第四十三話 結婚騒動
今回は自分で書いておきながら胸焼けが酷かったです。
装飾職人に指輪の制作を依頼してから十日が経ち、予定通り仕上がった指輪を持ってアラタは早速アンナに会いに来ていた。
この時ばかりはアラタも柄にもなく緊張しており、朝から落ち着かない事をエリィにからかわれていた。それに腹が立ったアラタが珍しく拳骨を頭に落とすと、余りの痛さに悶絶して暫く蹲っていた。流石にこれには同じ使用人も誰も同情せず、当然の報いだとエリィを冷ややかな目で見ていた。
そんな珍事もあったわけだが、王都に帰還して何度目かのベッカー邸への訪問は特別問題も無かった。頻繁に訪ねている所為か、既にアラタは半分身内扱いされており、リザからは自分の家の様に思っていいとまで気を許されるほどだった。
最近のアンナは身体の調子も良く、時折アラタと街の外に竜に乗って相乗りすることもある。アラタの教えた体操で体力が少しづつ付いてきており、外出できる頻度が増えているらしい。
今日も体の調子が良いらしく、アラタが街の外に誘うと喜んで付いてきてくれた。一緒に来ていたヨハンを先に城に返すと、去り際に激励を受け、苦笑しながらも応えておいた。
街の外は色取り取りの春の花が咲き誇る、美しい風景が広がり見る者を楽しませた。さらには収穫を直前に控えた麦が黄金色に輝き、まるで風に揺られた黄金の絨毯のように光輝いており、アンナはその美しさに目を奪われていた。
幼い頃から体が弱く、街の外にも滅多に出歩けないので、このような一面の麦畑を見るのは数えるほどしか無いらしい。そんな麦畑を横切りながら、王都を一望できる小高い丘で休憩の為に竜を止めた。
二人は竜から降りると一緒に花畑に寝そべり、目の覚めるような青空を見上げた。夏にはまだ遠いが、青々と生い茂る草の臭いと花の香りに包まれ、全身で春の暖かさを感じていた。
アンナはいつものアラタと少し違う雰囲気を感じ取りながらも、何も聞かずに黙って寄り添いながら、この自然の息吹を楽しんでいた。彼と出会って一年が過ぎたが、一年前の自分は今の自分を想像できただろうか?好きな相手とゆったりと時間を過ごし、他愛も無い話に花を咲かせ、その逞しい腕に抱かれて眠り、至福の時間を共有する。
体の弱い自分には同年代の娘が次々嫁いでいくのを見守るしかなかった。仮に嫁いだところで、世継ぎを産めるか分からない自分では役目を果たせず、夫になる人が別の女性との間に子を成すのを黙って見ているしかない。そうなるぐらいなら、そのまま家に居て良いと言ってくれた両親や祖父母には感謝のしようもない。
一生何も残せず、ただ無為に過ぎ去る時を感じるだけの人生に色を与えてくれた、隣の青年には家族と同じ――否、それ以上の感謝の心を抱いているが、同時に何時までも自分に構わず、早く幸せを掴んで欲しいとも思っている。
けれでも、もしそうなったら自分は悲しみのあまり命を絶ってしまうかもしれない。そうなったら彼はきっと悲しむだろう、一生彼の心に影を落とし続けるだろう。
―――――嗚呼、何という甘美な光景なのだ。愛した男の心を一生を縛り続ける事が、これほど快楽的だとは知らなかった。そんな自身の狂った心を知りたくはなかったが、耐え難い快楽を抑えきれる自信も無かった。もし彼がこんな狂った女の内面を知ったら、きっと軽蔑して離れていく。それだけは避けたかった。知られて軽蔑されるぐらいなら、全てを抱え込んで命を絶つつもりだ。
そんな少女の内面など、人生最大の緊張状態にあるアラタにはこれっぽちも感じられず、どう話を切り出そうか延々と機会を伺っていた。
思考がダダ漏れのアラタに、珍しくドーラが『はよ言えよ』と怒ったような催促をして、ようやく決心がついたのだった。
「なあ、アンナ。俺と君が初めて会ってから一年が過ぎたよな」
「はい、もうそれぐらいになりますね。あの時もこんな温かい春でした。時間が過ぎるのは早いです」
何気ない会話から切り出すと、アンナもそれに続き、何気ない言葉をアラタに返す。それから一年に何があったのかゆっくりと振り返り、時に笑い、恥じらい、困った顔を浮かべ、互いをどう思っているのかを語り合った。
「俺は君が好きで、君も俺が好きだと言ってくれた」
「…はい、私も貴方が好きです。いいえ、愛しています。私の事を大切に思ってくれるのは嬉しいですが――――」
アラタ様にはもっと相応しい女性が居るのでは、そう言いたかったが、上手く口が動かず、結局は言い出せなかった。
「―――かもしれないな。けど俺は君を選ぶ。―――アンナ、俺と結婚してほしい。俺の妻になってくれないか」
最後まで言い切り、懐から布に包まれた指輪を取り出し、アンナの薬指に嵌める。この国では指輪はどの指にしても構わないのだが、アラタは地球の伝統に則り、薬指用の指輪を作らせていた。
アンナはアラタの言葉をゆっくりと咀嚼し、聞き間違いでない事を何度も自分で確認し、さらには指に収まった金属特有のひんやりとした感触が、夢でない事を理解すると、両の目に涙を溢れさせ、アラタに抱きつき泣きじゃくる。
「ああ、良かった。断られたらどうしようかと気が気じゃなかったが、思い過ごしだったな」
「ひぐっひっく、そ、そんなことある訳ないですよぉ。私こそ、貴方が私を選んでくれなかったら、悲しくて、命を諦めるつもりだったんですよ」
そんなこと考えていたのかよ、と若干困惑するアラタに構わず、アンナは泣き続けながら、子を成せるか分からない事をアラタに告げるが、
「俺には誰かに引き継がせる財産も土地も無いから、そこまで気にしないぞ。この国に来る前は戦いで命を諦めていたから、子供もそこまで執着しないし」
などと、この国の常識から完全に外れた事を言ってのけ、アンナを唖然とさせる。彼女がこれほど悩んでいた事を、どうでも良いと言い切ったに等しいが、惚れた弱みの所為か、それを好意的に受け止めていた。
落ち着いたアンナはアラタの申し出を躊躇せず受け入れ、早速報告の為にベッカー邸に戻り、まずはリザに報告すると、彼女は涙を流して喜んでくれた。
彼女はアラタが孫娘を選んでくれた事を自分の事のように喜び礼を述べると、
「これからは私の事をおばあちゃんと呼んでくれていいのよ。本当によかったわ、死ぬ前に心残りが一つ減って。今だから言うけど、アンナがこれから幸せになれるのか、ずっと気がかりだったのよ。レ…アラタさん、これからこの子をお願いね」
手を握り、しきりに頭を下げるリザを宥めると、今夜はご馳走を作らないとと、言い残し使用人と厨房へと向かった。残された二人は夕食まで甘い時間を存分に過ごす事になった。
その頃にはミハエルも帰って来ており、アラタとアンナがべったりなので嫌な予感がしていたが、リザが厨房で宴の指示している事を知って、全てを悟り号泣した。
その後、やけ酒に絡み酒でアラタに絡んできたが、蒸留酒をしこたま飲ませて酔い潰して、早々に寝室に放り込んでおいた。
リザもミハエルの介抱に早々に引っ込むと、若い二人も部屋に戻り、甘いひとときを楽しむのだった。
「ずっとお傍に居てくださいね、旦那さま」
ヤンデレアンナちゃん爆誕。軽い執着のつもりで書いたら想像より重かった。どうしてこうなったし。本当はもう少し長かったのですがお腹いっぱいなので次回に回します。
それではお読みいただきありがとうございました。




