第四十五話 政略結婚
王女であるマリアを平民のアラタに嫁がせる――――王の言葉に謁見の間に居た者は一切の例外なく平静を失い、王が乱心した、気が狂ったと信じた。
肉親の子供三人でさえ父が狂ったか、自分の耳がおかしくなったのかと耳を疑った。
「みな、驚いたようだな。無理もない、余も自らが口にしなければ我が耳を疑っただろう。もう一度言う、我が娘マリアをアラタに嫁がせる。質問は受けよう、が異議は受け付けぬ。三度は言わぬぞ」
「―――陛下、当事者の私にも何も言って下さらなかったのは何故でしょう?私は今日はアンナとの結婚の挨拶に伺ったのですが、これでは道化でございます。私の妻になる人を虚仮にするのは止めて頂きたい」
この驚天動地の言葉に真っ先に反応したのは当事者の一人のアラタだった。彼からすれば、自身とその伴侶になる女性を馬鹿にしているとしか思えない王の言動に、非常に珍しく怒りを感じていた。
「余はそなたらを虚仮になどしていないし、戯れでこのような言葉を吐いているわけでもないぞ。以前そなたには礼拝堂で口にしたはずだ。『義理の息子として扱う』とな、あれはこういう意味だ」
「――あれは後見役としての意味合いでしょう。それに、だからと言って――――」
こんな詐欺以下の茶番に付き合うために後見を願い出たのではないのだと口にしたかったが、アンナに腕を引っ張られ、彼女に視線を向けると、アラタ以上に、今まで見たことが無いほど怒りを押し殺しながら、勤めて無表情に、だが視線だけは殺意を乗せて、カリウスを見据える。人間、あまりに怒り狂うと一週回って冷静になるとは本当らしい。
「陛下、私にお答えいただきたい。マリア殿下とアラタ様の婚姻は、陛下の一存でしょうか?また、それは先程のエーリッヒ殿下の時に口にした、国益を考えての行動なのでしょうか?」
「そうだ、余が誰にも話さず、余だけで決めた。マリアをアラタに嫁がせるのが、ドナウにとって最も利益を出せると考えたからだ。二人の都合は一切考えていない。それを恨むなら、好きにするが良い。それだけの事をした自覚はある。マリアもアラタもだ、この三人だけは余を恨む権利がある」
王にここまで言わせた以上、外野が騒ぎ立てた所で覆らぬし、三人をどうにか出来る訳も無い。王女のマリアは無いにしても、アラタとアンナに何かあった場合、王の決定に不服を申し立てたと同義の行動をしたと見なされる。
幾人かが、この緊迫した空気をどうにかしようと発言をしようとしたが、ここで下手な事を口にした場合、どう飛び火するか全く分からない以上、誰も火中の栗を拾いたいと思わず沈黙し続けたままだったが、ここで良い意味で空気を読まない一人が言葉を紡いで、このおかしな空気を払い除けた。
「あの~父上、聞いてもよろしいですか?」
「――なんだ、カール?」
この瞬間、『でかした!』と全員の心が一つになり、謁見の間で一番幼いカールへの称賛の声があがった。
「姉上がどう思っているのかを聞きたいのです。アラタとアンナは怒っているのは分かりますが、姉上がどう思っているのかが気になりました」
「え?わ、わたしですか?」
この急展開に着いて行けず、呆然としていた所に、弟からの急な無茶振りで思考がさらに迷走し始めていた。
「ふむ、それもそうだな。マリアよ、そなたの夫にアラタは不服か?」
「へ、いえ、アラタの事は好ましく思いますが、それとこれとは話が違います。このようなやり方は褒められた物ではありません。一人の女としてアンナへの仕打ちは許し難い事です。例え王でも一方的に婚姻を破棄させるなど、許せません」
さりげなくアラタとの結婚は否定しなかったが、それ以上に、女としてアンナの幸せを願っている。彼女とは数度しか面識は無かったが、特別悪感情は抱いていない。むしろ、顔見知りが虚仮にされて、その下手人が実の父などと、その方が彼女にとっては許せないのだ。
「――?何を言っている?余はアラタとアンナの婚姻は否定せぬぞ。ただ、そなたとの婚姻がある以上、側室になってしまうので恨むのは止めぬと言ったのだ。確かにこのような場で当人を差し置いて、余の一存で取り決めたのは褒められた物ではないが」
そう、確かにカリウスは最初の二人の結婚を祝福した。否定などしていない。離縁しろとも命じていない。あくまでアラタとマリアの結婚の話で、アンナには恨めと言ったが、何を恨めとは言っていない。
「確かに結婚早々、側室に格下げは恨み言の一つも言いたくなるだろうと思ったが、一国の王女を側室にするのは外聞が悪い以上、一貴族のアンナには折れてもらうと言ったのだが……余は一度も婚姻を破棄しろとは言っておらぬぞ」
それはそうだ。貴族の娘が正室で、王女が側室扱いなど、認めるわけにはいかない。例え、嫁がせる相手が平民だとしても、室の序列は護らねばならない。その通りなのだが、何かが食い違っている。
「確かに、初めに二人の結婚を祝っているし、その事を否定してはいなかったけど、マリアの事を切り出す機会が悪すぎたのではないですか父上。あれでは、アンナとの結婚を認めず、無理矢理マリアを結婚させるように仕向けていたように聞こえましたよ」
流石におかしいと感じたエーリッヒが噛み砕いて父親に説明すると、しばらく顎に手を当てながら考え込み、納得がいったようでアンナに向き直ると、直ぐに謝罪の言葉を投げかけた。
「言われてみれば余の言葉が足らなかった。アンナよ、そなたの結婚は余が認めるぞ。側室扱いは気の毒だと思うが、これもドナウの未来の為だ。ドナウの貴族であるそなたならば理解してもらわねば困るし、父として出来れば娘とも仲良くやって欲しい」
「―――承知いたしました。陛下がそこまで仰られては、私も納得しないわけにはまいりません。姫様もよろしいでしょうか?」
急展開に次ぐ急展開に完全に置いてきぼりになったマリアは、アンナの言われるままに、ただ頷くだけだった。
「どうやら、今回の一件は余の説明不足だったようだな。王族である以上、側室や妾など珍しくないのが却って、説明を省いてしまったらしい。―――こうなると何故アラタにマリアを嫁がせるのかも説明すべきか?」
「是非お願いします。宰相である私にも相談していただけないも面白くありませんし、この上知る必要が無いと軽く扱われるのは、ここにいる全員が不愉快に感じます」
いつもは自分や息子のエーリッヒに最初に相談すると言うのに、今回に限っては誰も言わずに勝手に先走ったのを軽く咎めはしたが、付き合いの長さから、単に娘の結婚を決めて浮かれていたのではとアスマンは勘ぐっていた。
エーリッヒの場合は次期国王であり、既に二十を超えて実質手元から離れているので、冷静に判断できたのだろう。外務省に人選を任せたのもそれを裏付けている。
男親というのは娘の方が可愛いのだろうが、溜息が出そうなのをグッとこらえ、勤めて感情を出さない様に苦言を呈す。
「分かった、では順を追って話すとしよう。余の最大の懸念は、アラタがこのままドナウを去る事だ。元より他国人でしかないアラタがこの国に留まり続けるには、この国の人間になってもらうのが一番望ましい。その為には妻を娶り、子を成してもらうのが、誰の目にも明らかで良い。ただ、娶るのが誰でもいい訳では無い。ミハエルやアンナは面白くなかろうが、一貴族でも不足なのだ。であれば、王家から嫁がせるのが最も分かりやすい評価と言えまいか?」
確かにアラタがこの国に滞在しているのは彼の都合だ。故に、都合が悪くなればこの国を去ればいい。現に彼はこの国に来て直ぐに、ミハエルの態度が気に入らないと言って、ここを去ろうとした。
最初は言葉が通じず、西方の常識も知らなかったので勉学の為に留まる選択をしたが、既にその期間はとうに過ぎており、むしろ今はアラタに多くを教わっているのが現状なのだ。
言葉が話せる以上、他国に雇われる選択肢もあり、そうなれば今までドナウが受けていた恩恵が、そっくりそのまま他国に流れてしまう。ほぼあり得ない事だが、アラタがホランドに流れたら、ドナウは数ヶ月で終わると見て良い。
こうなると国内に大領を与えて縛るしかないが、本人がそれを断っているし、下手に大領主の娘と婚姻を結んで、王家に反旗を翻されても困る。となると王家との婚姻で縛りを加える他無いと結論が出てしまう。
アラタがもっと俗物ならば、こちらから適当に女を宛がい、美酒で酔わせて財産を与え骨抜きにするが、当のアラタが異常に禁欲的な上、求める物が今一つ分からないのが、懐柔を妨げている。
一応今までもアラタに女以外の贈り物を数多く送っているが、相手の顔を立てて受け取りはするものの、貴金属や美術品は全て物置に仕舞われている。曰く、大切に保管していると、決まった文句が返って来るのだ。言ってる事は間違いでないが、真面目に受け取る気が無いのが丸わかりだ。かと言って、誰に何を送られたか全て記憶しており、相手に恥をかかせないので、非常に遣り辛い。
この国の貴族と根本的に精神構造の違う人間なのだが、面と向かって礼を外している訳でも無く、基本礼儀正しいのが始末に負えない男なのだ。
今回のホランドとの戦いでの功績は、誰の目にも明らかで、アラタの知恵が無ければドナウは成す術も無く蹂躙されていた事を考えれば、建国王フィルモの盟友『異郷の勇者』の再来と、至る所で噂になっているのは致し方ない。
幸い、アラタの顔はあまり売れていないので、未だ謎の人物の域を出ないのだが、いずれは他国にも知れ渡るのも時間の問題だろう。
古来より強すぎる英雄の処遇など二つしかない。身内に取り込んで役立てるか、用が済んだら始末するかの二択なのだ。現状、ホランドの脅威が残っているので、用済みとは言えず、まだまだアラタの仕事は多い。つまりは利用価値がまだある訳だが、早めに首輪をつけておかねば手遅れになる可能性もあるのだ。
となれば、やはり婚姻で縛りを掛けるのが、最も分かりやすく強い手段であるのは、この謁見の間の閣僚達にも理解できた。
だが、それはそれとして面白くないのだ。幾ら、有能でも他国人の平民に大きな顔をされるのは不愉快でしかない。この一年は祖国の危機という事もあり目を瞑って来たが、それがいつまでも続くとなると、我慢し切れない時が必ずやって来る。
その時、彼等がどうするのかは未来を見通せぬ人間には分からないが、きっと血が流れる未来なのは誰もが予想出来た。
「―――確かに、レオーネ殿の功績を鑑みるに、王族との婚姻は妥当な物と判断いたします。しかしながら、マリア殿下は陛下の実の娘でございます。幾らレオーネ殿とは言え、身分の釣り合いが取れませぬ。ここは、他の領主に降嫁した王族の血縁者を養子にして婚姻を結んでも良いのではありませぬか?」
アラタの取り込みは不可避と判断した閣僚の一人から妥協案が出るが、カリウスは一顧だにせず跳ね除ける。
曰く、それでは養子元の家にも配慮する事になり、地方の影響力を強めるだけだと、王家の利から却下された。
他にも、どうにか王の命を撤回させるべく、極めて穏便に案が出されたが、いずれも王の気を変えるほど冴えた考えが浮かばず、却下されるだけだった。
王子二人はアラタが義兄弟になる事自体、嫌がってはおらず、むしろ歓迎する様子で、エーリッヒはドナウが強化される事を喜び、カールはアラタの彫刻趣味と人柄に好感を抱いているので、反対など無かった。
そして今回の結婚騒動の中心であるマリアはと言えば、
「アラタの事は好ましい人物だと見ていましたが、かと言って諸手を挙げて婚姻を喜ぶ程ではないです」
と肯定とも否定とも取れないが、アンナの結婚に割り込む形になる為、どうにも居心地の悪さを感じていた。率先して否定しないのは、国益を重視した婚姻である事と、アラタに抱く感情故だろう。
好きか嫌いかで言えば、好きと言えるのだが、結婚したいかと言えば否という、どうにも煮え切らないが、王族としての義務と考えれば、是非も無い。
それなりに付き合いもあり、不満はあるが、見知らぬ他国に嫁ぐ不安が無い分、良いかもと楽観的に考えられる程度には、今回の婚姻には肯定的だった。
アラタはと言えば、日常的に護衛の目を盗んで街や外に遠乗りに出かける軽率さには眉を顰める物の、マリアの事はそこまで嫌いではない。これが王女で無ければ、年相応の活発なお嬢さんと好感を抱いただろう。
しかしながら、この女性を妻にするとなると、正直言えばご遠慮願いたいのがアラタの率直な感想だった。ただし、上司の娘となると断り辛く、本来の結婚相手であるアンナとの関係を尊重すると言った以上、受けざるを得ない。
(あーあ、アンナを連れて逃げたいなー)
(私ならば出来ますが、やらない事を勧めます。レオーネ大尉の感情を抜きにすれば、王家と婚姻を結ぶメリットは非常に大きいと言えます。ここはお受けして素直に結婚するのが賢明です。いい加減つべこべ言わずに諦めてください)
仮想人格の容赦の無い諫言に溜息を付きながら、アラタは王女との婚姻を受諾するのだった。
ちなみにアンナは終始無言で、何を考えているのかさえ、その表情から窺い知れなかった。
カリウス王痛恨の連絡ミス。やはり反発されても誰かに相談はすべきでした。英雄の処遇としては至極真っ当ですが、それでも国内貴族の反発は当然あります。
そしてヤンデレヒロインはこれからどう動くか、書き手ですら読めません。
それではお読みいただきありがとうございました。




