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ふう、と智秀は息を吐いた。

それまで動かしていた手を休めて、机の上の時計に目をやると、九時十五分を過ぎたところだった。シャープペンシルをノートの上に転がして、休憩を取ることにする。

明日の塾の予習も、あと少し。


のど渇いたな……。


お茶を飲みにリビングへ行こう。ちょうどそう考えた時だった。

机の片隅に置いてあった携帯電話がいきなり震え出した。マナーモードで音を切ってあるが、それでもビックリした。

メールだろう、と思ってしばらく見ていた。メールだったら、都合三回でバイブレーションが止まるようになっている。

けれど、携帯の振動は三回では終わらなかった。

いつまでも震えている。

電話の着信だった。


電話なんて珍しいな。

誰だ……冬園か?


画面を見てみると、登録されていない電話番号が表示されていた。迷惑電話かもしれない。

終話ボタンを親指で押そうとした。

が、寸前で指が止まる。


ひょっとして――!


すぐに通話ボタンを押し、受話部分を耳に押し当てた。

「もしもし」

電話に出て、全神経を耳に集中させる。

聞こえてきたのは、『あ……』という戸惑った声だった。

『えっと……赤崎、真純です』

「赤崎さん」

予感的中だった。

『いま、いい?』

「うん。いいよ。ちょうどヒマしてたところ」

『そっか……よかった』

向こうでため息をついたらしい、スピーカーからノイズのような雑音が聞こえた。

「どうしたの?」

『うん……』

頷くと、真純はそれきり、黙ってしまった。

何を話そうとしているのか。

早く知りたかったが、先を急かすようなマネはしない。あくまでも彼女のペースを遵守しなければいけない。

そして、時計の針の音をどれくらい聞いただろうか。

真純はようやく口を開いた。

『あのね、わたし……やっぱり――』

そこで、携帯をあてがっていない方の耳に、ドアが荒々しく開けられる音が聞こえた。

「智秀!」

振り返る間もなく、野太い怒鳴り声が部屋に響く。

反射的に携帯電話を耳から離し、終話ボタンを押した。

「話し声が聞こえると思ったら……お前、いま何をしてる!」

部屋にノックも無しに入ってきた父親が、激昂した相貌で見下ろしていた。

「何って……休憩していたんですよ」

「勉強机に座って携帯いじってるのが休憩かッ!」

ビリビリと智秀の鼓膜が震える。

「勉強机に座ってる間は、勉強するのが当然だろ! そんな携帯電話で遊んで、気がたるんでる証拠だ!」

胃の中のモノが燃え出したような、わずかな怒りを覚えた。

「遊んでたわけじゃありません。友達と大切な話をしていたんです。父さんこそ、盗み聞きしてたんですか」

「俺はこれから風呂に入ろうとして、部屋の前を通りかかっただけだ!」

視線がぶつかり合う。

気圧されてしまいそうになるが、必死で父親の双眸を睨み続ける。

「友達と話すなら、明日学校で話せばいいだろう!」

「それができない人だから、今、電話してたんです!」

「ごちゃごちゃ言い訳するな!」

父親は壁に思い切り拳をたたきつけた。それで思わず、智秀の背筋は硬直してしまう。

「とにかく、勉強中は勉強以外のことは考えるな! そもそも遊び道具があるからダメなんだ! 携帯は没収だ、寄こせ」

いかつい手の平が差し出される。

けど、智秀は携帯を背中に回したまま、渡そうとしない。

我慢ができなくなった父親は、無理やり智秀の腕をつかみ、携帯をむしり取った。

「いいか、お前のやることは勉強だ、忘れるな!」

ドアを乱暴に閉め、父親は出て行った。

捕まれた二の腕が痛い。

「……くそッ!」

自分が不甲斐なかった。父親の腕力に抵抗できなかった以前に、気持ちですでに負けていた。

いつだって、こうだ。

父親に怒られて、ああしろこうしろと怒鳴られて。結局、反抗できずにいる。

智秀は奥歯を噛んでいた。

とにかく、これでは赤崎真純との電話はもう不可能だ。携帯電話であの父親の怒りようだ。家の固定電話は使えないし、そもそも、彼女の携帯の電話番号を知らない。


なんの話だったんだ……?


メールを使わず、わざわざ肉声で話しかけてきたことには、何か大事な意味があるはずだった。そして、その意味を、宇垣智秀は知らなければいけない。

きっと学校のことについてだろう。

もしかすると……真純は進む道を決めたのかもしれない。そしてそれを伝えるために、電話をかけてきたのかもしれない。

もしそうなら、明日の夕方まで話を聞くのを待つわけにはいかない。


今すぐ聞かないと!


時計を見る。

時刻は九時三十分を過ぎている。


遅いかもしれない、けど……!


鍵と財布をズボンのポケットにつっこむ。

普段着を着ていたのでいちいち着替える手間が無かった。宇垣家では一番風呂は父親のものと決まっていて、今日はその父親の帰宅がずいぶん遅かったので、まだ風呂の順番が回ってきていなかった。

ある意味、好都合だった。

父親はこれから入浴だと言っていた。上手くいけば、気づかれずに家を出られるかもしれない。


叶さん――。


ハンガーにかかっている制服の胸元からロザリオを取り出し、しばらく見つめ、祈った。

親に堂々と立ち向かうだけの勇気を下さい、と。


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