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予言と少女  作者: 姫野 釉月
予言者の娘:ルーチェ
4/9

◆Ⅲ◆

『羽休める御使いのもと

 伝書鳩が知らせを持ってくる。


 それは孤独を忘れた者たちからの出立の合図。

 思い描けよ、未来の幸福。

 刮目せよ、世の惨状。』




◆◆◆


 彼はユリウスと名乗った。ルーチェは親しみを込めてユーリと呼ぶことにする。

 初めはユーリ、と呼ばれるたびに顔を顰めていたが、言っても聞かないと諦めたようで今では表情一つ動かすことなくルーチェに好きなように呼ばれていた。


「ユーリ、昼食ができたよ」


 ドアの前で声を掛け、中からの返事を待つ。

 「ああ」と了承の意を得て、ゆっくりとドアを開けようとした時だ。


「えっ?」


 ドアが軽々と開いた。それもそのはず、内側からユーリがドアを開けてくれたようだ。

 

「あら、起き上がれるようになったの?」


「ああ」


 驚きに目を見開くルーチェにユリウスはどこまでもそっけない返事を返した。

 彼は簡単に言っているが、ルーチェの見立てでは彼はまだ起き上がれない筈なのだ。

 ユリウスが目覚めてから幾日かは過ぎているが、それでも完治には遠い。それほど、彼の負った傷は深いものだったのだ。


「それでも、まだダメよ。早くベッドに戻って」


 何故かユリウスはそのまま歩いて本棚に向かったので、慌てて引き止めた。

 今まで寝ている彼しか見たことがなかったからか、身長差を痛いほど感じる。

 何を食べたらこんなに背が高くなれるのだろう。不思議だ。

 想定外の大きさに若干恐れ慄いていると、彼は不機嫌にこちらを睨んできた。

 だが、何を言うでもなく素直に戻ってくれたからやはり思ったより体調は万全ではないようだ。

 彼がベッドに入ったのを確かめて、ベッド用のテーブルを出す。そこに昼食を置いて、ルーチェは傍に置いていた椅子に腰掛ける。


「母なる海、父なる山のもと、命つなげる今に感謝を―――」


 食前の祈りを紡ぐユリウスの言葉にゆっくりと瞼を伏せる。思わず聞き惚れる玲瓏な声音。

 ルーチェに母なる海と父なる山におわす精霊や神々は見えないが、彼の言葉を聞くとなんとなく彼らも喜んで彼に食べてもいい、と許可をくださっているのではないか―――そんな風景が思い描ける。

 少しの沈黙の後、カチャカチャと音が聞こえてきた。

 ゆっくりと瞼を開けると綺麗な所作でスープを飲んでいる彼が瞳に映る。

 ユリウスはもう、ひとりで食べられるようになった。先程歩いていた姿は本当に驚いたが、順調に彼は回復に向かっているのがわかって、ルーチェも安堵の吐息がこぼれる。

 食べられるものも、最初の頃より固形物も多くなり病人食ではなくなった。

 口の中の怪我は完治し、咀嚼も苦ではなくなったようだ。

 お蔭で、先ほどのように流暢に喋られるようになっているのだが、もともと寡黙な性格なのか彼が話す場面は少ない。あまりにも口を開く機会がないので、最初の頃は随分と心配していたのだが、杞憂だったのは言うまでもない。


「…いつも思うが、なんだ」


「いえ、食べてくれてるなぁ、と思って」


「……」


 食べているところをじっ、と見られているのはやはり居心地が悪いらしい。こちらとしては視診も兼ねているので、ある程度見極めたら視線を外すようには心掛けている。

 だが、彼の一つ一つの所作が綺麗なのもあり、思わず目を奪われることも多い。

 反省はしているが、なかなか目を離すことが惜しい光景に甘えてしまうルーチェである。


「…ここの本は、気に入った?」


 ルーチェはただ見つめているのも悪い気がして無難な質問を投げかけてみた。

 ここの本、というのはこの部屋にあるルーチェの母の本である。

 今は亡き母は、優秀な魔女だったと言われている。魔女と呼ばれるのにも理由があったようだが、彼女は魔術の知識も豊富に持っていた。その糧となる資料としての本が、この寝室に数冊置かれているのをユリウスは見つけたようだ。

 まだ完調していないため、動き回ることもできないので目に入ったものを手に取ったのだろう。それが思いのほか興味を惹かれたようで、空いた時間は読書にふける姿を多く見かけるようになった。


「…ああ」


 彼らしい返答だ。多くを語らず、感情もまだまだ乏しい。

 傍目から見ても本に向かっている時の瞳の輝きがいつもと違うことなどはっきりと分かるのだが、そのあたりは素直ではない。

 そして、会話は終了である。なんとも面白みのない会話である。

 しかし、今日は違った。


「…あの本は、お前のか?」


 珍しい。ユーリから声をかけてくるなんて…と思いながら彼の指差す方向に視線を向ける。

 彼は寝台近くのテーブルに置いていた緑の皮表紙の本を差していた。

 確か、魔術の応用の記述がされており、高等魔術師の考察なども書かれていた本だ。


「ううん、母の」


「まだ、あるか?」


「あと五冊くらいだったかな。あるよ。全巻揃っているかは知らないけれど」


「お前は読んでいないのか?」


「必要ないから」


 もの凄く胡乱げな眼差しを向けられてしまった。

 その後に続いた「とんだ宝の持ち腐れだな」と言う言葉には物申したい気分になった。


「いいの。私のものじゃないんだから」


 拗ねたい気分になって、そっぽを向いた。

 気まずい空気になりそうで、ルーチェは思わず席を立つ。


「残り五冊、持ってくるね。食べてて」


 言い置いて、部屋を出る。

 入れ違いに、クゥが部屋に入る。丁度、クゥの食事が終わったのだろう。食器を片しておくことも念頭に置いて屋根裏部屋に行く。

 天井に繋がる梯子はしごを登って、薄い光が差し込む暗い部屋に顔が出る。

 灯りがなくても、どこにあるのかは把握している。

 本が積まれている机に歩み寄り、緑の革表紙の本を五冊手に取る。少し埃が溜まっていたようで、ルーチェはゆっくりと本を撫でるように埃を取り払った。


「……」


 ルーチェは一つため息を吐き、近くに置いていた布の鞄に本を入れ、梯子を降りた。

 地面に足が着いたと同時に、ドンドンと玄関の扉を叩く音が響いた。


「あ、もうこんな時間…!」


 ルーチェは焦りのあまり、テーブルにぶつかりながらも玄関の扉を開きに駆け寄る。

 その時に本の入った鞄を椅子に置いておくのも忘れない。


「すんませーん。ルーチェさん、いますかぁー」


「はい、今開けますね」


 カチャリ、と軽い音を立てて扉を押し開くとそこには一人の青年が朗らかに笑って立っていた。


「こんちわー。元気してました?」


「はい、クルトさんもお元気そうで」


「あはは、オレみたいな職業は弱ってたら魔物にヤられるのがオチですからね。元気が取り柄ってもんッスよ」


 明るい冗談を交えて喋る彼はギルドの者で、主に物資の配達を受け持っている。

 魔王が目覚めてからというもの、魔物が行き交う路上に荷物を運び届けることが使命と言わんばかりに彼らはそこかしこに隠れ移動している。

 特に、このクルトという青年も涼しく笑うその表情とは別に戦士としての腕前も持っていることで有名で、腰にはトマホークと呼ばれる武器を身につけている。

 彼は常時、白色のターバンを頭に巻いている。今日はいつもよりもターバンがずれていることから、ここに来るまでの間に魔物と交戦したのかもしれない、と青灰色の髪を見て思う。


「ごめんなさい。今日は慌ただしくて…まだ発注する薬を出していないの。今から準備するから、どうぞ上がって」


 ついでにお茶で一服してもらおう、と頭の中で算段すると、クルトは一瞬固まったように笑みを深めた。


「?どうぞ?」


「あー、うん。ルーチェさん、オレ、毎回思うんだけど無用心ッスね」


「?」


「いや、なんでもないッス。だからそんな純粋な瞳でオレを見ないで」


 何故か顔を覆ってしまったクルトに疑問を飛ばしながらも、ルーチェは構わず家に招き入れた。

 クルトがリビングの椅子に腰掛けたのを見届け、お茶を出してから薬を詰めた小瓶の入っている箱を家の裏にある倉庫に取りに行く。

 箱の中には貴重な薬草も入っており、丁寧に運ばなければならない。


「お待たせしまし―――え?」


 再度、家の扉を開いたルーチェの瞳に、ありえない光景が映った。


「えっ、あんた男?んな綺麗な顔してるのに?」


「顔は関係ないだろう」


「まあ、そりゃそうだけど…え、マジ?」


「嘘を言ってなんになる」


「もったいねぇな。女だったらモテたのにな。ホント残念だな、あんた」


「お前の頭の方が残念だろう」


「うっわ、やっぱ前言撤回。あんた男で良かったわ。女だったら今の発言で嫁ぎ先なくなるぞ」


「ころころと意見の変わるヤツだ。かしましい」


「てか、なんでルーチェさんのとこに男がいるんだよ。おかしくね?」


「その台詞、そっくりお前に返す」


 お互いに未知なる出会いを果たしていた。

 何故かリビングに出てきているユリウスが初対面であるクルトと剣呑な雰囲気で言葉を交わしているではないか。

 突然の事態にルーチェはアメジストの瞳を大きく見開いた。


「ユーリ!あなた動けるようになったからってこんなところにまで…!」


 思いのほか、焦りが募って声が大きく部屋に響いた。

 それと同時に二人の視線が一斉にルーチェに向いた。

 次いで、クルトは眼光鋭くユリウスを睨み付けた。


「…おい、なんでお前呼び捨てにされてんだよ。オレは未だに『さん』付けなのに…!」


「知らん。あっちが勝手にそう呼んでいるだけだ」


「くっそぅ、なんでポッと出のヤツに先越されてんだ、オレ…!」


「口の減らないヤツだな」


 会話の内容がいまひとつ掴めないルーチェであったが、ひとつ確信したことがある。

 自分の言葉はどうやら伝わっていて欲しい相手には響いていなかったということだ。これは、虚しい。

 そして、ささやかな怒りが胸中に芽生えた。


「まだ安静にしていてって何回言わせるの!幼子のほうがまだ物分かりがいいわよ!」


 言いながら怒りのままに、持ってきた荷物を置くが早いか、ルーチェはユリウスの腕を掴んで寝室に連れ戻そうとする。


(せっかく治りかけているというのに、なんたること―――ッ!?)


 しかし、手を引っ張ってもユリウスはその場から動かず、逆にルーチェの腕を掴んで引き止めた。

 振り向くと同時に、間近に迫った緋色の瞳に視界を支配された。


「なっ、なに―――」


「それは顔近すぎじゃね!?」


 慌てたようにクルトが二人を裂くように間に入った。

 ルーチェはあまりの事態に頬に朱が走るが、ユリウスは涼しい顔のまま。


「いや、何もないようだ」


「?」


「―――あるわけねぇだろ!?」


 何故かクルトが噛み付かん勢いで答えている。ルーチェにはさっぱり分からず、先程までの怒りが一気に霧散した感覚を感じた。

 ルーチェは一つため息を吐き、クルトに向き直った。


「クルトさん、紹介が遅れてごめんなさい。彼はユリウス。先日、木季の森で怪我しているところを見つけて、今まで看病していたの」


「愛称…だと?」


「?それと、ユーリ。こちらはクルトさん。私の作った薬とか薬草を買い取って街に届けてくれるギルドの方よ」


「ギルド…」


「クルトさん、待たせてしまって申し訳ないです。そこに置いた箱に《シバル》と《ババシイ》、《ヴィシル》が入っています。今回もよろしくお願いします」


「あ、あぁ。じゃあ、ちょっと中身見させてもらいますね」


 気を取り直したようにクルトは箱の中身をあらためる。

 真剣な眼差しで一つひとつの小瓶、薬草を注意深く見つめて、次に満面の笑みで彼は頷いた。


「うん、やっぱルーチェさんの作るモンは質がいいッス。丁寧に作られてるのがよくわかる。売り甲斐があるッスよ」


 少し緊張がほぐれたようにルーチェは微笑んだ。

 あまり褒められ慣れていないのもあり、面映ゆい。


「じゃあ、今回はこんぐらいかな」


 そう言ってジャラジャラと金、銀、銅貨の入った小袋をルーチェに差し出した。

 ルーチェもソレを受け取る。


「毎度どうもッス。また、良いモン売ってくださいね」


 そうして箱を持っていこうとした時に、クルトは不意に足を止めた。


「あ、忘れてた」


 ゴソゴソ、とポケットを探り、クルトは朱と金の色をした神々しいほどの羽根を取り出した。

 その羽根を見て、ユリウスは鋭く目を細め、険しい表情になったが、その羽の美しさに瞳を奪われたルーチェは気付かなかった。


「ゴルゴンの丘陵で見つけたんッス。よかったら、ルーチェさんもらってください」


「綺麗ですね…。いいんですか?」


「えぇ。拾ったの、オレですしね。それにしても、最近は魔王も本領発揮してきたのかあちこち氷漬けみたいに大地が枯れてってますよ。ここはまだ大丈夫そうッスけど、ルーチェさんも気ィつけてくださいね。いざって時はオレが―――」


「丘陵の先で、鳳凰を見なかったか」


「…今、オレ大事なこと言おうとしてたんだけど。まぁ、いいや。鳳凰かどうかは知らんが、仲間内で西南を突っ切っていく炎の鳥を見たってヤツがいたな」


「西南…ザグバの砂漠か…」


「なんだよ、難しい顔して。興味あんならやめときな。あそこはもう陽が隠れた。先日、勇者なる一行が向かったと聞いたが、ホントかどうか…」


「西南ザグマの砂漠に…勇者様たちが…?」


「あくまで噂ッス。あそこの街はもう容易に足は踏み入れない領域になってるッス。オレらギルドもレベルの高いヤツらしか入れねぇってんで情報もそこまで来ないんッスよ」


「そうなんですね」


「っと、ちょっと今日は道草食い過ぎちまった。おやっさんに怒られちまう。じゃあ、ルーチェさん、今日はこのへんで失礼するッス。またご贔屓にどうぞよろしくッス!」


 明るく言い置いて、クルトは薬品の入った箱を背負っていたリュックに入れて、その場を後にした。

 ルーチェは彼の去っていく後ろ姿に手を振りながら見送った後ユリウスに向き直った。

 未だ難しい顔をしている彼に、ルーチェは優しく語りかけた。


「ユーリ、ベッドに戻りましょう」



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