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「叶さん!」

家の玄関の前で鍵を取り出した叶を、やや離れた場所から呼んだ。驚いた顔で、彼女こちらを振り返る。

「智秀くん――?」

知らぬ間に、智秀は叶のもとまで駆けていた。

目の前まで行くと、彼女はほほ笑みを浮かべつつ、不思議そうに首をかしげた。

「今までどこにいたの?」

「そこの、図書室です」

叶は「そうだったの」とちょっと驚いたようだった。

「信者会館にいたのね」

「は……信者?」

「あの建物の名前よ」

彼女の細い人差し指が、いま出て来た長方形の建物を指した。思わず智秀は、彼女が示す信者会館を振り返った。

「わたしを待っててくれたのよね。ごめんなさい。今日は委員会があって、帰りが遅くなっちゃったの」

「いえ、そんな……僕が勝手に待ってただけで」

こうして青樹叶に会えただけでも、待っていた甲斐がある。しみじみ感じていた。声を聞けただけで、今までの時間が報われた、と。

「でも、待たせちゃったのは本当のことでしょう」

彼女は嫌な顔を少しも見せず、ほほ笑んだ。

「今日も、相談?」

「……はい」

「じゃあ、まずは家の中に入りましょう」

玄関を開けようとした叶を、慌てて言葉で止めた。

「叶さん。今日は、いいです。ここで話せるだけで」

「え。どうして?」

鍵を扉に差し込んだまま、彼女はこちらを向いた。

「その……一つ、訊きたいことがあるだけなんです」

智秀は自分の胸元に手を置いて、言葉を続ける。

「先週から学校に来なくなったクラスメートの話は、しましたよね」

「うん」

「その人と毎日放課後、会うようにしたんです。今日も、その人の家に行ったんですけど、そしたらいきなり〝学校に行く理由〟を訊かれました。あの子は……きっと、学校に行くかどうかをいま悩んでるんです。僕は――一体、どう助言すればいいと思いますか?」

言葉の足らなかったであろう質問に、叶はしばらく考えるように目を伏せていた。その双眸が、ふとこちらを見る。

「学校に行かせた方がいいと思ってるけど、そんなことをしたらその子が苦しむんじゃないかって、智秀くんは考えてるのね」

全てを見抜いたような瞳に見つめられ、「はい」と頷いた。

「……そうね」

彼女は瞼を一瞬閉じ、すぐに穏やかな笑みを向けてきた。

「助言なんて、いらないと思うわ」

「え――」

思わぬ返答に、口が開いた。

「その子が決めたことを、応援してあげれば、それでいいんじゃないかしら」

「応援……ですか」

「うん。学校に行くかどうか、最後に決めるのは、やっぱりその人自身だもの。周りがとやかく言って決めることじゃないわ」

叶のその返答に、疑問を抱いた。

「でも……学校には行ったほうが、やっぱりいいんじゃないんですか? 高校受験を控えてるんですから……」

その問いに、叶はすぐに答えた。

「そうね。行かないよりは、行った方が何かといいでしょうね。智秀くんの言うことも正しいわ。でも、その子は今の学校には行きたくないのよね」

「はい……たぶん」

「じゃあ、思い切って転校したらどうかしら」

「転校――!?」

予想もしなかった言葉に戸惑った。

「学校を、変わるんですか」

「そうよ。転校してしまえば、いじめは無くなるでしょう」

たしかにそうだ。

違う学校に行けば、初めて会う人達ばかり。そうなれば、前の学校のようないじめは起きえない。

叶の言うとおりだ。

けれど、それは――

「もちろん、これまでの友達とは別れなくちゃいけないわ。だから転校は、本当にもう、どうしようもなくなった時の手段ね。……その子がどんな道を選ぶかは、わたしにもわからないわ」

けどね、と叶は穏やかに言葉をつなぐ。

「一つだけハッキリしているのは、その子が、自分を受け止めてくれる人を必要としていること。智秀くんが本当にその子のことを考えるならその子がどんな道を選んでも、笑顔で応援してあげるべきだと、わたしは思うわ」

そう言った彼女の声そのものも、強制的な口調ではなく。ごく控えめで、けれども、凛とした自信に満ちていた。

押しつけがましい感じのしない、柔らかな彼女の一言ひと言は、違和感なく耳から入って来て、体内に溶け込んでいくようだった。

まるで魔法のように。それまで胸中にあった迷いがすっかり消えていた。自分のするべきことを掴んだ手応えが、あった。


赤崎さんのためを思うなら、アドバイスだなんて、しないべきだった。

手を引いて、行き先を決めるんじゃなくて。

傍で見守っていて、赤崎さんが困った時にこそ、手を差し伸べてあげればいいんだ!


目の前にいる女子高生とは、たった二つしか歳は変わらない。しかし、その二年間はとてつもなく大きな距離に感じられた。

彼女は宇垣智秀なんかよりも、何倍もの知識と見識を備えている。そう、思った。

「叶さん、ありがとうございます!」

心の底から、畏敬と感謝を捧げた。

すると、叶は照れたように笑った。

「智秀くんはいつも、わたしに〝ありがとう〟って言うのね。ちょっと大げさ過ぎるわよ」

「そんなことありません、叶さんはいつも気づかないことを気づかせてくれるし、知らないことを教えてくれます。どれだけお礼を言っても足りません。それに、これも――」

制服の内ポケットから、金色のロザリオを取り出して見せる。

あっ、と叶は驚いた声をもらした。

「それ……いつも持っててくれているの?」

「はい! 学校で気持ちが負けそうな時に、これに支えてもらっています!」

「そうなの」

宇垣智秀の手にある金のロザリオを見る叶は、幸福に満ち満ちた笑顔を浮かべていた。

「大切にしていてくれて、ありがとう」

そんな彼女の言葉に、思わず、少し笑ってしまう。

「お礼を言うのは、僕の方ですよ」

ロザリオを胸元にしまい込み、続ける。

「何も連絡せずに会いに来ても、いつも相談にのってもらっちゃって。ひょっとしたら迷惑かけてるんじゃないかって、ほんとは不安なんです」

「迷惑なんて。そんなこと全然ないわ。智秀くんの助けになれているなら、わたしはとっても嬉しいんだから」

嘘でも、社交辞令でもない。幸せそうな言葉。きっとそれは彼女の本心。今、一片の疑いも抱かずに信じられる。

「じゃあ……そろそろおいとまします。叶さん、ありがとうございました」

「うん。また、会いに来てね」

「はい!」

お互いにさようならを言って別れる。

手を振って彼女に背を向け、教会を後にした。

足取りが軽い。

さっきまで抱いていた悩みは霧散していた。

赤崎真純がどんな道を選んでも、自分だけは、必ず彼女を受け止めてあげよう。

暗くなりつつある空を見上げて、智秀は頷いた。


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