第七十二話 王女来襲
新婚旅行を兼ねた視察から戻って来て数日が経過したある日の夕方、いつものように仕事を終えて屋敷に帰るアラタの眼に見慣れない人物が映った。如何にも旅装束という風体に、荷物を満載した体格の良い脚竜を一頭引き連れ、背には業物と見受けられる弓を背負っていた。そこまでなら流離の旅人と思い、さして気に留めなかっただろうが、アラタが目を引いたのは夕日に照らされて輝きを放つ見事なプラチナブロンドの髪だった。長旅の邪魔にならないように長髪を三つ編みにして、それをさらに頭頂部で円状に纏め上げた15~16歳の美貌の少女が旅人に身をやつしていた。
この年頃の少女が一人で旅をするなど、ドナウどころか西方でも聞いた事が無い。非常に珍しい風体の少女が自分の屋敷を見上げているのだから、誰でも気になるだろう。しかもアラタはその少女に見覚えが全く無いのだ。
家主としては客人とも通りすがりとも盗みに入る泥棒とも分からない人物が自分の家を見ている以上、何もしない訳にはいかなかった。
「そこのお嬢さん。当家に何か御用向きがおありか?」
びくりと身を震わせ、後ろから声を掛けたアラタに身体を向き直した少女は、困ったような顔を浮かべて軽く頭を下げた。
「い、いえ、私は旅の者であります。つい先ほど王都に着いて街を歩いていたら、とても美しいお屋敷が見えたので、立ち止まって眺めていただけであります!決して怪しい事をしようとしたわけでは無いであります!」
慌てて謝罪した妙な口調の少女の言い分に多少納得したが、まだ警戒は解いていない。確かにこの屋敷はドナウ一の外観の美しさを持っていると、口々に噂されているので、旅をしていた少女が見惚れるのはそれなりに納得出来る言い分ではあるのだが。
「――先程街に着いたと言ったが、宿は取っているのか?もう夕方なら急がないと、全部部屋が埋まってしまぞ」
こんな場所でぐずぐずしていると街の中で野宿だぞと、言外に含んで忠告する。すると少女はバツが悪そうに、表通りの宿は全部埋まっていて、これから下町の宿を探すつもりだと答えた。
これからと言っても、もう日が出ているのは一時間も無いだろうし、当てが外れたら野宿する事になる。この年頃の美少女が治安が良いと言えない下町を夕暮れ時に一人で出歩くのは不用心だろう。一人で旅をしている事と、連れの脚竜や背負った弓の出来栄えから、何か厄介事を抱えているのではと見当を付けたアラタは、態良く観察するために泊まって行けと少女に提案する。
「え、ですが見ず知らずの人間を泊めるなど不用心であります。察するに貴殿は貴族ですが、もう少し身辺に気を配るべきであります」
「強盗や殺人者は人にそんな忠告はしない。君こそその成りだが、貴族じゃないのか?他所の貴族が王都で犯罪にあったなど、王家の面子が潰れる。それはこちらも困るんだ。なら、ここはこちらの提案を受け入れて泊まって行ってくれ。どうせ部屋は大量に空いてる」
少女はかなり迷っていたが、王家の面子という言葉に、最後は納得して、アラタの言葉に甘える事にした。
アラタの竜を曳いていた厩番の少年に、少女の竜も渡してから、二人は屋敷へと入る。出迎えた使用人に、少女を客人だと説明して入浴の準備をさせ、そのまま客間に案内させて、一時二人は別れた。
私室で帰りを待っていたマリアとアンナに、客人を連れて来た事を伝えると、急な来客に驚きながらも誰なのか聞いてきて、初めて名前を聞いていなかった事を思い出し、二人に駄目だしされてしまった。
さらに初対面の少女だと聞くと、二人はムスッとしたが、アラタから相手が一人旅をしている貴族っぽいと聞かされ、詳しく背景を調べる為に引き留めたと説明を受けると、ある程度納得してくれた。二人とも貴族の少女が弓を持って一人旅をしているなどと聞かされれば興味の方が勝るからだ。
夕食まで時間があり、三人で件の少女の事を予想し合ったり、娯楽としてアラタが作ったオセロの試作品で遊びながら時間を潰していると、使用人から夕食の準備が整ったと呼ばれたので、三人は食堂に向かった。
食堂には既に湯浴みを終えた少女が待っており、旅の汚れをすっかり洗い流した本来の美貌がランプに照らされ際立っていた。垢や埃で黒ずんでいても分かるぐらいに整った顔立ちが、さらに磨き上げられて十人の男が十人とも振り返る美しさを主張し、体格の似ていたマリアの衣装を借りていたものの、肉付まで似ておらず幾らか布が余っていたが、それが余計に少女の愛らしさを強調していた。
その姿を見たアラタは容姿より、姿勢の良さと筋肉量や立ち振る舞いから、武芸を修めた事を見抜いたが、傍から見るとその容姿に見惚れていると思われて、隣の妻達から足を踏まれてしまった。痛かったものの、客人の手前我慢していた。
(奥方が二人もいるのに別の女性を凝視するからです。自業自得ですね)
などとドーラから冷たい事を言われ、色欲からの視線は無いと言い張っても仮想人格は取り合わなかった。
「湯を貸して頂き感謝するであります。長旅ではお湯を使えるのは滅多に無いでありますから、とても気持ち良かったであります。申し遅れましたが、私はレゴス王国のオレーシャ=プラトー=グリエフであります。皆様のお名前を伺ってもよろしいであります」
三人はグリエフという姓に聞き覚えがあり、すぐにレゴス王家の姓だと思い至ったが、目の前の少女が詐称している可能性も考慮して、取り敢えず自己紹介しつつ、情報を引き出す事を優先させた。
三人の名を聞いたオレーシャは、驚きを隠せなかった。そして、食事をしながら旅の目的を語り始めた。
「私は未来の夫になるエーリッヒ第一王子の顔を見に来たであります。少し前に王子との結婚が決まってから、どのような人物なのか気になって仕方がなかったので、周りの目を盗んで一月掛けてこの国にやって来たであります。街に着いたばかりで宿が取れずに途方に暮れていた所をアラタ殿に助けてもらったであります。アラタ殿には感謝しているであります!」
深々と頭を下げたオレーシャに毒気を抜かれた三人は互いに顔を見合わせて、この非常識極まりない王女をどうすべきか悩んだ。特にマリアは、自身も似たような事をしていたのは棚に上げつつ、目の前の少女が義理の姉になると思うと頭を痛めた。
アラタも似たような感情はあったが、それ以上にこれが外交問題に発展して結婚の解消にまで至るのではと、今後の波乱を危ぶみ、王都で問題が起きる前に対処出来た事を安堵していた。
唯一アンナだけは、どうせ夫が何とかするだろうと安心していたが、先ほど夫が少女に目を向けていた事を忘れず、まさか不倫なんて無いだろかと見当外れの危機を感じていた。
「―――あー、オレーシャ殿下の目的は理解出来ましたが、何分単身城に来られた所で、身元を示すものが無いと、こちらも対応に困るのですよ。よしんば身分を示す物を持っていても、いきなり来られましても準備が整っていません。と言いますか無茶苦茶です。貴女はご自分の立場を理解して行動なさってください。ここは他国なのですよ、自国の城から抜け出して、街を散歩するぐらいならば眼を瞑りますが、王族がホイホイ出歩かないでもらいたい」
城から抜け出すという部分でマリアがバツが悪そうに目を背けたのはアラタも気づいていた。当然マリアへの当てこすりも入っているからだ。
真っ向から軽率な行動はしないでくれと苦言を呈されたオレーシャは、小さな体を縮こまらせていたが、そんな態度を取るなら最初から無茶をするなと言いたかった。
「いいですか!旅というのは危険と隣り合わせなのですよ!それも若い女性の一人旅なんて、夜盗や追いはぎ宿の恰好の獲物なんですよ。それどころか旅の途中で病気になったら誰が貴女の看病をするのです!誰にも助けて貰えず、一人で朽ち果てていくのですよ!そうなったらどれだけ迷惑を被り、悲しむ人間が居るのか、それが何故わからない!」
言葉だけは丁寧だが、非常に強い口調で叱り飛ばすアラタに、オレーシャはただただ身を縮こまらせて黙っていた。珍しく感情的になる夫に驚き、自身も覚えがあったマリアは同じように叱られているように錯覚してしまい、同様に項垂れており、アンナは王女を叱る夫を心配した。
アラタはこんな子供染みた理由で危険を冒して旅をした少女に呆れ果てたと同時に、誰かが強く諫めなければまた同じ事を繰り返すと予想しており、他国の王女相手に非礼と分かっていても、年長者として叱らねばならないと思い、かなり強い口調で叱り付けた。
「まったく!どうして西方の王族はこうも軽率な行動を取るんだか。特に王女なんて恰好の政治の取引材料になるってのに。―――オレーシャ殿下、今夜はこのまま屋敷に泊まって頂きます。翌朝、私は宰相に説明しますから、その間はくれぐれも屋敷で大人しくしていてもらいます。いいですね!」
「―――はい、申し訳ないであります」
取り敢えず言うべき事は全て言い切ったので説教はこれで終わりと、全員の気持ちを切り替えさせ、食事を再開した。
再開された食事も最初はぎこちなかったものの、オレーシャが自身の非を認めていた事と、アラタが王女に対して無礼な物言いをしたのを謝罪しつつ、身を案じての事だと説明すると、その場は多少なりとも和やかな雰囲気となった。
オレーシャは軽率だが明朗であり、根に持つ性格ではないので叱り飛ばしたアラタの事は恨んでなどいない。それ以上に、平民でありながら王女と結婚したと、西方中の話題をさらった男に興味があった。それが自分と義理の姉弟になるのだから当然だったし、同じく義姉妹になるマリアにも興味を抱いていた。
実際に二人は話してみると、非常に気が合い、瞬く間に実の姉妹のように仲良くなっていた。
「それにしてもドナウ語は難しいであります。サピン語は得意ですが、ドナウ語は大して必要無いと思って練習してないであります。私の言葉、変であります?」
「そうですね、少し語尾に癖がありますが、慣れない間は仕方ないですよ。その内慣れると思いますから、気長に考えましょう。兄様はその程度の事は気にしない人ですから大丈夫ですよ」
どうやら語尾がおかしいのはドナウ語に慣れていないだけだったらしい。確かに今までレゴスとは関係が浅かった事もあり、ドナウを重要視していなかったのは理解出来る。これがユゴスの王族ならドナウとの関係の深さもあって、当然ドナウ語も完璧だろうが、中々世の中上手くいかないらしい。逆にマリアを始めとするドナウ王族は完璧である。元々ユゴスとレゴスの言語は一緒であり、ユゴスと関係の深いドナウは、当然ユゴス語を修めている。アンナも外交官の家の人間なので他国の言葉は完璧だし、アラタも語学力が相当高い事もあり、西方の言語は大抵覚えたので日常会話には困らない。
そして主な話題は結婚相手であるエーリッヒの人となりだった。ここには彼を知っている人間が二人居るので情報源には困らない。その二人から多くの事を知ったオレーシャは、評判の悪い人物でない事に安堵し、早く会ってみたいと嬉しそうだった。
その後は三人の関係を詳細に聞き、仲の良さに驚愕していた。
「正室と側室が仲が良いのは良い事でありますが、三人一緒に寝るなど有り得ないであります。ドナウではみなそうしているのであります?」
「そんな事してるのは家だけですよ。私は公的な場所は兎も角、家の中まで妻に身分を押し付けたくないんです。どちらも等しく愛していますから。まあそれは私が身分制度の無い国の人間故の価値観だからでしょう」
「ふへー、お二人は愛されているであります。私の母は側室でしたから、いつも他の側室や正室と仲が悪かったのを知ってるので、羨ましいであります。父はそんな事関係なしに私達を愛してくれましたが、兄弟の中には仲が悪いのも居て辛かったであります」
やはりどの国にも継承権を巡るお家騒動はあるらしい。ホランドは長男と次男が王位をめぐって仲違いをしているし、サピンでは王に男の子がいない事から親族同士で殺し合い寸前にまでこじれている。ユゴスはあまりそう言った話は聞こえてこないが、今後もどうなるか分かったものではない。
ドナウは今の所エーリッヒが王位を継ぐことが内定していて、弟のカールも王位を望んでいない事が知れ渡っているので、目立った争いは起きていない。尤も、次代はどうなるか分かりはしないのだが。
話の途中でアラタの出身国には身分制度が無いとはどういうことかとオレーシャが不思議そうに尋ねてきたので、議会制民主主義について語ると、専制君主国家の王族らしく驚かれた。
「アラタ殿の国は色々と凄いであります。流石は異郷の勇者であります。ドナウの建国記に出てくる建国王フィルモの盟友の再来と言われるだけの事はあるのであります。レゴスでも謎の人物として情報を集めていたようですが、西方どころか住む世界が違うであります」
世界というか星系規模で異なる場所からやって来たのだから謎なのは当然である。その人物がやって来てから急に、圧倒的国力比のホランドに圧勝したのだから、当然情報を得ようと躍起になるが、答えが得られるはずが無い。当のドナウも把握すらしていないし、アラタ自身もどうしてここに居るのかさえ分からないのだ。
途中で長旅で疲れているであろうオレーシャが眠むたそうにしていたので夕食はそこで終わり、オレーシャは客間へと引き上げた。アラタもどっと疲れたので、明日の事を考えて早めに休むと言って風呂に入って眠りに就いた。翌日、アラタの報告を聞いたアスマンが胃の痛みを訴えたのは言うまでもない。
オレーシャはかなり破天荒な王女として書きましたが、リアルには外国で未亡人と駆け落ちして王位継承権を放棄する王太子や、姉を差し置いて皇帝にプロポーズされた皇女とかいるので追い付ける気がしません。
それではお読みいただきありがとうございました。




