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担任教師の言葉に、教室がどよめいた。
「赤崎は風邪で欠席だ」
朝のホームルームで、出欠確認をとる保健係に、担任がそう言ったのだ。
赤崎さんが、休んだ……?
窓際の席の宇垣智秀は、後ろのほうを振り返る。
廊下から三列目、一番後ろの机が、赤崎真純の席だ。今は、その机がガランと空いている。いつもならそこにいるはずの彼女が、今日はいない。
「こら、騒ぐな、まだホームルームは終わってないぞ」
担任はざわつく教室全体に声をあげた。
教室が静かになったところで、担任の教師は淡々とホームルームを進めていく。
最後にプリントが配られ、担任教師が教室を出て行くと、赤崎真純の机の周りを数人の女子が囲んだ。真純をいじめているグループの女子たちだった。
「あの女、とうとう休んだねー」
「ずいぶんしぶとかったと思わない?」
口々に、休んだ彼女のことを話し始める。
大声で話しているせいで、少し離れた智秀の耳にも、しっかりとその内容が入ってくる。
「あんだけ蹴られても学校来てたなんて気持ち悪いよね」
「マゾなんじゃない、マゾ!」
声高な笑い声。
智秀は周囲を見回してみた。クラスメートたちは一様に、苦い顔をして、彼女たちの話し声を無視していた。
「ホント、ああいうタイプのやつって、見ててイライラしてくるわ」
ふと見ると、一人の女子が、真純の机に置かれたプリントを手に掴みぐしゃぐしゃに丸めていた。
「あんな女、もう学校来なくていいのよ」
丸められたプリントは、そのまま乱雑に机の中に放り込まれた。あのプリントには、修学旅行についての連絡事項が記されていた。
原因は、やっぱり、あのグループだよな。
彼女たちを見ていると、腹の底から言いようのない不快感が這い上がってくる。
視界に彼女たちを入れたくない。智秀は黒板のほうを向く。
と、机の前に、男子が立っていた。
「ひでぇな……あれ」と、智秀にしか聞こえないぐらいの小さな声。
友人の冬園元だった。教室の後ろで今も口汚く話す彼女たちを、冬園は伏し目で見ていた。
「よくあれだけできるぜ」
「僕もそう思う」智秀も同じ気持ちだった。
あのグループのやっていること、やってきたことを、智秀は素直に「酷い」と思っていた。
たぶん、僕たちだけじゃない。
彼女たちのしていることは、悪いこと。
こう感じているのは、きっと、僕たちだけじゃない。
周りのクラスメートたちも、嫌だと思っているはずだ。渋い顔をして、あの女子たちと関わろうとせず、無視していることが、なによりも雄弁に本心を物語っている。智秀はそう考えていた。
けれども。
思っているだけで、誰も彼女たちを止めようとはしない。
冬園も。
もちろん、智秀も。
止めたほうがいいと思っていても、彼女たちに一度も「やめろ」と言わなかった。それどころか、いじめられている赤崎真純に「大丈夫?」と声をかけてあげることもしなかった。
言えなかった理由なんて明確にはわからない。ただ、誰も言わないから、自分も言わずにいただけだ。他の人がそうしているから、自分もそうしていればいいような気がしていたのだ。
「なぁ、宇垣」いつもの声量で話しかけられる。
「うん?」
智秀は、冬園の顔を見上げた。彼は苦笑いをしていた。
「明日の塾の宿題って、なんだった?」
「……またか」
つられて、智秀も苦笑いしてしまう。
「ちゃんとメモしておけって、僕は言ったと思うけど」
「それを忘れるのが俺だぜ。知ってるだろ」
「まぁ、そうだね」
薄く智秀は笑った。こうして誰かと話していると、赤崎真純のことを考えずに済む。それが心地よくもあり、後ろめたくもあった。冬園も同じ思いだろう。
それから一時間目が始まるまで。智秀と冬園は一言も赤崎真純について話さなかった。その間、不愉快な笑い声が、智秀の耳の鼓膜を震わせていた。