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校門まで走っていくと、体育教師が今まさに門を閉めようとしているところだった。
「なんだ、お前らまだ残ってたのか?」
呆れたように先生が言った。
「まさか、お前ら、誰もいない教室でヘンなことしちゃいないだろうな」
「してませんって」
冗談っぽく言った体育教師に、智秀がすばやく答える。真純の方を一瞬見ると、恥ずかしそうに俯いていた。
「ま、宇垣ならそういうことはせんだろうな。ほれ、早く帰れ。暗くなってるから、気をつけるんだぞ」
「はい!」
先生に真純共々「さよなら」を言って、校門を出た。
空は夕暮れも終わりかけており、街頭の灯が眩しいものになっている。当然ながら、帰り道に他の生徒の姿は見当たらない。
「遅くなっちゃったね」
なんとなく言うと、すぐに真純が返す。
「ごめんなさい……わたしのせいで」
「あ」
下手なことを口にしてしまった、と後悔する。
「赤崎さんのせいじゃないよ。ただ、赤崎さんの家の人が心配してるんじゃないかなって」
「あ、なんだ。それなら大丈夫。わたしのお母さん、けっこー放任主義だから」
一転した明るい口調に、安心した。
「そうなんだ」
「宇垣くんの家は? なんだかすごく厳しいみたいだけど」
「……ちょっと、ね。でもこの時間に帰るぐらい、許してもらえるよ」
笑って答える。
すると、安心したように「よかった」と真純は小さく呟いた。それが、なんとも彼女らしい仕草で、おもしろかった。
あの画鋲のせいで、帰宅時間が大幅に遅くなったのは確かだ。けれど、あれは赤崎真純の責任ではない。靴の中に画鋲を仕組んだ者の責任だ。それなのに、真純はまるで自分が起こしたミスというような顔をする。
赤崎さんは、時々、何でもかんでも自分のせいだと思い込んじゃうんだよなぁ。
真面目というか、なんというか。
ヘッドライトを点けた自動車で賑わう十字路を過ぎ、いつもどおり、彼女の家に通じる小道に入る。街頭が少なく、家々の明かりが道をぼんやり照らしていた。
「ごめんね」
ふいに、隣を歩く真純が呟いた。
「さっき、みっともない姿、見せちゃって」
照れ笑いを浮かべる真純。
泣いたことを、彼女は言っているのだろう、と智秀は直感した。
「そんなことないよ。誰だって、あんなことされたら傷つくに決まってる」
「そう、かな……。でも、わたしって、宇垣くんの前で泣いてばっかりで恥ずかしいよ。ちっとも、宇垣くんにカッコイイところ見せれてないし」
真純はため息をついた。
「今日だって、体育の時に、ペア作れなかったし」
「誰かに声をかけなかったの?」
「……かけたよ」
返答する声のトーンが幾分下がっていた。
「平泉瑠璃っていう子。結局、無視されちゃったけど」
彼女の口から出た名前には、智秀も聞き覚えがあった。
「赤崎さんとよく話してた人だよね」
「うん。ちょっと前まで、ね。――友達、だったんだ」
〝だった〟という過去形が、物寂しかった。もう一言も口を利いていないのは見ていて知っていたが、本人の口からそう聞かされると、胸が締め付けられる。
「今は、もう柏原さんのグループに入っちゃったけど」
「どうして?」
友達だったと言うのなら、平泉瑠璃が真純から離れて、あろうことか真純をいじめるグループに入ることなんて考えられなかった。
「……あのね」
訥々と真純が言う。
「宇垣くんとか、男子は知らないだろうけど……わたしの前に、瑠璃が柏原さんたちにいじめられてたの」
「え!?」
平泉瑠璃がいじめに遭っていたなんて、初めて聞いた。
「全然知らなかった……」
「知らなくても当然だよ。瑠璃へのいじめは、隠れてやられてたんだから。陰口とか、モノを隠すとか」
真純は苦笑いして、続ける。
「わたしね、瑠璃がかわいそうで見てられなくなって、すぐに柏原さんに〝やめてあげて〟って言ったの。そしたら、簡単に瑠璃はいじめられなくなった。けど、次の日からわたしがいじめられるようになったんだ」
「じゃあ、平泉さんを庇ったから、赤崎さんがいじめられるようになったのか……?」
「うん。そういうこと、だね」
彼女の説明は、腑に落ちなかった。
「でも……それなら、どうして平泉さんは赤崎さんのそばにいないんだ」
真純の話を聞いていると、平泉瑠璃は真純のおかげでいじめから解放されたのに、いざ真純へのいじめが始まると逃げ出した、薄情な女子だと思えてしまう。
静かに智秀は憤慨する。
が、当人の真純は、どこか諦めきったような顔をしていた。
「しかたないよ。瑠璃もそうだけど、みんな、いじめられるのは恐いもん。わたしみたいに出しゃばったことすると、わたしみたいにいじめられるって、みんな知ったんだよ、きっと」
「そんな――」
そんな馬鹿な話があるのか、と言いかけて、飲み込んだ。
真純を見捨てた人達を、許すことはできない。
許せない。
けど……その気持ちは、理解できないものでもなかった。意を唱えたらこうなるという例が、目の前でまざまざと見せつけられたのだ。彼女たちが口をつぐむのも、無理からぬ話だった。
僕だって、その人達と同じだったんだ。
赤崎さんを離れた平泉さんや他の人を、否定するなんてことは、虫がよすぎるよな。
そうして宇垣智秀が言葉を飲み込んだまま黙っていると、不意に真純が強い口調で「でもね!」と口にした。
「わたし、信じてる! 今は、こんなふうに、友達っていう関係じゃなくなっちゃったけど……でも、またみんなと友達になる!」
それは、考えられないくらいの明るい口調だった。
彼女は淡い期待などではなく、明確な意志で――
「それで、瑠璃とまた前みたいに楽しく話せるようになれるって、信じてる!」
「どうして、そう思えるんだ?」
保健室で泣いていた彼女とは、まるっきり別人のような、楽観したその発言が心底不思議だった。
真純は笑って答える。
「だって、宇垣くん言ったもん」
「僕……?」
「みんなが本当はいじめのことを悪いと思ってるって」
それは、泣いている彼女を慰めるときに聞かせた言葉。涙を拭いながら、かけてあげた言葉。
「わたしね、宇垣くんのこと信じてる。だから、宇垣くんが言ったことも、信じる」
――今の真純は、さっき保健室で泣いていた彼女ではなかった。
「わたし、まだ頑張れる!」
暗い夜道に在って、真純の笑顔は輝いているようにさえ見えた。




