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真純を家まで送り届けて、智秀は自分の帰途に着く。帰り道で、彼女が見せてくれた笑顔は、嬉しかった。沈みきったままにならずに、良かったと思う。
けれど、宇垣智秀の心は曇っている。
画鋲――か。
真純へのいじめの方法が変化したことが、気にかかっていた。殴ったり蹴ったりするような直接的ないじめよりも、ともすれば、〝画鋲〟のほうが効果的ないじめ方かもしれなかった。
保健室での真純の泣き顔がひとりでに思い出されて、苦々しい気持ちになる。
彼女のあの涙は、体よりも心のほうが傷つきやすいことを、如実に証明していた。
殴られたりするのは、誰が自分を殴っているのか、相手の顔が見える。
けれど、靴の中の画鋲は、誰がそれを仕込んだのか判らない。大方の見当をつけることはできても、明確なダレまではわからない。
それこそが同じ〝いじめ〟である二つの、決定的な違いだ。受けたらどちらのほうが苦しいかは、もう真純を見ていれば痛いほど理解できた。
犯人であろう柏原美里たちを、明日にでも詰問したい気分。けれども、「わたしたちがやった証拠は?」と切り返されてしまったら、それ以上の追及はできない。おそらく、それを考えての蛮行だろうが……。
歯痒い。
顔の見えないいじめか。
これは、長引くかもしれないな。
十字の幅の広い車道にさしかかる。歩道を渡ろうとしたが、赤信号だったので足を止めた。
自動車が何台も、せわしなく目の前を横切っていく。
――これでいじめが、本当に無くなるのか?
急に、焦燥感と不安感とが襲ってくる。
真純は学校に出てこられるようになった。それは、いいことだ。一歩前進と見ていい。
しかし、いじめは無くならないし、宇垣智秀以外に真純と話す者は現れない。
自分一人の行為が、状況に対して全くの無力だと思えてくる。
川の流れを竿一本で止めろって言われたら、
きっとこんな気持ちになるんだろうな。
無駄な努力。心の隙間に入り込んできた誰かが、そんな言葉を吐き出す。それは弱気という名の悪魔。その悪魔に、負けそうになってしまう。
そして、無性に思う。
青樹叶に会いに行きたい、と。
心が挫けそうになる度に、宇垣智秀はあの聖女の声が聞きたくなる。
叶さん――。
知らず、胸元に手を当てて、内ポケットに入っている〝彼女〟に触れていた。胸にある十字架は、青樹叶の分身で、青樹叶そのもの。
祈るような心で、〝彼女〟に無言で頼む。
僕は、弱い人間です。
自分のしていることに、だんだん自信が無くなってきました。
叶さん。
僕に、力をください――
彼女の声は聞こえない。聞こえるのは、自動車のけたたましいばかりのエンジン音。
耳を澄ませたい。そのために視界は不必要。
だから、ロザリオに触れながら、智秀は瞼を閉じた。
すると、一瞬。
真っ暗闇に満ちた視界の中に、光が見えた。それは視覚で捕えられる光ではなかった。しかし光は、たしかにそこに在った。
その光は、すぐに消えて、見えなくなった。
目を開けると、ちょうどコーナーを曲がる車のヘッドライトが網膜を射る。
ロザリオから、そっと手を離す。
何を聞いたわけでも無かった。
何を見たわけでもなかった。
けれど、不思議にも、心が平穏になっていた。それはまるで青樹叶と会った時のような心の凪だった。
歩道の青信号がチカチカ点滅し始める。
〝まだ頑張れる〟
さきほど聞いた真純の声が、鮮やかに耳朶に蘇った。
「そう、だ――」
真純が頑張れるのだ。
なら、自分も頑張らなければいけない。自分が諦めていたらダメだ。
そんな気持ちが、わき上がってくる。
まだ、手段は残っている!
柏原美里たちによる陰湿ないじめを止める方法が、脳裏に閃いた。
「僕も、まだ頑張れる……!」
信号が変わる。
赤から青へ。
悩んだりするのは、どうしようもなくなった時だ!
顔を上げて、智秀は歩道に足を踏み出した。




