11
ふう、と智秀は息を吐いた。
それまで動かしていた手を休めて、机の上の時計に目をやると、九時十五分を過ぎたところだった。シャープペンシルをノートの上に転がして、休憩を取ることにする。
明日の塾の予習も、あと少し。
のど渇いたな……。
お茶を飲みにリビングへ行こう。ちょうどそう考えた時だった。
机の片隅に置いてあった携帯電話がいきなり震え出した。マナーモードで音を切ってあるが、それでもビックリした。
メールだろう、と思ってしばらく見ていた。メールだったら、都合三回でバイブレーションが止まるようになっている。
けれど、携帯の振動は三回では終わらなかった。
いつまでも震えている。
電話の着信だった。
電話なんて珍しいな。
誰だ……冬園か?
画面を見てみると、登録されていない電話番号が表示されていた。迷惑電話かもしれない。
終話ボタンを親指で押そうとした。
が、寸前で指が止まる。
ひょっとして――!
すぐに通話ボタンを押し、受話部分を耳に押し当てた。
「もしもし」
電話に出て、全神経を耳に集中させる。
聞こえてきたのは、『あ……』という戸惑った声だった。
『えっと……赤崎、真純です』
「赤崎さん」
予感的中だった。
『いま、いい?』
「うん。いいよ。ちょうどヒマしてたところ」
『そっか……よかった』
向こうでため息をついたらしい、スピーカーからノイズのような雑音が聞こえた。
「どうしたの?」
『うん……』
頷くと、真純はそれきり、黙ってしまった。
何を話そうとしているのか。
早く知りたかったが、先を急かすようなマネはしない。あくまでも彼女のペースを遵守しなければいけない。
そして、時計の針の音をどれくらい聞いただろうか。
真純はようやく口を開いた。
『あのね、わたし……やっぱり――』
そこで、携帯をあてがっていない方の耳に、ドアが荒々しく開けられる音が聞こえた。
「智秀!」
振り返る間もなく、野太い怒鳴り声が部屋に響く。
反射的に携帯電話を耳から離し、終話ボタンを押した。
「話し声が聞こえると思ったら……お前、いま何をしてる!」
部屋にノックも無しに入ってきた父親が、激昂した相貌で見下ろしていた。
「何って……休憩していたんですよ」
「勉強机に座って携帯いじってるのが休憩かッ!」
ビリビリと智秀の鼓膜が震える。
「勉強机に座ってる間は、勉強するのが当然だろ! そんな携帯電話で遊んで、気がたるんでる証拠だ!」
胃の中のモノが燃え出したような、わずかな怒りを覚えた。
「遊んでたわけじゃありません。友達と大切な話をしていたんです。父さんこそ、盗み聞きしてたんですか」
「俺はこれから風呂に入ろうとして、部屋の前を通りかかっただけだ!」
視線がぶつかり合う。
気圧されてしまいそうになるが、必死で父親の双眸を睨み続ける。
「友達と話すなら、明日学校で話せばいいだろう!」
「それができない人だから、今、電話してたんです!」
「ごちゃごちゃ言い訳するな!」
父親は壁に思い切り拳をたたきつけた。それで思わず、智秀の背筋は硬直してしまう。
「とにかく、勉強中は勉強以外のことは考えるな! そもそも遊び道具があるからダメなんだ! 携帯は没収だ、寄こせ」
いかつい手の平が差し出される。
けど、智秀は携帯を背中に回したまま、渡そうとしない。
我慢ができなくなった父親は、無理やり智秀の腕をつかみ、携帯をむしり取った。
「いいか、お前のやることは勉強だ、忘れるな!」
ドアを乱暴に閉め、父親は出て行った。
捕まれた二の腕が痛い。
「……くそッ!」
自分が不甲斐なかった。父親の腕力に抵抗できなかった以前に、気持ちですでに負けていた。
いつだって、こうだ。
父親に怒られて、ああしろこうしろと怒鳴られて。結局、反抗できずにいる。
智秀は奥歯を噛んでいた。
とにかく、これでは赤崎真純との電話はもう不可能だ。携帯電話であの父親の怒りようだ。家の固定電話は使えないし、そもそも、彼女の携帯の電話番号を知らない。
なんの話だったんだ……?
メールを使わず、わざわざ肉声で話しかけてきたことには、何か大事な意味があるはずだった。そして、その意味を、宇垣智秀は知らなければいけない。
きっと学校のことについてだろう。
もしかすると……真純は進む道を決めたのかもしれない。そしてそれを伝えるために、電話をかけてきたのかもしれない。
もしそうなら、明日の夕方まで話を聞くのを待つわけにはいかない。
今すぐ聞かないと!
時計を見る。
時刻は九時三十分を過ぎている。
遅いかもしれない、けど……!
鍵と財布をズボンのポケットにつっこむ。
普段着を着ていたのでいちいち着替える手間が無かった。宇垣家では一番風呂は父親のものと決まっていて、今日はその父親の帰宅がずいぶん遅かったので、まだ風呂の順番が回ってきていなかった。
ある意味、好都合だった。
父親はこれから入浴だと言っていた。上手くいけば、気づかれずに家を出られるかもしれない。
叶さん――。
ハンガーにかかっている制服の胸元からロザリオを取り出し、しばらく見つめ、祈った。
親に堂々と立ち向かうだけの勇気を下さい、と。




