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教会の聖堂は、今日も変わらず、街中にあって異様なほどの大きさを誇るようにそびえていた。

教会の門を、くぐる。

今日は教会に入ることを躊躇しなかった。慣れたのかもしれない。

すぐ右手にある彼女の家に歩いていき、玄関のドアの隣にあるインターホンを押した。

軽快な音がドアの向こうから聞こえた。

しばらく待つ。

が、誰も出てくる気配はなかった。


……叶さん、いないのかな?


もう一度、インターホンを鳴らしたが、やはり誰も出てこない。

家の辺りを見回してみると、いつもは玄関先に駐まっている彼女の自転車が、今日は無かった。彼女はまだ学校から帰っていないのだろう。

どうしようか。

逡巡する。

教会に来たのに、彼女に会えないまま帰るのは嫌だった。


十分。

それだけ待ってても会えなかったら、今日は帰ろう。


彼女の帰りをしばらく待ってみることに決める。

その間どこにいようか、と一瞬悩んだが、すぐにいい場所を思いついた。

聖堂。

よく考えると、教会に数回も訪れていながら、今まで聖堂に入ったことがなかった。内側がどんなふうになっているのか、興味があった。

青樹叶の家を離れて、すぐ隣の聖堂に足を向ける。

階段を上っていき、その扉の前に立つ。

扉の間近までくると、ますます聖堂の巨大さに圧倒される。塔を見るには、ほとんど垂直に顔を上げなければいけなかった。

扉は黒色で左右の二枚から成っていた。まるでファンタジー映画に出てくるお城の扉のように厳かで重量感がある。扉のすぐ上には、剣を持ち、悪魔を踏みつけている天使の白い浮き彫りの彫刻。

生まれて初めて聖堂に入るということで、緊張と好奇心とが胸に混在していた。

扉にそっと手をかけ、押し込む。


――あれ?


扉はビクともしなかった。

首をかしげながらも、もう一度、今度は力いっぱいに押す。けれども、一ミリも扉は動かない。力士につっぱりをしているような気分だった。

一歩後ろに下がり、扉をじっと見る。

ひょっとして、今の時間、聖堂は開放されていないのかもしれない。

そんなふうに疑っていると、目の前の黒い扉のすぐ横から人が出てきた。肌の黒い、アジア系の若い女性だった。女性は智秀の横を通り過ぎ、階段をゆっくり下りていく。

「……あ」

女性の出てきたほうを見ると、小さな四角い黒いドアがあった。どうやら、そこが聖堂の出入口らしい。

自分がなんだかマヌケに思えて、恥ずかしかった。


こんなすぐ隣にあるのに、気づかなかったなんて。

もうちょっと周りを見ないとな……。


気を取り直して、そのドアに手をかける。

ドアは分厚く、引くのに力が要った。

聖堂内に入る。

直後、

「――」

異世界に迷い込んでしまったような錯覚に襲われた。

すぐに首を振ってその幻覚を振り払うが、ひとたび五感にこびりついた印象はどうしても拭えない。

聖堂の中は薄暗く、シンと静まりかえっていて、肌に触れる空気は怪しげな冷気を持っている。

目の前には木製の長椅子が道を挟んで左右にいくつも並んでいて、その道の先には、柵で仕切られた聖壇があった。

ドアが閉まる。

吸い込まれるように、聖壇のほうへ歩いていく。

どの椅子にも人影はない。

車のエンジン音も、街の雑踏も、何も聞こえない。それが、まるでここが世界と隔絶された空間だと錯覚させる。

街中にある教会も異質に思えたが、この聖堂内は異質なんてものではない。今まで触れてきた何物よりも、人間から離れた場所にある建築物。

神の家、という言葉を聞いたことがある。この聖堂には、まさにその表現がしっくりくる。

頭上の遥か高い位置にある天井は広大で、その全てを一度に視野に収めることは叶わない。自分の存在が小さく思えてくる。


これが、聖堂……。

街中にこんな場所があったんだ。


床にはステンドグラスから降り注ぐ、赤、青、黄、緑など色とりどりの光が零れ落ちている。

前方の聖壇には十字架にかけられた男性を表したステンドグラスが見える。左右の壁にも、縦長の色鮮やかなステンドグラスがはめられている。それぞれにロウソクや人の顔が表されていた。おそらく、その一つひとつに意味や由来があるのだろう。

椅子と椅子との間を歩いていき、聖壇の前まで来た。

聖堂内でひときわ大きいステンドグラス。

そこに描かれている男性を見上げる。


イエス・キリストだよな、この人。

名前だけなら知ってるけど。

どんなことをした人なんだろ?

……。

聖書なんて開いたこともないからなぁ。


と、それまで静寂だった空間に、突然ドアの開く音がした。

驚いて、音の聞こえたすぐ左手側を見る。

聖壇に向かって左の壁にある木製のドアから、金髪の若い白人の女性が出てくるところだった。その女性はジーパンに桃色のタンクトップという軽装だった。

タンクトップの胸元に、自然と目が留まる。

外国人の放漫なバストがタンクトップの中で窮屈そうに寄せ合わさっていて、悩ましい、深い谷間を作っていた。

「――っ」

思わず視線を向けていたことに気づいて、智秀はすぐにステンドグラスへ目を向けた。


ダメだ、ダメだ!

こういうのは冬園のすることだ!


女性は何事もなく智秀の横を通って、聖堂を出て行く。扉が閉まる音が背中に聞こえて、ふうと息を吐いた。

背後を振り返って、女性が去ったことを確認する。

と――

「学校帰りかな?」

声が投げかけられた。

また驚いて、さっき女性が出てきたドアのほうを振り向く。今度は日本人の男性が、そこに立っていた。

「は……はい、そうですけど」

訝りながら答える。

男性はゆっくりと近づいてくる。全身黒い洋服に包まれていてかなり恐いが、鼻に乗った小さな眼鏡の奥にある瞳の目尻はとろんと垂れており、穏和な印象も受ける。

髪は短髪で、白髪が見え隠れしている。

年齢は四〇後半ほどだろうか。

「珍しいね。学校帰りの学生がここに寄るなんて」

目の前まで来ると、男性は笑った。背は智秀よりも高い。

その胸元に、金色に光るロザリオを見た。

「きみも懺悔聴聞希望者かい?」

男性は聞き慣れない言葉を口にした。

「ざんげ……ちょうもん……?」

「なんだ、違うのか」

意外そうに言うと、男性は思い出したように、ジッと智秀の顔をのぞき込んでくる。

「そういえば、きみの顔を見るのは初めてだね。どこの教会に通ってるんだい?」

「あ……僕、信者じゃないんです」

慌ててそう言った。

すると男性は、むむっ、と眉間に何本も皺を寄せる。

「じゃあ、この教会にわざわざどうして?」

「えっと……人に、会いに来たんです。でも、まだ帰ってきてなかったから、ここで少し待っていようと思って」

「――もしかして」

男性は瞳を細めた。

「その人は、ここに住んでいる女子高生かな?」

見抜かれた。


この人……誰だ?


目の前の男性が何者なのか、いっそう疑問に思いつつも、智秀は素直に頷いた。

すると、男性は破顔して、顔一面に笑顔を浮かべた。

「そうか、きみが叶ちゃんの言っていた男の子か!」

屋外でなら普通の声量も、この静かな空間では大きく聞こえた。それ以前に、誰もいないからといって、聖堂で声を出していいものだろうか。

「……叶、ちゃん?」

ずいぶん親しげな呼び方だ。

この男性は青樹叶とどういう関係なんだろう。

そう思っていると、

「ああっと、そうだった。自己紹介してなかったね。私はこの教会で神父をしている、伊吹浩介だ」

神父――。たしかに言われてみれば、神父のような服装をしている。

教会に住む青樹叶を〝叶ちゃん〟と呼ぶのも、教会つながりで知り合いだからだろう。

「僕は、宇垣智秀です」

「智秀くんだね。名前は聞いていなかったが、叶ちゃんから話には聞いているよ」

どんなふうに話されているのか、若干気になったが、伊吹神父が続けざまに口を開いた。

「叶ちゃんに会いに来たんだろう。だったら、ここじゃなくて、図書室で待っているといい。あそこなら、教会の門が見える」

「図書室って、どこにあるんですか?」

「教会の隣に、建物があるだろう。そこの二階に、図書室がある。中に入ればすぐにわかるよ」

神父は親切に教えてくれた。どうやら悪い人ではなさそうだった。

「じゃあ、行ってみます」

「うん。叶ちゃんと仲良くしてやってくれよ」

ありがとうございました、と礼を言ってから、神父に背を向ける。

少し視線を上げると、聖堂の二階部分が見えた。

巨大なパイプオルガンが左右にせり出していて、その中間の奥では、ステンドグラスに描かれた聖母マリアのが輝いていた。


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