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階段を真純と一緒に下りていくと、すぐに彼女の父親が階段近くのドアから飛び出してきた。
「真純! 大丈夫か、ヘンなことされなかったかぁ!?」
「わ、お父さん!」
「宇垣クンだったなぁ」
じろっと父親に睨まれる。
「うちの娘に何かしたら、ただじゃすまさんぞ!」
「は……はぁ」
なんだか激しく勘違いされている。
僕と赤崎さんはただのクラスメートなんだけど……。
赤崎真純の父親は、過保護というか、心配性というか。
けど、それはそれで良いことだろう。どちらにしても、大切に育てられているのに変わりはないのだから。
「お父さんは出てこないで!」
「なっ、お父さんはお前のことが心配でだなぁ」
「心配なんてしなくていいの!」
だが残念ながら、父親の気持ちは、当の娘には伝わっていないようだ。
ほほ笑ましい。
けど、反面、背筋が冷たくなる。
この父親は、真純を大事にしている。もし、彼女が学校でいじめられているのを知ったら、大騒ぎになるだろう。学校に殴り込みに行くかもしれない。あるいは、真純を転校させようとするかもしれない。
真純がいじめられているのを、両親に知られるわけにはいかない。改めて、そう思った。
「宇垣くん、帰るの?」
母親が出て来た。
「あ……はい。夜遅くにお邪魔して、すいませんでした」
「ううん。いいのよ。宇垣くんが会いに来てくれて、真純も嬉しかったでしょうし。ね、真純」
話を振られた真純は、困った瞳で母を見た。
「もぉ……お母さん」
「ふふ、照れちゃって」
真純の顔が赤くなっていく。
恥ずかしいらしい。
僕がいると、赤崎さんがからかわれちゃうな。
真純のためにも、早いところここを出よう。
そう思って、彼女の母親と父親に軽く頭を下げる。
「じゃあ、僕はこれで」
「あ……宇垣くん」
上がり框を降りて、靴を履こうとしたところで、真純に呼ばれた。つま先を靴に突っ込んで、振り向く。
「うん?」
「今日……会いに来てくれて、ありがと」
はにかんだような笑顔で礼を言われた。
靴を完全に履いたら、真純に体を向ける。
「また明日ね、赤崎さん」
「うん。また……明日」
明日の意味を知っているのは、宇垣智秀と赤崎真純のみ。
また明日。
学校で、会おう。
彼女に背を向けて、玄関の鍵を開ける。
と、背後から。
「すぐそこまで、お見送りするわ」
という、真純の母親の声がした。
驚いて振り返る。
「え……いいですよ、そんな」
「いいから、いいから。ささ、行きましょ」
母親に背中を押される。
どうしたらいいのか分からない。
真純のほうを見ると、彼女も戸惑った様子だったが、止めようとはしない。
ハァと真純はため息を吐いて。
「お母さん、宇垣くんにヘンなこと言わないでよ」
「わかってるわよ。ふふ、じゃあちょっと行ってくるわね」
ぐいぐい背中を押され、玄関を開ける。
玄関から一歩出たところで、真純を振り返った。
「じゃあ、赤崎さん、おやすみ」
「あ……うん、おやすみ!」
彼女の言葉を聞き届けると、真純の母親と一緒に家を出た。
「すいません、わざわざ見送りなんて」
「いいの、いいの。真純に会いに来てくれた人なんだもの」
赤崎家の門を出る。
街頭がまばらな夜道は、昼のそれと違って薄気味悪い。あまり通い慣れた道ではないから、そう感じるのかもしれない。
「それにしても、宇垣くんはホントにイイ子ね」
「は……」
いきなり褒められてもどう答えればいいのかわからず、言葉を継げなかった。だが真純の母親は気にしたふうもなく、続ける。
「ほんとに。真純ももうちょっと宇垣くんを見習って欲しいわ。あの子、勉強はからっきしダメなのよ」
「……勉強ですか。でも、あかざ――真純さんは、性格がすごくいいから、僕のほうが真純さんを見習いたいぐらいですよ」
「あら、上手」
笑い混じりの声だった。
やがて、人気の無い、交差点にさしかかる。さすがに悪い気がしてきて、隣を歩く女性に言う。
「あの、ここまでで大丈夫です。あとは一人でも帰れますから」
「そう?」
「はい。お見送り、ありがとうございました」
頭を下げて礼を言った。
そして、帰途へ足を踏み出そうとした時。
「そうそう。ひとつ聞きたいんだけど」
呼び止められ、彼女のほうを向く。
すぐ傍の街頭から降る青白い光に、真純の母親の姿が照らされていた。その表情は、笑っていながらも、どこか真剣だった。
「真純が学校を休んでる理由って、ひょっとして、いじめじゃない?」
街頭の光とは比べものにならないほどの白が、一瞬、視界を埋め尽くした。
この人が何を言ったのか。
この人に何を言われたのか。
すぐに理解できなかった。
「……正解みたいね」
喜びも落胆も無い、平坦な口調。
「どう、して……」
「宇垣くんはとっさに嘘がつけないみたいね。顔色一つでわかるわ」
「そうじゃなくて、なんで、いじめが原因だなんて」
軽い目眩を覚えたまま、尋ねる。
思考の全てを、眼前の女性に真実を隠す方法を必死に模索することに使う。
「どうしって言われても……女の勘、かしら。最近、真純の様子がヘンだったから、いろいろ考えたのよ。親のわたしが言うのもなんだけど、あの子が学校サボり続けるなんて、よっぽどのことが無いとありえないわ」
下手な嘘は逆効果だ。
知らない、とはもう言えない。
「あの子、学校を休み始めるちょっと前から、笑わなくなったのよ。笑っても、なんだか薄っぺらい笑顔で。それで、気になってクラス担任の先生に電話で訊いてみたんだけど、何も問題はありませんって言われて。まあ、よく考えてみれば、先生が問題ありますなんて堂々と言うはずが無いわよね」
脳裏に担任の顔が浮かんで、腹が立った。いじめの存在に気づいていながら「問題無し」とよく保護者に言えたものだ。
「で……まさかと思って、宇垣くんに訊いてみたんだけど、そのまさかだったとはね」
ふぅ、と息を吐く母親は、いたって冷静だ。取り乱すことも、宇垣智秀を責めることもしない。
「宇垣くんは真純がいじめられているのを知ってるのね?」
「――はい」
隠し通すのは不可能だった。真純との約束を違えたことに胸が痛んだが、この母親をうまく言いくるめることはできないと諦めた。
だがせめて、知られたということは真純には隠しておきたい。
「今まで言わなくてすいませんでした。でも、あの……真純さんは、いじめられてるのを両親に知られたくなかったから、秘密にして欲しいって言ってて」
「わかってるわよ。心配かけたくないって、思ったんでしょ。あの子は自分よりも他人のこと考えるから、困ったものよねぇ」
「じゃあ……!」
母親は口もとに笑みを浮かべた。
「あの子には、何も知らないフリをするわ。もちろん、夫にも」
「お父さんはまだ気づいていないんですか?」
「当然じゃない。知ってたら、今頃、学校と大揉めしてるわ」
ということは、真純の不登校の原因を知っているのは、この母親だけということだ。
「それで、こんな時間に真純に会いに来たのは、あの子に何か頼まれたからじゃない?」
もうここまできたら、包み隠さず話そう。
「話を、聞いたんです」
「はなし?」
「はい。真純さんから電話がかかってきたんですど、途中で終わってしまって。それで、会って話の続きを聞きに」
母親は瞳を細めて、見つめてくる。
「どんな話だったの?」
「明日から、学校に行くって。真純さんは言いました」
「……そう」
静かに、一片の驚きも見せず、母親は頷いた。
「宇垣くんのおかげね」
「僕の?」
「あの子が、また学校に行こうと思ったのは、きっと宇垣くんが元気づけてくれたからよ。宇垣くんが毎日家に来てくれるようになってから、あの子、笑うようになったもの」
穏やかな笑顔が、街頭に照らされていた。
「真純のこと、よろしくお願いね」
それは、宇垣智秀を信頼しての言葉だった。
責任を感じながら、智秀はハッキリと「はい」と答えた。




