◆Ⅶ◆
南の方角から、一本の光の柱が放たれた。
一際大きな光が瞬時に世界を包み込む。
あれほど曇っていた暗い空は徐々になくなり、晴れ間が見えた。ついで、晴れ渡っているというのに雨が降る。
ルーチェは空を仰ぎ見て、言葉を紡ぐ。それは、密かに母に教えられていた予言の言葉。
『悪しき闇は立ち去り、空は陽の神が君臨する。
氷の大地は恵みの雨で溶け、七色の精霊が歓喜の証を世界に映すだろう。
役目を終えた神々は眠りにつき、あるべき場所に還る。
人の世は新たな陽の目を見る―――』
それは喜びの唄のようにも聞こえた。
雨が止めば、虹が姿を現した。ルーチェにも見える、精霊たちの祝福の証。
王都は歓声に湧いた。涙を流し、久方ぶりに見る太陽を仰いで雄叫びを上げる者もいた。
「勝った!!勇者様が、勝ったんだ!!」
あらん限りの声を上げて男たちは互いに祝福の言葉を送り、女たちは涙を流しながら互いを抱きしめあった。
―――終わったのだ。長い、魔王との戦いが。
ルーチェもじわじわとその実感を得て、一筋の涙が頬を伝った。
「―――よかった」
空に何十にも架かる虹を見上げて、ルーチェは涙を流す。
終わった。生まれてきた時より背負ってきた予言が全て昇華されるような感覚を覚えていた。
「母さん、ルーチェは約束を守れました」
今はここにいない母を想い、ルーチェは静かに涙を流す。
同時に脳裏にあの人の言葉が蘇る。
『待っていろ。必ず迎えに行く』
あの人は、無事だろうか―――。
◆◆◆
勇者一団の無事の知らせを伝えられたのは光の柱が立ち上った一週間後だった。
伝えたのはルーチェの薬草店の扉を叩いたギルドのクルトだ。
「あのいけすかねぇヤツも無事だって聞いたッス。闇の境界の扉を閉めるのにちーっと手こずったみたいッスけどね」
「扉…?」
「そうッス。あんまり知られてないんッスけど、以前は魔王の住む世界に通じる扉に聖剣が刺さってそれが封印になってたみたいで。なんともおざなりな封印だったものだからほころびが出来たんだろうってことで、今回は宮廷魔術師長が念には念を重ねて頑丈な封印を施したってことッス。これで次は二千年後、とか魔王がこっちに来ることはなくなるってことッス」
「さすがギルド。情報がとっても的確ですね」
「まぁ、みんな死線をくぐってますからね」
朗らかに笑っているが言っている意味はだいぶ深刻だ。
「それよりも、ルーチェさん。勇者様たちは今、王都に向かってるってことッス。まぁ、そこらへんに還れなかった魔物たちの掃除もしながらだからもうちょっとはかかるとは思うんッスけど…」
「そうですね。勇者様たちの凱旋パレードもやろうっていう噂も聞きますから、人がたくさん集まりますね。新しい薬も作っておこうかしら…」
「じゃなくて、ルーチェさん」
「あっ、もちろん。傷が早く治る薬も以前より届けやすくなってるって言いますし、まずはそっちを優先的に…」
「ルーチェさん、ルーチェさん」
「どうしよう、どう考えても薬草が足りないわ」
「そこはオレの出番ッスね!!ルーチェさん、オレの話聞いて!!」
必死に挙手をするクルトにルーチェはようやく焦点を当てる。
「あ…、ごめんなさい、クルトさん」
「いや、ルーチェさん、しばらく見ないうちに商魂たくましくなってるッスね」
「お恥ずかしい限りです…」
王都に着いて、偶然にも空家を見つけたルーチェは薬草を扱う店として新しく開いた。
今まで自給自足だったのもあり、ギルドを通じて稼いでたお金は充分に貯まっており、開業はすんなりと進んだ。
初めは恐る恐るといった様子で店を訪れる客がちらほらといただけだったが、温かな部屋の雰囲気とルーチェの丁寧な接客によって評判が評判を呼び、今では常連もいるほどに店は繁盛している。
店を経営する傍らで、今でもギルドを通じて薬の発注をしており、同時に新しい薬も開発しようと奮起していてルーチェはすっかり忙しくなってしまった。
毎日が目が回るほどだが、これはこれでやりがいがあってルーチェは楽しさすら覚えていた。
そこに、心配していた彼―――ユリウスの無事の知らせが届いたのだ。浮かれずにはいられなかった。
勇者の一団ということは王宮でも筆頭である身分が宛てがわれる。ルーチェは世俗には疎いが、なにやら階級というのがあるという。詳しく聞いたところで出た結論は、薬屋の娘が彼に気軽に会えることはもうないだろうということだった。
諦めなければならない想いを抱えてしまった苦悩はあれど、それ以上に彼への感謝の想いは強い。
凱旋パレードは彼の無事な姿を遠目で見ることができるいい機会だ。
会えなくても、見ることはできるという希望はルーチェに何よりの光を抱かせた。
―――クゥも、無事かしら。
役目を終えたのなら自分の棲むべきところに帰った可能性は大いにある。
傍にいられた期間は短かったけれど、確かな絆を感じている。
この目で無事を確かめられたらそれでいい―――今のルーチェの願いはそれだけだった。
「―――ってことッス。だから、ルーチェさん、オレが出たらちゃんと戸締りしっかりするッスよ」
「えっ?」
「今、絶対オレの話聞いてなかったッスね」
「ごめんなさい。戸締りのところは聞けました。でも、どうして?戸締りしてしまったらお客様が来れなくなる…―――」
「そうしたところで意味はない」
背後より玲瓏な声が耳朶を打つ。
目の前のクルトが驚愕の表情をしている。声に引き寄せられるように振り向くと、黒の装束が目に入った。
切れ長の瞳、通った鼻筋、一見冷たく見えるその表情はまさに―――。
「ユーリ…」
「えっ、お前、どうやってここに!?」
「お前がさっき言っていただろう。俺が宮廷筆頭魔術師であり長だと。以前、お前がこいつに渡していた鳳凰の羽が俺を導いた。扉などそんなものは関係ない」
「お前、これがルーチェさんの着替え途中だったらとんでもないことになってたぞ!!」
「さして問題はない」
「大アリッスよ!?」
突然の来訪に、ルーチェは言葉を発せず固まっている。賑やかな応酬が一段落ついたのか、緋色の瞳がルーチェを捉えた。
一際鼓動が跳ね、息が苦しい。ユリウスはクルトとの会話を打ち切り、真っ直ぐにルーチェに近寄る。
「持て。そして、来い」
彼から差し出された琥珀色の書を言われるままに手に取ると、その腕を取られ、彼の胸に抱きしめられた。
「―――ユーリ!?」
「クルト、戸締りは任せた」
「は!?ってか、ルーチェさんに何して…!!」
クルトの声は風に紛れて、ルーチェは風に吹き飛ばされないように瞳を閉じて目の前の彼に腕を回した。