第四十四話 予期せぬ修羅場
アラタがアンナに結婚を申し込んだ翌朝、ミハエルを除いた三人で朝食を取った後、アラタはベッカー邸を後にして、城へと戻った。ミハエルは昨日の酒が残っているので寝ているとの事だったが、実はショックで不貞寝を決め込んでいただけだった。
城へ戻ってすぐにカリウスに面会を申し込むと、殆ど待たされることなく謁見でき、アンナと正式に結婚する旨を伝えると、
「それは目出度い!ならば娘を連れて明日にも挨拶に来るがいい。後見人として、余が寿ぎを与えよう」
酷く上機嫌でアンナを連れてこいと命令するカリウスは、時代が違えばノリノリで仲人を買って出る職場の上司と大して変わらなかった。
ただ、アラタがそれより気になったのが、謁見の間に護衛として詰めている近衛騎士が、アラタの結婚報告を聞いて、握り拳を造り笑顔だった者と、悔しそうに握り拳を造っていたのとで、二極化していたのが非常に気がかりだった。彼等はアラタが誰を落とすかで賭けをしていた騎士達で、その勝敗は言わずとも明らかだった。
謁見を終えた後は与えられた執務室に向かい、仕事に取り掛かる。宰相直属の諜報部に与えられた執務室は、城で物置として使われていた空き部屋を利用している。広さだけはあるのでアラタは特別不満は無いが、各省から出向扱いで配置された官僚たちは、当初は物置に左遷されたと不満を抱いていた。
派遣された人員は各省から一人ずつと、直轄軍から一人、騎士団からも一人、さらに宰相配下の事務官の計九人で、アラタを含めてこの十人が諜報部の初期メンバーになる。
最後に簡単な雑用役に、アラタの専属使用人のエリィとヨハンが詰めている。二人は基本給仕だが、エリィは簡単な読み書きと計算が出来るので、いずれはアラタの右腕の役目を任されるのかもしれない。特に彼女は視覚に作用する神術の使い手で、情報収集にはうってつけの人員と言える。
ヨハンは読み書きが出来ないのだが、年下のエリィが出来て自分が出来ないのが悔しかったのか、最近は自発的に読み書きを習い始め、少しだが字が読めるようになっていた。他の諜報員も暇な時に二人の勉強を見ているので、思ったより打ち解けているらしい。
と言うより、他の使用人が居ないので、簡単な書類ぐらい扱えないと、自分達の仕事が増える一方なので、早い段階で仕事を押し付けたかったのかもしれない。
現在は組織が発足したばかりで予算も限られており、取り敢えず各省や軍部との情報交換が主な仕事内容なので割と暇なのだ。どの国でも予算は限られているので、基本は綱引きと奪い合いで仲が悪い。以前、直轄軍と近衛騎士がいがみ合っていたのと同じような状況なのだ。その為、横の繋がりに乏しく、情報共有もされずに互いに情報を秘匿し合っていた。
これに頭を痛めていたカリウス王やアスマン宰相が、諜報部設立に各省から人員を出させ、情報共有をさせる事を思いつき、人員確保と同時に、各省を歩み寄らせる事に成功した。
自らの省の情報を出しつつ、他の省の情報を持ち帰る。多分に政治的な駆け引きが含まれるが、ある程度の成果が見込めたので、彼等は満足していた。
目下の問題は、組織の形は見えていたが、実動員が不足している事だ。元より西方の国々の情報入手の手段は、行商人達から情報を買い取る事が主な入手経路だ。自前で、情報収集者を雇い入れる事は殆ど無い。時折、使用人などに噂話を集めさせたり、人脈を頼りに特定の人物を探らせる程度の稚拙な物でしかない。そして自分で一から諜報員を育てる事など誰も考えつかないのだ。
現状のドナウの主な情報源は、宰相が商人から買い取った情報で曖昧な物が多いが、数を積み上げればある程度真実は見えてくる。ヒト、モノ、カネ、の動きは簡単に隠せるものではないので、それらを取り扱う商人が一番情報通なのは間違いない。さらにそこから買い取る選択も妥当と言えるが、やはり外部に頼らず自前で情報を揃えたいと思うのが為政者の本心なのだ。
そこに降って湧いたのがアラタで、どこの所属でも無くドナウにおいて最も中立的立場にある外国人のアラタが情報機関の長に就任するのが都合が良かった。次点は王子のエーリッヒだったが、彼は次期国王なのであまり後ろ暗い事をさせる訳にはいかなかった。やはり担ぐ神輿は綺麗な方が精神的に楽なのだ。
アラタ自身は宇宙軍では情報管制官の役職にあったが、あくまで戦場での情報収集が主な役割で、街中での収集や防諜は専門外なのだが、士官学校時代の講義で基礎的な防諜の技術は教えられている。
これは主に情報漏洩を減らす為の講義だったが、逆を言えばどうすれば情報を抜き取れるかの技術でもあるのだ。そんな基礎技術でもノウハウの無いドナウには垂涎物の技術なので、やはりアラタが適任なのだ。
ただし、人員と予算という先立つものが無いので現状は、派遣された官僚を一人前に鍛える事がアラタの仕事だった。彼等に情報収集をするにはどうすべきかと課題を出して、自ら考えさせる教育方針を執り、それを採点する事がアラタの日々の仕事になり、新部署の正式稼働はまだまだ先の事だった。
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カリウスに結婚相手を連れてこいと言われた翌日、アラタはその言葉に従い、アンナを城に連れて来た。当然と言うべきか、身内であるミハエルも一緒に付いてきている。アンナの父親、つまりはミハエルの息子はサピンに外交官として赴任しているので、家長代理として祖父であるミハエルも挨拶に来ていた。
ミハエルは毎日に王の相談役として城に来ているが、今回は私事での登城なので、結婚する二人に引っ付いてきたのだ。彼の内心は複雑その物で、可愛い孫娘が嫁ぐ悲しさと喜び、アラタへの敵愾心に、王自ら祝辞を述べる栄誉、それらが複雑に混じり、百面相を作り上げていた。
アンナの方はと言えば、王自ら後見人を買って出た事に、緊張した面持ちで竜車に揺られていた。確かにアラタは身寄りの無い他国人で、誰かが身元を保証する後見役を勤めなければならないのだが、それが寄りにもよって国王陛下だとは予想を軽く超えていた。
それが恐れ多いと同時に、そんな貴人が祝福してくれる事には、素直に喜びを感じている。
最後にアラタは、どうにもカリウスに胡散臭さを感じていた。今回は単なる祝辞以外にも、何か政治的なポーズも含まれているのは確実だと見ている。
アラタ自身、自らが目立ちすぎている事は知っているので、カリウスが後ろ盾になる後見人を引き受けてくれた事には感謝しているが、何か別の面倒事を押し付けられそうな予感がプンプンするのだ。
ドーラに命じて情報収集をさせたのだが、当のカリウスが誰にも語っていないので、盗聴すら出来ず分らず仕舞いなのだ。しかし、現在謁見の間に他の閣僚も来ており、重大発表をするとだけ語っているのが、何かしますよと言っているような物だ。
まさか二人の結婚を大々的に伝える為だけに閣僚まで呼び込むとは考え難い。さらには少し後になって王の子三人までやって来て、もうただ事ではないのが丸わかりなのだ。
頭痛がし出したアラタをアンナは気遣うが、むしろあの万魔の部屋に彼女が耐えられるかが心配になって来た。しかしながら、今更逃げるわけにもいかず、アンナの手を握り勇気付けるのが手一杯だった。
案の定、謁見の間にずらりと並ぶ閣僚や、王族の面々に絶句したアンナは棒立ちになってしまう。アラタはそれを気遣い、手を引いて歩かせるが、心にあらずと言った風体で、何だか可哀想になってきたのだ。
「陛下、お呼びによりアラタ=レオーネ、アンナ=ベッカーの両名、参上しました」
「うむ、よく来た二人とも。そう畏まる必要は無い。今日は二人に祝いの言葉を与える為に呼んだのだ。二人が結婚を望んでいると聞いたのでな。アラタには身内が居らぬ、それ故余が身元を保証する事となった。何せ王家の技術顧問であり、新設した部署の長を勤めるのだ。下手な人間には任せられまい」
「仰る通りでございますが、身に余る光栄とも言えます。国王陛下自らに保証して頂けるとは、身が震える思いです」
「まあ、そう言うな。それで、この中で二人の結婚に反対する者は居るかな?今なら、口に出しても咎めぬぞ」
などとカリウスは口にするが、誰も王に反対意見を述べる者などいやしない。婚姻による家の結びつきは貴族としても注意すべき情報だが、ベッカー家は領地を持たない王都の中堅貴族だ。ミハエルは外交官として実績もあり、王の相談役を務めるが、高齢であと何年生きられるか分からず、その息子も外交官だが、それほど優秀だと話に聞かない。愚鈍ではないが、パッとしない人物なので、それほど注意すべき所は無い。
アラタに悪感情は持たないが、ぽっと出の平民に、これ以上力を持ってほしくない閣僚や官僚には、それなりに歓迎すべき家柄の女性と言える。その為、素直に祝福の言葉を二人に贈る者が多い。
閣僚以外にもエーリッヒやマリア、さらにカールの王族も二人の結婚を我が事の様に喜び祝ってくれた。特にマリアはアンナと面識があるようで、殊更に結婚を祝福していた。
「おめでとう二人とも。特にアンナは体が弱いから、このまま独り身で居るのかって心配してたの。でもアラタが旦那様になるなら心配いらないわね。アラタもこの娘を大切にしてあげてね」
「そんな勿体ない言葉でございます。姫様にこのように祝って頂いてもらうなんて」
二人はそれなりに親交があったのだろう。気安い言葉を掛けられると、アンナは委縮することなく謝辞を述べた。
「勿論ですマリア殿下。アンナの事は必ず幸せにしますよ」
「うむ、誰も反対する者もおらず、善きことだ。さて、こちらの懸案は片付いたが、今日はまだ喜ぶべき事が多いぞ。二人はそのまま部屋に残るように。特にアラタにも関係のある事だからな」
「――はっ、承知しました」
この時点で自分に面倒事をさせる気マンマンなのだと気づいていたが、ここで部屋を出る選択は無かった。流石に王に残れと言われてそれを無視して出て行くほど考え無しでは無く、諦め半分にアンナを連れて、隅に控えていた。アンナもアラタの心を感じ取ったのか、不安そうにしていたが、ここまで来るとどうにもならない。
「では改めて発表しよう。まずは現在のドナウの情勢を鑑み、婚姻外交によるユゴスとレゴスとの関係強化を図ろうと考えている。ホランドを撃退したものの、彼の国は未だに強国を名乗れるだけの力を持つ。ここは遠交近攻の原理から東の二国のどちらかから姫をエーリッヒの妻に迎え入れようと思う」
「良き考えかと私も思います。先のホランドとの戦いでは、二国と協調できましたので、さらなる関係強化を見込めるはずでございます。どちらかとなると、まだ正式にお決めになられないのですか?」
真っ先にカリウスの政略に反応したのは外務長官のハンスだった。先日の御前会議でも二国との関係強化は外交の基本方針だった。幾つかの手を考えていたが、ここにきて王自ら援護してくれるとは思わず、手柄を増やせそうだと内心小躍りしていた。
「それはそなた等外務の仕事だ。二国のどちらがドナウの国益になるかをじっくりと吟味して、余に上奏せよ。エーリッヒも良いな、これはドナウの国益が絡む話だ。拒否は許さぬ」
「存じております。王子に生まれた以上、覚悟しておりました」
以前エーリッヒもアラタに語っていたが、王族に恋愛結婚など無縁の話だ。国の利益を最大限考えて生きる為には、己の欲など有りはしないのだ。この事実は、つい先ほどの結婚と対照的で、どこまでいってもアラタが平民の生まれだと認識を強める結果になったのだ。
エーリッヒの返事に満足そうに頷くと、今度はマリアの話に移った。
「最後はマリアの婚姻についてだ。ホランドの事もあり、婚姻を一時棚上げしていたが、いい加減嫁に出さねば行き遅れになってしまうのでな。こちらも相手を既に決めた」
「何と目出度い事ですな。して、お相手は?やはり外国に嫁がせるのでしょうか?」
「最初はそう考えていたのだがな、最近になって相応しい男が見つかったので、国内の者に嫁がせることにした」
謁見の間がどよめきに包まれ、閣僚達は互いに顔を見合わせ、王が見ているのにも関わらず、ひそひそとその場で話し始めたが、アスマンに咳ばらいをされて、ピタリと止める。
国内ともなれば大領を有する貴族か、閣僚の子息が妥当な人選になる。この中の誰かが王家と親族になれば、極めて大きな利益が見込めるのは言わずとも分かる。
ごくりと唾を飲む音が部屋に響き、王の発言を全員が待ち続けた。この時点でアラタの危機感は最大の警鐘を鳴らしているのだが、逃げ出す事すら敵わず、全てを諦め目を閉じてしまった。
「アラタ=レオーネに我が娘マリアを嫁がせる。異論は聞かぬぞ」
「「「「「はあ?」」」」」
キリが良いので本日はここまでです。結婚報告しにきたら、別の女と結婚しろなんて誰も読めません。アラタは何となく嫌な予感がしていた程度です。ヤンデレアンナちゃんは一体どうするのでしょうか。
それではお読みいただきありがとうございました。




