第三十二話 貧民街の主
宣戦布告の特使が旅立って半月が経った頃、アラタは貴重な休みをアンナの膝で過ごしていた。彼女と関係を持ってから、時折こうして膝を貸してもらっている。最初はお互い恥ずかしかったが、何度かしているとアラタはその膝の心地よさを、アンナは愛した男を独り占めし、独占欲を存分に満たして、恍惚とした笑みを浮かべていた。
「随分お疲れの様ですね。ご公務が大変なのは分かりますが、ご自愛ください」
「ん、気を遣わせて済まん。あと少しで取り敢えずのキリは付くから、それまでの事だ。アンナこそ最近は身体の調子はどうなんだ?身体が弱いのは知っているが…その、俺が無理をさせ過ぎているかも知れない」
暗に性行為で負担を掛けているのではと、アラタが気遣いを見せる。ただ、それはそれとして、愛した女の身体を余す所無く味わいたいと言う、雄の本能を我慢するのは難しいのだが。
アンナは少し困った様子で膝の上の、ドナウ人に比べ彫りの浅いアラタの容貌を、愛おしそうに撫でる。最近分かった事だが、アンナは膝枕をしている時のアラタの顔を、そっと撫でるのが好みなのだ。ドナウでは珍しい黒髪も最初に会った頃より随分伸びてきて、よく触り心地を確かめるように手で梳いている。
そろそろ髪を切らないと、アンナに髪を弄られながら夢うつつにぼんやりと考えていた。地球統合軍の服務規程には、短髪は必須だと決まっておらず、どんな髪型でも構わないのだが、アラタは士官学校時代から短髪を好んでいた。理由は大した事は無く、手入れが楽だからだ。
統一政府とは言え多国籍軍である統合軍には、様々な宗教や土着の民族の風習を頑なに守ろうとする者も多く、女性軍人も多い事から、服務規定が若干緩い。その為、奇抜な髪型や髪染めをする者も一定数見受けられ、軍服以外は極めて混沌とした集団に見られていた。それでも感情抑制剤や精神教育によって、風紀の乱れや規律の緩みは皆無だった。
それはライブとの戦果だけが重要であり、勤務態度による査定など一切考慮しないという明確な回答も兼ねていたのだ。アメリカ育ちのアラタには先祖代々から続く風習など存在しないので関係の無い話だが、人類の存続が掛かっているのに、そんな事にこだわりを見せる人類の業には非合理性を感じずにはいられない。
ちなみにドナウの風習では男も女も長髪が一般的で、男は髭を蓄えてこそ一人前という認識だ。その常識から言えば髭を完全に剃っているアラタは一人前ではないのだ。そこそこ濃い髭を毎日剃っているのを使用人を始め不審に思っていたが、そういう習慣なのだと皆、流していた。
「ふふ、そんな事を気にしていたんですか。確かに貴方に抱かれるのは大変ですけど、それ以上に一つになれるのがこの上なく幸せなのですよ。それに最近はどうしてか身体の調子がとても良いんです。もしかしたらアラタ様に元気を分けて頂いてるのかも知れません」
そう少し恥ずかしそうに微笑む。確かに色々とアンナの体内に出している物もあるが、面と向かって言われると、流石にアラタでも気恥ずかしい。それが本当なら案外精神的な要因が大きいのかも知れない。
「ならもう少し体力を付ける方法を試してみるか?」
「え、今からするんですか?まだお昼ですよ。けど、アラタ様がそう言うなら―――」
顔を紅潮させ、恥ずかしそうにしつつも、何だかんだで嬉しそうに体をくねらせる。すっかり色惚けてしまったアンナに水を差すようで可哀想だが、膝から起き上がって違うと告げる。
「昼間から爛れた行為というのも興味が無いわけじゃないが違う。効率的に体力を付ける運動方法を試してみないかと言ってるんだ」
「へっ?あ、そ、そうですよね!あらやだ、私ったらはしたない。でも私に出来る物なのですか?」
「大丈夫だ、病気がちな子供や老人にも推奨される運動方法だからな。毎日欠かさず行えば効果がある」
二十世紀日本で生まれたラジオ体操は、六百年の時の流れに乗って全世界に広まり、年齢や人種を問わず愛好されていた。当然アラタの住んでいたアメリカにも普及していた。一部の人間から共産主義的だと時代錯誤な批判を受けていたが、数百年前に絶滅した思想など、今更引っ張り出しても誰も取り合わず、ラジオが過去の遺物になった二十六世紀にも、名称は変わらず残っていた。
「じゃあ早速やってみるか。室内でも出来るから、今ここでやってみよう。俺の動きを真似してみてくれ」
「は、はい!よろしくお願いします」
「まずは両手を高く挙げる――――」
想像していた物と違うが、自分の事を考えてくれるアラタに好感を抱きつつ、彼に倣って身体を動かし始める。
今はアンナ一人だけだが、アラタが教えたラジオ体操が美容と健康に良いと、貴族の婦人の間に俄かに流行し出すのは、もうしばらく先の話だった。
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アンナとの逢瀬を楽しみ、精神的にリフレッシュしたアラタは忙しい日々の合間を縫って、王都の貧民街を一人で歩いていた。数万人が暮らす大都市となると低所得者は一定数いるわけで、平民が暮らす下町とは別の場所に纏まって暮らしていた。
丁度街の外壁の側になり、あまり日が当たらずジメジメとした雰囲気が漂っている。こうした人気の無い場所ゆえ、貧民や脛に傷を持つ者が居を構えるには好都合で、興味本位でやって来る者や取り締まる治安維持の兵を締め出しているのだ。王政府も自らの膝元でこのような集落が形成されるのを黙って見ている訳が無いのだが、低賃金で汚れ仕事をさせる者の存在が、黙認という形で認めざるを得なかった。
この国でも汚物処理や、死体の処理、または売春は好まれる仕事ではない。そうした必要ではあっても、率先してやりたがらない仕事を請け負う者が居なくなっては集団は成り立たない。彼等貧民はそうした、蔑まれながらも必要とされる職に就く者が大半で構成され、汚れ仕事で毎日の糧を得ているのだ。
その後ろめたさがあってか、あまり強い事を言う事が出来ないのを良い事に、犯罪者がほとほりを覚ますのに好都合だと入りこんでしまい、余計に為政者の影響から脱してしまった為、一種の隔離区域になってしまった経緯がある。
下手に手を出して、不穏分子や不満を持つ者を解き放っては一大事だと代々の王は考えて、半ば放置する方針を執り続けてきた。その結果が住民達の自治化だ。彼等は王都にあって、長年に渡り王の庇護を求めず、自らの力で街を治める自治政府を作り上げてしまった。
これには王政府も頭を抱えたが、藪をつついて蛇を出すわけにはいかず、見てみぬ振りを続ける他無かった。幸い、王都の他の住民に手を出す者は少数で、自らのテリトリー内の犯罪はともかく、堅気の者に手を出す事を禁じていたため、王政府は必要悪と割り切って放置した。
王都の住民も不用意に踏み込まなければ滅多に被害に遭わないと知ると、賤職の集団と蔑みつつも存在価値を認めて、遠巻きに放置する事となった。
そんな秩序ある無法地帯に、上等な貴族服を纏った男が伴も付けずに一人でフラフラ歩いていたら、住民はどうするだろうか。
答えは一つ―――獲物が来たと喜び勇んで飛び掛かる。そして獲物に蹴り飛ばされてひっくり返る。
既に十人、アラタは角棒を持った暴漢を返り討ちにして目的も無く貧民街をうろついていた。いや、目的自体はあるのだが、その目的が一向にこちらに近づいてこないのだ。場所は既に割れているが、招待されないのに乗り込むのは礼儀に反するので、向こうから声を掛けてくるまでこうして目立つために、金目当てに寄ってくる強盗共を適当にあしらっている。
一人なのはヨハンやエリィには刺激が強すぎて、教育に悪いと思っているのと、荷物が増えると万が一に手が回らないから。その為、一人で歩いているわけだ。
強盗も殺しておらず、アラタの道の後ろで這いつくばって痛みに呻いているだけだ。正当防衛なので殺しても構わないのだが、先方に悪印象を与えたくないので、ナイフを使わず素手で対応していた。それでも骨の一本は折っているので、暫く激痛とお友達になってもらうのだが。
中には子供も金目の物を盗もうと近づいてきているが、アラタが割と力を込めた拳骨を頭に落とすと、泣きながら去って行った。何だかんだでアラタは子供に甘いのだ。
(我ながら何をしているんだろうな)
(悪漢を退治して治安維持に貢献しているのでは?)
(お前、知ってて言ってるだろ。しかし、スラムと言うのはどの国でも似たような雰囲気になるものだな。アメリカのスラムを思い出す。違いは銃声が無いのと麻薬臭さが無い事ぐらいだ)
脳内での会話なので無言だが、アラタが声を出していたら一人で会話している頭のおかしな男と思われて、余計に不気味がられていたかも知れない。そうなったら頭のおかしな貴族が一人でフラフラしていると見られて、却って厄介事だと見なして獲物とすら思われなかったのかもしれない。
勿論そのような些細なミスを犯すほど間抜けでは無いので、歩く先々で手厚い歓迎を受けているわけだが、さらに人数が増えて折った骨が二十を数えようとした時、目当てと思われる人物がようやく引っ掛かった。
(二十人目で当たりかな?)
歳の頃は四十半ば、ドナウ人らしく金髪で彫りの深い顔。身長はやや小柄だが、鍛え上げた肉体はさながら皮鎧の様な威圧感を放っている。荒事に慣れた風体で、一際目を曳くのが身体の右側に欠損を抱えている所か。彼には右腕が無かった。
剣呑な雰囲気は無く、むしろ楽し気にアラタに近づき、笑みを向ける。
「やあ、貴族の兄さん。随分と派手にやってるじゃないか、ええっ。この街じゃ弱い奴が悪いのは当たり前だが、ちょっとばかし騒ぎ過ぎじゃねえかい?」
「そうだな、この街では貴族が珍しいらしいらしく、物売りがひっきりなしに商品を持ってくるから断るのに騒がしくしてしまったかもしれない。どこか落ち着いて話の出来る場所は有るかい」
言外にお前らが騒がしくしているだけだと言われ、それが何故かツボに入ったのか、ゲラゲラと品の無い哄笑を上げる。力で金を奪い取ろうとする暴漢が物売り扱いでは、面目丸つぶれである。獲物に一方的に叩きのめされて、こうも見下されれば一生嘲笑が付いて回るだろう。
「こんだけ騒ぎを起こして長居をしよってのかい?随分肝が太いじゃないか、気に入った。目的を聞かせてくれたら、好きなとこに案内してやるよ。俺の名はジャスティだ」
「俺はアラタ=レオーネだ。早速だが仕事の依頼でこの街に来た。出来るだけ街の有力者と話がしたい。欲を言えば代表に会わせてくれるなら言う事は無い」
「ほう、仕事ねえ。良いだろう、俺の上役がその代表だ。着いて来なレオーネさん」
残ったほうの左腕で手招きすると、踵を返して元来た道を歩いて戻る。その後ろをアラタは着いて行く事にした。自身の縄張りで好き勝手したアラタを面子に賭けて消す可能性も無いわけではないが、先程本人が弱い奴が悪いと、斬って捨てた事からその可能性は低いと見て、警戒度を大分下げた。
連れてこられたのは豪勢な屋敷などでは無く、貧民街の中では比較的大きいと言うだけの、あばら家と見間違えるような貧相な外観の一軒家だった。
「思っていた様な建物と違ったかい?」
「いや、外観なんぞどうでも良い。どちらかといえば中のほうが気になる」
先程から観測機器の情報が逐一送られてきているが、建物の中に二人居る内の一人の生体データが極めて危険だと警鐘を鳴らしている。
その言葉に思い至る節があったジャスティだが、流石に外からそんな事が分かるわけがないと、かぶりを振って気のせいだとアラタの言を聞き流す。
「兎に角、危険は無いから安心してくれ」
警戒心を解かせ、中へと案内する。玄関から入ると、二人の人間がそこには座っていた。部屋の奥には、あばら家に似つかわしくない大きな事務机に座っているのは、ドナウ人と少し顔つきが異なり、剃っているのか禿げ上がった三十前の若い男で、二人が入って来ても書類から目を放さず、懸命に書類にペンを走らせていた。
もう一人は部屋の隅の椅子で微動だにせず、ただ虚空を見据えていた。年の頃はアラタより五歳程年上の、短く刈り上げた黒髪褐色の女性だった。それだけなら特に気にする事は無いのだが、アラタは建物に入った瞬間、強烈な圧迫感を彼女から感じていたのだ。
ジャスティの言う通り、外からでは分からないが、中に入って直に見ると、一目瞭然の異常さだ。V-3Eから送られてくる生体データの異常さがそれを裏付け、警戒に値する対象だと見なしている。
この女、華奢な見た目とは裏腹に身体能力は常人の数倍あり、まるで猫科の猛獣が人の形をしているようなイメージを他者に植え付けており、このあばら家がある種の猛獣の檻の様だと、錯覚させる要因になっていた。
(生まれつきの怪物だな。俺じゃ絶対勝てないし、近衛騎士団長でも勝てないぞ)
(大尉の意見に同意します。この女性は身体能力もさることながら、脳波を計測しましたが極度の緊張状態にあります。恐らくはイメージトレーニングをしているのでしょう。外界に一切興味を示さず、ひたすらに脳内で自己鍛錬に勤しんでいます)
(武芸の求道者とでもいうのかね。文献でしか見た事の無い人種だ)
「あんたの客人を連れてきた。すまないレオーネさん、仕事の区切りが付かないと、こいつは書類を手放さねえ。取り敢えずそこのソファにでも座っててくれ。それから隅に居るガートには殺気を向けないでくれ。多分あんたでも死ぬ」
ジャスティの忠告に従い、同じ部屋のそれなりに質の良いソファに掛けて待つ傍ら、周囲の情報を抜き取っていた。その中には禿男の握っている書類も含まれており、アラタに情報を丸裸にされているなど夢にも思わないだろう。ただ、目の前で捌いている書類は娼館からの決済報告などで、大した事は無いのだが。精々、どの貴族や近衛騎士がどんな娼婦に入れ込んでいるかが書かれている程度の物でしかない。
娼婦から情報を引き出すなど古典的過ぎてアラタの時代では使われなくなった手法だが、この西方ではまだまだ現役のようだ。
給仕がお茶を人数分持って来ると同時に、区切りの付いた禿男が事務机から立ち上がり、アラタに向き直る。
「失礼したお客人、仕事に区切りが付かないと話に身が入らないので。申し遅れたが、私がこの街の代表のリトだ。貴方がこの街を騒がしくしていたのを知って、ジャスティを遣った。ここに連れて来たという事は、私に用があったのだろう?」
「そう言う事になる、アラタ=レオーネだ。仕事の依頼でここに連れて来てもらった。と言っても今すぐ仕事がある訳じゃない。取り敢えず、準備の為に人を集めてもらう事から始めてほしい」
「仕事の内容によるので、詳しく話を聞かせてくれ王家技術顧問殿」
「流石に知っていたか。それで仕事だが、とある場所を管理してもらいたい。この街から離れて辺境に年単位の長期滞在するのと、口が軽くない事、与えられる給金だけで満足出来る、誠実な者が前提だ」
「信用が第一という訳ですか。それだと幾らか高くつくが、予算は如何ほどに?」
アラタは懐から袋を取り出し、ごとりと目の前のテーブルに置く。それなりに重量があり、じゃらりと中身の音がする所を聞くと、金が入っているようだ。
「取り敢えずの手付としてこれを。あと肩書きを知っているのなら、俺の財布がそのまま王家に繋がっている事も知っているだろう?金の心配は無用だ」
無言でその袋を見据えるリトだったが、手を付ける事はせず、何かを探るような目つきでアラタに質問をする。
「ならばこそ解せませんね。王家の信任を得た者が、わざわざこんな貧民に仕事を持ち込むとは。人手が欲しいなら軍にでも頼むべきではないですかな?あるいは直轄領の農民に命じるとか。あまり妙な仕事はこちらの自衛の為にも受けない様にしていまして、汚れ仕事を厭いませんが、街全体を危険にさらす仕事は御免被ります」
リトは若くしてこの街の代表に上り詰めた嗅覚から、この美味しい仕事に何か裏があるのではと、疑いを持っている。目の前にいるアラタ=レオーネという若者の事も、それなりに情報は得ていたが、あくまで書類や伝聞でしか知らない。このふらりと、この国にやって来た不可解な青年が色々と動いている事は知っているのだが、相対しても腹の内がまるで見えない事に警戒心を強めている。
「まあ、警戒するのは当然だな。確かに俺は王家と繋がりはあるが、何でも好きに出来るわけではないという事だ。特に人を動かすには、それぞれの組織の長に頼まねば動いてくれない。分かるか?俺は頼むのであって、命令出来るわけじゃない。それも気乗りしない仕事をさせるには俺の立場は弱いんだ。貴方は先ほど汚れ仕事を厭わないと口にした。大いに結構、文字通り汚れ仕事をしてもらいたいからだ」
「…それは荒事や後ろ暗い仕事ではなく、言葉通り死体の処理や下水の清掃業務という意味でですか?」
「そうだ、汚物に塗れる臭い仕事だ、そして病気にもなりやすい。それ故、兵士にも嫌がられて敬遠される。ただ、場所の指定をして、口の堅い者が好ましいというだけだ。後は仕事を受けてくれたら話そう」
「―――分かりました、お受けしましょう。手付としてこのお金は頂きます」
数秒躊躇った後、結局は仕事を受ける事にした。その証拠として、アラタの出した袋を手に取りひっくり返す。中からジャラジャラと音を立てて、黄金の貨幣が次々と出てきてテーブルに光を反射した。
ざっと五十枚程度の金貨が小山を作り、横に立っていたジャスティがほう、と息を吐く。平民からすれば、数年は遊んで暮らせる金額を、前金でポンと渡すアラタの気前の良さを認めたが、それと同時に厄介な仕事になるかもしれないと気を引き締める。
「気前が良いですね、ただの汚物処理にここまで金を出すとは。口止め料という事ですか」
「そうなるな、余り公言してほしくない仕事になるだろう。それを手付として、取り敢えず半年後に五百人は集めたい。汚物処理以外の人員もいると助かるな。具体的には農民や酒造りが出来る者も欲しい。今言えるのはこれぐらいだ。可能かい?」
「この街の食い詰め物を集めるだけなら大した事はありませんよ。ここには小作農の次男三男も流れていますし、娼婦の中には田舎から売られて来た者も多いです。酒造りも、資金難に陥って店を畳んだ職人も少なからずいるので、何とかなるでしょう」
「それは良い事だ。後金の話は三か月後にでも、また顔を出した時に話す事になるが良いか?」
「それだけ時間を貰えば、こちらも仕事を形に出来ますから、異論はありません。ただ――」
少し言葉を濁し、言おうか言うまいか迷ったようだが、結局口にすることにした。
「三か月後にドナウは残ってるのですか?ホランドへ宣戦布告すると、私は情報を得ていますが。ホランドに負ければこの街も蹂躙されて無くなる―――そうなっては、この前金も無意味な物になりますよ」
「――その情報、酒場か売春宿から得たのか?」
「否定しないのですね。確かにこの話は、十日前に貴族が睦事で馴染みの娼婦に洩らしたのをまた聞きした物です。情事の後の男は口が軽くなるものですから」
我々にも経験があるでしょう?部屋の隅でぼんやりとしているガート以外の男三人は、苦笑いを浮かべてリトの言葉を肯定する。
「十日前なら問題無い。どうせあと半月以内に王政府からも、正式に宣戦布告を発するからな。それに先ほどの質問だが、勝てるから戦端を開く。俺がこの国に来てからずっと、その為の準備を進めてきた。戦争とは準備で勝敗が九割決まるからだ。貴方に頼んだ仕事は、その後の仕事だよ。じゃあ、三か月後に顔を出す」
お茶、ごちそうさま。そう言ってアラタは建物から去って行った。あばら家の持ち主である二人の男は暫く黙ったままだったが、温くなったお茶を一口含んでから、ジャスティが切り出す。
「本当に勝てるのかねえ。アルニアもリトニアも滅ぼされちまったのに」
「さてね、人に過度の期待を掛けるのは好きじゃないけど、彼は嘘はついていない様に見えたよ」
「――リトニアか。お前さんはそこの王子様だったんだよな」
王子と聞いてリトは、昔の話はよしてくれと、血を吐くような苦い否定の言葉を紡ぐ。
「もう十年も前の話だ。今更蒸し返したくない。国を捨てて逃げ出した私が王子などと、どの面下げて言えるんだ。私の国の民は今もホランドの奴隷として弄ばれている。それを救う事の出来ない王族に価値など無いさ」
二十年前に滅ぼされたアルニアを初め、十年前にはリトニア、そして五年前にはプラニアが。どの王族も悉く処刑され、血は絶えたと思われていたが、この貧民街の顔役は驚いた事に、そのうちの王族の一人らしい。
「あの兄さんは案外、知っててここに仕事を持って来たんじゃねえのかね?ただの汚物処理者が欲しければ人を使って募集すりゃ良いだけだし。滅んだ国の遺児を旗印に国を解放しようって――――」
「きっと偶然だよ。それにホランドの従属要求を跳ね除けるのにそんなもの必要ない。単なる偶然さ、そうに決まっている。そんな都合の良い話なんか転がっているものか!」
ジャスティの言葉を遮り、最後まで言わせる事なく、何度も偶然だと自身に言い聞かせるように最後は激高してまで否定して見せた。もしかしたら彼自身が一番その偶然を信じたかったのかもしれない。
「――済まん、この話はしない約束だったな」
「いや、こちらこそ怒鳴って済まない。けど、そんな有りもしない夢のような話なんて私には必要ないよ。今はこの街が私の故郷だ」
だから、もういい。かすれそうな声で弱々しく呟く。彼自身、そんな有りもしない夢を十年見続けて、心が折れてしまったのだろう。アラタと商売の話をしていた時より、ぐっと老け込んでしまい、それっきり二人は無言で天を仰いだ。
そんな二人の会話をドーラが盗み聞きしていたとは、アラタ以外は誰も知らなかった。先程まで商談をしていたリトが、亡国の王族だと知り、アラタは手札が増えたと素直に喜んだのだった。
アンナとのイチャイチャは書いてて胸焼けがしました。
そして作中最強設定のキャラが出ました。彼女は本編にはあまり出てきませんが、出ると大惨事になります(断言)
ではお読みいただきありがとうございました。




