第三十三話 宣戦布告
ようやく敵役を出す事が出来ました。これで相手のいる戦争を書けます。
ドナウ王国特使エドガー=シュターデは舞台演劇に使われる、表情の無い仮面のような面持ちで、このホランド王城の廊下を案内されていた。しかし、その外見とは裏腹に、内面はまるで屠殺場で次の解体を待つ家畜か、処刑場に連れてこられて斬首刑を受ける罪人の様な、諦観と恐怖に埋め尽くされていた。
彼がこの特使を請け負ったのは一ヵ月も前、王自らが外務官僚として長年の忠勤を買われての抜擢と、外務長官からの説明だったが、何のことは無い。単に生贄を一人差し出しただけの事だ。自身が抱える箱の中にはドナウ王よりホランド王への親書が収められている。否、親書などと生易しい物ではない。
この書状はホランドへの宣戦布告の文なのだ。それと同時にエドガーへの死刑執行の書類になるかもしれないのだ。自らの死刑執行の書類を処刑人に渡すなど、どんな喜劇でも聞いた事の無い笑い話だ。これがその当人で無ければ他人事と失笑して済ますところだが、残念な事にこれは喜劇ではなく現実で、同時に自身に直接関わっている事だ。
既に家族とは別れを済ませている。妻やまだ幼い子供達と時間の許す限り側に居て、精一杯今まで愛していたと伝えてある。妻と一番上の子は、これから何があるのかを察して、涙を流して行かないで欲しいと懇願していたが、そうなれば残されるお前たちが苦労するのだと懇々と説明すると、感情面は兎も角、理性では納得してくれた。彼等も貴族、家を守る打算が無くては務まらない。
下の子達は帰ってきたらお土産が欲しいと無邪気にねだっていたが、何も言えず、黙って抱きしめるしかなかった。『父様苦しい』そう言って離れようとするが、今生の別れと思うと、腕が子に繋がってしまったのではないかと錯覚するほど離せなかった。
既に遺言状はしたためられ、外務長官に預けてきた。これで家族が路頭に迷う事は無い。お前の父は命惜しさに勅命を捨てて逃げたのだと石を投げられる事も無いのだ。残りの生涯に悔いは無いとは言えないが、最早自分では運命を切り開けない事を理解して、与えられた役割を完璧にこなす他ない。
ただ、それでも命を失う恐怖が消える事は無く、貴族としての矜持が無ければ、みっともなく失禁して泣き喚きたい衝動を抑えられないほど追い詰められていた。
しかしドミニク王との謁見は目の前に迫っており、案内役の使用人が扉を開ければそこは謁見の間、もう逃げ出せない以上は腹を括るしかないと覚悟を決め、せめてドナウ貴族として恥ずかしくない姿を見せるのだと、己を奮い立たせた。
謁見の間には玉座に座るドミニク=アラン=カドルチークを初め、王太子であるバルトロメイ=ホーン=カドルチーク、宰相のカーレル=メテルカが控え、衛兵がずらりと壁際に並んでいる。
エドガーは玉座の前で跪き、頭を垂れる。
「よくぞ参った特使エドガー=シュターデ。此度は遠路はるばるドナウ王陛下の親書を携えて来たと聞いている。きっと良い事が書かれているのであろうな?」
「さてはて、それは親書を御読みいただかねば、判断がつきませぬ」
最初に口を開いたのは宰相であるカーレル=メテルカだった。まるで猫が捕らえた獲物を遊びでいたぶるような視線でエドガーを見据える。既に老人の域に達する年齢だが、嗜虐心に溢れる性根は老いる事なく健在らしい。
「ふむ、特使である以上知らない訳では無いかだろうから、あまり口にしたくないのかね?まあ、それなら何も聞かずに親書を見れば早いだろう。特使殿、親書を受け取らせて頂くよ」
カーレルの嗜虐的な好みに共感しない王太子のバルトロメイが、宰相を無視してエドガーの前に立つ。跪いた体勢のまま、エドガーは脇に抱えた小箱を両手で恭しくバルトロメイに差し出すと、彼も何も言わずに箱の中から親書を取り出す。
獲物を横取りされたと思ったカーレルは顔には出さなかったが、バルトロメイに不満を抱きつつも、次の機会があると思い、その時を待つ。
箱の中から出された羊皮紙の書状は、きつく封蝋で固めてあり、そこには鷹の国璽が使われている。まぎれもなくドナウ王家の国璽だ。それを開く事なく、そのまま父である国王へと渡す。幾ら王太子でも、正式に国王が国王に贈った親書を最初に見るわけにはいかないのだ。
無言で受け取ったドミニクは封蝋を躊躇わずに壊し、中身を一瞥する。
しばし謁見の間を沈黙が支配するが、じっくりと熟読した後、二枚目の羊皮紙を見据えた後、ようやく重い口を開く。
「特使エドガー=シュターデ、この親書の内容をそなたは理解しているか?」
その重厚かつ凄みを持った低音声に失神しそうになりながらも、エドガーは己を奮い立たせ、質問に答える。
「無論でございます。我が陛下より、一字一句違わずに書かれた文を聞かされております」
「陛下、親書には何と書かれておるのです?」
ドミニクは息子であるバルトロメイの言葉に、無言で親書を押し付けて、態度を以って返答する。
「拝見いたします―――――――――成程、そういうことですか」
「バルトロメイ、宰相にもそなたが教えてやれ」
「では、失礼します。ドナウ王国国王カリウス=オットー=ブランシュがホランド王国国王ドミニク=アラン=カドルチークに返答する。先年、貴殿が我がドナウ王国を支配下に置く提案を持ちかけたが、これを正式に断らせて頂く。そしてアルニア、リトニア、プラニアを私欲の為に滅ぼしたる、紛れもなき悪であるホランド王国を神に代わり懲罰する。我らドナウ王国軍一万を以ってフィルモ歴493年5月1日、ホランド歴374年5月1日、両国の国境沿いに布陣するので軍勢を差し向けられよ。詳細な場所は地図を配布する故、見られたし―――――宣戦布告ですね」
ざわりと謁見の間が騒がしくなり、バルトロメイの持つ親書とそれを持ち込んだドナウ王国のエドガーに、視線が突き刺さる。エドガーからすれば針の筵だが、これが激高した衛兵の剣でないだけ遥かにマシだと、どこか他人事の様に受け止めていた。緊張や諦観が一周回って却って客観的に物事を受け止める事が出来るようになったらしい。
(どうせここまで来たら逃げ出せる訳が無いのだ、精々誇らしく貴族として生きてやる)
「地図には―――ドナウ東の国境の河の側ですか。それと――『怖いなら逃げても良いぞ』…露骨ですな」
読み上げているバルトロメイは冷静に何か考えてるようだが、他の者はそうはいかず、側に控えている貴族の中には『何と無礼な』と憤慨している。ドナウ人のエドガーからすれば、上から目線で併合してやると言ってのけたホランドこそ無礼千万と言ってやりたかったが、今更それを口にしたところで無駄だと悟っている。
「ドナウの主張は理解した。特使よ、儂はこれより返礼の親書を認めねばならぬ。今宵は我が城で休まれよ。大義であった、下がって良い」
「ははっ!ではこれにて失礼いたす」
背中に殺意と敵意、嗜虐的視線を受けながらエドガーは敵地を脱した。その姿を見送ったホランドの面々は一様に騒ぎ立て、ドナウ討つべしと気炎を上げていたが、それをドミニクが諫める。
「落ち着かんか。貴様らとてドナウがこれまでの三国と同様、素直に国を明け渡すと思ってはいまい。あちらから宣戦布告は予想外だったが、やる事は変わらぬ。ちがうか?」
「その通りでございます。ドナウが戦いで雌雄を決したいと言うのなら、付き合ってやるのも王者の務めでございます。その結果が無残な最期だとしても、彼等には本望でしょう。くくくっ」
カーレルが貴族とは思えぬ下卑た笑みを浮かべ、自らの望む未来を夢見ていた。彼は自らの嗜虐心を満たす為ならば、他国人など何万人死んだ所で構わないのだろう。
そんな宰相の悦に入る様を、バルトロメイを初めとした貴族たちは辟易しながら、遠巻きに無視して今後の方針を話し合っている。
「戦端を開くの構いませんが、日時と場所を指定しているのは妙な話ですな。何か特別な場所や日時なのだろうか?ドナウ人ではない私には思い当たる節が無いんだが―――フバーレク将軍、この場所に何か心当たりはありますか?例えば砦があるとか」
バルトロメイは有力な将軍の一人であるミラン=フバーレクに地図を渡して意見を求める。渡された地図に付けられた赤い印から記憶を引っ張り出し、
「ふむ――――ここは特別地形に特徴があったと記憶にありません。河が近い事と、離れた場所に幾らか森がある事以外は唯の平原だったと記憶しています。砦や関所も無かったはずです。今から砦を建造している可能性はありますが、平原に砦を築いても立て籠もったのが一万ではたかが知れています。戦力の鉄則として攻城兵器を用いて三倍で攻めれば落とせるでしょう」
「となると砦すら造っていない可能性もあるわけだ。そうなったら騎兵で踏みつぶせるから楽なんだが――――これ囮の可能性ってあるかもしれないな。主力をホランド国内から引きずり出して、北の海路で兵を運んで、王都を強襲するとか。確かドナウは海軍に力を入れている。我々の領土を飛び越えて東のユゴスと交易している以上、人間を運べない事は無い」
「有り得ますな。ドナウの兵は地方軍や海軍を含めれば二万近くになります。ありったけかき集めて囮に一万、残りの一万でこの王都を強襲すれば、あるいはと考えているのかも知れません」
こうなってくると戦場を指定しても、予備戦力を投入して奇襲をかけてくる可能性も考慮せねばならず、護る場所の大きいホランドはどこに防衛戦力を割くかで頭を悩ませる事となる。
さらに彼等が頭を悩ませるのが、東のユゴスが国境沿いに兵力を集めていると言う情報だ。つい最近、ホランドとの国境沿いに、五千程が配備されたと守備隊から連絡があり、増援を送る事を決定したばかりなのだ。幸いドナウと違って、進路上にかつて滅ぼした三つの国がある訳では無いので、五日もあれば援軍を送れる距離なのが幸いなのだが。
ユゴスが国境沿いに兵を配置しても、長年争っている南のレゴスとの国境沿いの兵まで摘出する訳が無く、ホランドからすれば、あくまで少数の兵なのだが、それでも五千は無視できない数だ。
この謁見の間に居る物の中には、どうにも今回の宣戦布告が出来過ぎたタイミングで届けられている気がすると内心感じていた。ドナウとユゴスの友好関係を考えれば、連動してこのホランドに攻め入るのではと、結び付けてしまう。
どうにも話が煮詰まってきた所で、パンパンと手を叩いて注意を向ける者が現れた。今まで成り行きを見守っていた宰相のカーレルが、見かねて一時的に話を中断させた。
「皆さん、議論に熱が入りすぎています。ドナウの出方が読めないのは仕方がありませんが、大切な事を忘れています。我々は兵力で圧倒しているのですから、ある程度軍を分けても、防衛にも侵攻にも支障はありません。
この本国には四万の騎竜兵と三万の歩兵、それから各地に三万の混成軍が駐留しています。ドナウとユゴスはどれだけ合わせても四万の兵を超えることはありません。ドナウは宣言通り一万を囮に国に残して、残りで攻め入っても一万です。
ユゴスは宿敵レゴスへの警戒から主力は動かせません。頑張って摘出しても同じく一万でしょう。合わせて二万でしたら、こちらは二万五千を本国の防衛に残して、残りの四万五千でドナウに向かえばいいのです。
サピンはあまり情報が入ってきませんが、未だにお家騒動から混乱が収まっていないので、旧プラニアに駐留している部隊に警戒だけはさせておきましょう。我々は強者です、小細工や下手な知恵など労せずとも、正面から粉砕すればよいのです。そうでしょう、陛下?」
この宰相の方針に水を打った様な静けさが謁見の間に浸透し、先ほどまでの熱の入った議論を重ねた面々の顔から、熱がすっかり抜けてしまった。
成り行きを見守っていたドミニクも、これには感心したようで、薄い笑みを浮かべ、宰相を称賛する。
普段は嗜虐趣味にふける変態ジジイと影で罵られているが、掛け値なしで有能と呼べる人材なのだ。それはこの場にいる全員が認めており、誰もカーレルを侮ったりはしない。過去に彼を侮った者は皆、非業の死を遂げており、この国で絶対に怒らせてはいけない人物の一人として恐れられていた。
「そのとおりだ。ドナウがどれだけ小細工を弄しても、精鋭たる我が兵が正面より粉砕してくれる。よしんば奴らが全軍で国内に攻め入っても、ここは我らの庭だ。平原で我ら騎兵が負けるはずもない。数で劣っていようが、他国の弱兵など儂自らが出陣し、粉砕してくれるわ」
そしてこの王も武辺に頼るきらいはあるが、間違いなく傑物と言え、この男に着いて行けば万事丸く収まるという、安心感を人に与えてしまう。彼が居なければホランドはこれほど強大な国家にはならなかったはずだ。
君主の能力が専制君主国家に与える割合は極めて大きい。それは最終的な判断が君主に委ねられるからだ。それ故暴君や暗君であれば、圧倒的速さを以って国家を傾けてしまうのだが、名君であれば正反対の結果を生み出す事になる。王を容易に排除できない弱点と、改革や非常事の判断の速さは、古今東西あらゆる国家で議論されて来た問題で、どの統治形態が優れているのか、数千年以上議論されて来た。優れた君主を得た専制国家は極めて幸運であり、強い国家となる。ホランドもその例に洩れず、ドミニクという傑物が王座に就いて二十年、ホランドは快進撃を続け、国土を四倍に増やし、本土の国民を富ませてきた。その結果だけ見れば間違いなくドミニクは優れた王と言える。王の責務とは国民の身の安全を保障し、食わせる事が全てだからだ。
その王が、自ら竜に跨り先陣を切ると言っているのだ。彼の勝利を疑う者などホランドには一人も居ない。
息子の一人であり王太子のバルトロメイが宰相の意見を汲み取り、軍の編成の許可をドミニクに仰ぐ。
「ではドナウへの出陣は騎竜兵三万に歩兵一万五千の、計四万五千でよろしいでしょうか?」
「よかろう。そして全軍の指揮はバルトロメイ、そなたに任せる。ドナウ軍を撃破して余力があれば、そのまま王都を攻め落としても構わんぞ。判断は全てお前に任せる、気張れよ息子よ」
「はっ!!一命をもちまして、陛下の、そして父のご期待に応えて見せます!」
優れた武人であり、王としての器量も申し分ないドミニクは父として息子を信頼しており、息子も父の信頼に命を賭けて応えようとしていた。
この日、ホランドとドナウが戦を決意した。これが千年の後の世まで語り継がれる西方地域の大帝国、ドナウ帝国の飛躍の第一歩となる戦いになるのだった。
ホランドは決して無能ではないのですが、情報戦で負けているのと後手に回っているのが大きな失点です。兵の数は絶対なので慢心も仕方が無いですが、彼等には割と致命傷です。
ではお読みいただきありがとうございました。




