表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空の勇者と祈りの姫  作者: 卯月
33/186

第三十話 年越しの祭り



 ドナウ王国フィルモ歴492年の最後を締めくくる年越しの宴の準備が国内全土で行われており、王の膝元である王都でも街を挙げての祭の準備が進んでいる。

 祭の主な開催場は表通りと裏通りの二つがあり、表通りは貴族や裕福な商人が主催する華やかな雰囲気の祭りで、裏通りは主に平民の職人や商店街の出資による地域密着型の賑やかな祭りに別れる。

 どちらも参加資格など無く、好きな祭りに参加できる。祝い酒や料理も無料で振る舞われ、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが深夜を超えて行われ、過ぎ去る一年を振り返りつつ、新しい一年を楽しく迎えるのだ。



 表通りは貴族が主催となる為、参加者も貴族の家の者や近衛騎士、表通りで店を出している裕福な商人の家族が多く参加する。一種の社交パーティに近い性質を帯びている。

 裏通りは平民が主体になって、各家庭から酒や料理を持ち寄っての小規模な宴会がそのまま大きくなったような、良い意味での肩肘の張らない参加者が楽しめる祭りなのが特徴だ。

 王城でも宴は開かれるのだが、こちらはむしろ慎ましく、王族だけの小さな集りで楽しむものだ。一年の終わりぐらいは公務から離れて、家族だけで過ごしたいという思いの表れなのかもしれない。

 主催者が異なる祭りなのだが、実は表は当然として裏にも王家や貴族から差し入れとして、幾ばくかの予算が供されている。身も蓋も無い言い方をすれば、人気取りの一環なのだが、平民にとっては少なくない額なので、露骨だと思っていても、非常に助かっているのも事実なのだ。幾ら有志による持ち込みがあっても、贅沢の出来ない平民にとっては参加者全員に行き渡る量の酒や料理となると、それなりの負担になるのだ。



 その性質上、参加資格の無い祭りと言っても、暗黙の了解で参加者は区別されている。貴族の多い表通りに貧しい平民が居ても、あからさまに出て行けと言われないが、白い目で見られる事は避けられず、非常に居心地が悪いので余程の事が無ければ表通りの祭りに平民は行かないし、貴族も裏通りの祭りに参加する事は無い。

 祭りの際の治安維持はどちらも軍や近衛騎士が担当しており、参加者の性質上貴族の多い表通りは近衛騎士、平民ばかりの裏通りは軍の兵士が担当している。

 治安維持と言っても酔っ払いの喧嘩の仲裁や、迷子の保護、羽目を外しすぎた若者への注意勧告など大した物ではない。時々窃盗事件などもあるようだが、表通りはともかく平民主体の裏通りでは、貴重品など碌にないので、裏通りの警備の方が楽だったりする。それどころか一緒に酒を飲んで騒いでいる兵士もいるぐらいなのだ。平和な証拠だと笑って済ますか、規律が緩んでいると憤るかは責任者の性格に寄るだろう。



 今年のドナウも例年通り年越し祭は行うのだが、治安維持の警備兵が例年よりも少ない事が小さな話題になっていた。と言うより普段でも治安維持の兵士が少ない事を不思議がっていて、以前から急に街道整備に直轄軍が大勢駆り出されているのと合わせて、何か大きな事への前触れではないかという噂もちらほらと流れていた。

 ホランドとの対外政策には緘口令が敷かれているものの、そろそろ市井に情報が流れてもおかしくない時期が来ているのかもしれない。大軍を動かすとなれば物資の動きは隠せるものでも無いので、どうしようもないのだが、可能な限り情報を遅らせる小細工はしておくべきなのだ。

 それ故、直轄軍の大半を一か所に閉じ込めて演習漬けにしたり、近衛騎士や地方軍に出張させて各地の治安維持に当たらせたり、辺境で大規模な開拓を行っているなど、偽情報を流して真相を覆い隠しもしている。

 おかげで相当四苦八苦しながら、人員を捻出して普段通りの職務を遂行しているが、現場の負担も深刻で、兵の上官も部下を宥めすかすのに苦労している。上から無茶振りをされて、下から突き上げられて、泣きを見るのは中間管理職の宿命だ。



 この年越し祭も例年通りなら半数の兵士や近衛騎士も休みを取って祭りに参加するのだが、今年は王都に残っている者全員が警備に駆り出されている。普段なら半数で事足りる警備も、兵や騎士の絶対数が半分になっているので、全員が職務に当たらねば人数を確保出来ないのだ。

 この命令に事情を知らない兵士は唯でさえ無茶なローテーションで仕事漬けなのもあり、大ブーイングで、上官に食って掛かる者もいたが、王家から特別手当が用意されていると知ると、渋々引き下がった。騎士達は城詰めなので、ある程度事情を知っており、何も言わなかったが、家族からは不満を漏らされて大変らしい。ウォラフも妻の機嫌を取るのに大変だったと周りに漏らしていた。



 そんなブラック臭溢れる労働環境が横行する王都でアラタが何をしているのかと言えば、


「では最終確認をする。祭りの会場を四つに分けて、一つの区画には二人一組で五組が警備に当たる。五組は警備本部で、いつでも応援に行けるよう待機。迷子がいたら親を探し、近くに居なければ本部まで連れてこい。こちらで面倒を見る。酔っ払いの喧嘩があれば仲裁に、言って聞かなければ腰の物を見せて脅せ。それでも駄目なら拳で言う事を聞かせろ。振る舞い酒は飲むなと言わんがほどほどにな」


 今回だけ預かった近衛騎士の従士五十人の前で、アラタは祭りの警備責任者として最終確認を行っていた。王都の治安維持兵の数が足りず、急遽騎士の家臣である従士を借り受け、エーリッヒの頼みでアラタが指揮を執っていた。酔っ払いや迷子相手の警備とはいえ人が必要で、雑多な従士を纏めるにはしがらみの無いアラタが適任だったので、押し付けられた形になる。

 既に空はオレンジに染まり、日が半分隠れて空気が冷え始めている。いつもならば帰りを急ぐ住民をちらほらと見かけるが、今日に限っては大人達が忙しく料理や酒をテーブルに並べ、子供達がそわそわとその様子を眺めている。


「それから盛りの付いた若者がお構いなしにやってたら、容赦なく蹴とばしてやれ。この寒空で風邪を引くよりマシだろうからな」


 五十人の従士がどっと笑いを漏らす。彼等にとってこの仮初の上官は、それなりに取っ付きやすい上官らしい。場を和ます冗談とも取れるが、アラタからすれば本気なのだ。従士達も笑っているが、本当にそんな者がいたら嬉々として蹴り飛ばすに違いない。この寒空で職務に励む者なら誰だってそうする。決して私怨ではない。

 アラタもこの急な仕事が無ければ、アンナとイチャイチャしていたのだ。重ねて言うが私怨は無い。

 そのアンナは表通りのパーティに出席しており、アラタが来れない事を残念がっていた。内緒だが、健康を理由に途中で早退すると言っていた。アラタのいない祭りに興味は無いらしい。


「色々と不満はあるだろうが、仕事に手は抜かないように。君たちの主人の顔に泥を塗るわけにはいかないからな。では全員、職務に励んでくれ」


 これが表通りの貴族達の祭りなら、彼らも気合を入れて職務を全うするだろうが、平民相手の警備では張り合いの無さから怠ける者が出るかもしれないので、主人の面子を出して釘を刺しておく。

 数人がぎくりと目を泳がすが、すぐに持ち場に歩き出したのでアラタ以外の者には気づかれていない。



 その場に残った待機組の十人と一緒に用意された椅子に座り、熱いお茶を啜る。質素なテーブルに椅子と警備本部とは名ばかりの佇まいだが、誰も気にしていない。祭りを指揮しているわけでもなく、貴人が居るわけでもないのだ。迷子の託児所と救護所を兼ねる場所に外面など最初から必要とされていない。


「しかし手が足りないとはいえ我々まで出張るとは。祭りを中止にしろとまで言いませんが、どうにかならなかったものか」


「そう言うな、人が居なくとも王都はいつもと変わらない。何事もない日常があるだけだ。これ以上はここでは口にするなよ」


 暗に機密に触れるから黙っていろと言われ、慌てて従士は口を手で押さえる。ここで祭りが中止になれば、何かあったと公言するようなものだ。街側から自警団を提供させるという案もあったが、それも同じだ。例年通り王国が人を出せない理由を説明する羽目になれば、どこかで情報が洩れかねない。

 特に商人は目敏く耳聡いので、戦乱の臭いを容易く嗅ぎつける。物資の動き、人員の動き、心の動き、既に嗅ぎつけている者もいるのだろうが、城の関係者が直接洩らすのは絶対に避けたい。その為、王からの公式見解はホランドへの宣戦布告と同時に国民に伝えられる。あと二ヵ月ほどだがそれまで可能な限り持たせたい。


「取り敢えず我々は黙ってお茶でも飲むだけだ。どの道仕事は向こうからやって来るぞ」


 アラタがお茶を啜ると、それに倣って従士達もお茶に口を付ける。一応酒も街側から用意されているが、アラタがお茶を飲んでいるので、誰もそちらには手を付けなかった。特別禁止はしていないし、先程の言葉にも職務に支障の無い程度なら構わないと言ってあるのだが、気まずいのか誰も手を出さない。



 そんな男共だけで十余名で茶を飲んでいると、完全に日が落ちて街の所々で篝火が焚かれ、祭りの開催を祝う歓声があちらこちらから上がり始める。


「表通りの祭りも、もう始まっているのだろうな。あちらは騎士達が警護に付いているから、そうそう問題など起きないだろうが、どちらも職務とは言え、祭りを楽しめないのは災難だ」


「全くです。城の警護もありますし、今年は誰も楽しめません。せめて住民達に楽しんでもらいましょう」


 あちらこちらで聞こえる楽し気な笑い声を聞いた従士の一人がそう洩らす。他の従士も仕方が無いか、と消極的ながらも同意したような顔で頷いていた。



 そんな笑い声を背景に茶を飲んでいると、数人の小集団が警備本部に近づいてくる。背格好から子供の集団なのは分かるが、薄暗がりでアラタ以外には顔の判別が出来ない。


「エリィ、お前達も祭りを楽しみに来たのか」


「お仕事、ご苦労様ですアラタ様。今日だけは遅くまでお城の外で遊んで良いって言われたから、皆で遊びに来たんです」


 子供の集団はエリィを初めとした王城の使用人の子供や見習いで、小遣いを貰って祭りを楽しみに来ていた。当然アラタもエリィに、少ないが小遣いを与えている。

 無料の食事や酒を目当てに来る者もいるが、子供向けの遊戯場や小演劇を見せる催しも開いており、子供も楽しめるように配慮されている。

 特にエリィは田舎育ちで、こういった催しは初めての経験で、数日前から楽しみで仕方が無かったらしい。


「あまり羽目を外しすぎないように。それから祭りと言っても夜だから危険もある。一人では行動しないよう、全員気を付けて互いに気を配るんだぞ。特に裏路地は火も焚いてないから、絶対に近づくんじゃない。もしおかしな人間が居たら、火事と叫ぶんだ。悲鳴だけだと注目が集まらないからな」


「はーい分かりました。皆様もお仕事頑張ってください。行こう」


 子供達はぺこりと頭を下げて上機嫌に駆け足で去って行った。早く祭りを楽しみたくて仕方が無いのだろう。


「子供というのはどの国の生まれでも祭りが楽しみで仕方が無いんだろうな。昔を思い出すよ」


「そうですね、この街で育った者は皆、この年越しの祭りに参加しています。私も従士になる前は、この祭りが毎年楽しみでした」


 今は楽しくないのかと、ツッコミを入れようかと思ったがアラタは止めておいた。つまらない事で場を白けさせたくないからだ。

 そうこうしている内に早速、巡回していた組が一人迷子を連れてきた。泣きはらした涙の痕が両の目に残っているが、今は落ち着いて従士に抱かれている。


「ご苦労、その子を託児所に預けて、待機組と交替してくれ。待機組は一組、交替で受け持っていた地区に向かってくれ」


「は、行ってまいります」


 子供を連れた組と入れ違いに、待機組が指定された地区に向かっていく。


「さて、何事も無ければいいのだが」


 従士に聞こえない程度の小声で一人呟く。迷子や喧嘩程度なら大して問題にならないが、どうにも厄介事がやって来そうな予感がアラタには感じられたのだ。



 その後、迷子や酒の入った者同士の喧嘩で怪我人が運び込まれたが、大事には至らず、それなりに騒がしいが平穏な時間が流れていたが、祭りの半ばに入った頃、アラタの予感が的中してしまう。

 最初の待機組が全員入れ替わって、アラタ以外の全員が程よく酒が入って酔いが回っていた頃、二人の男女が警備本部に近づいてきた。祭りの夜に男女の二人組は珍しい物ではない。実の親子かもしれないし、男女の歳の差が親子ほど離れていても、まあ良くある夫婦の組み合わせだ。女の方が若いので、後妻に貰ったと思えば納得がいく。



 二人とも地味だが上等な毛皮製の上着を纏い、男の方は帯剣をしていたのが目につく。戦闘技能者の臭いはするが、犯罪の臭いとは無縁の雰囲気だ。

 女の方も、姿勢や纏う雰囲気の良さから、どこぞの貴族令嬢ではないかと見て取れる。随所に細かい刺繍の入った白いドレスに、ウサギの毛皮のケープ、頭には銀製の羽飾りをあしらい、派手さはないが中々にオシャレをしている。

 二人は親子のような気安さも無く、男女のような甘い関係にも見えない。どちらかと言えば主人と使用人のような雇用関係があるような雰囲気を纏い、並んで歩いているように見えて、男の方が一歩引いた感情を持っているようにも見えてくる。

 これが表通りの祭りなら、護衛と令嬢の組み合わせとして相応しいのだが、ここは裏通りで平民の来る場所だ。貴族が好んで近づく場所ではない。

 夜目の利くアラタがその二人の顔を見て、嗚呼と額に手を当てる。

(嫌な予感の正体はこれか)

 他の従士達は暗がりで酔いが回っていていたので、直ぐには気づかなかったが、目の前まで来ると、流石に絶句して一気に酔いが醒めてしまった。


「皆さん、寒い中の職務、ご苦労様です」


「何故貴女がここにいるのですマリア殿下?今夜は城で家族と一緒に過ごすと聞いていたのですが」


「はい、今まで家族と一緒に過ごしていましたよ。お父様もお兄様も、疲れて先に寝てしまいましたので、ちょっと抜け出してきちゃいました」


 てへ、と可愛らしい仕草で片目を瞑って見せたが、後ろに控えている護衛の騎士がいたたまれないのが、気になって誰も目に入らなかった。

 アラタはその護衛に見覚えがあった。以前、マリアが窓から抜け出した時に後から追いかけてきた騎士だ。確か名は、ラルゴ=ホルダと言ったか。


「―――苦労していますなホルダ卿。心中お察しします」


「――もう慣れましたよ。最近は無断でなく護衛の私に言ってくれるのでマシになったほうです」


 全身に哀愁を漂わせて諦めた様に語る。この場のマリア以外の者はホルダに同情した。


「私、一度裏通りのお祭りに参加してみたかったんです。表通りのお祭りには何度か招待された事がありますけど、あまり面白くなかったもので。いつものお城の酒宴と変わらないですから」


 参加する人間が貴族主体なら、祭りだろうが城の宴だろうが大した違いは無いということか。その年の最後まで腹に一物抱えた貴族と顔を突き合わせたくないのはアラタも同意する。

 ただ、それはそれとして城から抜け出すのはやりすぎである。アラタ個人としては、とっとと帰ってもらいたいが、仮にもこの国の王女なので邪険には扱えない。


「ですからアラタは私の護衛をしてください」


「そこで、ですからという接続詞は使いませんし、私にはここで警備の責任者をしているのですが」


「勿論知ってます。ですからアラタは私と一緒に祭りの会場を回って直に警備をするんです。責任者が自分で現場を見て回ることもあると聞きました。さあ、行きましょう」


 誰だこのお転婆に余計な知恵を入れた奴は。アラタは面倒事を増やしてくれた見知らぬ誰かに悪態を吐く。周りを見渡せば、誰もがアラタと目を合わせようとせず、明後日の方に顔を逸らす。面倒事に巻き込まれたくないのだ。

 かと言ってホルダの方を見ると諦めた顔で、


「レオーネ殿、ここは私が引き継ぎますので姫様の願いを叶えてあげてください。貴方でしたら実力も不足ありません」


 アラタの事を信頼しているようにも聞こえるが、体良く仕事を押し付けられている気がしないでもない。逃げ道を塞がれ、進退窮まった事を認識して諦観に至る。


「げに恐ろしきは宮仕えか。―――良いでしょう、不本意ですが護衛を引き受けます」


「もう、素直じゃないですね。さっ、行きましょう」


 他の者の事などお構いなしに、アラタの手を引っ張って祭りの会場の商店街へと進んでいく。その後姿を残された従士やホルダは安堵したように息を吐いて見送った。活きの良い獲物に食い付いてくれて本当に良かったと。



 夜半を過ぎ、一層盛り上がりを見せる刻限となった祭りの会場をアラタとマリアは腕を組んで歩いている。以前の様に迷子にならないよう体を寄せているのだが、心なしかマリアのアラタの腕を握る力が以前より強い気がする。

 マリアは物珍しそうに平民の祭りをキョロキョロと見ており、時折出店の遊びを試している。出店の遊びは輪投げやダーツ、地球のボーリングと同じ棒倒し、クジ引きなどが一回小銅貨一枚で楽しめる。殆どが子供用の遊戯場で、マリアぐらいの歳の娘はあまりしているのを見かけない。

 周囲の平民は、どう見ても貴族の若い男女が平民の祭りに混じっているのを不審な目で見ているが、特別騒ぎを起こしていないのでまあ良いかと、あまり気に留めていなかった。金払いも良さそうで、女の方が子供の様に楽しんでいるのを見て、きっと女の方に無理矢理連れてこられたのだと、白髪の老人がアラタを慰めようと酒を差し出していた。

 アラタは、酒を礼を言って受け取る。それを聞いた老人が酷く驚いた顔で、


「貴族様に礼を言われるとは思わなんだ。長生きはするもんだなあ。あのお嬢さんは恋人ですかな?」


「いや、友人の妹だ。仕事があるのに無理矢理連れてこられた」


「ほっほっほっ、女の我が儘を素直に聞くのも男の度量ですぞ、お若い方。いやあ、ワシも後三十年若ければあんな別嬪さん放っては置かんのですが」


「見てくれは良いだろうが、とんだお転婆だよ。俺はもっとお淑やかな女性が好みだ」


「――――もう!上手くいかないわ!ねえアラタ、貴方もやってみてください。どうにも上手くいきません」


 マリアが、アラタにもやってみてとダーツの針を見せる。老人が、行ってあげなさいと目で勧めていたので、頷いてマリアに付いていく。

 出店には直径50cm程の木製のルーレット盤が鎮座しており、横には景品が置かれている。ルーレットはシンプルに赤が当たりで、円の二十分の一ぐらいが塗られていた。景品はオモチャで、どれでも好きな物を一つ貰えるらしい。


「気に入った景品があったのかい?」


「景品より、当たりが欲しいのです。でもなかなか当たらないんです。アラタもやってみてください」


 店員の回すルーレットによーく狙ってダーツを投げるが、マリアの針は見当外れの方向に飛んでルーレットにすら刺さらない。騎乗は得意のようだが、投擲の才能は無いのかもしれない。


「まあ、やってみるか。店主、一回何本?」


「二本だよ、小銅貨一枚ね。赤の場所に刺さったら当たりだけど、連れのお嬢さんは五回失敗してるよ」


 つまり十本投げて一度も当たりを取れないということだ。本格的に才能が無いらしい。

 店主に銅貨を渡し、二本針を受け取る。店主がルーレット盤を勢いよく回すと、木目と赤色が混ざり合い、何とも言えない混濁した色を作る。周りには木と赤の区別などまるで見えないが、アラタにははっきりと赤色の当たりが見えていた。

 限界まで強化処置を施された神経系は視覚にも作用しており、眼球から送られてくる外界の情報をほぼタイムラグ無しで脳に送り続け、同時に体の隅々までラグ無しで命令を下せる。生身の人間には高速で動くルーレット盤もアラタのような地球軍人には静止目標に直接針を刺す行為と何ら変わりがないのだ。後は投げるダーツと盤の当たりが移動する位置を未来予測して投げるだけで、容易く当たりに突き刺さるわけだ。

 ふっと大した力を入れる事なく針を投げる。軌道をずらす事なく一直線に盤へと向かって、突き刺さった。二本目を投げずにそのまま自然に止まるのを待つ。徐々に回転を落とし始めた盤は混濁した色をくっきりと分け、元の木と赤の二色を表し始めると、見事に赤の中央へと突き刺さっていた。

 マリアはすごいすごいと大はしゃぎでアラタに抱きつく。腕を組んでいて思ったが、騎乗で体を動かしているマリアの身体は引き締まっていて硬い。


(抱き心地はアンナの方がずっと良いな)


(それ、マリア殿下には言ってはいけませんよ。恐らく殴られます)


 唐突に頭に響くドーラの声に全力で同意して、女性相手に非常に失礼な感想を隠し通す。


「最後はマリィが投げるといい。さっき見ていたが、手首に余計な力が入りすぎている。当たりを狙うより、まず盤に当てる事を考えて投げるんだ」


「え、ええ。やってみるわ」


 アラタの言う通り、力を抜いて投げる体勢を作り、そっと投げる。先ほどよりは様になったフォームで投げると、ダーツは盤に突き刺さる。しかし、赤からはやや外れた場所に刺さり、当たりにはならなかった。あーあ外れたー、とマリアは嘆く。


「残念でした。けど、連れの方は一回当てたので、好きな景品を持って行ってください」


「俺は必要ないから、マリィが選んで良いよ」


 出店の景品は子供向けの人形や、安物の装飾品でアラタには縁の無い代物だ。エリィにあげる事も考えたが、マリアのご機嫌取りに使った方が良いだろうと判断し、そのまま選ばせた。

 あれこれ悩みながらも、景品の中から一つを手にする。マリアが手に取ったのは意外にも折り畳まれた布きれだった。広げてみると顔程度の大きさの布で、所々に花の紋様が付いている。


「ハンカチかな?布の質はそこまで良くないが、押し花の紋様が洒落てるな」


「ではこれを頂きます。そして、これをアラタに差し上げます。どうぞ使ってください」


 そう言ってアラタにハンカチを差し出す。


「ん、ありがたく受け取って――――よく考えたら、俺が当てなかったら手に入らなかったよな。礼を言うのは何か違う気がする」


「もうっ!細かい事を気にし過ぎです。いいから受け取って下さい」


 マリアが強引にアラタの胸ポケットにハンカチを捩じ込もうとすると、周りからどっと笑いが噴き出す。『良いぞ―お二人さん!』『兄さん尻に敷かれてるぞ』などと野次が飛び交うと、急にマリアが恥ずかしそうに手をアラタの胸から離す。


「い、行きましょう!さ、早く!!」


 胸から放した手で、アラタの手を取ってその場を離れる。酔っ払い共が口笛を吹いて、二人をまくし立てていた。若い二人の掛け合いは、祭りの良い余興扱いだったのだろう、勝手に盛り上がっていた。



 その後も二人で何軒かの出店を覗き、主にマリアが遊戯を楽しんでいた。輪投げや吹き矢を使った射的に、一喜一憂しながら祭りを全力で堪能するマリアの姿は年齢以上に幼く見えた。時折、アラタも遊戯に付き合わされたが、殆ど失敗しないアラタにマリアは理不尽にも食って掛かっていた。

 曰く、何でそんなに上手いんだ、と言われ対処に苦慮していた。それを街の平民たちが囃し立て、身分の隔たりなど関係なしに笑い合う。ここでは誰もマリアの事を王族だと思っておらず、恋人らしい青年を振り回す、活発な貴族のお嬢さんぐらいにしか見られていなかった。

 時折巡回している従士がアラタとマリアの姿を見て困惑するか、背景を察して押し黙る事になった。その場で叫ばなかったのは、きっと騎士団での教育の賜物なのだろう。何時如何なる時でも冷静に対処する軍人の精神を養う教育は地球であれ、この星であれ、必要な物なのだ。



 しかしながら深夜に入ると、楽しい祭りも佳境に入り、ぽつぽつと帰り出す平民が現れ始め、酔い潰れた者を二人掛かりで抱える者や、遊び疲れて寝てしまった幼い子供をおぶって帰る父親の姿もそこかしこで見られる事となった。

 その空気を感じ取ったマリアが寂しげな笑みをアラタに向ける。


「お祭りももう終わりですね。こんなに楽しい時間は生まれて初めてかも。今日は素敵な時間をありがとうアラタ」


「それは何よりだ。俺もそれなりに楽しめたよ、もうすぐシンデレラの時間は解けてしま―――君は逆だったな」


「なんの話ですか?」


「俺の国の童話。使用人の娘が、一夜で解ける魔法――こっちでは神術だけど、それで美しい衣装を手に入れて王子に求婚されて、幸せになる話だよ。女の子の憧れの話さ、今の君には逆の話になるけど」


「ああ成程、確かに私の場合は逆ですね。明日になれば、私は王女になってしまうわけですから」


 一国の王女が一夜だけ身分の低い女になって、男と駆け落ちする話も無いわけではないが、やはり人は高貴な身分に憧れるものなのだろう。

 アラタからすれば周りの迷惑をもう少し考えて行動してほしいのだが、年頃の娘にも相応の息抜きは必要なのは理解しているので、そこまで強くは言えない。下手にため込んで周りに当たり散らされるのも困るのだ。


「さて、これから君は王女に戻ってもらわないと。俺達はまだ警備の仕事が残っているから、ホルダ卿に城まで送ってもらおう」


「はい、ラルゴには我が儘を聞いてもらって申し訳ないと常々思っていますが、どうしてもこの欲求は堪えきれないのです」


 そう思うなら彼の胃を労わってやれと、苦言を述べたいが、あまりくどくど言い過ぎと、臍を曲げかねないのでグッとこらえる。

 警備本部までの道のりを、二人を腕を組んで歩いている。人ごみではぐれないようにとの対応なのだが、既に人はまばらにも関わらず、マリアがこのままが良いと言ってアラタの腕を掴んでいた。

 この状況アンナに見られたら不味いんじゃないだろうか、と心中穏やかではないのだが、この場に彼女が現れる確率は限りなく低いので杞憂に過ぎないが、エリィ辺りに見られるのも面倒が増えそうだと、丸っきり浮気男の心境になっていた。

 そんなアラタの心情を察したのか、マリアがアラタの頬を抓る。


「いま何か不埒な事を考えていませんでしたか?具体的に他の女性の事を考えていたとか」


「…気のせいだ。それより痛いから指を離してくれ」


 ライブとの戦いでも感じなかった恐怖という感情を僅かながらも味合わせたマリアという少女の評価を大幅に修正しながら、アラタの精神的被害以外は何事も無く二人は警備本部まで戻っていった。



 警備本部に戻った二人をラルゴと従士達は、待ってましたと言わんばかりに駆け寄ってくる。ラルゴはアラタの事は信頼していたが、それはそれとしてマリアの安否が気になっており、従士達はマリアと何をしていたのかを聞きたがっていた。


「ごめんなさいラルゴ、私のわがままに付き合わせて。もう十分楽しめました」


「それは良かった。姫様が満足して頂けたのでしたら、私からは何も言うことはありません。後は陛下にたっぷりとお説教をしていただくだけです」


「えっ!そ、それは―――」


「城を抜け出して遊びに行ったケジメは付けてもらいます。さあ、参りましょう。レオーネ殿、今夜は無理を聞いていただいてありがとうございました」


 いやー、とエコーを効かせながらマリアとラルゴは去って行った。楽しみの後には痛みを伴う事をマリアには身を以って知ってもらわなければいけない。


「あちらはホルダ卿に任せればいいか。それで警備の方はどうだった?何か大きな厄介事はあったか」


「いえ、特にありません。精々酔っ払いの喧嘩の仲裁や、酒の飲み過ぎでひっくり返った者の介抱ぐらいです。この本部は街の者が片付けるので我々は手を出しません。後は祭りの終わりを見届けて帰還するだけです」


「ご苦労だった、しかしあのお転婆には困ったものだ」


「とか何とか言いつつ、ちゃっかり楽しんでいたんじゃないですか?姫様と腕組んで歩いてたの結構見られてますよ」


 別の従士からからかいの声が聞こえるが、心外だと言って黙殺した。自身の好みの女性は、あのようなお転婆よりお淑やかで母性的な人物なのだから。



 そのまま祭りの最後まで待機していたが、特別仕事も無く、巡回に出ていた従士が戻って来るのを待って、城へと帰還した。最後まで巡回していた者の話では、何人か盛りの付いた若者が裏路地で事を始めていたらしく、止めさせるのに精神を削られたとぼやいていた。それも男女以外にも同性同士で事に及んでおり、余計に気が滅入ったと意気消沈しながら報告してきて、アラタの精神にダメージを与えた。幸いと呼べるか判断に困るが、どれも強姦ではなく、互いに合意の上での行為だと聞かされたが、ノーマルな性癖のアラタにはどうでも良かった。

 こうして、ドナウ王国は新たな一年を迎え、ホランドとの戦を目前に控える事になるのだった。



 マリア王女は恋に恋したいお年頃。アラタの事は気になっていますが、恋愛感情までは抱いていません。幸いアンナには見られていないので、修羅場にはなりません。

 ではお読みいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキング もしよければクリックしてください
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ