第九十二話 サピン王都籠城戦
表向きカリウスの勘気を被り、サピンへの出張を言いつけられて一ヵ月が経った頃、アラタは洋上の人になっていた。この処分を聞いた仕掛け人のマンフレート=ザルツブルグは自身の思惑とは幾らか違ったものの、目障りな卑しい平民が王都を離れた事に祝杯を挙げていた。彼に同調した者や利権によって下に就かざるを得なかった貴族は、連日の酒宴に参加している。個々人に程度の差はあれど、アラタという異物に対しての忌避感の顕れだった。
その中に実質的に誘導したルドルフ=デーニッツとテオドール=ハインリヒは居ない。馬鹿騒ぎする愚か者からは既に距離を保っており、政治的嗅覚の敏感さと保身の速さを物語っていた。二人からすれば、役目を終えた道具と心中する気は無い。後はマンフレートが相応の処分を受けるまで大人しくしているつもりだ。
アラタの処分と顛末を聞いた二人は、王とアラタが下手な芝居を打った事を見抜いており、この辺りが落とし処かと納得していた。ホランドがまだまだ油断ならない相手である以上、あまりドナウを仲違いさせたくはないし、アラタの存在は今後も必要不可欠。少し遠ざけておけば国内の貴族も落ち着くし、自分達の主張もアラタは正確に理解しただろう。
自分達は手を汚さず、馬鹿を何人か使い捨てる事で一定の成果を得たのだから上々の結果と言えるだろう。ルドルフからすれば、アラタのいない間に講義が滞るのが不満だが、自分の策でこうなった以上は妥協する他無かった。随分と身勝手なものである。
そのアラタは今、サピン王都エルドラに向かっていた。理由は二つ、第一にサピンの駐在外交官と武官の引き揚げの手助けだ。ホランド侵攻軍の片割れ、王甥エウリコが率いる七千の軍が殲滅され、恐れを抱いたアーロン王がもう一つ残っていた娘婿のアルフォンソの軍に王都防衛の任を命じたのだ。これによって王都を戦場にする事が確定し、サピンのドナウ人が引き揚げる事になった。既にあちらこちらから情報が入っており、商人やその家族らは急いでサピンから脱出して、残っているのは外交官のような王政府の関係者ぐらいだった。
サピン人も多くは疎開や逃げ出す者が多数おり、港などは毎日ごった返していたのだが、船に限りがある以上は陸路で脱出するしかない。しかしサピンはドナウと同様周りをホランド領土に囲まれており、国内の過疎地域に逃げ込むぐらいしか手は無いのだ。情報や財産のあるものは船を調達して、長年の友好国のレゴスに逃げ込み難を逃れていた。
複数の情報源からホランド軍の到着日は、アラタ達の乗る船が到着する二日前程度と予想されており、ある程度余裕をもって脱出出来るのが不幸中の幸いだった。
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予定通りサピン王都の港に船は到着し、アラタはサピンに降り立つ。既に全ての船が脱出に使われてしまい、港は閑散としていたが、幾らかは警備の兵が残っており、戦争が始まるのに今さらやって来た一団を不審な目で見ていたが、ドナウの外交官を回収しに来たと説明すると、納得して街に案内してくれた。
街ではそこかしこで兵士達が走り回り、ホランド軍を迎え撃つ準備を整えていた。中には鎧も碌に来ていない街の住民らしき男達も駆り出されており、不謹慎ながら祭りの準備のようにも思えてしまう。男だけでなく多くの女も忙しそうに包帯や薬の準備に、炊き出しを行い、誰もが戦争に備えていた。
籠城を決定し、あまつさえ負けた都市の行く末など古今東西変わる事は無い。梃子摺らされればされるほど、攻める側の憎悪を一身に受けて蹂躙される。男は皆殺しになり、女子供は強姦されて、兵士の征服欲を満たす玩具になる。特に見目麗しい女性なら、そのまま権力者に献上されて一生寝室で飼われて生かされる。そんな未来を誰もが知っているので、街の住民は分け隔てなく全力で抵抗するのだ。
兵士に案内されたのは、街の中でも大きな屋敷が並び立つ貴族の住居区画の一軒だった。ここにドナウの外交官らが全員集まっているとの事。
「あんたらドナウ人が最後だぜ。もうユゴスとレゴスの外交官はとっくに帰ったよ。迎えが遅いから相当やきもきしてるはずだから、安心させてやんな」
案内してくれた兵士に礼として、血止めの軟膏を渡しておく。これから戦が始まるのなら、貨幣よりもこうした薬の方が喜ばれる。
「良いもんくれるなあ、ありがとよ。おかげでホランドの糞野郎どもにビビる心配がねえ!」
そう笑って、元来た道を戻って行った。道中少し身の上を聞いたが、彼はこの街の出身者なのだ。だからこそ故郷に襲い掛かるホランドを倒す為にこの場に残ったのだという。
自分の生まれ故郷を守りたい―――――ある意味一番純粋な戦う理由を持っている名も知らない兵士に、アラタは尊敬の意を示した。
屋敷に入ると、使用人がこちらを不安そうに見ていたが、ドナウからの迎えだと説明すると、安堵感からか膝の力が抜けてしまい、その場に座り込む。この様子では相当精神的に参っていたらしい。他の使用人に手伝われて立ち上がると、礼を言われて外交官の集まっている部屋に案内された。
「失礼、カリウス陛下の命により皆様を迎えにあがりました。今までのサピン駐在、大義であると、お言葉を預かっております」
「アラタ殿、君が来てくれたのか!皆、喜べ!陛下が迎えを寄越して下さった!それも陛下の娘婿であるアラタ=レオーネ殿だぞ」
アラタに真っ先に対応したのは彼の義理の父であるゲオルグだった。外交官のまとめ役をしている彼は、この屋敷の主人でもあり、安全を考えて他の外交官と武官も自分の屋敷に留めておいた。
迎えが来てくれた事と、その人物が王家の一員だという事もあり、わーっと歓声を挙げる。皆、戦の雰囲気に呑まれて不安で仕方が無かったのだ。特にドナウが一番最後まで残っていたのが、相当精神を圧迫していたのだろう。
「ああ、本当に良かった!アラタさん、貴方が私の義息で本当に良かった」
泣きながらアラタの手を強く握る中年女性はゲオルグの妻であり、アラタの義理の母になるヴィクトリアだった。外交官は妻と同伴して赴任した者もおり、同じように部屋に集まっていた外交官の妻らしき女性も、ヴィクトリア同様気が抜けて、泣くか夫に抱きついていた。
駐在武官の方はそれなりに肝が据わっており、ホランド軍の状況をアラタに聞いている。アラタの口から、あと二日もすれば到着し、城攻めが始まると聞くと、多少時間的余裕があるのを安堵しつつ、サピンの未来を予想し、かぶりを振る。彼等が仕入れた情報でもサピンの勝利は難しいと思っているのだ。
ホランドは王都攻略に兵をかき集めて三万を用意していると聞く。本国軍騎竜兵五千、歩兵一万五千と地方駐留軍の一部を摘出し、さらに新兵を加えて三万の軍勢を揃えて来た。対してサピンに残った兵力は七千程だ。本来は一万程度残っていたが、三千は事前に脱走しており、残った兵は七千だけだ。それに街の有志が幾らか参加して水増ししているが、戦力的には当てにならない。相当厳しい状況であり、それに加えてサピン王都は守るのに向かない地形だ。元々交易を重視した作りになっており、城壁も堅牢な作りとは言えないのだ。戦に向かない都市を少数の兵で護るのは、守備側のほうの負担が大きい。
加えて、籠城は援軍を期待しての持久戦であり、援軍の当てのないサピンは追いつめられたネズミでしかない。唯一の利点は海に面した都市なので、海上輸送が容易である事。特にホランドは海軍を持っていないので、戦力の補充は出来ずとも物資補給は比較的容易だ。金さえ積めば、ドナウやレゴスから食糧を買い付ける事は出来るので、遠征軍であるホランドよりは兵站の負担はずっと少ないだろう。
しかし、それだけだ。幾らサピンが金持ちでも、街で金が湧き出てくる事は無い。豊富な鉱物資源も掘らねば意味は無いのだ。そうなれば補給も出来ず、日干しになるだけだ。さらに街の水源の問題もある。街に流れ込む川の水を堰き止められたら、確実にサピン王都は水に餓える。海沿いの土地柄上、井戸は掘れない。水に塩気が混じり、飲み水には適さないからだ。それ故可能な限り水を確保しているようだが、それにも限界がある。
持って半年―――――それがサピンの寿命だった。
「―――取り敢えずサピンの事はサピンに任せて、みなさんは我々が乗って来た船でドナウに帰還してください。時間があまり残されていないので家財道具などは置いて行って、最低限の荷物だけにしてください」
「大丈夫だ。もう荷造りは済ませている。みんな、港へ急ぐぞ」
ゲオルグが全員に指示を飛ばし、彼等は手荷物だけを持って屋敷を出た。
港には元いた船が変わらず佇んでいる。艦長らしき人物が外交官の一団を確認し、安堵の息を吐く。まだ戦いには時間があるとはいえ、自棄になった住民が暴動を起こしていないか不安だったのだ。そうなると他国人は標的になりやすい。
「レオーネ様、問題はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。積み荷と人員は所定の場所に下ろしてくれたか?」
「はい、ご命令通り街の外の離れた砂浜に全て降ろしてあります。後は我々が責任を持ってこちらの方々をドナウまで送り届けますので。どうかご武運を」
一団が艦長の言葉にざわめく。彼の言葉が本当ならアラタは船に乗らず、この地に留まるというのだ。はっきり言って正気では無い。何の理由があってドナウと関係の無い国の争いの真っただ中に残るのだ。
特にヴィクトリアは狼狽する様が一段と酷かった。
「落ち着いてください、義母殿。何もサピンの籠城戦に付き合う訳ではありませんし、これは私の正式な仕事です。もう決まっている事です」
「だ、だが、ここは戦場になるのだよ!一体何をしようというのだね」
ゲオルグも心配するが、アラタは機密なので答えられないと口を閉ざす。武官らは機密と聞き、アラタの役職と照らし合わせてホランド側に用があるのかと憶測を立てる。
アラタにとっても相当危険を伴う仕事だが、今後の戦いを少しでも優位に進めるにはこういった手段も必要なのだと、自らの身を危険に晒す事を厭わなかった。
なおも言い縋る義両親を無理やり船に乗せて出港させたアラタは、一人王都の外へと向かった。
後にアラタはこの時を振り返り、『生きて帰るつもりだったが、生きた心地のしない数か月だった』と周囲に漏らしていた。
水は食糧以上の死活問題です。現代でも料金滞納で電気やガスを止められても水だけは容易に止めないと、料金を滞納して供給を止められた中学の時の先生が実体験を話してくれました。
それではお読みいただきありがとうございました。




