第六十七話 私人と公人の使い分け
「突然だが遠出をしようと思う」
自宅で三人揃って夕食を摂っていた時に、アラタが唐突に二人の妻に提案した。結婚した三人だったが、実は三人揃って夕食を摂る事はかなり少ない。アラタはいくつもの仕事を掛け持ちして多忙であり、かつ代官の仕事も兼任しているので屋敷に居る時間は極めて少ない。マリアも降嫁したとはいえ王女なので、貴族からの招待にはそれなりに顔を出さねばならない。唯一アンナはそこまで忙しくないのだが、二人が不在となれば必然的に一人で食事を摂る破目になる。そういう時は毎回ではないが実家に戻って家族と共に食事を摂っていた。
「もう、また家を空けるのですか?お仕事なのは知っていますが、つい先日もソルペトラの村に行ってきたばかりじゃないですか。前々から知っていましたが、アラタは働き過ぎです。たまにはゆっくりしてください」
「マリア様の言う通りですよ。アラタ様にしか出来ない仕事なのは承知していますが、無理をし続けてはいつか身体を壊してしまいますよ。もう少しご自愛ください」
妻二人が揃って不満を洩らす。マリアの言う通り、先日ソルペトラで代官の仕事をしつつ家畜小屋の土から硝石を摘出し、ビートモドキから砂糖を作るなど、多岐に渡り仕事をこなしてから数日前に戻って来たばかりなのだ。さらにそこから諜報部の仕事と講義が挟まっており、ドナウどころか西方でも指折りの忙しさで仕事に追われていた。それに加えて、夜は二人の相手をしており、朝も鍛錬を欠かさなかった。このような生活を見ている周囲は、アラタが近い内に身体を壊してしまうのではないかと、心配になっていた。
「二人とも心配を掛けて済まない。だが、俺は身体が頑丈でね。そうそう身体を壊したりしないから安心してほしい。けど、陛下にも同じことを言われたよ。ドナウに来てから碌に休んでいないと言われて、仕事ついでに骨休みして来いと言われたんだ。だから遠出というのはそういうこと」
ドナウにやって来てからホランドという脅威に立ち向かう為に、多くの人間が休む間もなく走り続けていたが、戦も終わり不戦協定を結べたことから、ようやく一息つけると判断したカリウスが、仕事という名目で休暇をアラタに与えた。
ただでさえ並の鍛え方をしていない頑強な身体に、人体改造を施した超人的な肉体を持っているのだから、自身はそこまで身体に負担を感じていなかったが、傍から見れば働き過ぎなのだ。
「一応視察という事になってて、マリアが陛下の名代になっている。俺とアンナもその付き添いで一緒に行くわけだ。結婚してから殆ど休んでいなかったから、遊びに行って来いって事だね。公式ではあるけど大仰に護衛を引き連れて行くわけじゃないから、肩はこらないだろうよ」
マリアは父の気遣いに頭が下がる思いだった。アンナも側室に追いやった恨みはまだ完全に忘れていないものの、多少はカリウスの事を再評価していた。
「旅行先は王都の北にあるノルドアドラという港町だそうだ。十日ほど先だから二人とも準備しておいてくれ」
ノルトアドラはドナウ北西の港町で、古くから造船所や捕鯨基地があることから大都市なのだが、近年は他の港町が再整備された事で交易拠点から外れてしまい、若干景気が落ち込んでいた。それでも食うに困らないのだから、元が裕福なのだろう。
時期が秋なので北の海は少し寒いだろうが、二人はアラタと一緒に居られるならそんな事は気にならなかったし、アラタも新鮮な魚介が久しぶりに口に出来ると思うと乗り気だった。冷蔵技術が無きに等しい西方では、海岸沿い以外で生の魚を手に入れるのは至難の業であり、王族でも滅多に口に出来ないご馳走なのだ。肉より魚を好むアラタからすれば最高の旅行になると、今から楽しみで仕方が無かった。
「アラタ様は酷いです、私達と旅行に行くより魚が食べれる事が楽しみだなんて」
「そうよそうよ、こんな美女二人を放って置いて魚に浮気するなんて信じられないわ」
二人は夫が旅行より魚を楽しみにしている事が面白くないらしく、浮気だと非難し始める。何を言ってるんだと妻二人を呆れた眼で見ていると、
(これは仕事と私、どっちが大事なの!というシチュエーションの変形なのでしょう。結婚早々離婚の危機ですよ)
さらに横合いからドーラが意味不明な説明を入れてきて余計に混乱したものの、要は構ってもらいたいという抗議の姿勢なのは理解出来た。
「二人とも勘違いしないでくれ。俺は魚が好きだが、君達は愛している。どちらが大事なのかは一目瞭然だろう?」
「もう!そんな口先だけで私達をやり込めると思わないでください」
「マリア様の言う通りです。私達を本当に愛しているなら、今日は二人一緒に相手をしてください。もっと愛されていると感じたいんです!」
一応本心から二人の事は愛していると語ったのに信用されなかったアラタは僅かばかり傷付いた。だが、アンナから解決策を提示されたので、取り敢えず言う事を聞いてやれば二人の機嫌も直るだろうと思い、その晩は二人纏めて抱いた。
翌日、二人は機嫌を直してくれたのでホッとしたが、その後度々二人一緒に抱かれるのをせがんできて、屋敷の使用人達からは、仲は良いが変な嗜好の主人達だと認識されてしまったのだ。
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「そういうわけで二人とも機嫌を直してくれたよ。けど、幾ら何でも魚に嫉妬するのは予想外だった。女というのは良く分からない生き物だよ」
翌日、諜報部の執務室で部員に昨日の出来事をヨハンに話していたが、どうにも反応が悪い。雑用をしつつ読み書きを必死に覚えようとする少年を、アラタを含めて諜報部の人間は目を掛けていたが、今日はアラタと話していてもそっけない態度だった。
「―――仲が良いのは結構ですが、男として二人同時に抱くなんて羨ましすぎるんです!!僕だってそんな経験してみたい!」
そうだそうだ!羨ましいぞ!と他の部員からもアラタを妬む声が聞こえてきた。平民のヨハンは兎も角、ここにいる部員の半分以上は貴族なので、望めば正妻の他にも数人妾を持てる甲斐性はあるはずなのだが。まあ王女と貴族令嬢二人を同時に侍らせる男など王族でもなければ無理なのだから、彼等の嫉妬は無理らしからぬ感情だろう。
残りの面子には新婚特有の熱に当てられて気分を悪くしていたり、今日は娼館で二人買って思う存分楽しもうと心に誓う者なども居た。
「ち○こ、もげればいいのに…」
さらに副長のクリスが物騒な台詞をポツリと呟き、周囲の嫉妬に燃える男達は頷き合った。
クリスは結婚して子供も何人かいるが、妾は居ない。彼の奥さんがそれを絶対に許さないからだ。彼は恐妻家で、完全に尻に敷かれており、それに加えてかなり嫉妬深い女性らしく、自分以外の女の影を見たら、別れさせるまで延々と夫に説教と泣き落としをし続けるのだという。その事を知っている彼の父の宰相ルーカスは、本人には言わないものの、情けない息子だとアラタに以前漏らしていた。
ちなみに以前エーリッヒやアラタ達と飲みに行った時に娼館に行かなかった理由が、奥さんが怖かったからだというのは周知の事実だ。
それ以外にもヴィルヘルムは妹のシモの事情を知って非常に気まずい思いをしており、エリィはアラタの屋敷に住んでいるので最初から知っていて、どうとも思っていなかった。
茶番劇もあったが、諜報部はいつもの様に書類が飛び交い、元々各省の寄り合い所帯から始めた部署でしかないので仲が悪いのは仕方ない部分もあり、予算と情報のやり取りから度々掴み合いの喧嘩に発展していたものの、おおむね平常運転だった。
そんな和気あいあいとした明るい雰囲気と無縁の部署の長であるアラタが山になっていた書類に目を通して性質の悪い笑みを浮かべていた。それを見た部員は、部長がまた悪企みしていると気にも留めていなかったが、書類の内容を知ったら是が非でも奪い取って焼き捨てていただろう。
なぜなら書類は彼等の人事調査書と人身売買書だったからだ。素行調査は諜報部なのでリトに命じれば簡単に手に入るが、人身売買書は普通では手に入らない。これはエリィの神術を用いて通常の書類に見せかけて署名させた、詐欺紛いの手段で手に入れた代物だった。
エリィの神術は視覚に作用する力があり、それを使って身体を隠して盗み食いをしていたわけだが、自身の身体を見えなくする以外にも効果があった。自身の眼に入った物を生物、物体問わず幻像を見せて他者の眼を欺き、部員全員分の書類に人身売買書を紛れ込ませた上で署名させたのだ。勿論時間と距離に限りがあるが、執務室内で書類一枚程度なら騙す事は簡単だった。
アラタは彼等諜報部員を信用していない。いつか彼等が諜報組織の力を利用して私欲を満たす事を見越しており、今の内に脅迫材料を集めていたのだ。仕事上の犯罪行為は必要悪と認めるが、度を超してドナウ国民の害になるか、国に害しかもたらさない場合は迷わず実力行使をするつもりだった。それにはヴィルヘルムも含まれており、義理の兄弟とは言え、職務を忘れてドナウに害をなすならば情など一切掛ける気は無かった。
勿論これはごく一部の人間しか知らない。知っているのはアラタとエリィ、そしてリトだけだった。尤もリトも素行調査は知っているが、売買書までは知らない。そういう意味ではこの国で一番アラタが信頼を置いているのはエリィなのだろう。
彼女もこの仕事を命じられた時は流石に恐怖を感じたようだが、アラタに拾ってもらった恩もあったので、自分に関係ない人間が破滅したところでどうでもいいと思い、そのまま仕事をこなして特別報酬を貰っていた。報酬と言っても故郷の村への仕送りの他にはアラタの手製のお菓子だったが、まだ殆ど出回っていない砂糖をたっぷり使った甘いお菓子だったので、喜びようは相当な物だった。
同じ職場の部下でも信用しない。軍に在籍していた時とはかけ離れた仕事だったが、与えられた職務には忠実であろうとするアラタは、今日も身内を騙しつつ仕事に励むのだった。
私生活と仕事は別物です。必要以上に部下を信じず、いつでも部下を粛正出来る用意を整えているアラタは組織人として正常です。責任のある立場の人間が情に流されては判断を誤りますので。ただ、つくづく主人公に向かない性格だと、自分の考えたキャラですが呆れてしまいます。
それではお読みいただきありがとうございました。




