第八十七話 手強い相手
現在ドナウ王国の王城には複数の祝い客が逗留している。第一王子エーリッヒの婚礼の儀に参加する各国の王族、あるいは王の名代が殆どだ。花嫁であるオレーシャ王女の出身国であるレゴス王国を除けば、祝い客の一団で最も大規模なのは長年の友好国であるユゴス王国である。今回の式には王太子が出席しており、ドナウと変わらぬ友好を内外に主張する為の人選と言えた。
そして城に逗留している祝い客の中で、ユゴス王太子と同等の扱いを受けている祝い客が一人だけいる。その人物は、バルトロメイ=ホーン=カドルチーク、ドナウ王国と戦火を交えたホランド王国第一王子だ。
なぜ友好国と言い難いホランドの王子をユゴスと同列に扱うか――――ひとえにホランドを警戒しての待遇だった。未だに強国と侮れない力を持つ彼の国の王子を低く見て良い筈が無い。そして彼を手元に置いておく事が余計な騒動を抑制するのだとドナウの上層部は判断し、最高の待遇を用意した。
彼の望みは可能な限り叶えさせろと、カリウスから厳命された使用人は緊張しながらも懸命に世話をしていた。ただし、バルトロメイは逗留中、特別無茶な要望はしてこなかった。食べ物や女を要求するわけでもなく、城の立ち入り禁止の部屋に無理矢理押し入るなどといった軽率な行動もしない。毎日護衛付きで街を出歩き、暇つぶしを繰り返すなど、他の祝い客とさほど違いは無かった。いや、むしろ他の小国家や都市国家の客の方が、娼婦や酒を頻繁に要求しているのが目立っていたか。
ただし、目立つ事と言えば彼はドナウの多くの重鎮と頻繁に面会を望んでいた事が、目立つ行為と言えた。だが、それは他の客も同様であり、誰もがドナウと縁を結びたいと思い、情報を少しでも国に持ち帰る事を望んでいる。故に目についても、不審には思わなかった。
そして婚儀の前日に彼が面会を希望したのがアラタ=レオーネだった。
アラタは諜報部で仕事をしていたが、使用人から呼び出しを受け、彼に宛がわれた客間で、王子と対面でお茶を飲んでいた。アラタが酒を飲まない事を使用人から聞き、わざわざお茶にしたらしい。
「突然呼び立てて済まないねレオーネ殿。貴方とは一度ゆっくり話したいと思っていた。そうそう、奥方が懐妊したと城中で噂していてね。私も祝いの言葉を送らせてほしい」
「強国ホランドのバルトロメイ殿下のお誘いとあらば断る訳には参りません。ああ、それと妻の妊娠は可能性です。典医の診断では兆候が見られるだけですので、確実ではありません。私としてはそうあって欲しいとは心から願っていますが」
アラタがこうして外国の祝い客と同席して話をするのは珍しい事ではない。マリアと結婚した以上は王家縁の者であり、ホランドとの戦いにおいて大きな功績を挙げた者として、西方に知れ渡っている。そのため、どのような人物かを見極める為に、多くの人間が直接的、間接的問わず接触を試みているのは知っている。
情報収集を重要視しない西方でも、商人から情報を買い取ったり、公的に外交官が情報収集に当たる事ぐらいは当然行っていた。尤もドナウのように諜報機関を立ち上げるほど熱心に行う国は未だに無い。そのドナウとてアラタの発案があってこそ、専門部署を立ち上げたのだ。西方にとって国の優位性の尺度とは国土の広さと軍事力がほぼ全てだった。
「おや、そうだったのか。まあ子が出来てほしいと願うのは夫として当然の事だよ。私も人の親として理解出来る。いやあ、ドナウはここ最近良い事が立て続けに起きて羨ましい。私の国は今なかなかに大変でね。弟はサピン相手に戦争中だ。国を出る前に伝令から本土に向かっていたサピン軍の討伐をしたと聞いている。戦に負けた私とは大違いだ」
心底嬉しそうに弟の活躍を語るバルトロメイをアラタはやりにくい相手だと感じていた。外務省の報告ではホランドの王子二人は互いに仲が悪いと聞いている。諜報部でも同じ報告が上がっているが、目の前の王子は弟の活躍を心から嬉しそうにしていた。ある程度演技も入っているだろうが、彼は決して卑屈にならず自身の敗北を認めた上で弟を称賛していた。
それも自身が敗北を喫した戦いの絵図面を引いた男の前でだ。それを恨んでいるわけでもなく、恐れているわけでもない。実に楽し気に振る舞っていた。
アラタは身元不明の平民である。どれだけ有能さを示しても、王女と結婚しても西方の常識では下層民でしかない。そして外見も特別優れているわけでもなく、誰にでも分かる存在感を纏っているわけでもない。どこにでもいそうな普通の青年だ。言動も大言吐きとは無縁であり、己を誇る事なくむしろ謙虚さの方が目立つ。それを聞いた他者はアラタを大した事の無い男と判断する。貴族のような特権階級ほど無意識に平民と思い、一段評価を下げる傾向にあった。それは普段から接している城の貴族にも言える事だ。彼等はアラタの技能を認めてはいても、それは平民の中でという但し書きが付く。閣僚の面々でさえ、どこかでアラタの事を平民と侮る空気は多少残っていた。
だが、目の前の男にはそれが無い。相手を軽く見ればそれだけ警戒心が薄れる。他者を侮るとはすなわち自らの弱点を晒すに等しく、弱みを握られる事になるのだ。そうしてアラタは利益を提示しつつ、警戒心を剥ぎ取り、排除されるのを避けて来た。
しかし、バルトロメイには侮りが欠片も無い。つまり軽はずみな行動を取らないので弱点を晒さないのだ。油断しない相手と対峙し、何気ない会話を続けながらもアラタは警戒を強める。
(これは手強い。油断しない相手と言うのはこうもやりにくいとはな)
(それは大尉と同じように相手を軽く見ないからです。人間とは自分と同じような性格の相手を苦手とするそうですよ)
人工知能から助言が入るが、まったくもってその通りだよ、とアラタはバルトロメイを面倒な手合いと認識した。
その後、幾つかの世間話を交えつつ、互いの性格、嗜好、思想など多くの情報を抜き取ろうと、二人はにこやかに談笑しつつ、争っていた。外交とは武器を使わない戦争である――――万国共通の常識ではあるが、それは個々人の会話にも適応されるのである。
「さて、随分と話し込んでしまったね。いやあ、レオーネ殿には申し訳ない事をした。聞けばいくつもの仕事を掛け持ちしているとか。そんな多忙な方を長く引き留めてしまい、済まなかった」
「――――いえ、一国の王子の誘いを断るなど、私には恐ろしくて出来ない相談です。お気になさらずに」
すっかり空になったカップを眺めながら、ここ最近感じていない疲労感に苛まれても、それを表に出さない様に勤めている。以前ミハエルに外交官に準ずる身分だと説明したことがあったが、実際に外交官として動くと、こうも疲れるのかと外交を甘く見ていた。そういう意味では長年外交官を務めたベッカー家の評価を改めねばならないと、アラタは心に誓い、部屋から退出しようとしたが、最後にバルトロメイに呼び止められる。
「最後に質問させてくれ。レオーネ殿にとって戦に最も必要な物は何か聞いておきたい」
そんなものは決まっている、情報だ。そう即答しかけたが、慌てて考え直した。恐らく今までの会話は全て前振りだ。彼はこの質問こそアラタにぶつけたかったのだろう。相手を疲れさせ、終わったと見せかけ不意を突く。もう少しで本音を晒す所だったと、心の冷や汗を流すが、瞬時に動揺をかき消し思考を巡らせる。
ほんの数秒考えた末にアラタはゆっくりとバルトロメイに向き直り、口を開く。
「金ですよ」
今度はあまりにも意外な答えを聞いたバルトロメイが動揺する。アラタの回答はバルトロメイの予想を大きく外していた。
「……意外だね。元騎兵士官と聞いていたし、教師を務めつつ、情報を取り扱う部署の責任者を務めている人間がそう答えるとは」
バルトロメイは情報と答えるのではと思っていたが、まさか金とは予想外だった。これが父ならば精強な兵士だと答えただろう。弟なら優れた指揮官ときっと答えるだろう。己の身代わりとなって死んだコビルカ将軍なら、あるいはどう答えただろうか。
ライネ川で負けてから謹慎を言い渡され、ただ単に部屋に籠っていたわけではない。自分なりに敗因を分析し、どうすれば勝てたのかをずっと考え続けていた。そうして辿り着いた答えが情報だった。ホランドはドナウの事を何一つとして知らなかったのだ。弱小国とドナウを舐めて掛かり、一切相手の事を知ろうとしなかった。ただ、圧倒的兵力を以て押しつぶす。それだけだった。この二十年、ホランドはそうして勝ち続け、驕り高ぶっていたのだろう。
一年前のライネ川ではホランドは目隠しをされて戦わされたに等しい。幾らホランドが強くとも、相手の姿が見えていないのでは戦いようが無い。それでは短剣一本を持った子供にすら殺されてしまうのに、誰もそれに気づいていなかった。
それに気づいたのが、ドナウの王女が平民に嫁ぐという噂だった。初めは何かの間違いだと思ったが、よく内容を聞くとその相手とはホランドを叩きのめした絵図面を描いた男だという。そしてその男が情報を集める部署にいると聞き、全てが解けた気がした。
祖国、そして自分はその男の掌で踊り続けた道化でしかなかったのだ。相手がどう動き、どう考えているのか、それら全てが一年も前から見透かされ、罠を張られていた。己が蜘蛛の巣に絡めとられた間抜けな獲物でしかなかったと絶望し自害も考えたが、王族としての矜持が、身代わりとなって死んだ老人がそれを許してくれなかった。だからこそ次は勝つつもりで、周りの蔑みの目にも耐え、父に無理を言い、謹慎中の身でドナウへとやって来た。全ては己を負かした相手を観察し、知る為だった。そして許される時間の中で可能な限り情報を集め、自分なりに分析したが、どうやらまだ足りなかったのかも知れない。
金と口にしたレオーネをつぶさに観察したが、その場しのぎの出鱈目を言っている様子は無い。恍けているのにそれを隠し通しているのかとも憶測を立てたが、本人が理由を話し始める。
「私の持論ですが、予算という枷から解き放たれた軍ほど幸福な存在は無いのですよ。戦っても戦わなくても軍を維持するには莫大な金が掛かります。兵隊の食べ物、服、武器、住居、そして給料。生きている間だけでもそれが掛かるのに、戦で死んだ兵の家族には見舞金を払わねばならない。仮に子供だけが残されたのなら、軍がその子の面倒を見る義務がある。軍隊とは常に限られた予算の中で勝利を掴み取らねばならないもの。私の言う金とはそういう意味です。では失礼します」
一人部屋に残されたバルトロメイは何も無い天井を眺めながら憮然としながら呟く。
「それは一軍人の考える事ではないよ。将軍どころか為政者の考え方だ」
かなりの時間研究し、分かったような気になっていたが、どうやら彼の底は簡単には見えないらしい。アラタ=レオーネ、彼はどんな人生を歩んでいたのか。バルトロメイには想像すらつかなかったが、彼にだけは二度も負けたくないと固く誓うのだった。
彼は知らなかった、アラタが最初、自分の予想したように情報と答えようとしたが、予想通りの答えを言うのが嫌で視点を変えて『金』と答えた事を。アラタは結構捻くれ者なのだ。
本当はバルトロメイは負けて消えていくキャラでした。ですが『負けて強くなる人間』が一人ぐらい居ても良いんじゃないかと思い、帰って来て貰いました。やっぱり自分の作りだした人間を簡単に殺すのは気が引けますが、もし殺すにしても意味のある死にしたいとは考えています。
それではお読みいただきありがとうございました。




