第六十五話 嗜好品
9月24日、結婚式が終わり三日が経過した頃、外務省から緊急で会議を開きたいとの提案があり、主だった閣僚と王が集まった中に、新婚のアラタの姿もあった。
会議の前の雑談でほぼ全員が結婚について祝福の言葉を掛けていたが、内心では強弱はあれど、エーリッヒを除く全員が警戒心を抱いていた。個人の好き嫌いに関係なく家や一族の存続が関わる以上、この危機感は本能に近い。誰しも自身や息子の地位が脅かされるのはお断りしたいからだ。
ただし、警戒イコール敵対ではない。そのような短絡的な思考では利益を損なうのは分かり切っている。それでは一組織の長は務まらない。警戒とはそれだけ力を認めているという事であって、むしろ敵対するより友好を結んだ方が利益となると踏む者もいる。宰相のルーカスがその筆頭で、次点が軍司令のオリバーだった。他の面々も程度の差はあるが今の所、敵対より友好を選ぶようなので、悪い空気ではない。尤もアラタがその場に胡坐をかき続けて怠けるようなら、容赦なく切り捨てて引き摺り下す気なのだろうが。
予定時刻となったのでカリウスが会議の開催を宣言し、外務省のハンスが議題を提出する。それはサピンが戦争の準備に入っているという情報で、複数人から入手しており確実との事だった。
「我々からの支援によりホランドを恐れなくなり、どちらがより多くの敵を撃破するかで後継者を決めると、サピン王は対立していた両派を妥協させました。宣戦布告はまだ行ってませんが、時間の問題かと思われます」
「では我々の思惑通りに事が運んだようですな。上手く潰し合ってくれれば最良ですが、まあどちらかが手痛い被害を被ってくれるだけでも良しとしますか」
「その通り。どちらが勝っても我々に損は無い。引き続きナパームの取引を続けましょう。いやあナパームが予想以上に高く売れて、ホランド戦の損失分をかなり穴埋めできました。財務省として礼を言いますぞデーニッツ殿、レオーネ殿。さらには先日も獣脂の代用になる灯油を供給していただき感謝しますぞ。あれで私は面目を保てた」
財務長官のテオドールが謝辞を述べると、二人は当然の事をしたまでと謙遜した。水面下では敵対関係にあるアラタとテオドールやルドルフも、国政を滞らせてでも争いたいわけではないので、折れる所は折れる置くべきだと判断し、協力を惜しまなかった。
「それはさておきサピンは勝てるだろうか?確かにホランドは一度負けているが未だ精強な軍は健在だ。一丸となって一年かけて準備に奔走してきた我々と違い、点数稼ぎで互いの足を引っ張り合うサピンが勝てると思えないのだが」
法務長官のジークムントが懸念を示す。彼は軍事の経験は無いが、融通が利かない実直な性格と癖の無い思考の持ち主で、現実的な視点を持ち合わせている。彼の現実的な疑問に軍司令のオリバーが答える。
「ブルーム殿の懸念は尤もです。ナパーム一つで勝てるほどホランドは甘くありません。さらには先日まで仲違いしていた者同士では軍を二つに分けて好き勝手に暴れまわるだけでしょうから、各個撃破されるのが落ちです。幾らかは損害を与えるでしょうが、勝利は難しいでしょう」
オリバーはサピンの勝利は難しいと語り、それに追従して騎士団長のゲルトもサピンの練度不足を挙げて不利と判断している。アラタも同意見だったが、言いたい事は全て先の二人が語っていたので発現は控えた。
二人の意見からサピンの勝ちは薄いと判断し、支援は早々に切り上げてしまう事になった。勿論商人を通じて売買は続けるが、あくまでドナウの名は出さない事になった。
不戦協定には他国への支援は禁止されていないが、宣戦布告した相手に兵器を売るのは相手の心象を悪くするだけなので、形だけでも相手に配慮する必要がある。例えそれがどこの国で作られたのか相手が分かっていたとしてもだ。
さらに宣戦布告後の外交官や駐在武官の身の振り方を話し合い、サピンの王都に攻め入る気配が僅かでも見えたら逃げるように準備だけは整えさせる手筈になった。幾らサピンと無関係のドナウ人でも戦中の混乱に巻き込まれる可能性は十分ある。あるいは憎いドナウ人として率先して殺される可能性とてあるのだ。アラタも折角出来た義理の両親をすぐに失いたくはない。
未だサピンが宣戦布告をしていない事もあり、この日はさらなる追加情報が入ってから取り決めをすることで落ち着き、解散となった。アラタも諜報部として秘密裏にサピンに追加で人員を派遣して情報収集に当たらせるよう頭の中で今後の予定を組み始めた。
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数日後、アラタは諜報部の執務室にリトを呼び出し、娼婦を通じてサピンとホランドの情報を得られないか相談していた。さらに他の部員に分からない様に、芸能職を派遣できないかもそれとなく示唆している。
「難しいですが何とかやってみましょう。ですが何分他国となると勝手が違いますから、思うように結果が出なくても許して下さいね」
「そこは安心してほしい。今の所、貴方以上に上手くやれる人間が居ないのだから無茶は言わない。それとソルペトラの女不足の解決だが、追加募集で集まりそうか?」
「それなりの数は揃いそうですよ。マリア王女の伴侶が代官をしていると聞き付けた街の女が集まっています。ただまあ娼婦が多いですが―――それも25を超えた年季の入った年増ばかりで、華やかさには欠けますね」
文明の未発達な世界では人間の寿命は短くなる傾向にあり、相対的に年寄りと呼ばれる年齢は下がるものだ。この国の女の結婚適齢期は20歳までで、大抵の人間は10代で結婚して子を成す。エリィのような農村出身者なら15歳前後で子供が居ても特におかしくは無い。男は経済的、あるいは政治的理由から結婚が遅れる事もままあるが、女で25を過ぎて独り身は行き遅れ呼ばわりされても反論は出来ないのだ。人によっては夫に先立たれて未亡人になった女性もそれなりに多いが、早々に再婚してしまうのが西方の常識だった。
「25なら子供だってまだまだ2~3人は余裕で産める。それなら特に問題は無いよ。重要なのは開拓村の男達に責任を持たせつつ、人口を増やす事だ。新しい製品を作るにも人手は多いに越した事は無いしね」
「そうですね、先日頂いた石鹸を作るにも人員は必要になるでしょうから。いやーあの石鹸は素晴らしい!貴方の故郷ではあのような物が溢れているとは羨ましい限りですよ」
試供品をいたく気に入ったリトが普段の穏やかな雰囲気を一変させ、だらしなく顔をニヤつかせながら頭を下げる。なかなかに好き者らしい。
結婚式に参列した祝い客の中にも、娼館や派遣娼婦との睦事で石鹸を非常に気に入った者がおり、彼等の口から石鹸の噂が広まり、今後はドナウの主力輸出品の一つに数えられるだろう。
「うちの家内達にも好評でね、二人とも大の風呂好きになっているよ。数が増えれば娼館だけでなくドナウ中にも広めたいと思っているよ。あれは楽しみ以外にも衛生環境の向上につながって、病気の予防にも一役買う物だからな」
「それは良い事です。貧民街は臭くて汚いですから、それが解消される事は私も歓迎します。ところで、それ以外には何か仕事はございますか?貴方の事ですからまた何か企んでいると私は予想します」
そろそろアラタの行動が予測出来るようになってきたリトが、先回りして腹の内を言い当ててくる。鋭いな、と少しばかり感心して次の仕事内容を切り出す。
「幾つかの農村の家畜小屋の土を運搬したいから十人程度男手を用意してくれ。道具は土を入れる麻袋やスコップ、荷車程度で良い。王都周辺の農村ばかりだから期限はそれほど長くない」
土と聞いて不審に感じたリトだったが、どうせ目の前の男の頭の中身など完全に分からないと匙を投げていたので、言われた通り道具と人員を揃えると了承する。大した数でも特別な道具でも無いので今日中に集められると言うと、なら翌日出発すると言い渡され、この日の相談は終わった。
執務室の話は諜報部の全員も前もって聞いていたので特別思う所は無い。直轄領の農村はその土地を任せれている代官の領分だが、王都近隣の村などの代官は王都の城に居るので、損をしない懸案なら一言二言話をして酒の一本でも進呈すれば快く許可を出してくる。特に王女の伴侶であるアラタに顔と名を覚えてもらえるのは今後の進退に関わってくるので、喜んで許可を出してくれた。
「そういうわけで、暫く留守にするから、適当に肩の力を抜いてていいぞ」
「そういうわけにはいきません。職務には忠実にあるのが貴族の務めです。私を堕落させるおつもりですか?」
アラタの軽口に少しばかり気分を害した返答をしたのは義理の兄弟であるヴィルヘルムだった。彼はアラタへの対抗心と生まれつきの性格から、この手の皮肉を好まない。貴族社会特有のコールタールのような黒く粘る泥に馴染まない貴族の中では珍しい人間だ。
「良い返事だ。そこで真っ向から反論する君を俺は高く評価する。それは置いていくが、暫くはリトの情報待ちだから忙しくないだろうし、今の所の仕事は新設する孤児院の準備ぐらいで、そこまで切迫してるわけでもないんだ」
「だからと言って怠けるのは好みません。仕事なら探せば幾らでもあります」
堅いというか愚直なところのある義理の兄弟をアラタは気に入っていた。彼は官僚より軍人に向いていると思ったが、今更方向転換など出来そうに無いだろうから、本人には黙っていた。
「――なら、一つ仕事を頼んでおく。その孤児院の代表者のマリア殿下と内容のすり合わせをしておくように。アンナも運用者の一人になっているから、そちらも同様に話をしておくこと。君の事を気にしていたしな」
「ご指示とあらば承ります。―――仲が良さそうで安心した」
ヴィルヘルムもアンナの事は家族として愛している。その夫とは素直に仲良くなれないが、上手くやっていると噂で聞いて安堵もしている。幼い頃から守るべき対象として見ていたのだから、嫁いだ時に喪失感や寂しさもあったが、妹が幸せなら充分だった。
仕事という理由でも顔を見れるのは嬉しいのか、つい本音が出てしまい慌てて咳払いをして誤魔化そうとしたが無駄でしかなく、アラタにはちゃんと聞こえていた。
「そりゃ仲は良いさ。昨日だって風呂場で仲良く石鹸使って――――」
「そんな肉親の情事の話なんでどうでもいいんです!!むしろどう返答していいのか困ります!!つーか生々しすぎて顔見づらくなるだろうが!!」
ヴィルヘルムの絶叫が部屋の壁を通り抜けて城に響き渡り、後日知り合いから心配されたが、彼は黙秘した。
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翌日、予定通りに人員と道具を用意されたアラタは近隣の農村を巡り、家畜小屋の土壁や床の土を大量に手に入れていた。最初村人は妙な連中が村にやって来たと、遠巻きに胡散臭そうな目で見ていたが、村長が代官からの命令書を確認した途端、額を地面にこすりつけて対応していたのを見て、次々とそれに習い平伏した。
そんな物を見せられても時間の無駄なので手早く、土を回収して廻っていたが、何箇所目かの村で山積みになっていた見慣れない野菜が気になり村人に聞いてみると、
「その野菜は家畜に与えるエサでして。根の部分は家畜に、葉っぱはそこそこ食えるんで、儂らが食ってます」
縦長の根菜で外見は白く、荒地でも良く育つので竜や豚のエサにしているが、葉っぱも含めて大して美味しくないので売り物にはならないと老農夫が説明してくれた。ちなみに名前は特別無いらしい。
昔聞いたビート(砂糖だいこん)のような扱いだと感じたアラタは好奇心に駆られて一本試しに食べて見る事にした。周りの村人は貴族に食わせる野菜じゃないと止めたが、アラタが構わず土の付いたまま齧りついて、注意深く咀嚼する。
(―――確かに美味しくないが、僅かだけど甘い。ドーラ、成分の解析出来たか?)
(――出来ました。レオーネ大尉の予想通り糖度が3%程度ですが含まれています。かなり手間が掛かりますが製糖の材料に使えます)
これは嬉しい誤算だ。土に含まれる硝石を探しに来て、ある意味それ以上に価値のある物を見つけたのだ。碌に品種改良もされていないが、それでも砂糖の原料には使える。
村の農民たちは貴族に家畜をエサを食べさせたと恐怖に脅えていたが、アラタが上機嫌に全て買い取りたいと申し出た為、ポカンと口を開けて流されるまま銀貨の袋を握らされており、貴族のする事は分からないと、考えるのを放棄した。
予定ではもう少し土を集めるはずだったが、ビートモドキを手に入れたアラタが中止を言い渡すと、すぐに王都に帰還する事になった。
この時を境にハチミツや果実ぐらいしか甘味の無い西方に砂糖が加わり、料理の幅が大幅に広がったのは言うまでもない。
甘味は下手な麻薬や酒より中毒性があるそうです。中国ではサトウキビを国外に持ち出す事が死罪だった程、戦略価値を持っていたとか。そんな味を気軽に楽しめる現代は本当に良い時代です。
それではお読みいただきありがとうございました。




