第十五話 御前会議・前編
古今東西、会議と言うものは段取りで成否が決まると言って過言ではない。根回し、あるいは事前交渉とも言える前準備を怠って失敗する話は数多くある。
会議にいきなり話題を持ち込んでも、時間は限られている以上、取り合わない事が多いからだ。逆に予想外の手を打って、主導権を握る手法もあるが効果的に機能する事は少ない。
政治においても戦争においても、商売とて準備に成否が大きく関わる。このドナウ王国首脳会議も、そんな根回しの積み重ねの集大成なのだ。
現国王のカリウス王を筆頭に、ドナウ王国宰相ルーカス=アスマン。財務長官テオドール=ハインリヒ。法務長官ジークムント=ブルーム。学務長官ルドルフ=デーニッツ。農務長官ラルフ=アイゲル。外務長官ハンス=フランツ。建務長官ヨアヒム=ガイスト。直轄軍総司令オリバー=ツヴァイク。近衛騎士団団長ゲルト=ベルツ。特別な役職はないが、王子であるエーリッヒ=ヨーン=ブランシュ。
最後に、この首脳会議を提言したアラタ=レオーネ。この十二人がドナウ王国の行く末を決める会議の出席者だ。
「皆の者、忙しい中集まってくれて大義である。ドナウ王国国王カリウスの名において、ここに対ホランド王国対策会議を開催する。各々実りある話し合いを期待する」
カリウス王の宣言を開始の合図として、会議が始まる。会議の司会進行役は閣僚のまとめ役である宰相が務める。
「では、司会はこのルーカス=アスマンが務めさせていただきます。まずこの会議の主題である、ホランド王国が我がドナウ王国に対して、恭順を求めている事は皆さまご存知の通りです。陛下はこの要求を、正式に拒否すると仰っております。それに対して異議のある方は、遠慮なく申し上げて頂きたい」
誰も異議を唱えない。当然である。自ら統治権を返上するなど為政者にとって正気の沙汰ではない。自らの権利を放棄するなど自殺でしかない。全員がそれを理解しているが、形式上必要なのでこのような迂遠な行為をしているに過ぎない。
「無いようですね。では満場一致でホランド王国の要求は拒否致します。しかしながら拒否した場合、ホランドとの関係は決定的に悪化するのは確実です。それについて、皆さまの意見をお聞きしたい」
外務長官のハンス=フランツが最初に口を開く。
「今までのホランドの外交を考えますと、戦争になるのは確実かと。それはこの二十年で周知の事実、彼らは武力を持って我らドナウ王国を屈服させるでしょう。その後、王家の方々や貴族、はては平民一人一人に至るまで、凌辱の限りを尽くす。ドナウ王国は歴史の中にしか残りません」
「まさしくその通り、彼らの所業でアルニア、リトニア、プラニア、三つの国が滅ぼされました。このまま座していても我らは滅ぼされるしかない」
「しかしながらホランドは強大。戦になっても勝つ見込みは無いとは言いませんが、極めて不利には違いない」
「十年前ならば、まだ周辺国と連携を取って対抗できたのですが―――」
「今それを言ってもどうにもなりますまい。時間を遡る事は出来ないのですから」
このやり取りも何度目だろうかと、当の本人達も飽きているが、形式上仕方が無い。自分達には答えは出せなかったのだ。後はあの者に託すしか手は無いのだ。
「誰ぞ、有効な手立ては無いのか?無ければこの国は終わるのだぞ」
カリウスも分かっていて聞いているが、自身を含めて不甲斐無さを感じている。自らの国が滅びようとしているのに、何の手立ても思い至らないからだ。
誰も何も言わず、静寂が十数秒程度会議室を支配した時、それまで一度も口を開かなかった男が発言する。
「では、私が意見の述べさせていただきます」
よろしいですかと、全員を見渡すのは、国王から一番遠い席に影の様にひっそりと座っていたアラタだった。
「発言を許可しましょう、レオーネ顧問役」
宰相が鷹揚のない口調で許可を出すと、全員の視線がアラタに集中する。
この場にいる全員が、全てはこの他国人の平民から始まったのだと知っている。ある程度事前に情報を本人から渡されているが、全容を知っているのは国王と宰相しか居ないのだ。王子のエーリッヒでさえ知らない秘策をこの平民が考え出した事に、腹立たしくもあり、自らを不甲斐無いとも感じてしまう。
「では、僭越ながら発言させて頂きます。まず結論を述べますと、ホランド王国とは戦によって正式な返答をすべきです」
「無謀ではないかねレオーネ顧問殿?相手は我らの五倍の戦力を保有しているのだよ。まともに戦えば、ほぼ負けるよ」
軍司令のツヴァイクが反論し、これに他の閣僚が賛同する。
「無論、それは理解しております。ですからまずは、ホランド軍を分割する事を考えました。外務長官ハンス=フランツ殿にお聞きします、ホランド以東にユゴスとレゴスという国がありますが、ドナウ王国と同盟とは参りませんが、協定を結ぶ事は可能でしょうか?」
「協定の内容によるが、ホランドの北東にあるユゴスならば、我々と比較的友好関係にある。ある程度頼みを聞いてくれる可能性はあるだろう。相応に代価を支払う必要はあるがね」
「では、ホランドとの国境線沿いに纏まった兵を据え置くことは可能でしょうか?直接ホランドに攻め入れとは言いませぬ。最悪、攻め込むかもしれないと流言を流すだけでも構いません」
「確実には言えぬが、可能だとここでは言わせていただく」
このやり取りもアラタは、事前にフランツとの会談で確認していた。遠交近攻の概念では、遠方の外国との交友関係は非常に重要なのだ。
「ありがとうございます、フランツ殿。まずはこれでホランド王国は全軍をドナウ王国に投入出来なくなりました。ホランドにとって東側は元来の領地。それをがら空きにして他国を攻め入らせるわけにはいきません。国内の治安維持にも兵力を割かねばならない以上、半数程度は残す必要があります。これでホランドの兵力は半減しました」
「だが、まだ半数が残ってる。それでも我が国の兵力の三倍は投入できるのだ。それはどうするのかね?」
「籠城戦を選択します。野戦では精強な騎兵集団を抱えるホランドには勝てません。籠城戦ならば騎兵の持ち味である速度を役立たずに出来ます。しかしながら、ホランドにも攻城兵器の類は存在します。ですから、それを使わせない手段を考えました」
アラタは一旦、言葉を止めると会議室のテーブルに置かれていた、ドナウ王国の詳細な地図に指揮棒を当てる。
「ドナウ王国の東側、ホランドとの国境線にほど近い、このライネ川付近に砦を建造し迎え撃ちます。ただし、今から建造したのではこちらの目論見が露見しますので、ギリギリまで建造は致しません。ですが、軍の方々にはこれから、その予行演習に励んでいただきます」
「それは構わないが、どれだけの期間に何をするのかね?人員もある程度必要なのでしょう?」
「まずは訓練として、ドナウ王国内の街道整備に従事して頂きたい。その都合上、建務長官のヨアヒム=ガイスト殿と、農務長官ラルフ=アイゲル殿にも協力をお願いしたいのです。資材調達や街道整備以外にも堤防の補強工事などすり合わせをお願いしたいのです。欲を言えば、直轄軍全員を工兵として恥ずかしくない程度の腕前に鍛え上げたい。その為に、効率よく技能を鍛える場所を提供して頂きたいのです。期間は今から6ヶ月間を基本的な技術習得に、5ヶ月間を専門的な演習期間と考えています」
「簡単に言ってくれると言いたいが、我々軍も平地でホランドの騎兵隊と事を構えたくない。貴殿の意見を元に、軍の編成を組もう」
「私もレオーネ殿の意見に賛成する。必要とあらば建務官を派遣して兵の指導に充てましょう。軍にも工兵がいますが、専門的な建築となると我々も協力すべきです」
「農務省も賛成します。それ以外にもライネ川の詳細な地形の情報を提供いたしましょう。それ以外に協力できないのが悔しいですが」
それぞれの部署の長官が、口々に賛同の意を示す。会議の前からアラタが根回しを進めておいたから、この光景が見られるのだ。
「しかしながら、このライネ川を戦場と定めても、ホランド側が付き合ってくれるかはまた別の問題ですな。そのところはどうお考えですか?」
今まであまり意見を述べていない法務長官のジークムント=ブルームがアラタに質問してくる。
「それについてはある程度の確証と、それに基づいた策を弄します。その前に外務長官から現ホランド国王であるドミニク=アラン=カドルチークの性格や気質を説明して頂きたい。その後、私の策をお話しします」
この手の質問は想定内のものだ。あらかじめ情報収集と、事前の工作に抜かりはない。
「では、説明させていただく。まずホランドのドミニク王は誇り高い御仁です、そして度量も大きく目下の者の多少の失敗や粗相にも寛容です。野心家ですが、理性的で感情に任せた行動はあまり取らないでしょう。ただし戦士として、武人としての誇りが強すぎる一面も見られることから、全てが計算尽ではありません。レオーネ殿の策がどのような物かは存じませぬが、その辺りに付け入る隙があると言えますな」
「ありがとうございます、フランツ外務長官殿。さて、このホランド王の性格を利用しての策ですが、私は決闘状を大々的に叩き付けようと思います。はっきりと言いまして、ドナウはホランドよりも弱いです。その弱者たるドナウの挑戦をまさか強者たるホランドが逃げるわけはないと、ある程度挑発的な文章で炊き付けてやります。誇りあるドミニク王は、この挑戦を受けないわけにはいかないのです。何よりホランド軍は強い、弱小のドナウなど、どれだけ策を弄しても真っ向から叩きのめす力があるという自負と言いますか、事実を証明できます。これが平地ではなく、山岳部に築かれた堅牢な城相手の攻城戦なら、少しは慎重になるものですが、絶対の自信を持つ平地での野戦ならば、必ず指定した戦場に引き摺り出せます」
強ければ強い程、窮屈な思いをするのはどの国でも変わらない。力を持つ者は、下手な小細工をすれば臆病者と誹られる事とてある。故に、策を弄するのはいつも弱者だ。
「成程、多少怪しくても圧倒的な軍事力をもってすれば、我々ドナウなど簡単に捻り潰せる訳ですな。それ故、策と分かっていても受けざるおえない。所で、このライネ川を戦場に指定した理由は何でしょうか?平地は他にもありますが?」
「まず、国境沿いなので首都や主要都市から離れている事、直轄領なので戦場にしても地方領主から文句が出ない事、何より川が側を通っていることが重要になります。この説明は後で致しますので、今は置いて下さい」
「先ほど地方領主と聞いて思い出したが、彼ら地方の貴族はどうするのかね?今は少しでも人手が欲しいのだが」
これも想定内の質問だが、困った事に明確な返答が出来ないのが、痛い所だ。
「正直に言いますが、彼らの役割は決めかねています。私は彼ら地方領主に会ったことがありません。情報は幾らか入ってきていますが、結論を出せるほどの情報はありません。幾つか方針はありますが、皆様とここで協議したいと思います」
「ではまず、最初に言いだしたレオーネ殿の意見をお聞きしたい」
宰相の言葉に何人かが同意する。他の閣僚もすぐに意見が出ないので、取り敢えずはアラタの意見を聞く事にしたようだ。
「分かりました、まずは私の方針をご説明します。第一の案は、地方軍もこの戦に参加させること。多少なりとも兵の数を増やす為に、地方軍も参加させるのは戦力増強を見込めます。ただし、指揮権の統一に不安がある事、共通の訓練を積まない為、錬度と規律に不安を残すのが、躊躇う理由です。籠城戦を選択する以上、野戦程数を頼りにするわけではないのが、それに拍車をかけます」
「確かに、指揮権の統一はずっと付いて回る悩みだった。それに彼らが今更合流しても、精々三千程度増えるだけだ。ドナウ軍から見れば結構な数だが、ホランドから見れば誤差でしかない。正直、使いどころに迷う戦力だ」
「そうですね。さらに私を悩ませるのが地方領主の動きと言いますか、彼らがドナウ王国に対して、どう動くかが読めないのです。閣僚の皆様は自らの領地を持つ領主である方が多いですが、ホランドの危険性を熟知しておられます。ただ、それ以外の彼ら領主がどれだけ危険性を理解しているかが、交流の無い私には測りかねます。内密にホランドと通じて、保身に走らないという保証もない以上、必要以上に頼るのは危険と判断いたします。人間はいざとなれば、親も主君も売り飛ばす事があるのですから」
かなり棘のある言い方になるが、歴史上肉親を処刑したり売り飛ばす為政者など吐いて捨てるほど居た。この国でも自らの家を残す為に簡単に国ごと売り飛ばす、輩が居ないとは言いきれない。
閣僚の中にもアラタの言葉を不快に思いながらも、否定しないのはそれを予想しているからだ。
「それは無いと言いたいが、我々も確証が無い以上、違うとは言い切れない。そもそもこの国難にあって、何も意思表示をせず沈黙を貫いているのは、現状を理解していないのか、知ってて放置しているのか」
「知らないわけは無いでしょう。ホランドに滅ぼされた国の処遇は知れ渡っています。何より地方貴族の身内が騎士団や官僚には何人も居ます。彼らを通じて情報は入っているはずです。何かしらの動きはあっても良い筈なのですが」
「では、既にホランドに通じているとでも?それは無いと言いたいですな。従属を受け入れても跳ね除けても、我々貴族には、未来が無いのです。そして裏切り者は信用されません。ホランドと通じて国や王家を売り飛ばしても、最後は領地を召し上げられて、未開拓地域に送り込まれてすり潰されます。それでは自殺と大して違いません。内情が分からない以上、早まった判断はそれこそ彼らを先走る要因になりかねません。ここは探りを入れて情報を得るのが先だと判断します」
閣僚達の中でも、これには意見が分かれてしまう。座して滅びを受け入れるのか、先を見ずに短絡的に国を売り飛ばすのか、態度を決めかねているだけなのか、単に情報が入ってきていないのか。
その見極めが出来ない以上、決断を下すのはまだ早いと言うのが、閣僚達の半数を占める意見だ。
「では、この問題は数か月ほど様子を見るということで宜しいでしょうか?」
誰も文句を言わない以上、同意したと見て議題を一時棚上げする。国内の諜報関係は宰相の管轄なので、今後は彼と協議する事も増えるだろう。
「地方領主についてはなるべくこちらの情報は伏せておきたいので、不用意な接触や情報提供は控えた方が宜しいでしょう。今回の戦は情報の秘匿で勝敗が決まると言って過言ではありません。現在のドナウ王国の国難を知らないのであれば、情報の重要性を理解していないと言わざるを得ない。そのような不用心な人間を中に引き入れたくないというのが私の本心ですので」
「先ほどからレオーネ殿は情報を殊更重視しておりますが、貴殿の国ではそれが普通なのですかな?」
「はい、私の国は政策上の原則において、情報を最重要視して外交戦略を練ります。これは軍も同様で、情報の取得を最優先事項という原則に基づいて行動を起こします。私自身も情報を取り扱う役職上、最重要取得物と認識しています」
アラタにはどうにもこの国の人間と言うか、西方の住人は情報を軽視しているように見えてしまう。特に情報は経済、政治、軍事、あらゆる面で必要であり、判断を下す時の、最重要な材料なのだ。軽んじて良い筈が無い。
情報管制官として、どうにも歯痒さを感じているが、それを自制する。どの道自分は部外者で、外様である。あれこれと口を出すのは差出がましい行為だ。現状でもどうにかなる以上、放置するしかないのだ。
しかしながら、情報の重要性を理解しているのはこの場では少数だ。国王のカリウス、エーリッヒ王子、宰相のアスマン、外務長官のフランツぐらいだ。それ以外は怪訝な顔をし、情報の優位性をあまり理解していないと見える。
「まあ、良いでしょう。生まれ育った環境が違う以上、異なる常識を持つのは仕方のない事です。我々はそれを認めないほど、器は小さくありませんぞレオーネ殿」
農務長官のラルフ=アイゲルが的外れな、理解のあるように聞こえる言葉をかける。この御仁は、無難な判断が多く、良くも悪くも平均的な能力と性格なのだ。平時ではそれは有益であり、農務と言う変化の少ない業務をこなす上では適任なのだが、こういった非常時には不向きな人間と言える。それでも有能には違いないのだが。
「お気遣い感謝します、アイゲル殿。さて、会議の途中ですが、これから皆様には街の外で、ある兵器のお披露目に立ち会って頂きたい。対ホランド用の兵器として用意したものです。大軍であるホランド軍に対抗するためには、必須と言える物です」
「それはレオーネ殿があちこち走り回って作ったと聞く、油の事かね?」
「その通りです。それをこれからお見せしましょう。ベルツ騎士団長、護衛をお願いします」
「心得た、既に騎士団は準備を終えています。では皆さま方、参りましょう」
騎士団長のゲルトが先だって立ち上がり、会議室のドアを開け放つ。待機していた騎士に先導を任せると、カリウス王の護衛の為に側付になる。
御前会議もようやく半分。まだまだ山は半ばであり、先はまだ遠いと溜息を吐きたくなる衝動を抑え、気を引き締める。ここまで来た以上、失敗は許されないのだ。
だいぶ登場人物が増えてきたので、そのうち人物一覧を作ろうかと思います。あとは手書きの簡易地図も作るのも良いかもしれません。
ではお読みいただきありがとうございます。




