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砂漠に立つもの  作者: 三塚未尋
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帰りのホームルームは、普段と同じように、淡々と進められた。担任は、今日一日の総括を語る。

今日から夏服になって、服装の乱れが見られる。男子は柄物のシャツを着込まないように。女子はスカート丈に注意するように。

そんな、ごく普通の話を担任は述べていた。

もっとするべき話があるはずだった。

赤崎真純の件について、担任は一言も触れようとしない。もう言い逃れができないほど、決定的な瞬間を見たはずなのに。

智秀は昼間に見た、担任がドアの隙間から教室を覗いている姿を思い出して苛立った。あの情けない姿の教師が、教壇に立って、何食わぬ顔で生徒にモノを教えている。

そして、話が終わると、担任は最後に

「では、係、委員会からの連絡事項はあるか?」

と、クラス全体に尋ねた。いつもの、儀式のような一コマ。

教室がしんと静かになる。今日は、図書委員からも選挙管理委員からも、連絡は無いらしかった。

しかし――


ここしか、無い!


宇垣智秀には、クラス全体に言うべきことがあった。そして、それを成すためには、この〝全員が同じ方向を向いている時〟を活用するしかなかった。

生徒どころか、教師でさえ、いじめの存在から目をそむけている。そんな現状を変えるためには、正面から問題を突きつけるしかない。智秀はそう思い至っていた。

手を、上げれば――。

全員の前に立って、発言する機会が与えられる。

けれども、智秀の両手は、握られたまま膝の上に置かれていた。わずかに震えている。自分でさえ、その震えの原因がわからずにいたが、瞬間的に、悟る。


僕は、恐がっているのか――!?


そう。

恐かった。

情けないほどに。

クラス全員の視線にさらされて、その中で自分の主張を言うことが、今更になって恐くなった。彼らの奇異の視線を全て受け止められる自信が、無かった。

柏原美里たちを相手にすることなら、できる。

けれども、クラスメート全員となると、怖じ気づいてしまう。

「連絡は無いな?」

担任の確認の声が、耳から入ってきて、頭の中に響く。


早く、しないと……!

早く、手を上げないと……!


ホームルームが終わってしまったら、全員がバラバラになってしまう。そうすると、明日まで待たなければならなくなる。

しかし、そんな、悠長なことをしているわけにはいかない。

これは、今すぐに解決すべき問題なのだ。


わかってる。

わかってる。

わかってる、けど……!


悔しさに、怒りさえ込み上げてくる。

自分に対する怒り。

これまで冬園や柏原美里に「いじめはダメだ」と言ってきたのに、いざとなったら手をあげることさえできない臆病な自分が、腹立たしかった。

独りではクラス全員に立ち向かえない。

そう、諦めかけた時。

彼女の姿が、網膜に蘇った。


――違う。

僕は、独りじゃない。


離れていても。

ロザリオが無くても。

ずっと見守っていると、言ってくれた人がいる。

強く握りしめられていた右手を解き、汗ばんだ手の平を、額に当てる。彼女の唇が触れた場所。


そうだ。

あのキスは、叶さんからの、ロザリオだったんだ。


洗礼式を真似て、額にキスをしてくれた青樹叶。

彼女の存在を、今、身近に感じることができた。それだけで、折れかけていた心が、立ち直っていく。


叶さんは、今でも僕と一緒にいてくれる――!


教壇では、担任が最後の一言を発しようとしていた。

「よし、それじゃ今日はこれで」

「先生!」

智秀の声が、担任の声を遮った。

右手を、堂々と挙げて。

「連絡することが、あります!」

これで解散だと思っていたクラスメートたちの、弛緩していた空気が一変した。張り詰めた雰囲気が教室に充満していくのを感じる。

前の方の何人かが、顔を智秀に向けた。訝しむ表情だった。

担任は驚き、眉をひそめていた。

「宇垣、それは……今、言わなければいけないことか?」

「はい。どうしても、今じゃないといけません」

教壇に立つ担任と視線が交差する。

数秒の間。

担任は、渋々とした顔で、教壇から離れ、黒板の隅に移動した。それが、担任の返答だった。

席を立つ。椅子を引いたときの、椅子の脚と床との摩擦音が、教室にひときわ大きく響いた。

机と机の間を歩いていき、教壇に向かう。この教室にいる全員が、一言も話さず、宇垣智秀に視線を注いでいる。

教壇に立つと、クラスメート全員の顔が、細かく見て取れた。誰も、目の前にいる男子を揶揄するような表情を浮かべていない。皆、一様に真剣で、緊張に強ばった顔つきだった。

きっと、ここにいる全員は、これから宇垣智秀が話すことを判っている。

だから、遠回りな言葉は使わない。

教卓に両手を置き、一呼吸。

彼らの顔を見渡しながら、口を開いた。

「――この教室に、いじめが存在することを、みんなは知っているはずだ」

何人かが、やっぱり、というように顔をしかめた。

「赤崎真純さんに対する、いじめだ。彼女は一ヶ月くらい前から、ずっといじめられている。みんなが見たように、蹴られたり、髪を引っ張られたりして、だ」

柏原美里は、うっすらと笑っていたが、どこかぎこちない冷笑だった。

「僕は、赤崎さんがいじめられているのを見ているのが嫌だった。苦しそうな顔をしている赤崎さんを、かわいそうだと思っていた。だけど、何もしなかった。いや、できなかったんだ。僕は全く関係ない顔をして、見ないフリをすることしかできなかった。そして、赤崎さんは学校に来なくなった」

冬園元は、背もたれに体を預けて、やや失礼な体勢をしていた。しかし、その瞳はまっすぐに宇垣智秀に向けられていた。

「けど、赤崎さんが学校に来なくなってから二日目、僕は赤崎さんの家に成績表を届けに行くことになった。それで、赤崎さんと、二人きりで話す時があった。はじめは普通に話をしていたけど、途中から、赤崎さんは泣き出した。学校では涙一つ見せなかった赤崎さんが、僕の前で、ぼろぼろ泣いたんだ。その時に、僕は心底自分が嫌いになった。いじめを止めようとせず、見ないフリをして過ごしていた自分が、嫌になった。それからすぐに、僕は赤崎さんの味方になろうって決めたんだ」

平泉瑠璃は顔を俯かせて、話を聴いていた。

「赤崎さんは、僕みたいなやつが一緒にいるだけでも、嬉しそうだった。学校では見せてくれなかった笑顔を、見せてくれた。べつに僕じゃなくても、よかったんだと思う。赤崎さんは、誰だっていいから、傍にいてくれる人が欲しかったんだ。――だから、いじめに直接関わっていないからいじめはしていないとか、そういう考えは、間違いだ。いじめを見過ごしているだけでも、いじめに加わっていることになるんだ」

担任は顔をそむけて、窓の外を見ていた。

「もちろん、このことは、先生にも当てはまります」

直後、担任は怒ったように、顔をこちらへ向けた。

その顔に、問いかける。

「先生。先生は、赤崎さんがいじめられているのを、知ってましたよね。今日だって、柏原さんが赤崎さんに牛乳をかけたところを、隠れて見ていたんですから」

担任の表情に焦りが見えた。

視線を、教室全体に向ける。

「みんなに訊く。今、ここにいる人の中で、僕の言っていること、僕のしていることを、間違いだと堂々と言える人はいるのか」

沈黙。

冬園も、平泉瑠璃も、柏原美里さえも、口を閉ざしていた。

しばらく間をおいて、話を続ける。

「そう、誰も僕のことを否定できない。みんなは、心の底では、いじめなんてダメだと思っているからだ。なのに――なのに、どうして、誰も赤崎さんを助けようとしないんだ!」

声が、意識せず大きくなる。

「なんだっていい。たった一言でいい。言葉をかけてあげれば、それだけで、赤崎さんは救われるんだ。……それとも、自分の本当の気持ちを押し殺してまで、周りと同じでいることの方が大事なのか!」

何人かが、目をそむけた。

「僕は、みんなが悪いと言うつもりは、全くない。僕もみんなと同じなんだ。みんなと同じように、赤崎さんがいじめらていても、見ないフリをしていた。だから、これはお願いだ。赤崎さんに対して、ほんの少しでも罪悪感があるなら、今すぐに立ち上がって、赤崎さんのところへ行ってあげて欲しい。――赤崎さんは、今も、みんなと友達になりたいと思っているんだ!」

長い、長い、静寂。

締め切られたドアや窓の向こうから、廊下の喧噪が聞こえていた。この教室だけが、まるで異世界のように、静かだった。

そして、その静けさを引き裂いたのは、椅子を引く音だった。

「わたし――」

平泉瑠璃が、誰よりも早く、席を立っていた。

「――わたし、真純に謝りたい! 謝って、もう一度、友達になりたい!」

涙声の叫びが、教室内に響く。

その直後、また新たに、椅子の音がした。

「宇垣、お前の言うとおりだ!」

冬園元だった。

そして、彼に続けとばかりに、次々にクラスメートが席を立ち始める。


「あたしも、赤崎さんの味方になる!」

「オレも!」

「やっぱイジメって、見てるだけでもイヤだもんな!」

「あれだけ関係ない顔してたくせに、調子イイやつ」

「お前だって同じようなもんだろ」


わたしも、あたしも。

ぼくも、おれも。

椅子の音と、立ち上がった生徒たちの声とで、教室が一気に騒がしさで満ちていく。そして、最後には、柏原美里を含めた三人の女子が椅子に座り込んでいるだけとなった。


これが、みんなの、本当の気持ちだ!


胸が歓喜に満ちていく。

「よし、みんな、保健室の赤崎さんのところへ行こう!」

智秀の呼びかけに、立ち上がった生徒たちが歓声をあげて応えた。そして、一気に、彼らは教室から飛び出していく。

担任が何かを怒鳴ったが、誰も聴いていなかった。


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