第四十六話 痴話喧嘩の後始末
「困った事になりました。私とマリア殿下が婚姻など、閣僚のお歴々が歓迎するはずがない。地方の大領主とて自分達を差し置いて、他国の平民が自国の王女を攫って行くなど、認めるはずがない」
「そうじゃの、幾ら陛下の勅命でも反発は必至。正直、お主に同情する」
「おや、可愛い孫娘を奪った相手を気に掛けるとは、どういった風の吹き回しで?」
「皮肉を申すな、既にお主は我が家と姻戚関係にあるのだ。身内になった以上、心配ぐらいするわい。何より、王女との結婚が話に上った時、相当に怒りを感じていたじゃろう?お主はアンナに本気で惚れているのが分かった以上、認めざるを得んよ」
二人が話しているのは、ベッカー邸のミハエルの私室だ。
三人は、王城から重い足取りで邸宅に戻ると、アンナは自室に引きこもってしまい、リザが心配そうにドア越しに声を掛けているが、気分が悪いとだけ言って黙ったきりだ。
アラタも声を掛けたかったが、リザからそっとしておいて欲しいと言われ、仕方なしにミハエルと今後の事を話し合うために、今は留まる事にした。
「だが、それは置いておくとして、陛下の急な話は儂らにも影響が大きい。ベッカー家は領地も無く、貴族として歴史の浅い家だ。儂の代で外交官として、それなりに功績を積んで陛下の相談役に収まっていたが、儂の息子――――ゲオルグは貴族としては凡庸じゃ。閣僚達からすれば、競争相手にならぬと見られていた。それ故、アンナとお主の結婚はそれなりに歓迎されていた」
「取り立てて後ろ盾の無い貴族と結婚しても脅威にはならぬと?しかし、王家が直接取り込みに掛ったとなれば、全ての貴族を飛び越えてしまい、私に頭を下げる時期がいずれ来る」
「そう言う事になるの。それを危惧する者が徒党を組んで、この家とお主を排除しようと動く。今はホランドの事もあるから、表立っては動けない。しかし、それが片付けば用済みじゃ」
「まだ勝つと決まった訳では無いのに気の早い事です。いえ、次の事を見越して動く事こそ政治に携わる者に必要な能力なのでしょう」
国家百年の計と言うのは誇張した表現ではあるが、十年後を見越して準備を進めておくのは間違った事ではない。アラタとて一年先を見越して軍略を練り、ホランドを破ったのだ。
アラタが居ればホランドを滅ぼすのはそう難しくない。ライネ川の戦いで、そう思う者は多い。その為には未だアラタは生きていてもらわねば困る。しかし、それが終われば―――――
「狡兎死して走狗烹らる、どの国でも同じか」
なんじゃそれは、と不思議な言い回しをしたアラタに説明を求めると、用済みの道具は廃棄されると言う意味だと返すと、なるほどと納得した。
ミハエルは納得したものの、老い先短い自身は良いが、子供達や孫らがそんな理由で排除されるのは面白い訳が無い。
今回はアラタが原因であるが、彼とて何も知らされておらず、王の独断という傍からすればいい迷惑を押し付けられた形になるのだから、同情の余地はある。しかし、それはそれてして騒動の中心である以上、どうにかしてもらいたいと言うのが本音なのだ。
「取り敢えず時間的猶予が残されているのが幸いです。明日までにどうにかしろと言われないだけマシですよ。そうなっていたらアンナを連れて駆け落ちしてたかもしれませんし」
駆け落ちと聞いてミハエルは眉を吊り上げるが、アラタの心境からすれば仕方のない事だ。
「まあ、幾つか効果的な対抗策があるにはありますから、そこまで心配はしなくて良いですよ。国内問題である以上、出来る限り穏便に済ませますが、容赦はしませんので」
薄く笑みを受けべると、ミハエルの背筋にぞくりとした寒気が走る。この青年、しばらく見なかった間に時折、雰囲気がこうなるのだ。頼もしいと思う反面、怖さもある。今は身内になったので頼もしいと言えるが、ホランドはこんな怪物を相手にしていたのかと、僅かばかり同情した。
アラタは一旦話を切りあげると、リザからは遠慮して欲しいと言われたが、やはり心配なのでアンナの様子を見に行くと部屋を出て行き、残されたミハエルは外国に居る外交官の息子夫婦や孫に、どう手紙で説明するか迷いながらも筆を執ったのだ。
屋敷に戻るなり自室に籠ってしまったアンナは、ベッドの中ですっぽりとシーツをかぶり、誰にも顔を見せたくなかった。
声を掛けてくれる人には申し訳ないが、いま誰かと話すと八つ当たりしたくて仕方が無いのだ。
アンナの心の中は怒りしか無かった。ようやく掴んだ幸せを噛みしめ、人生の絶頂にあったにも拘らず、いきなり奈落の谷に蹴り落とされたようなものだ。
誰が悪いかなど分かり切っている。だが、アンナとて貴族のお家に生まれた以上、自由に生きられない事は百も承知している。家と国を守るためには綺麗事だけはやっていけないのも知っている。
国王とて悩んだ末の決断なのだ。それを否定は出来ないが、巻き込まれる当事者の身にもなってほしい。きっと、夫になる人も、政治で相手の決まったマリア殿下も、不本意な思いをしているだろう。
しかし、自分の様な一貴族の娘に王の決定を覆させる事など不可能だ。故に行き場の無い怒りが常に居座り続けて、酷く気持ちが悪い。一生このままという訳にはいかないが、まだ心の整理がつかない以上、アラタにも今は会いたくなかった。否、本当は会いたかったが、この酷い顔を見せたくはない。
鏡を見ていないが、きっと今の自分の顔は涙と怒りでとてもではないが見れた物ではないはずだ。愛する男にそのような無様な顔を見せるのは、女の意地が許さない。
せめて顔を洗おうかと考えていたが、いきなりベッドがギシりと音を立てて沈んだのに驚き、さらに人の気配で混乱する。
「そのままで良いぞ。君も俺に顔を見られたくないだろう?無礼で済まないが窓から入らせてもらった。シーツ越しでも良いから話をしたかったんでな」
愛する男の声だと直ぐに分かったが、彼の言う通り顔は見せたくなかった。
「君が誰よりも怒っているのは知っている。その怒りが行き場の無い事もな。幾らかは俺の責任でもあるから、せめて恨み言ぐらいは聞かせて欲しい」
「あなたに責任など―――」
悪いのは国王だ。彼が全て押し付けたのに、何故アラタが悪いのか?
「陛下は極め真っ当な判断を下したよ。功績を上げすぎた配下は、疎んじて粛清されるか、完全に身内に取り込むかの二択しかない。ホランドへの勝利は必要な事とは言え、圧倒的に勝ちすぎた。こうなると俺に首輪だけでも着けておかないと、国内の有力者が俺を引き込もうとして不必要に国が荒れる。あの人も大分悩んだろうよ。謁見の間では、慶事だと口にしていたが、実質ドナウの恩人に枷を嵌めるんだ」
「私だけでは不足なのですね」
「君がというより、ベッカー家だからこの程度で済んだと言える。これが大領主の娘だったら、内乱必至だ。俺を取り込んで大きくなりすぎた領主を討たねば、王家に取って代わられる可能性が生まれる。宙ぶらりんのままでも相当危うい、かと言って王家以外の有力者の親族になっては困る。王家にも実質選択の余地が無いんだ。むしろ、君との結婚を許したのは相当な譲歩と言うか、詫びのつもりだったんだろう」
王女の体面を考えれば、今回の騒動は悪手だ。あれでは王女の方が割って入った形になる。本来ならば先に王女と婚姻を結ばせてから、アンナを側室に迎えればいい。公然の秘密として正室以外に恋人を持つのはドナウでは禁止されていない。貴族には側室など当たり前の存在だ。
正室の存在理由は世継ぎを産む事と、家同士の繋がりの強化だ。恋愛は側室や愛人とすればいいのだから。にも拘らず結婚を認めたと言うのは、必要とは言え政治を持ち込んだカリウスなりの詫びと言っていい。
この非情に成り切れない所がカリウスの王としての限界であり、この人間らしさが、アラタが彼を認めている部分なのだ。
「―――お話は分かります。ですが、納得できないのです。どうして私だけに独り占めさせてくれないのかと。私だけのアラタ様で居て欲しかった」
それっきり、アンナはすすり泣く事を止めず、アラタはどうしたものかと困り果てる。士官として部下の簡単なメンタルケアの手法は、士官学校で手ほどきを受けたものの、このような相手は想定外だ。
非常に好意的に見れば、情の深い女性だと言えるが、深すぎて依存症に陥ってるようにしか見えない。それでも愛した女には違いないので見捨てる気は無いが、これには参る。
(お困りの様ですから、解決方法をお教えします)
(―――本当か?というか今まで俺が困っていたのを見て楽しんでただろ?)
(根拠の無い邪推はお止めください。私は人工知能ですから、そのような愉悦はございません。あまり疑うようならお教えしませんよ)
どうにも胡散臭い人工知能だが、アラタが手詰まりなので採用するかどうかは別として、何を言い出すのか興味もあり、聞くだけ聞く事にした。
ドーラの話を聞いて、お前なに言ってんだ?とノータイムで突っ込んだが、何となく効果が見込めそうだとも内心、同意していた。
こいつの言う通りにしたくないと言う、ごく個人的意見はあったものの、他に手立てが無い以上、言う通りにするしかなかった。
勤めて優しくアンナを落ち着ける様に、シーツ越しに頭を撫でると、少しだけ泣き声が弱まる。
「なあ、俺を独り占めしたいと言ったが、それはこれからもずっとなのか?一生誰にも渡したくないって事なのか」
返事は無い。しかし、撫でる手の感覚から頷く仕草がはっきりと伝わる。ならと、アラタは続ける
「子供が出来てもそれは変わらない?」
ピタリと泣き声が止まる。それを期と判断したアラタはさらに畳みかける。
「君との間に子が出来ても、その子に俺を渡さないと言うつもりかい?子供に嫉妬して、俺に君との子を抱かせてくれないのか?」
「それは――まだ分かりません。だって私は体も弱いですし、まだ―――」
「半年も君と寝所を共にしてるんだ。今もその可能性はあるかもしれない。体だって最近は随分調子が良くなったじゃないか。もう少し体力をつければちゃんと子供も産めるさ。俺は君との子が欲しい、そして俺と同じくらいその子を愛してあげる事は出来ないか?」
はっきり言って話題のすり替えでしかないのだが、まずは誰にも渡したくないという考えを、改めさせないとスタートラインに立てない。
納得したかは分からないものの、取り敢えず話は出来るようにはなった。アラタはすかさず次の手を打つ。
「俺も君に愛を注ぐ。アンナも俺に愛を注いでくれ。そして少しでも余った分は他の誰かにも注いであげてほしい。俺の願いを聞いてくれないか」
そこからは暫く二人は無言だったが、ようやく心の整理が付いたアンナが、シーツから少しだけ顔を出す。涙で腫れあがった目元が僅かに露出している。これ以上はアラタに見せたくないのだろう。
「アラタ様はズルいです。そこまで言われたら、納得するしかないじゃないですか。だから――――」
お詫びに子供を下さい―――アンナはアラタに恥ずかしそうに、小声で囁くようにねだった。
その日、深夜までアンナの自室から二人の嬌声が途絶える事は無かった。翌日、アラタは珍しくげっそりとしていたが、反対にアンナは一日中ニコニコと笑みを絶やす事は無かったのだ。
はい、アラタはまだ見ぬ子供に面倒を押し付けました。正直、愛が重すぎたような気がしましたが、これぐらいの方が半端よりいいかと思い書き上げました。
それではお読みいただきありがとうございました。




