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彼を玄関まで見送ると、わたしはすぐに部屋へ戻った。
勉強机の上に放り出されている携帯電話を手にとって、ベッドに座る。わたしの携帯はピンク色の、二つ折りのタイプだ。
携帯を開いて終話ボタンを長押しにしていると、数秒後、真っ暗だった画面に光が灯った。電源を入れたのだ。
学校を休み始めるよりも前から、携帯の電源はずっとオフにしていた。友達からメールが送られてきたけど、全部、ひどい言葉で埋め尽くされたメールばかりだった。時には知らない人からのメールもあった。だから、どうせ電源なんて入れていてもしかたなかった。
きっと、たくさんメール、たまってるよね。
パスワードを入力すると、待ち受け画面が現れた。少しだけ胸が苦しくなる。仲良しの女子と一緒に写った写真が、待ち受けの画像だった。
たしか、この写真は春休みに二人で遊んだときに撮ったものだ。
春の始業式で、同じクラスになれたことをお互い喜んでいた。けれど今は、もう一言も交わさない。彼女はわたしをいじめる側に回ってしまっている。
このときは、まだルリと普通に話せてたな。
まさか二ヶ月後に絶交状態になるなんて、思ってなかった。
写真を見てると、その子との楽しかった毎日が自然と思い出されて、苦しくなった。わたしたちの関係は、過去と現在とで、あまりにも違いすぎる。
携帯上でアドレス帳を開く。五十音順に、登録されている人たちの名前が現れた。
わたしは〝新規作成〟を選択した。
画面に、名前や住所、メールアドレスなどを入力するフォームが出てきた。
名前の欄に、宇垣智秀、と入れる。
「えっと」
枕元に置いてある小さな紙切れを手元に持ってくる。そこには宇垣くんの携帯の電話番号とメールアドレスが黒ボールペンで書かれていた。
ついさっきまでいた宇垣くんは、帰って行く時に、わたしにこれをくれた。
もしなにかあったら気軽に連絡して、と彼は言って、生徒手帳のメモ用ページを一枚破り取ると、アドレスと電話番号を書き込んで渡してきたのだった。
「090の――」
入力フォームを埋めながら、わたしは幸せな気分になっていた。アドレス帳にまた一人加る喜びだとか、そんな薄っぺらなものじゃない。もっと、別のところでわたしは満たされていた。
メールアドレスを入力し終えたところで、〝完了〟のボタンを押した。
画面は待ち受けに戻る。わたしはすぐにもう一度、アドレス帳を開いた。彼の名前が、そこにあることを確認する。
ちゃんと追加されていた。
宇垣智秀、という四文字が、他の人の名前よりもずっと大きく見えた。
宇垣、智秀くん……。
携帯の画面を見つめたまま、ベッドにごろんと横になる。
嬉しかった。
彼が味方になってくれると言ってくれて、張り詰めていたひもが緩んだように、心が安らいだ。
大丈夫と言ってくれた声。
わたしの両手を包んでくれた温もり。
涙を拭い去ってくれたハンカチ。
全てが優しくて、わたしはあの時、また泣いてしまった。学校では絶対に泣かずにいたのに。宇垣くんの前で、もうこれで二回も泣き顔を見せたことになる。
泣き虫って、思われてるかな。
アドレス帳を見ていて、急に恥ずかしくなってきた。親の前でも泣いたことなんてそんなに無いのに、クラスメートの男子、しかも彼に見られるなんて。
恥ずかしい。
恥ずかしい、けど。
なんだか、彼になら見せてもいいような気もした。今まで数回も話したことのない、友達でもない、クラスメートの男子なのに。
宇垣くんは、友達じゃないよね。
まだ話した回数も少ないんだから。
でも……友達って、なんだろう。
自分の携帯のアドレス帳に何件登録されているのか。気になったので調べてみると、四十三件だった。自宅の電話番号やお母さんの携帯のアドレスを除くと、およそ四十件くらいが知り合いのものだ。
四十人。意外と多いな、と驚いた。
アドレス帳に登録されている人を、ずっと友達だと思っていた。それはわたしの一人よがりな思いこみなんかじゃなかったはずだ。相手もわたしのことを友達と言ってくれていた。
けど、もうその友達とは話せない。わたしへのいじめが始まって、みんな、わたしを遠ざけた。
ちょっと前まで、メールアドレスを交換してアドレス帳に登録すれば、友達になれると思っていた。あの頃の自分に会いに行けるなら、そんなのは間違いだよと教えてあげたい。
アドレスを教えてもらえたら友達だなんて。
わたしの考えていた友達の条件は、甘すぎたのかもしれない。
友達は四十人もいたんだ。
こんなにたくさんいたのに……。
誰も、助けてくれなかったんだ。
悲しくて、恨めしかった。なんで助けてくれなかったのか、と。けれども、そんな考えはすぐに仕方のないことだと思った。みんなは自分が一番大事なんだから。だから、わたしから離れても当然かもしれない。
でも。
彼は――宇垣くんは、違った。
わたしを独りにさせないと、言ってくれた。
友達でもない彼は、アドレス帳に登録されている四十人のうちのたった一人にすぎない。けどその一人のことを考えると、それだけで嬉しくなった。




