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帰りのホームルームで担任が「さようなら」と口にした瞬間に、その日一日の学校は終わった。
放課後になって、部活のある生徒たちは教室を出て各々の活動場所に向かう。智秀はそんな彼らを、席に座って見送っていた。
「宇垣、お前は帰らねーのか」
いつものように冬園が鞄を持ってやって来た。
「うん。ちょっと学校でやっておきたいことがあって」
「なんだ、お勉強か?」
「そんなとこだよ」
呆れたことを誇張するように冬園はため息を大きく吐き出した。
「マジメなやつだな。なんだって学校で勉強なんてするんだよ。家でもできるだろ」
「家には……居づらいんだ。ほら、先週、テストの結果で怒られたばっかりだし。できるだけ家には居たくないんだ」
「あー、なるほど。まぁ、そうかもな」
うんうんと冬園は頷いた。
納得してくれたようだ。
「じゃあ、俺はこれから部活だから。また明日な」
「うん。また明日」
冬園もとうとう教室を出て行った。
ほっと息をつく。
あいつが単純で助かった。
家に居づらいのは本当だった。先週の金曜日にテストのことでガミガミ怒られ、ついでに土曜と日曜も小言をねちっこく言われ続けていた。あまり家に居たくない、というのはまんざら嘘ではない。
けれども、学校でやらなければいけない勉強なんて、実際は無い。宿題なんて、それこそ家に帰ってやったほうが早く片付く。
つまるところ、教室に居残った目的は勉強ではないのだ。
誰もいなくなったな。
クラスメートが全員出払ったのを確認し、席を立ち上がる。
斜陽の差し込む教室には、今や宇垣智秀ひとりだけ。ドアから顔を覗かせて廊下を見渡してみたが、そこにも誰もいなかった。廊下はしんと静まりかえっていた。
よし、と一人頷くと、廊下に置いてある大きな可燃ゴミ用のゴミ箱を教室に持ってくる。そして、そのゴミ箱を赤崎真純の席の隣に置いた。
次いで、その机の中に手を差し込み、しわくちゃになったプリントの山を掴み引きずり出す。大漁だった。
どうやればここまで圧縮できるのだろうと疑問に思うほど、大漁のプリントが赤崎真純の机の中にあった。さながらプレス機に押し潰されたゴミの塊。彼女が休み始めて一週間も経っていないのにこのありさまだ。
智秀は苦しくなって、その紙くずをゴミ箱に放り込んだ。
あとはその繰り返し。
机の中を占めているゴミを捨てる反復作業。
最後の一掴みをゴミ箱に捨てて、作業は全部終わった。机の中を見てみると、見違えるほどキレイになっていた。本来こうあるべきなのだ、学校の机は。
ゴミ箱を廊下に戻す時、最後に捨てたプリントに目が留まった。それは漢字の小テストに使われたプリントだった。解答を書き込む欄が全て赤ペンの文字で埋められていた。
学校来るな
気持ち悪い
ブサイク
あんたの顔見たくない
いい子ぶるな
お願いだから死んで
あかざきさん死ね!
みんな死ねばいいと思ってるよ!
だから死ね!
「――」
ゴミ箱からそれを取り出すと、細かく破り、もう一度捨てた。
やりきれない気持ちが溢れてくる。
知らなかった。赤崎真純がこんなふうに文字でも虐げられていたなんて。目に見えない暴力が、教室にはまだあったのだ。
気づいてあげられなかったんだな、僕は。
教室に入ると、次に教卓の中を探る。配布されたプリントで余った分が、教卓の引き出しに保管されているのを知っていた。勝手に開けてしまうのは気が引けたが、この際そんなことは気にしていられない。
ここ三日間のうちに配られたプリントと同じものは、幸い全て引き出しの中に保管されていた。一枚ずつ引き抜き、教卓の引き出しを閉めると、失敬したプリント十数枚を自分の鞄に大事にしまい込む。
担任の許可無しで勝手に教卓を開けたことに、心臓が激しく脈動していた。わずかに罪悪感があったからだった。
右胸に触れ、そこにいる〝彼女〟に問いかける。
叶さん。
僕は、間違っていませんよね。
たった今したこと。
それから、今からすること。
全部、間違いなんかじゃ、ないですよね。
彼女の声なんて聞こえるはずもない。けれど、不思議にも自信が湧いてきた。大丈夫、自分の行為は正しい。〝彼女〟に触れているだけで、そんな自信が際限なく溢れてくる。
胸にあるのは、二日前に青樹叶から授かったロザリオ。
尊い、彼女の分身だった。




