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教室の雰囲気がなんだか妙だ――。宇垣智秀は給食を一気に食べながら、そう感じていた。もちろん、赤崎真純と柏原美里との、あんな出来事があった直後なのでクラスメートの様子が普段と違うのは当然だ。それにしても、しかし、何かが違う。
真純のいない教室の風景か。
柏原美里が平然と給食を摂っていることか。
それとも、教室に戻ってきても誰一人、声をかけてこないことか。
なんだろう……?
ぼんやりとした歪みを感じながら考えたが、ついに原因はわからなかった。
給食が終わり、「ごちそうさま」を全員で言った。
給食当番は担当する食器類を持って、廊下に並び始める。
「冬園。帰りは手伝わなくていいのか?」
牛乳瓶のケースを持とうとしていた冬園に、声をかけた。すると、冬園は一言だけ「いい」と残して、足早に廊下に出て行った。あまりにも愛想の無い返事だったので、面食らう。
なんだよ。
断るにしても、もうちょっと言い方があるだろうに。
彼の返事の仕方が、わずかに気に障った。なので、配膳室に食器類を返しに行く途中、冬園とは一言も口を利かなかった。
そして、配膳室から教室へ戻る途中。急に、腹がキリキリ痛んだ。急いで給食を腹に入れたせいだった。
トイレに行きたくなった。しかし、催してきたのが小便ではなかったので、利用する生徒が多い、教室と同じ階にあるトイレには行けない。人の多い場所でするのは恥ずかしかったのだ。
ちょっと遠いけど、体育館近くのトイレ行こう。
教室に戻るクラスメートの流れから飛び出す。足早に階段を降りていき、昼休みに活気づく階から遠ざかる。
今の時間は人影の無い、無人の廊下を歩いて、体育館のほうへ向かう。
と――駆け足が背後から聞こえてきた。
「宇垣」
冬園の声に、呼ばれた。
足を止めて振り返る。冬園が、そこに立っていた。珍しく真剣な顔をして。
「なに、冬園。僕、腹痛いからこれからトイレに行くんだけど……なんの用?」
どうせ今日の塾の予習範囲でも訊かれるのだろう、と軽く考えていた。しかし、それは間違いだった。
「宇垣、もう赤崎と一緒にいるの、やめろよ」
冗談の色の無い声で、冬園が言った。
それだけで、腹痛など二の次になった。
宇垣智秀は真剣に冬園元に相対する。
「……どうしていきなり?」
「お前、気づいてないのか。クラスの連中が、お前のことを〝変なヤツ〟って目で見始めてるんだぞ」
ハッとする。保健室から戻ってきてから一言も誰からも話しかけられなかったのは、つまり、そういうことだったのだ。
「僕はそんなにヘンかな?」
「あのな……」
怒ったように、冬園は睨んでくる。
「お前だって、柏原が赤崎にやったこと見ただろ。あんなにいじめられてるヤツを庇うなんて、ヘンに決まってるだろ。ああいうのは、普通、見て見ぬフリするもんだろ。じゃないと……いくらお前でも、あのクラスで浮いちまうぞ」
後半の言葉には、怒気よりも、憐憫の色が濃厚だった。クラスで孤立して欲しくない、と。どうやら冬園は心配してくれているようだった。
友達だから、だろう。宇垣智秀と冬園元は、お互いのことを友達だと思い合えている。その認識に、今も、間違いは無いと信じている。
だからこそ、智秀は答えた。
「冬園――僕は、僕の正しいと思ってることをやってるんだ。浮こうが、沈もうが、どうだっていい」
「お」
冬園は詰め寄ってきて、その片手で胸ぐらを掴んできた。
「お前のためを考えて、俺は言ってやったんだぞッ! それを、お前は……!」
「僕のことを考えられるなら、赤崎さんのことも考えてあげられるはずだ!」
智秀が強く答えると、突きつけられていた鋭い眼光が、途端に力を失った。
「冬園の気持ちは、嬉しい。たしかに、赤崎さんの味方でいると、変な目で見られるかもしれない。けど、もし冬園の言ったように、赤崎さんのことを見ないフリしたら、僕は自分がきっと許せなくなる」
だから以前の自分を許さない。彼女がいじめられていても、何も手を差しのべてあげなかった、弱い自分を。
もう、あの時の宇垣智秀には、戻らない。
「宇垣……お前は」
お互いの視線が交差する、ほんのわずかの間。
冬園の表情から、怒りが消えていった。カッターシャツの胸部分を掴んでいた握り拳が、ほどかれる。
昼休みの喧噪が、遠い。
「僕は、冬園の善意を信じてる」
そう言って、彼に背を向け、歩き出す。
追ってくる足音は無かった。




