンソは陰で唾を吐いていた。
一見順調そうに見えるサピン側は目に見えない問題を数多く抱え、ホランドと戦争を続けていた。食糧や水、軍需物資はまだまだ余裕があっても、人間の心に余裕はあまりなさそうなのがサピンの内情と言えるだろう。
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サピン王宮で繰り広げられる陰鬱な政治闘争とは違い、城壁の外に布陣したホランド軍は戦とは思えないような牧歌的雰囲気が漂っていた。攻城戦は長丁場である以上、四六時中気が張っていては身が持たない。その為、多くの兵士はローテーションを組んで、交替で城攻めを行っている。
ある者は寝ているし、ある者は博打を打ち、また身体を鈍らせないように鍛錬に勤しみ、昼間から女を抱いている者もいた。但し、女は鎖に繋がれ、猿ぐつわを噛まされて声を出せないようにしている事から、決して望んで男共に抱かれてるわけではない。虚ろな目で半ば意識が無く、ダラダラと開いた口から涎を垂らしながら複数の男に凌辱されるているのは近隣の村から拉致してきた村人なのだろう。中にはまだ初潮も来ていない少女や、同じ年頃の少年も同じように鎖に繋がれて、下半身を体液と血だらけにしながら兵士に蹂躙されている。
彼等は戦利品であり、兵士の鬱憤を晴らす玩具だった。戦場では日常的に見られる光景だが、異常な光景でもある。これが街中であればすぐさま警備隊が飛んでくるが、そんな都合の良い存在は、この場にはいないのだ。誰もが当たり前のように受け入れ、誰も異論を唱えない空間が作られていたが、嫌悪感を抱かない人間が居ない訳では無い。
まだ十代の前半らしき茶髪の少女が、二十半ばの黒髪の女性と血塗れの布の入ったカゴを抱えて歩いていた。このような場所で女性が自由に歩き回っているのは珍しい。普通ならば兵士達の慰み物になっていてもおかしくないが、彼女たちにそのような様子は一切見られなかった。むしろ、二人の姿を見た兵士が慌てて道を譲るか、物陰に隠れるという摩訶不思議な光景が作り出されていた。
明らかに兵士達は彼女達に恐怖を感じている。正確には、黒髪褐色の女性にだ。
「まったく嫌なモノですねガートさん、男ってみんなああやって腰振ってないと落ち着かないんですか?うちの先生は奥さん以外には一度もしていないですけど」
「知らんよエリィ、私は数えるほどしか抱かれた事が無い。情事に興味も無いし、西方最強などと嘯いてもホランド軍は雑魚ばかりだな。二十人ばかり潰すか捩じ切ったら怯えるとは。私は弱い者に興味が湧かん」
つまらなさそうに兵士らを一瞥して、無人の荒野の如く歩みを止めない二人は、異常な戦場にあってさらに異質な存在と言えるだろう。エリィとガート――――ドナウに住んでいた二人は、現在サピンで医療活動に従事していた。
洗い物を終えた二人は宿営地の一角に戻り、洗濯物を干した後、大きな天幕へと入る。天幕の中には複数の寝台が置かれ、そのどれもに怪我人らしき兵士が横たわっていた。彼等は全員火傷を負っており、全身人包帯を巻かれて呻く者もいる。
「洗濯終わりました。ア…オウル先生、次はどうします?」
「お帰りエリィ、ガート。ならエリィはこっちの患者の包帯を取り換えてくれ。火傷用の軟膏も忘れないように。ガートはそのまま救護所の護衛を頼む」
救護所では他にも医者らしき男が、兵士の身体に刺さった矢の摘出を試みている。深々と腕に刺さった鏃を抜くためには周囲の肉を切って傷口を広げなければならず、兵士は脂汗を大量に流しながら必死で痛みに耐えていた。
オウルに指示されたエリィは言われた通り動き出す。半身を焼かれてケロイド状になった皮ふから丁寧に包帯を剥がし、古い軟膏を拭ってから新しい薬を塗り、同じように包帯を巻き直す。最初は焼け爛れた皮膚の患者に身震いしたが、最近はどうにか直視しても耐えられるようになってきた。
痛みに喘ぐ患者は見ていて辛いが、彼等はまだ幸福な部類だ。兵士の中には一目で助からないと分かるぐらいの大火傷を負い、安楽死させた者の方が遥かに多いのだ。医者は有限であり、戦場では秒単位で負傷者が量産されている事から、助からないと判断された兵士はすぐさま楽にさせてやるのが慈悲だというのが戦場の共通認識だ。
「――――包帯の交換終わりました!」
「ご苦労様、後は少し休んでていいよ。――――夜に仕事が入るだろうからそれまで待機だ」
その言葉にエリィはごくりと生唾を飲む。彼女にとっては皮膚が焼け落ち、筋肉繊維のむき出しになった人間を直視する以上に気の滅入る仕事だが、主人の言葉を拒否するわけにはいかない。
言われた通り休憩所で休みを取りつつ、早くドナウに帰りたいと、歳相応の少女らしい嘆きが誰にも聞かれず消えて行った。
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夜になると、自然と戦は休みになる。暗がりでは指揮が執りづらいのもあり攻撃の手を控えるが、散発的な嫌がらせ程度は続いている。
そんな中、酒にひどく酔った男が千鳥足で顔を洗いに宿営地の外の川に向かってた。
(うー気持ち悪い。ドナウの奴らが持ち込んだ酒は美味いが、酷く酔いが回りやがる。程々にしておきたいが、止められん)
軍団で上級指揮官を務めている男は、美味いが悪酔いする酒を持ち込んだドナウ人に良い感情を持っていない。いや、和平を結んだとは言えドナウ人に友好的な者など軍には居ない。何故あの医者の一団を何故内部に引き入れたのかと、多くの兵士が不満を持っている。商人なら酒だけ置いて帰ればいいのに、今も居座って兵士の治療に当たっている奴らへの不信感は根強い。
酔った男は部下を医者の連中に何人か殺されている。親友を亡くした部下が茶髪の少女に剣を突き付け、それを防いだ黒髪の男に殺され、それに激昂した若い士官の一人が斬りかかったが、簡単に返り討ちにあって殺された。
そこから先はあまり思い出したくない。二人を囲んだ戦士二十人が、護衛のサピン人の女に虐殺され、何人もの兵士が肉片にされてしまった。あの黒髪の若造も相当な腕前だが、サピン女の方は異常だ。恐らく何かしらの神術を使えるのだろうが、それだけで屈強な戦士二十人をものの十秒で殺せるはずが無いのだ。
ホランド軍にも神術の使い手は何人かいるが、あれほど突き抜けた戦闘力は持っていない。火を操る、空を飛ぶ、石を鉄に変える。戦いに応用すれば優れた戦士となるが、あれはそんなチャチな生き物では無い。昔、人間が甲竜に挽き殺されたのを見た事あるが、丁度あんな感じの死体だった。何をどうすれば体重が十倍は違う生き物と同じ殺し方が出来るのか。あの女は断じて人ではない。人の形をした獣か天災だ。
たかが女に恐怖を抱いたのも気に喰わないのに、さらにはそんな騒ぎを起こしておきながら悪びれる事も無い。
ユリウス王子からの命令で贖罪の機会を得た事も、自身を不愉快にさせるものだった。全員を処刑しても飽き足らぬのに、放って置けとはどういう了見かと怒鳴り散らしたくとも、相手が王子ではそれもままならない。
心底不愉快ではあったが、上からの命令である以上は手出しできず、遠巻きに監視するのが関の山だった。運ばれてくる負傷者を熱心に治療する姿を見て、ある程度警戒を解く者も出始め、最近は不愉快だが居ないと困る者達という評価に落ち着き始めた。
そんな腹の立つ事を思い出しながら歩いていると、いつの間にか目的の川に着いており、ふらふらになりながらも注意して川の中にに手を入れる。
ここで数日前に自分と同じ上級指揮官が酔っぱらって溺れ死んだ。女に殺された戦士もそうだが、戦いと関係の無い場所で死んでいくなど自分には耐えられない。せめてサピンの手に掛かって死んだのなら無念も無かったろうに――――そう、ここで死んだ男の冥福を祈っていたら、不意に呼吸が出来なくなり、首に強烈な圧迫感が生じる。
「ぐっ!!」
苦しい、息が出来ない。酒で頭が動かないが、それでも叫ばなければこのまま死ぬと本能的に理解し、どうにかもがくが、強烈な力で締め上げられて、次第に意識が遠のいていく。
「だ、だれ…」
最後の力を振り絞り、声を出そうとするが、それも叶わず男の意識は永遠に夜の闇へと融けて行った。彼もまた戦の関係の無い場所で死んだ一人になったのだ。
翌朝、水死体となって発見された男は、サピンとの戦いで運悪く死んだと本国には虚偽の報告がされ、一族の名誉は守られる事となる。誰しも酔っぱらって足を滑らせた事故死などと、間抜けな最期を知られたくないという気遣いによる情けはあるのだ。
戦場に不審な死はよくある事です。敵側の兵士が紛れ込んでいることもありますし、部下や同僚から恨まれて後ろから殺される事もそこまで珍しくありません。陸軍下士官だった死んだ祖父も、そういう事はそこそこある事だったと話してくれました。
それではお読みいただきありがとうございました。良いお年を




