表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の勇者と祈りの姫  作者: 卯月
37/186

第三十四話 男の息抜き



 派兵が決まれば、後はその為の準備をするだけだ。ドナウ侵攻軍の総司令となったバルトロメイは、現在王都に滞在する主だった軍の士官らと今後の方針を話し合っていた。

 指定されたドナウとの国境沿いは、足の遅い輜重隊や攻城兵器の輸送部隊に合わせて行動すると、一ヵ月はかかる。となれば指定日時の五月一日に間に合わせるには、四月一日には本国を立たねばならない。

 今日は三月一日なので、戦争の準備にはあと一ヵ月しか残されていない。本国軍を終結させるだけなら数日で済むのだが、その兵に食わせる兵糧は直ぐに集まらない。国内の商人に命じて買い付けさせるのだが、四万五千人分の食糧や三万頭の脚竜と兵糧運搬用の甲竜のエサも用意するとなると、期日までに揃わない可能性がある。

 指定された日時に間に合わないとなれば、ホランドの面子が損なわれる。日時など無視しても戦略的には大した痛手ではないのだが、特に騎兵は速さが売りの兵だ。その騎兵が遅刻したとなれば沽券にかかわる。唯でさえ足の遅い攻城兵器と一緒に行動するのだ。足の遅い兵と行動する騎兵のストレスは無視できない。

 出来れば要らぬ軋轢は避けたい所だが、物資調達の遅延を避ける良い手が浮かばない。

 どうしたものかと軍の補給担当と頭を悩ませていると、宰相のカーレルから助け舟を出される。


「ならば予定通り四月一日に出立なさいませ。足りない兵糧は、本国以降の進路上の村や都市から徴収すれば足りるでしょう。なに、断ったら根絶やしにしても構いませぬ。むしろその方が残さず食糧を根こそぎ手に入れられます。ドナウに入ってからも同様に現地調達なさいませ。どの道戦に勝てば、兵達の略奪の対象となるのです」


 その手があったかと、しきりに軍士官は頷き、妙案を授けてくれたカーレルに礼を言っていた。西方では戦勝後の兵の略奪は当然の行為だと見なされている。これはドナウも同じ認識で、勝者は敗者の民を好き勝手に出来る権利を与えられるのだ。

 それどころかホランド軍は、併合して自国民にした旧三国すら略奪対象と見ている。彼等にとって本国の民以外は奴隷に過ぎず、庇護する対象ではない。

 ドミニク王はそこまで残虐な男ではないのだが、同時に慈悲深い人間でも無い。必要以上に相手を痛めつける事を好まないが、万人を慈しむ気質でも無い。精々がホランドの民を慈しむ程度であり、新しく編入された三国の民にはその慈悲を掛ける気は無く、搾取する対象と見なして、家臣達に丸投げしているような状況であり、王が興味のない事を良い事に、カーレルを初めとした家臣達や駐留する軍が好き放題しているのが事の真相なのである。

 その為、旧三国の民の怨嗟の声は絶える事なく流れ続け、自らが育てた作物を一かけらも口にする事なく、餓死していく農民たちが後を絶たなかった。



 そんな事などお構いなしに行軍計画を立てるバルトロメイは、同時に部下に命じて、予定地となる国境のライネ川周辺に偵察兵を多数放って情報を得ようとしていた。どの程度の砦を建造するか目安程度の情報は手に入れておきたかったからだ。

 ホランドの騎兵は精強で知られ、足の速さは空を飛ぶ翼竜にも引けを取らない。普通の脚竜の半分の日数で同じ距離を駆け抜け、素早く情報を持ち帰ってくれる。ドナウとの国境までは脚竜を使っても、往復で二十日程度掛かるので今から偵察兵を派遣すれば出立まで十分情報を得る事が出来ると判断している。

 ホランド軍は攻城戦も苦手ではない。騎兵が使えなくなるのは痛いが、攻城兵器も一通り使えるので、決して不得手ではない。梯子を使った古典的手段から、竜に曳かせる破城槌、車輪付き投石器を初めとして、基本的な兵器はかつての戦争で取扱い経験があるのだ。

 戦場予定地にどのような砦が築かれているかは未知数だが、大軍を投じれば落とせぬ城など無い。これが山岳地帯に年単位を費やし築かれた堅城なら苦戦を覚悟せねばならないが、現在でもそのような情報は入っておらず、たった2~3ヶ月で建てられた城壁など物の数では無いという意見が、軍の大半を占めていた。それにはバルトロメイも同意しており、過程は兎も角、勝利は疑っていなかった。

 どちらかといえば、国境沿いに集結している軍は囮にされた二級部隊で、本隊は海路によって運ばれるのではと、みな睨んでいた。そちらはドミニク自らが当たると公言しているので、心配など微塵もしていないわけだが。

 むしろそのまま勢いを駆って王城を攻め落とす事を考えて、物資調達や行軍計画を立てる者がおり、気が早い奴だと同僚に笑われていた。

 バルトロメイ本人もそういう気が無いわけではないが、取り敢えず目の前の問題を片付けてから取り掛かるべきだと、自重していた。軍司令として王から四万五千の兵を預かるのだ。つまらないミスなど御免被る。最近唯でさえ、弟のユリウス=カトル=カドルチークと比較されているのだ。ここで失敗などしていては、王座を狙う弟に、要らぬ勢いを付けさせてしまう。

 バルトロメイは自身の軍才を高く見ていない。低いわけではないが、凡庸の域を出ないと自他ともに評価されており、弟に数段劣ると見なしている。

 それでも王太子として父から評価されているのは年齢もあるが、堅実な内政手腕を買われての事だ。時折親子で本音を話す事があるが、父は自らの代で拡張を終え、次代を内政に注視させると口にしていた。それ故、自らを後継者に据えたと、この国の未来を語りながら教えてくれた。

 後五年以内にドナウとサピンを下し、西域の覇者としての地位を確立し、隠居する。それがドミニクの描く未来なのだ。その為、次期国王の自分の実績作りとして今回のドナウとの戦いは都合が良いのだろう。軍才に乏しくとも、実績さえあれば軍や野心に溢れる弟も強くは出れない。

 バルトロメイに失敗は許されない。勝ちは揺るぎないが、それ故に失敗は許されない。偉大な父の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ。その気負いが彼を慎重にさせ、情報収集や準備を念入りにさせていた。



 だが、その慎重さを嘲笑うかのように未来は彼を選ぶ事は無かった。バルトロメイは凡庸であっても、決して無能な男ではない。それでも時代は彼を選ぶ事は無かった。

 なぜなら、彼が動き出す前から既に勝敗は決定していたからだ。 

 秀才と呼べず、凡人の域を出なかった小国ドナウの王子エーリッヒと、堅実で軍才の凡庸な男と評価された大国ホランドの王子バルトロメイ。同じ時代に生まれ、次代を担う同程度の才能を持った王子の明暗は、はっきりと別れてしまった。神ならぬ人にはそれは知る由も無く、後年の歴史学者から研究書の恰好の題材として取り扱われるのは、また別の話であった。



        □□□□□□□□□



 敵対国家のバルトロメイ王子が準備の為に奔走している頃、ドナウのエーリッヒ王子もまた、来るべき決戦の為の準備を血を吐きながらも進めていた。

 既にドナウ王政府から正式に、ホランドへ宣戦布告したと十日前に発表したため、その説明を求める来客がひっきりなしに城を訪れていた。大半は各地に派遣されている直轄領を統治している代官の使いや、国内の有力商人なので、下っ端の役人や下級官僚が対応してくれているのだが、中には地方領主自ら挨拶にやって、来て洗いざらい聞き出そうとカリウスに謁見を求めていた。

 勿論地方領主とはいえアポなしでやって来て王に会わせろなどと、暴言も良い所なのだが、仮にも領主なので位の低い者が応対したのでは無礼にあたる為、閣僚で手の空いている者や、エーリッヒが王の代理として対応していた。彼等にはこの他にも、通常業務やホランド戦に必要な書類の作成などあり、唯でさえオーバーワーク気味だったのだが、ここにきてパンク寸前の仕事量から、過労で倒れる事務官が出始め、王城のあらゆる執務室は怨嗟の声に埋め尽くされていた。

 脱落した者への慰めの言葉など有る訳が無く、倒れた者が運ばれていくと残された猛者が、決まってその背中に『この根性無しのクソッタレめ!戻ったら数倍仕事をくれてやるから覚えてろ!!』と罵詈雑言をぶつけていた。ちなみにエーリッヒ王子も仕事のし過ぎで精神がおかしくなり始めて、率先して口汚く罵倒して普段の王族然とした態度からは考えられない消耗振りを周囲に振りまいてドン引きさせていた。

 そんな過密スケジュールをこなすとなれば体力は兎も角、精神的に疲労してしまい、側女と夜伽など出来る訳も無く、随分とご無沙汰になっており、数人居る側女が何時暇を出されるのかと戦々恐々する羽目になっていた。




「そろそろエーリッヒ殿下の限界が近いから何とかしてあげたいんだけど」


「それは知っている。だが、殿下が素直に休んでくれるかが問題だ。彼は責任感が強いから、自分が休んでは政務が滞ると思いこんでいる。そこまで切迫した状況ではないんだが、周りの官僚が倒れているのを間近で見て余裕を無くしているな。無理にでも息抜きさせないと、過労で倒れるぞ」


 ホランドとの決戦まで既に一か月半となった王城で、忙しい合間を縫ってアラタとウォラフは情報交換に勤しんでいた。今回の話題はエーリッヒがその内に過労で倒れるのではと、ウォラフが切り出した事から同じく懸念していたアラタが同意する事となった。

 アラタも官僚達と顔を突き合わせる事が多いので、彼等の疲弊の具合は把握しているが、現状それを解消するアイデアが見つからず、放置しているのが実情だ。根本的に読み書き出来る者が少なく、少数に書類仕事が集中する為、仕事を肩代わりさせる事が出来ないのが最大の原因であり、それを解消するには識字率を向上させ、役人の数を増やす事が一番効果的なのだが、そんな悠長な事が出来るほど時間的余裕も無く、結果一人一人へ仕事が平時の数倍に圧し掛かってしまう訳だ。

 兎に角人手が足りず、関係の無い部署の官僚も一時的に投入してどうにか凌いでいるのだが、所詮は付け焼刃であって、根本的な解決には至っていない。

 エーリッヒもその例に洩れず、通常業務の書類と、軍への物資調達、さらには宣戦布告による国内の混乱を治める為に、王の代理として地方の貴族らとの折衝や会談という慣れない仕事を請け負っていた。


「分かっているなら話は早い。殿下をどうにかして休ませたいが、私一人では心許ない。アラタ、君も協力してくれ」


「それは良いが、どうやって休ませる?単に睡眠を取らせるだけなら、典医に睡眠薬でも貰って食事に混ぜればいい。彼の場合は精神的な疲労が大きいから、体を休めるだけでは解決にはならんぞ」


 エーリッヒが精神的に追い詰められているのは、時間的余裕の無さが大きい。人材が多ければ仕事を分担させて時間的余裕を作り、息抜きなり休養を取らせるなり出来るのだが、現状ではそれが難しい。こうなっては無理矢理手を止めさせてでも休ませねば、エーリッヒが過労で倒れてしまう。


「過労で倒れたら2~3日は使い物にならないから、いっそ半日程度休ませた方が仕事の効率は却って上がるだろうよ」


「私もそのつもりだよ。これから宰相に掛け合って今日の業務を切り上げさせる。その後は歓楽街にでも連れて行って色々息抜きさせるよ。無理にでも城から連れ出して仕事から切り離さないと」


 ウォラフの話では、時折お忍びで息抜きと称して色街に繰り出して羽目を外しているらしい。護衛としてウォラフ以外にも、若手の近衛騎士を数名同伴させていたそうだ。


「ここ半年ぐらいホランドとの戦の準備で遠ざかっていたから丁度良いよ。アラタも一緒に来ると良い」


「それは構わないが、娼館は遠慮してくれ。機嫌を損ねたくない人がいるんだ」


「大丈夫だよ、最初は酒場や遊戯場で一通り遊んでから、最後に希望者は娼館に行くのが決まりなんだ。無理強いはさせないのが殿下の方針だからね。しかし君って、結構身持ちが堅いんだね」


 意外だなーと、ウォラフにしては意地の悪い笑みを浮かべて、アラタを茶化していた。

 アラタは娼婦に偏見がある訳では無いが、現実的な問題として性病の保有者と関係を持つ危険性を回避したかった。必ずしも娼婦が性病を患っている事は無いが、一般人より可能性が高い以上、関係を持つ気は無い。アラタ自身は体内のナノマシンが抗体を絶えず造り続けているので、発病する事は無いのだが、病原菌のキャリアーになってアンナに移す事は絶対に避けたかった。

 何よりアンナ以外の女性を抱く気にはなれず、彼女に不義理な真似はしたくなかった。ウォラフには性病の事は伝えず、単にアンナに泣かれたくないと伝えると、


「そこまで操立ててるのならさっさと求婚したら?」


 などと呆れ半分に感心されてしまった。西方でここまで貞操観念のある男など滅多にいないらしい。この国ではむしろ、飲む打つ買うの三拍子は出来る男のステータスなのだ。


「お前さんだって奥さんいるだろうに。子供に泣かれるぞ」


「私は結婚してから一度も買ってないよ。結婚前なら問題無し。君は独身だからおかしいの」


 価値観の違いから、これ以上の問答は無用と判断し、さっさとエーリッヒを迎えに二人で政務室に押し掛けることにした。



 幽鬼の如く書類を捌き続けるエーリッヒに息抜きを提案するが、仕事だと一蹴されてしまったが、上司である宰相の鶴の一声で、強制的に休みを言い渡され、エーリッヒも最初は突っぱねたが、命令だとにべもなく断られた。ついでとばかりに、宰相は自分以外の事務官らにも休みを取らせて、アラタとウォラフに一緒に連れて行けと金貨の入った革袋を投げ寄越した。


「全員過労で倒れる寸前なので、今日はもう休ませる。倒れられて数日使い物にならないより、半日休ませて疲れを取った方がマシだよ。そういう訳で護衛をよろしく頼むよ二人共。私は私で今日はもう休む」


 宰相も部下達が限界だと知っていたのだろう。エーリッヒのついでに押し付ける形になるが、息抜きに楽しんでこいと全員が送り出された。



 王政府より宣戦布告が成されてから客足が遠のいて閑古鳥の鳴く店もあり、久しぶりに纏まった上客がやって来てので店側も心持ちサービスしてくれたのだ。

 歓楽街には二つの顔があり、貴族用と平民用で住み分けられた区画になる。遊戯場や酒場、娼館も客を選ぶのだ。当然お忍びなのでエーリッヒの身分は貴族の事務官になる。貴族用の区画は治安も良く、ウォラフとアラタも同様に貴族用の服を着ているので、チンピラに絡まれる事は無い。仮に絡まれたところで近衛騎士級二人が叩きのめすので、他の事務官も安心して騒いでいられた。

 遊戯場で程々に遊び、酒場で一杯引っ掛けてから、公衆浴場で汗を流す。浴場には有料で美男美女に性的なサービスが受けられる物もあり、事務官の何人かは好みの相手を見つけたので、そこで別れる事になった。



 残った面々もそのまま酒を飲む派と、娼館に突撃する派に別れて楽しむことにした。アラタとウォラフは酒を飲む方を選び、事務官の一人と飲むことになった。

 エーリッヒが娼館に行くことを選ぶと、アラタが呆れて側女は放って置いて良いのかと聞くと、


「それはそれ、これはこれ!私だって偶にはつまみ食いしたいんだ!」


 などと最低な言い訳をして残りの者を連れて、娼館に飛び込んでいった。二人は万が一の護衛なのでこのまま帰るわけにはいかず、近くの酒場で飲んで時間を潰す事になる。



 店に突撃して数時間ほどで出てきたエーリッヒと事務官は、余程楽しんだのか、目に見えてすっきりとした顔で待たせた事を三人に謝罪して、城に戻る事になった。

 仕事のストレスの吐き出しという目的は達せられたので構わないのだが、女を抱いてすっきりするなら城で側女を抱くか、使用人をつまみ食いすればいいのにとアラタは内心思っていたが、こうして男同士で馬鹿騒ぎするのが一番楽しいのだと本人が口にしていたこともあり、また付き合ってやろうと改めた。

 宰相の言葉通り事務官五人を含めた八人は王都の歓楽街で、久しぶりに心行くまで楽しんで、政務でこべり付いた心の垢を落とす事が出来き、明日からまた政務に励む事になった。



 ホランドは悪の巣窟ではありません。むしろ自国の民には非常に情の厚い国です。

 現実の国には進軍上の自国民ですら略奪対象にする国もあります。それと比較すれば、自国内で略奪しないだけ紳士的でしょう。

 ではお読みいただきありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング もしよければクリックしてください
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ