第三十九話 王の杯その二
ドナウ軍は炎の収まったその日の内に翼竜の伝令で王政府に勝利を知らせると、王都中がお祭り騒ぎになり、一足遅く帰還する軍を今か今かと待ちわびていた。
王都へと凱旋した直轄軍一万二千は、建国以来の大勝利に沸き立つ民衆に熱狂的に迎え入れられ、一年もの苦労が報われる思いだった。
表通りは帰還した栄えある兵士達の姿を一目見ようと押し掛けた民衆によってごった返し、その声援に兵士達は酔いしれた。特に女性の中には率先して兵にアプローチを掛ける者も多く、独り身の多い兵士達は揃って鼻の下を伸ばしていた。強制的に禁欲生活を強いられていた反動で色々と溜まっている者もいるので、ここ暫くは歓楽街はひっきりなしに客が入り、閑古鳥の鳴いていた店側も嬉しい悲鳴を上げる事になるだろう。
街中に祝いの花びらが舞い、拍手が巻き起こり、強大なホランド軍を叩き返したドナウ軍を民衆は褒め称え、これからは蹂躙される事を恐れず眠れる事を喜び合った。
日中の凱旋パレードが終わると、今度は街のあちらこちらで戦勝パーティが開かれ、鎧を着た兵士達は引っ張りだこの人気者だった。彼等は次々と酒を注がれ、引っ切り無しに武勇伝やホランド騎兵の事を聞きたがったが、戦の真相を聞くと拍子抜けする者が殆どだった。さぞ激戦を潜り抜けた勇士たちだと勝手に想像していた所に、穴を掘って敵兵に油樽を投げつけて焼き殺したと言われたら、そうなるだろう。
しかしながら、その準備に一年を掛けたと聞くと、実際にホランド兵を追い散らした感謝もあり、その苦労を労った。
城でも祝賀会が開かれ、こちらには主に士官が招かれていた。アラタもその中の一人であり、暫く振りにあった近しい者達に無事に帰って来た事を祝われた。特にエリィには抱きつかれて、散々に心配したと泣き喚かれてしまい、それを宥めるのに四苦八苦したほどだ。
「そう泣くな、俺はちゃんと帰って来たんだ。そういう時は笑って出迎えてくれる方がずっと嬉しい」
「うぐぅ、うぐぅ、勝手なこといわないでよぉ。ほんとに心配したんだからね!――――でもちゃんと帰って来てくれてありがとう」
涙で目を腫らしながらも、ようやく微笑んでくれたエリィの頭を優しく撫でて落ち着かせると、他の使用人に混じって仕事に戻っていった。
城に護衛で残っていた近衛騎士の面々にも、無事に帰って来た事を安堵され、また指導をして欲しいと頼まれたり、ホランド騎兵の反応を聞きたがった。流石に警護があるので長々と話す事は出来なかったが、気前良く了承すると、上機嫌で勤めに戻っていった。
その中にはウォラフも入っており、今度家に招待したいとお誘いがあったので、それにも淀みなく受けておいた。後で分かった事だが、妻と一歳になる息子を自慢したかったらしい。
そして、王家の四人も揃ってアラタの顔を見て安堵の息をつき、玉座に座るカリウス以外の子供三人は気さくにアラタに話しかけていた。
勿論、士官はそれなりの数が居るのでアラタだけに付きっ切りではないのだが、軍の中で一番接点があるのがアラタなので、必然的に話が長くなる。特に一番年下のカールはまだまだ処世術に長けておらず、軍人に向かない性格の為、士官の中では居心地が悪いらしく、挨拶回り以外の時間はアラタにくっ付いて、戦以外の話をねだっていた。
ここでアラタがマリア王女を独り占めしていたら、幾らアラタでも相当なやっかみを買っていたが、相手が幼いカール王子だったこともあり大きな問題には至らず、何事も無く祝賀会は終わりを迎えた。
祝いの催しがひと段落した夜、アラタは寝静まった城の礼拝堂に蒸留酒を一本持ち込んでいた。そこに人の気配は無く、アラタ自身のグビッと酒を飲み下す音だけが僅かに静寂を否定していた。
(大尉が自発的にアルコールを摂取するのは初めてではないでしょうか?バイタルサインには異常は検出されていませんが、何か心境に変化でもありましたか)
(――まあな、普段から会話しているお前なら知っているだろう。この星にやって来てから色々と欲が出てきてな、以前は無駄だと思っていた飲酒にもそれなりに興味が湧いてきた。こういった無駄を楽しむのも生きるという事だ)
アラタは酒瓶を呷りながらV-3Eのキャノピーに腰かける。夜の礼拝堂は照明も無く、破壊された城壁の穴から差し込む月明かり以外が無いので無明の闇に近い。
この一年、時折見回りに来る騎士や従士以外はこの場所に踏み入れる事は無く、瓦礫を最低限片付けただけで荒れ果てていた。いい加減移動させねばならないのだが、優先順位が低く適当な保管場所も無いので、今まで放置していた。
ドーラもそれに文句を言う訳も無く、城側も危険な兵器ではあるが、別の保管場所を用意出来ない事からそのまま放置する路線を取っていた。下手に人目に触れて、興味本位で扱われると何が起こるか分からない以上、手元に置いておく方がまだ安全なのだ。
実はアラタがこの礼拝堂を訪れる事は滅多に無い。神への祈りをささげる場所というのに、拭い難い嫌悪感を持っていた。この国の礼拝堂は神以外にも父祖への祈りの場なので、厳密には神だけのものではないが、それを差し引いても地球人類を滅ぼしかけ、ひいては自身を弄び、この星に放り込んだ上位存在への憎悪は希釈されていない。
確たる証拠は無くとも、地球とこれほど酷似した環境の惑星を用意し、1億年は異なる時代に存在した生命を揃え、神術などという遊び道具を気まぐれに配る存在を偶然の産物だとは思っていない。何かが介入しているのは確かなのだ。アラタにとってその存在は許し難かった。
それ故ナパームの試作品を保管する時以来、立ち寄っていないのだ。元々脳内で通信が繋がっている以上、直接触れなくとも情報交換はドナウ国内ならどこでも可能なのだ。その為アラタは機体を放置していたし、ドーラも何も言わない。
アラタはV-3Eを兵器と見なしているし、ドーラは搭乗者を補助するためだけに存在する仮想人格だ。最近妙に馴れ馴れしい態度であっても、疑似的な意志に自己主張など有る訳が無い。あれはアラタと円滑に情報交換をするための反復学習による効果でしかないのだ。
だが―――とアラタは思う。道具に愛着を持つのは悪い事ではない。それが命を預ける道具なら尚更大事にするべきだ。元は量産品の使い捨て同然の兵器だが、それなりに長い期間付き合っていれば自然と愛着も湧いてくる。
(機械である私には分かりかねますが、極めて人間らしい行動だと言えます。人間であるレオーネ大尉には相応しいでしょう)
(お前に酒は飲めないしな。――気になるなら機体下部のアンカーに接触させて、エネルギーにするか?)
(それこそ無駄と言う物ですし、何も楽しくありませんので遠慮します。大尉も周囲にアルコール依存症と誤解されない様にお気を付けを)
お前は俺の保護者のつもりかと苦情を述べたが、ドーラは取り合わなかった。
しばらく酒を飲み続けていたが、礼拝堂に続く廊下から足音と照明の灯りが見えたため、一時中断してその人物を見守る。
深夜の礼拝堂にやって来たのは、寝間着に外套を羽織った国王のカリウスだった。ドーラからの情報で、当然誰が来るかは知っていたが、少し驚いたような表情を作って出迎える。
「陛下ではありませんか、このような夜更けに大して伴を付けずにどうなさったのです?」
「それはそなたも同じだろう?こんな時間に人気のない礼拝堂で酒盛りとは。部屋の使用人に、ここだと聞いてな。偶にはこんな場所で飲むのも悪くないと思って来たのだ」
そう言って手に持っていた酒瓶を掲げて見せる。カリウスが部屋に来ていた事は知っていたが、わざわざ戻るのも怪しまれるので、そのままこの場に居続けたわけだ。
「態々、御足労頂き恐縮です。本来ならば私が出向かねばならぬ処でしたのに。ただ、ここでは座る場所すら確保できないのですが――」
「構わん、こんな夜ぐらいは王ではなく一人の男としてそなたと飲みたいと思っていた。まあ、付き合え」
そう言うと、手に持っていた酒瓶をアラタに押し付け、手を口に運ぶ動作を見せる。杯も無しに直接飲めと言いたいらしい。断る訳にはいかないので、言われた通り瓶に直接口をつけ、中身の果実酒を呷る。
そこでアラタはそのまま返すのも芸が無いと思い、果実酒をそのままに、手に持っていた蒸留酒の酒瓶をカリウスに渡して、同じようにジェスチャーで呑めと伝える。カリウスはニヤリと笑い酒瓶に口を付けると、強烈なアルコールにむせ返りそうになりながら、無理をして飲み下す。
普段酒を飲まないアラタが強い蒸留酒を飲んでいるとは思わず、同じ果実酒だと思って呷ったのだろう。むせるなどかっこが付かないとばかりに、痩せ我慢して喉を焼きながらも飲み切っていた。それをニヤリと笑いながら見ていたアラタは十分性格が悪い。
取り敢えず二人分の座る場所を確保する為に、V-3Eの囲いに使っていた板を一枚床に敷いて席を設けると、カリウスは腰を下ろしてアラタにも座れと催促する。
普段はそのような事を許さないのだろうが、他に礼拝堂に誰も居ないから出来た事だ。伴の使用人は廊下に待たせているので、話を聞かれる心配も無い。
「そなたが酒を飲まないのは知っていたが、まんまと騙された。流石はホランドを手玉に取った男だ、余も騙すとはな」
「お褒めに頂き恐悦至極でございます。今日はそういう気分だったもので。――――所でこのような所まで来るとは、内々の話でございましょうか?」
「なに、そこまで硬い話ではない。余も今日はそういう気分なのだ。―――アラタ=レオーネよ、此度の働き見事という他あるまい。全てのドナウの民に代わり礼を言わせてもらおう。王が人前で頭を下げるのは外聞が悪い以上、こういった場所のほうが都合が良いのだ。――それと、そなたの働きに報いる為に礼をしたい。何なりと望みの物を申してみよ」
信賞必罰は組織として当然の行動だが、あまり非常識な願いは聞き届けられないだろうから少々困り物だ。アラタにも欲しい物は数多くあるが、それは今後のドナウにとって必要な物で、アラタ個人が欲しい物ではない。あるいは貴族の仲間入りや、領地を欲する者もいるだろうが、それはそれでしがらみが増えて、身動きが取り辛くなるのも避けたい所だ。
どうしたものかと考えていたが、何も無いと言うのも王に失礼なので、前から考えていたが、誰に頼むかで悩んでいた事を思い切って口にする。
「――実は結婚を考えていまして。まだ相手には話していませんが、陛下に身元保障をお願いしたいのでございます。何せ私は他国の平民ですので、陛下が後ろ盾になって頂ければこれほど心強い事はありません」
「―――ほう、結婚か。相手は噂に聞くミハエルの孫娘だったな。ミハエルの奴、そなたに可愛い孫を取られて歯噛みしておったぞ。あれほど愉快な奴の姿は初めて見たわ。―――――ふむ、よかろう。今からそなたは余の義理の息子として遇しよう。なに、後見人を勤める以上、そこまでおかしくはない」
王の義理の息子とは大層な肩書きである。後見とは言え、それは行過ぎな気がしないでもないが、既に乗り気の王に水を差すのは憚られるし、酒に酔って気を良くしているのを醒ますのも無粋と考え、黙っていることにした。後にアラタはこの判断を割と後悔するのだが、それはもう少し先の話だった。
カリウスが妙にニヤついているのが気になりはしたが、アルコールが良い感じに回って酔っているからだろうと決めつけ、何も聞かなかった。
その後は、結婚を申し込む時は女に装飾品を送るのが、この国の作法だと教わり、明日にでも職人を手配しておくなどと、既婚者として色々なアドバイスをアラタに伝授していた。こうなると王には見えず、酔いの回った気の良いおっさんでしかなかった。
しかし、アラタも悪い気はせず、むしろ亡き父と酒を飲み交わす事が出来たような気がして、心にジワリと染み込む物があった。
カリウスは持ち込んだ果実酒を飲み終えると、アラタに相手が了承したら報告に来いと告げて、上機嫌で引き揚げて行き、それを見送ったアラタも、キリが良いと判断して礼拝堂から引き揚げる事にした。
ドナウとアラタの未来はそれなりに明るかった。
幼い少女と人工知能は癒しです。
それではお読みいただいてありがとうございました。




