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欠席、だった。
赤崎真純は翌日も学校を〝風邪〟で休んだ。
朝のホームルームで教師が「赤崎は風邪で欠席」と口にしても、教室はあまりざわつかなかった。こうなることは誰にでも容易に予想できたからだ。
ただ、予想できていたことでも、それが与える衝撃は決して小さくない。
智秀は担任教師が教壇で何か話しているのを聞き流しながら、眉をひそめていた。
これは、本当に……。
彼女は不登校になったのかもしれない。
二日連続で欠席。風邪が理由なら、二日間の欠席はあってもおかしくない。一日で完治したが、大事をとってもう一日……ということもありえる。だが彼女の場合、他の可能性のほうが遥かに大きい。
不登校、か。
テレビなどメディアでしか聞いたことのなかった単語が、急に身近に感じられる。遠い世界の出来事としか思っていなかった。
不登校、登校拒否。
そういうことに対して、智秀はあまり良い印象を持っていなかった。だから、なおさら衝撃的だった。不登校とは縁のないような女子が、その不登校になってしまったのだから。
しかし、冷静に考えてみれば、それだけ彼女が追い詰められていたことになる。
なにがなんでも、学校へ行きたくない。そんな極限状態に赤崎真純は陥っていったのかもしれない。そう思うと、胸の奥が針で刺されたように痛んだ。
彼女のいない教室。教師は滞りなく、ホームルームを進めていく。事務的な冷たさを感じた。三十八人の中のたった一人がいなくても問題ない。そう言われているようで。
ホームルームの最後に、教師は「ああ、それと」と言葉を付け足した。
「帰りに、この前の中間の成績を返すぞ」
その言葉に、ほとんどの生徒が悲鳴をあげた。「世界の終わりだァー!」と冬園が叫んだのが聞こえた。彼は中間が終わった直後も、同じようなことを言っていた。
そうか。
もう中間の結果が出るのか。
周囲と違って静かにしていたものの、智秀も憂鬱な気分に違いはなかった。数字が出てくるというのは大変息苦しい。
「冗談じゃねー! 明日は土曜日だぜ! 成績表なんて渡されたら大ダメージくらって、せっかくの休日がパーだ!」
ようやく教室全体が大人しくなってきても、冬園はまだ騒いでいる。一人で十人分の騒音デシベル。昨年度も彼を受け持っていたから慣れてしまっているのか、担任は特に注意もせず、「では解散」と一言発して教室を出て行く。
と、廊下に出ようとした担任は、思い出したようにその場で立ち止まり、振り返った。何気なしにそっちを見ていた智秀は、担任と視線が合った。
「宇垣、ちょっと来てくれ」
担任はにわかに騒がしくなる教室にもよく通るような大きな声で智秀を呼んだ。
「はい」
呼ばれて、すぐ席を立つ。
なんだろう。
僕だけ呼ぶなんて。
数人のクラスメートの視線を感じながら、担任と一緒に廊下に出る。他の教室はまだホームルームの最中らしく、廊下に人影は無い。
「なんですか」
「ここじゃアレだから、階段で話そう」
いま出た教室のドアを一瞥して担任は言った。人に聞かれたくない話らしい。
廊下を歩いて、階段の踊り場まで移動する。空を切り取った窓から、陽光がリノリウムの床にこぼれていた。
「実はな、宇垣に頼みたいことがあるんだ」
踊り場に着くなり、担任は切り出した。
「頼みたいことって、なんですか?」
「うん、まァ、簡単に言うとだな、赤崎に成績表を届けてやってほしい」
智秀は驚いた。
「赤崎さん、ですか?」
「そうだ。欠席したからな。プリントと成績表とでは勝手が違うんだ。わかるだろ」
「それは、わかりますけど」
成績表は、通信簿と同じように一年を通して同じものが使われる。テストの結果が出る度に生徒に配布し、保護者からのサインをしてもらった後、学校側に提出する。
担任としては、いつまでも手元に置いておくより、早く処理してしまいたいところだろう。
「でも、なんだって僕なんですか? 家が近いとか、そういうことですか?」
「いや、家が近いというだけなら他のやつがいる。だけどなァ、なんだ、宇垣ならいろいろ安心だろう」
いまいち担任の言いたいことはハッキリしない。
「できることなら俺が届けるんだが、あいにく忙しくてな。宇垣なら、部活もしていないし、赤崎の家はちょうど帰り道なんだ。だから、悪いが頼む」
「はぁ……」
どうするべきか。智秀は悩んだ。
断る理由は、何一つ無い。部活をしてなくて他の生徒より帰る時刻が早いのは確かだった。しかも、帰り道の途中に彼女の家があるという。場所さえ教えてもらえば、難しくはない。それに担任の頼みとあっては簡単には断れない。引き受けることが無難な選択だろう。
でも、赤崎さんか……。
智秀が二つ返事で引き受けない理由は、届け先が他ならぬ赤崎真純であること。彼女がいじめられているのを今まで見過ごしてきた以上、面と向かい合う事態は避けたい。
黙り込む智秀に、担任は口を開いた。
「なんなら、直接会わなくてもいい。成績表を郵便受けに入れておいてくれればそれでいい」
「え、本当ですか」
「ああ。だから、頼む。俺の代わりに届けてくれ」
郵便受けに入れてくるだけなら、赤崎真純に会わなくて済む。
「そういうことなら、いいですよ」
智秀はそう返事をした。
「そうか。いやァ助かる。すまんな、宇垣」
頬をゆるめる担任。
正確な年齢は知らないが、おそらくこの男性教師は四十前半だろう。張りを失いかけた肌には皺が目立ち、いつもニコリともしないせいで、ずいぶん無愛想な印象しかなかった。
けど、その時の表情は驚くほど柔和な感じがした。