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16

階段を真純と一緒に下りていくと、すぐに彼女の父親が階段近くのドアから飛び出してきた。

「真純! 大丈夫か、ヘンなことされなかったかぁ!?」

「わ、お父さん!」

「宇垣クンだったなぁ」

じろっと父親に睨まれる。

「うちの娘に何かしたら、ただじゃすまさんぞ!」

「は……はぁ」

なんだか激しく勘違いされている。


僕と赤崎さんはただのクラスメートなんだけど……。


赤崎真純の父親は、過保護というか、心配性というか。

けど、それはそれで良いことだろう。どちらにしても、大切に育てられているのに変わりはないのだから。

「お父さんは出てこないで!」

「なっ、お父さんはお前のことが心配でだなぁ」

「心配なんてしなくていいの!」

だが残念ながら、父親の気持ちは、当の娘には伝わっていないようだ。

ほほ笑ましい。

けど、反面、背筋が冷たくなる。

この父親は、真純を大事にしている。もし、彼女が学校でいじめられているのを知ったら、大騒ぎになるだろう。学校に殴り込みに行くかもしれない。あるいは、真純を転校させようとするかもしれない。

真純がいじめられているのを、両親に知られるわけにはいかない。改めて、そう思った。

「宇垣くん、帰るの?」

母親が出て来た。

「あ……はい。夜遅くにお邪魔して、すいませんでした」

「ううん。いいのよ。宇垣くんが会いに来てくれて、真純も嬉しかったでしょうし。ね、真純」

話を振られた真純は、困った瞳で母を見た。

「もぉ……お母さん」

「ふふ、照れちゃって」

真純の顔が赤くなっていく。

恥ずかしいらしい。


僕がいると、赤崎さんがからかわれちゃうな。


真純のためにも、早いところここを出よう。

そう思って、彼女の母親と父親に軽く頭を下げる。

「じゃあ、僕はこれで」

「あ……宇垣くん」

上がり框を降りて、靴を履こうとしたところで、真純に呼ばれた。つま先を靴に突っ込んで、振り向く。

「うん?」

「今日……会いに来てくれて、ありがと」

はにかんだような笑顔で礼を言われた。

靴を完全に履いたら、真純に体を向ける。

「また明日ね、赤崎さん」

「うん。また……明日」

明日の意味を知っているのは、宇垣智秀と赤崎真純のみ。


また明日。

学校で、会おう。


彼女に背を向けて、玄関の鍵を開ける。

と、背後から。

「すぐそこまで、お見送りするわ」

という、真純の母親の声がした。

驚いて振り返る。

「え……いいですよ、そんな」

「いいから、いいから。ささ、行きましょ」

母親に背中を押される。

どうしたらいいのか分からない。

真純のほうを見ると、彼女も戸惑った様子だったが、止めようとはしない。

ハァと真純はため息を吐いて。

「お母さん、宇垣くんにヘンなこと言わないでよ」

「わかってるわよ。ふふ、じゃあちょっと行ってくるわね」

ぐいぐい背中を押され、玄関を開ける。

玄関から一歩出たところで、真純を振り返った。

「じゃあ、赤崎さん、おやすみ」

「あ……うん、おやすみ!」

彼女の言葉を聞き届けると、真純の母親と一緒に家を出た。

「すいません、わざわざ見送りなんて」

「いいの、いいの。真純に会いに来てくれた人なんだもの」

赤崎家の門を出る。

街頭がまばらな夜道は、昼のそれと違って薄気味悪い。あまり通い慣れた道ではないから、そう感じるのかもしれない。

「それにしても、宇垣くんはホントにイイ子ね」

「は……」

いきなり褒められてもどう答えればいいのかわからず、言葉を継げなかった。だが真純の母親は気にしたふうもなく、続ける。

「ほんとに。真純ももうちょっと宇垣くんを見習って欲しいわ。あの子、勉強はからっきしダメなのよ」

「……勉強ですか。でも、あかざ――真純さんは、性格がすごくいいから、僕のほうが真純さんを見習いたいぐらいですよ」

「あら、上手」

笑い混じりの声だった。

やがて、人気の無い、交差点にさしかかる。さすがに悪い気がしてきて、隣を歩く女性に言う。

「あの、ここまでで大丈夫です。あとは一人でも帰れますから」

「そう?」

「はい。お見送り、ありがとうございました」

頭を下げて礼を言った。

そして、帰途へ足を踏み出そうとした時。

「そうそう。ひとつ聞きたいんだけど」

呼び止められ、彼女のほうを向く。

すぐ傍の街頭から降る青白い光に、真純の母親の姿が照らされていた。その表情は、笑っていながらも、どこか真剣だった。

「真純が学校を休んでる理由って、ひょっとして、いじめじゃない?」

街頭の光とは比べものにならないほどの白が、一瞬、視界を埋め尽くした。

この人が何を言ったのか。

この人に何を言われたのか。

すぐに理解できなかった。

「……正解みたいね」

喜びも落胆も無い、平坦な口調。

「どう、して……」

「宇垣くんはとっさに嘘がつけないみたいね。顔色一つでわかるわ」

「そうじゃなくて、なんで、いじめが原因だなんて」

軽い目眩を覚えたまま、尋ねる。

思考の全てを、眼前の女性に真実を隠す方法を必死に模索することに使う。

「どうしって言われても……女の勘、かしら。最近、真純の様子がヘンだったから、いろいろ考えたのよ。親のわたしが言うのもなんだけど、あの子が学校サボり続けるなんて、よっぽどのことが無いとありえないわ」

下手な嘘は逆効果だ。

知らない、とはもう言えない。

「あの子、学校を休み始めるちょっと前から、笑わなくなったのよ。笑っても、なんだか薄っぺらい笑顔で。それで、気になってクラス担任の先生に電話で訊いてみたんだけど、何も問題はありませんって言われて。まあ、よく考えてみれば、先生が問題ありますなんて堂々と言うはずが無いわよね」

脳裏に担任の顔が浮かんで、腹が立った。いじめの存在に気づいていながら「問題無し」とよく保護者に言えたものだ。

「で……まさかと思って、宇垣くんに訊いてみたんだけど、そのまさかだったとはね」

ふぅ、と息を吐く母親は、いたって冷静だ。取り乱すことも、宇垣智秀を責めることもしない。

「宇垣くんは真純がいじめられているのを知ってるのね?」

「――はい」

隠し通すのは不可能だった。真純との約束を違えたことに胸が痛んだが、この母親をうまく言いくるめることはできないと諦めた。

だがせめて、知られたということは真純には隠しておきたい。

「今まで言わなくてすいませんでした。でも、あの……真純さんは、いじめられてるのを両親に知られたくなかったから、秘密にして欲しいって言ってて」

「わかってるわよ。心配かけたくないって、思ったんでしょ。あの子は自分よりも他人のこと考えるから、困ったものよねぇ」

「じゃあ……!」

母親は口もとに笑みを浮かべた。

「あの子には、何も知らないフリをするわ。もちろん、夫にも」

「お父さんはまだ気づいていないんですか?」

「当然じゃない。知ってたら、今頃、学校と大揉めしてるわ」

ということは、真純の不登校の原因を知っているのは、この母親だけということだ。

「それで、こんな時間に真純に会いに来たのは、あの子に何か頼まれたからじゃない?」

もうここまできたら、包み隠さず話そう。

「話を、聞いたんです」

「はなし?」

「はい。真純さんから電話がかかってきたんですど、途中で終わってしまって。それで、会って話の続きを聞きに」

母親は瞳を細めて、見つめてくる。

「どんな話だったの?」

「明日から、学校に行くって。真純さんは言いました」

「……そう」

静かに、一片の驚きも見せず、母親は頷いた。

「宇垣くんのおかげね」

「僕の?」

「あの子が、また学校に行こうと思ったのは、きっと宇垣くんが元気づけてくれたからよ。宇垣くんが毎日家に来てくれるようになってから、あの子、笑うようになったもの」

穏やかな笑顔が、街頭に照らされていた。

「真純のこと、よろしくお願いね」

それは、宇垣智秀を信頼しての言葉だった。

責任を感じながら、智秀はハッキリと「はい」と答えた。


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