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帰り際のホームルームは、張り詰めた雰囲気をしている。

「次、イトウ」

教壇に立っているのは担任。その手にあるのは、二つ折りにされた白い紙。成績表だ。

生徒は全員席に座っている。出席番号順に名前を呼ばれたら、担任のところまで成績表を受け取るという流れだ。受け取ってすぐ見る者、席に戻ってからじっくり見る者。安堵の笑顔を浮かべる者もいれば、渋い顔をする者もいる。

裁判で判決をくだされる時のような厳粛で静かな教室に、担任の呼び出しの声と、生徒の悲喜こもごもの私語が密やかに聞こえている。

「あああ……どうか、神様、赤点は勘弁してください」

冬園がなにやら祈っているようだった。

彼の言っている赤点というのは、平均点の半分以下の点数のこと。もしどれか一教科でも赤点を取ってしまうと、問答無用でその教科の追試験が科せられることになっている。追試験の実施は放課後だったり、土曜日だったり。いつにしても時間を奪われることに変わりはない。赤点を避けたい気持ちは、わからないわけでもない。

ただ、智秀からすると、テストの点数が悪いのは自業自得。なので冬園に同情するつもりなどない。


いまさら神頼みしても遅いってば。


冬園は成績表返却の時はいつもこんな具合に祈っている。今回は特に切羽詰まっている。というのも、今回のテストは全体的に難しかったらしい。「テストなんて一夜漬けでなんとかなるもんだぜ!」と豪語している彼にとってみれば、今回のテストがどれほど強敵だったことだろう。


いつものテストでも平均点を割るっていうんだから。

勉強しとけば、こんなことにはならなかったのに。


智秀は呆れた。

「俺の家には、亀のジョウタロウがいるんです……。あいつ、俺がいないと、干からびちゃうんです。だから赤点だけは、赤点だけは、なにとぞっ」


亀が赤点とどう関係があるんだろう。


冬園の切実な祈りを聞いているうちに、教師が「宇垣」と呼んだ。

すぐに立って、成績表を受け取りに行く。

成績表を智秀に手渡す時、それまで呼び出し以外の言葉は口にしなかった担任がそこで初めてコメントした。

「さすが宇垣だ。これからもこの調子でな」

すると、クラスメートたちのため息が聞こえた。「やっぱり」という、半ば予測できたことに対する、ため息。

智秀は担任に「はい」と短く返事をすると、足早に自分の席に戻る。何人かの生徒が自分を見ていた。居心地が良いものではない。


ああいうこと、言わないで欲しいな……。


ついため息を吐いてしまう。

受け取ったばかりの成績表を、机の上でそっと開いて見てみる。

席次の欄には〝1〟とだけ記されていた。そんなことは大した問題じゃない。重要な総合得点の欄を見て、智秀は額に手を当てた。


これは、また大目玉、か。


その後、成績表の返却が終了し、各教科の平均点や得点分布のグラフなどが印刷されたプリントが配られた。プリントに目を走らせた冬園が「オーマイガー!」と絶叫して、さすがに担任に注意されていた。

「今回のテストは三年生になって初めてのテストということで、わざと難しく作ってあった。来年の三月には高校受験が控えている。その厳しさをわかってもらうために、あえて難しくした。結論から言うと、全体的に出来が非常に悪かった。ガッカリだ。次の期末テストは、もっと頑張るように。以上だ」

ホームルームの最後を、そんな説教じみた言葉で締めくくると、担任は学級委員長に終礼をさせた。

にわかに騒がしくなる教室。もちろん、クラスメートたちの話題は今さっきのテスト結果についてだ。智秀は一人で帰り支度を始める。ふと、教室の前の扉を見ると、担任が今まさに教室を出ようとしているところだった。

すると担任は一瞬智秀を振り向いた。ちょうど視線が合う。その視線の意図を智秀は知っていたから、無言で頷いて見せた。

担任は今度こそ教室を出て行った。


わかってますよ、先生……。


鞄の口を閉めて「さあ帰ろう」と立ち上がったところで、唐突に呼吸が苦しくなった。

「お前を殺して俺も死んでやるゥ!」背後から冬園の声。

「ふ、冬園、ちょっと!」

詰め襟の前部が喉元に食い込んでいた。後ろから詰め襟を引っ張られていたのだ。

「ギブ! ロープ、ロープ!」

詰め襟の後部を掴んでいる冬園の手を叩く。それでようやく喉が解放された。喉に手をあてて振り向くと、両手を天に突き上げている冬園がいた。

「オゥ! アイアム、ア、チャンピオーン!」

「なにがチャンピオンだ、バカ! あやうく三途の川を越えるところだったじゃないか!」

じっと睨んですかさず文句をぶつける。

そんな智秀の言葉もどこ吹く風。冬園はおどけたように大きくため息を吐いた。

「どうせまたお前は学年一位なんだろ。この天才バカ」

「バカボンみたいなふうに言わないでくれよ。そういう冬園はどうだったんだ。赤点はいくつあったんだ」

仕返しに言ってやると、冬園は唇を尖らせる。

「うるへー。お前みたいな上のやつには教えてやんねー」

「……いじけるなよ」

「いじけてなんかいねーよ、ちょっとヒクツになってるだけだぜ」

なんと言えばいいのかわからなくなって、とりあえず智秀は話題を変えることにした。

「冬園はこれから部活だよね」

「ああ。宇垣は、今日も帰宅部か」

「……まぁ、そんなところだよ」

鞄を手に持つ。

「あーあ。明日はせっかくの土曜だっていうのに、こんなんじゃ、気分が晴れねーよ。ったく」

「サッカーボール蹴ってストレス発散させればいいじゃん」

「それもそうだけどなぁ……」

冬園と共に教室を出たところで、智秀は立ち止まる。

「ごめん。僕、ちょっと職員室に用事があるんだ」

「そうなのか」

てっきり下駄箱まで一緒に行くものだと思っていたらしい。冬園は意外そうな顔をした。

「じゃあ、塾で会おうな」彼は片手を上げて言った。

「うん。じゃあね」

智秀も手を軽く振って応じる。

そうして、教室の前で別れた。冬園が階段を下っていき、その姿が見えなくなってから、智秀も歩き始める。いつもなら、彼と一緒に昇降口まで歩いていくのだけど、今日は用事があった。


さて、と……行くか。


職員室に向かう。そこで、担任から赤崎真純の成績表と彼女の家までの地図を受け取ることになっていた。


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