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彼女は教会の門の前まで見送りに出てきてくれた。
「今日は本当にごめんなさい」何度目かになる謝罪。
「いいですってば」
彼女に絆創膏が貼られた手の平を見せながら答える。
「こうして手当てもしてもらったんですから。もう大丈夫です」
「でも……」
どうも彼女は責任を過剰に感じているような気がする。そういう真面目な人なのだ。
「ホント大丈夫ですから。もう謝らないでください。そんなに謝られると、なんだか悪い気がしてくるじゃないですか」
「そうなの?」
「そうですよ。年上の人に謝られるのって、おかしな感覚なんです。だから、もう今回のことについては、謝ったりするのは無しにしましょうよ」
ふふ、と彼女は静かに笑った。
「優しいのね、あなたは。―――あ」
ふと彼女は何かを思い出したように声をもらした。
「なんです?」
「そういえば、わたし、まだあなたの名前を聞いてなかったわ」
「名前……たしかにそうですね」
「わたしは、青樹叶」
彼女のほうから自己紹介をしてきた。
「カナエ?」
「そう。願いを叶えるの〝叶え〟」
「……ああ、なるほど」
珍しい名前だなと思った。
「青樹さんですね。僕は」
「叶でいいわ」
遮るように彼女が言った。
「というよりも、そっちで呼んでくれたほうが、わたしは嬉しいの」
「は――」
一瞬ためらったが、すぐに頷く。
「わかりました。じゃあ……えっと、叶さん」
「うん。そう呼んで」
彼女はニコニコと笑っている。
一方の智秀は、彼女の名前を呼んだだけで頬を熱くしていた。今まで異性を名前で呼んだことなんて無かったので、緊張したのだ。
「それで、あなたは?」
「僕は宇垣智秀です」
「そうなんだ。じゃあ、わたしも智秀くんって呼ぶことにするわね」
「な、名前ですか……」
あれ、と青樹叶は不思議がった。
「名前で呼ばれるのは、もしかしてイヤだった?」
「いえ、そんなこと……ちっとも。ただ、青樹さんみたいな人に名前で呼ばれると、恥ずかしくって」
赤面する中学生を面白がるように、彼女は笑う。
「〝青樹サン〟じゃないでしょ、智秀くん」
「あ……そうでした、すいません」
「いいのよ、謝らなくても」
またクスクス笑う青樹叶。
智秀は顔を合わせられなくなって、聖堂の双塔に目をやる。空はぶどう酒のような紫色に染まりつつあった。
「ね、智秀くん」
「は……」
ややトーンダウンした彼女の声が聞こえて、智秀は視線を戻した。青樹叶は上品な笑顔をこちらへ向けていた。
「まだ、わたしのこと、異世界の人のように感じる?」
「え……なんのことですか」
「さっきの話の続きよ」
そう言われて、さきほど彼女の家のリビングで絆創膏を貼ってもらっていた時の会話を、思い出した。
「ああ……あのことですか」
智秀は首を横へ振った。
「いいえ。もうそんなことありません」
「そう。嬉しいわ」
いま目の前でほほ笑む彼女は、宇垣智秀と同じ。
心の底から、そう思うことができた。どこに住んでいても、何を信じていても、彼女とはこうして普通に言葉を交わし笑い合うことができる。
きっと今日、彼女と接触事故を起こさなければ、こんなふうに知り合うことはできなかっただろう。
「もう遅くなっちゃったけど、お家の人は心配してない?」
「親はべつに……。あ、そういや、今日は塾があるんだった」
予習はもう昨日のうちに終わっているが、学校の宿題を塾に行くまでに終わらせてしまおうと思っていた。けれど、今の時間から帰宅したのでは間に合わないだろう。
説教もあるだろうしな……。
ハァ、とため息をついた。家に早いところ帰らないといけない。それが億劫だった。
「じゃあ、僕はこれで」
「うん。さよなら」
別れの言葉を交わした。が、智秀は彼女に背を向けようとしない。
心の奥に引っかかるモノがあった。
このまま彼女と別れることに、抵抗があったのだ。
「あれ、どうしたの?」
ちっとも帰途につこうとしない智秀を、青樹叶は不思議そうに見る。
「いえ……」
焦りや不安のような感情が、心の中で渦を巻き始める。やがて、その感情は言葉となって口から零れ出てしまう。
「あの……来ても、いいですか」
「どういうこと?」
「だから、その、また叶さんに会いに来ても、いいですか」
顔から火が出るほど恥ずかしい言葉だと気づいたのは、それを言った後のことだった。恥ずかしさのあまりに顔がうつむいてしまう。
恐る恐る叶の顔を伏目に見る。
彼女はびっくりした表情をしていたが、やがて瞳が細められ、その顔に柔らかな笑みが満ちていった。
「いいわよ。わたしなんかが相手でよければ、いつでも遊びに来て」
その言葉を聞いた瞬間、智秀は顔を勢いよく上げた。
「ほ、ホントですか。ホントに、会いに来てもいいんですか!?」
「ええ」
叶は頷いて、
「平日だったら今日くらいの時間に来て。土日だったら午後が一番いいわ」
「あ……休日も、いいんですか」
「わたし、けっこう暇だから」
冗談ぽく彼女は笑った。
智秀も笑った。
純粋に、嬉しかった。この人とまた会える。そう思うと、不思議なくらい、幸福を感じたのだ。
「じゃあ、また今度来ます!」
「うん。いつでも来てね」
「はい!」
智秀の返事は、学校で教師に当てられた時なんかよりも、ずっとハッキリしていた。




