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そのよん

 あれから四日が経った。

 一樹は出かける準備をしながら虚しさに浸っていた。

「……あいつらの話が本当なら、俺はあと十日で死ぬ……ホントか? 死にたくない……俺はまだやってないことが沢山あるのに……真央にもフラれたし。今から何しよう……かな」

 本来なら、今日は真央とのデートのはずだった。だが、わけの分からないことを言ってきた一樹に一瞬で愛想を尽かし、あの晩かなりあっさりとフラれた。

 失恋とは、かなり苦しいものだと聞いた。だが不思議と、それほど特別な感情は感じることはなかった。

 感覚が麻痺しているのだろうか。

 手元を見る。

 この映画のチケット、どうしよう……。

 最近話題のハリウッド映画。それが近くの映画館で上映されると言うことで、かなり無理をして入手した。おかげで財布の中は結構寂しいことになっている。

 チケットが無駄にならないよう傷心小旅行ということで出かけようとしていたのだが、余計に虚しくなるだけだった。

 玄関から出るだけでも億劫だ。

「おーい、お兄ちゃーん」

「…………」

「なっ、こんな可愛い妹がせっかく手を振ってあげてんのにシカト!? くそー……」

「…………」

「おいってば!!」

「うぉっ!! って何だお前か……」

 バシンッと派手な音と共に背中に激痛が奔る。振り返ってみれば笑美がふてぶてしい笑みを浮かべて仁王立ちしていた。

 笑美が笑みとか、くだらない。

 だが笑美は一樹の反応が気に入らなかったのか、食い下がった。

「なっ……あったまきた!」

「…………」

「おいクソ兄貴」

「ん?」

「あんたの可愛い妹が手を振って、しかも叩いたにもかかわらず、何よ」

「ああ……悪い」

 そこで笑美は兄に違和感を覚えた。いつもならこんなセリフを吐けば呆れながら厳しいツッコミが入るはずだった。

「……お兄ちゃん? 本当に大丈夫?」

 大丈夫、と一樹は微笑んだ。だが笑美は変わらず、不信感を露にしている。

「なあ、笑美」

「なに?」

「……あと、十日で死ぬ」

「うん?」

「いや……あと十日で死ぬって言われたら、笑美はどうする?」

「えー、何それー。なんかの心理テスト?」

「いいから」

「もー、あと十日でしょ?」

 ポク、ポク、と考えを巡らせているのか少しの間目を瞑り、そしてヘニャラッと奇妙にニヤけた。

「やっぱり美味しいもの食べたりー、服買ったりとかじゃないかな? あ、でも佐田君と一緒にいるのもいいかも……結婚式挙げたいかな……っておかしいよね。私がこんなこと言って」

「いいや、そんなことないよ……でも、佐田君が可哀想かな?」

「……どーゆーことよ」

 ツンと口を尖らせる。

 一樹は苦笑いを浮かべて両手をわざとらしく上に向ける。

「寿命十日のやつと結婚式挙げるなんて、重いからね」

「むっ……何よそれ、喧嘩売ってんの?」

「あはは、冗談冗談」

「もう……お兄ちゃんなんて知らないから!」

 あーあ、拗ねちゃった。こうなると長いんだよなコイツ。

 一樹は手元の映画のチケットを見やる。

 どうせ一人で行っても虚しいだけなんだ。佐田君とやらには悪いが笑美を誘ってみるか。たまには妹と映画というのも悪くない。

「今から出かけるんだけど、西松屋のプリン奢ってやろう」

 ピクッと、冗談抜きで笑美の耳が微かに動いた。

 小動物か何かかコイツは。

「そ、そんなの興味ないわっ」

「へー、あのほんのり卵の風味の残った、プリンッとした食感は絶妙なのに……笑美ってばもったいないことするんだなー」

「…………」

「クリームソーダもつけ「のったっ!!」……まだ言い切ってないんだけど」

 ……あっさり釣られてやんの。

 えへへっ、と笑美は機嫌よく笑い、一樹の横に並んだ。

「どしたの今日は? 気前良いね!」

「ほら、映画のチケット。余ったから見に行かないか?」

「マジで!? いいの!? これ、今結構取るの難しいんじゃない? あ……でもいいの? これ、真央さんと行くんじゃなかったの?」

「うん……向こうの都合で、行けなくなったんだ」

 少なくとも、嘘ではない。愛想が尽いたのは向こうの都合、というか感情だ。

「よし、じゃあ行くか」

「うんっ!」

 玄関を出る。笑美と二人で出かけるというのは実に久しぶりで新鮮味すらあった。

 ……あと十日の命だ。どうせなら家族と過ごすのがいいだろう。

 そう一瞬でも思ってしまったのが運の尽き、というやつだ。

「あ、あれお父さんとお母さんじゃない? おーい」

 遠くから仲良く近所のスーパーに買い物に行っていた茂と茜を目ざとく見つけ、笑美は大きく手を振った。

「先に行ってな」

「分かった。ねーねー、お兄ちゃんがプリン奢ってくれるんだけど、お母さんたちも来る?」

「おいっ!? 何で俺より金ある父さんや母さんに奢んなきゃいけないんだ! っておいっ、もういねーし!」

 タッタッタと茂たちに走り寄る笑美が遠くに見えた。

 相変わらず運動神経は半端ねえ……つーか、

「……誰があんなクソババァに奢んないといけないんだよ……」

「だーれがクソババァだって?」

「うおっ!」

 やっぱこいつら親子だな! 加速装置でも付いてんのか!

 恐ろしい地獄耳と脚力で一気に距離を縮めてきた茜に後ずさる一樹。妙にニコニコしているのが気になって仕方がない。

「な、何だよ、そのままだよクソババァっ」

「ふーん……この世界で一番ビューティフォーで美人なお母さんにそんな口叩いていいんだぁ?」

「別に怖くねーし」

 まあ見てくれは悪い方ではないのだろうが、自分の外見を言質に取っても意味はないのではないか。何よりも怖くない。

 むしろ笑える。

「せ~っかく、みんなには黙ってたのに」

「別に言われて困るようなことないし」

「へー、じゃあこの前掃除してたときにでてきたこのDVD、返してあげないよー」

 チラッと、なぜか買い物カゴのから覗き見えるDVDのケース。その妙に如何わしいピンクのパッケージに、恐ろしいことに一樹には見覚えがあった。

「ちょっ、はっ!? ひ、人の勝手に取るなよ! お、俺の『岡村裕作のギャルゲー攻略全部見せます解説DVD』があ……!」

 って何も自分からタイトル言わなくてもいいじゃん! むしろそっちの方が恥しいわ! 俺のバカ!

 だが茜はキョトンと目を瞬かせ、小首を傾げる。

「ん、あり? そんなタイトルだったっけ?」

「へ?」

「確か……ほら、『愛に飢えた昼下がりの団地妻』ってやつなんだけど……」

 ……何だそれ?

 俺、そんなの持ってないし。

 と、向こうで待っていたらしい笑美と茂が痺れを切らして近寄ってきた。

「ちょっとまだ? ずっと待ってたのに……」

「早くしてくれないと父さんのお腹と背中がくっつくぞ」

 あ、ゴメンと謝る茜。そしてオズオズと手にした如何わしいDVDを笑美に見せ……ってオイ!? 俺のじゃないとは言え、何を高一女子に見せてんだこのクソババァ!

「お兄ちゃんの部屋を掃除してたら出てきたのよ」

「俺のじゃねぇぇぇぇっ!! その言い方まるっきり俺のみたいじゃねーか!」

「何てスケベなやつなんだ! 父さんの子とは思えん……!」

「ど、どんなやつなの……?」

「笑美! お前も興味持ってんじゃねえ!」

「何か……」

「……うわー、お兄ちゃんてそういうのに興味あったのー?」

 心の底からドン引き、と言った目で笑美は冷たい眼差しを浴びせてきた。

 ハアと溜息をつき、一樹は据わった目で視線を返す。

「……無闇に騒ぐとさらに誤解されそうだから落ち着いて言うが、俺そんなの興味ないし」

「どれどれ、えっと……『愛に飢えた……』こ、これは父さんが預かっておこう! 一樹のじゃないにしても、これは十八歳未満のお前たちには、い、いらないものだからなっ。は、ははは……!」

「「…………?」」

 明らかに挙動不審な茂。一樹と笑美が不思議な物を見る目でその行動を見守る。

 茜の手から奪ったDVDをそそくさと背中に隠し、茂はジリジリと家に向かおうとしている。

 そして結婚二十年目の妻の目が哀しく光る。

「……茂さん? もしかしてそれ、茂さんの……?」

「ち、違うんだ……これは……!」

 わざとらしく否定する。

 そんな嘘、一樹や笑美にだって見破れる。

「信じてたのに……」

「ほ、ホントにすまない……!」

 極寒の突き刺さる視線を向け、茜は一歩後ずさった。その表情は、一樹が今まで見てきたものの中で一番――キツイ。

 よろよろと茜の肩を抱こうとする茂。だがその手は、パンという乾いた音と共に茜に弾かれた。

「やめて、そんな汚い手で触ろうとしないで!」

「…………!」


「さあ、今週もやってきました! 『どろどろ、もし旦那の秘蔵DVDが妻に見つかったら』のコーナーです! 実況は私、地獄株式会社社員の青鬼京香です! そして今回の解説兼スペシャルゲストはこの方……地獄株式会社代表取締役第十七代目閻魔・佐々鬼(ささき)理成尊(りせいのみこと)社長でーす!」

「――どうも、宜しくお願いします」

「さあさっそくですが、結構激しくやってますね~」

「――やはりDVDの内容が人妻モノだったのがより怒らせたみたいじゃな。儂みたいに女子高生モノにしておけばよいものの……馬鹿なやつじゃ」

「は?」

「――ゴ、ゴホン……らうんどわんっ! ちんっ!」

「おっと、ここで茜さんがどこからともなく包丁を取り出したぞー!」

「――銃刀法違反じゃのう」


「か、覚悟なさい……!」

「いや、違うんだ! ほ、ほんの出来心で、許してくれぇっ!」

「そ、そうだよ母さん! って笑美ぃっ! お前もカメラ回してないで手伝え!」

「いや~、マジウケるんだけど」


「避ける、避ける、避ける! 茂さん見事なフットワークを見せております! じゃないと流血沙汰だぁー! 必死です!!」

「――どうやら幼い頃よりやっていた田植えのおかげのようじゃな」

「なるほど……田植え……」


「ま、待って! 確かに俺の部屋に勝手に自分のDVDを隠した父さんは許せないけど!」

「む、息子よ! 父を見捨てるのか!?」

「父さんは黙ってて! 母さん、でも父さんだって言いたいことがあるはずだよ! 話だけでも聞こうよ!」

「む、息子よぉ……」


「おっと、ここで息子一樹からの提案が! その声は殺人兵器と化している母親の耳には

届くかぁ!?」


「……こぉー……はぁー……ほら……言ってみなさいよ……」

「……さ、最近茜は趣味のエアロビばっかり行って……結婚前のように俺と遊んでくれないんだ!」

「何言ってやがるこのクソ親父!?」


「――儂も永いこと生きてきたが、人が呆れてコケるのを見るのは初めてじゃ」

「こ、こんなんで許すわけが……っておぉっ!? 茜さん泣いてるしっ!!」


「……ごめんなさい……私のせいで、あなたに寂しい思いをさせて……もうエアロビなんかに行かないから安心して!」

「茜……」

「茂さん……!」

「ストーップっ!! こんな道のど真ん中で抱き合おうとすんな! ほら、笑美も撮影してないで行くぞ!」

「あっ! プリンじゃんっ。お父さーん、お母さーん。早くプリンなくなっちゃう」

「あ、あたしゼリーがいい! ゼリーゼリーゼリーゼリー……」

「父さんは餡蜜だっ。餡蜜、餡蜜~」


「えっと……じ、次週をお楽しみにー」

「――今夜もぶぎーないつ! 佐々鬼理成尊でした」


 勝手に歩き出した三人の背中を見て、一樹は呆然とした。

「いや、父さんと母さんには奢らないのに……でも、こんな人生もいっか……」

 呟き、一樹はゆっくりと三人の後を追った。


「……グスッ……チクショウ、何であんなに涙ぐましいんだ……!」

「このタイプの話が……一番弱いのに……」

 物陰からこっそりと一部始終を見ていた真島と竹中は、目元をハンカチで押さえて涙を堪えていた。少しでも気を抜けば、先ほどの光景を思い出してしまい涙腺が決壊しそうだった。

 だが二人に続いて出てきた関本は、あくまでドライだった。

「……いや、今のどこに泣く要素が……つーか何で地獄の社長が来てたんだよ。しかもあのジジィ、ドサクサに紛れてDVD持ってったぞ。それにあれ、さっきの実況、青鬼だったような……何やってんだアイツ?」

 高校からの旧友が、何やらワケの分からんテレビ番組のコーナーを持っていたとは驚きだ。と言うかあんな企画が成り立つのかと甚だ疑問を感じてしまう。

「どーして部長はそんなことしか言えないんですか!」

「分からないかな……この家族愛……!」

「あの少年、救ってあげたいですよ。どうにかして助けられないんですかね……」

 真島と竹中はチラチラと関本を見やる。だがそうは言っても、死ぬ運命にある人間はどうあがいても死ぬということに変わりはない。せいぜい数分命が延び、死因が変わるくらいだ。二人とも、そんなことは十分承知していた。

 だからこそ、関本は静かに溜息をついて否定した――

「……何だそんなことか……出来るぞ」

「ですよねー、そんな簡単には……って、えぇっ!? 今、何て……?」

 ――否定すると、二人は思っていた。

 そして関本は改めて肯定する。

「だから出来るよ。助けること」

「えぇっ!? そんな方法あるんですか!? 俺、中学からこっちにいますけど、学校じゃそんなの教えてくれませんでしたよ!」

「そうですよ! 何でそんな大事なこと、教えてくれなかったんですか!?」

 さらに追求しようとした竹中を、関本は手で制した。

 その表情は恐ろしく険しく、厳しく、悲哀に満ちていた。

 真島も竹中も、こんな表情の関本は見たことがない。

 ハア、と大きく溜息をつき、関本は言葉を紡ぐ。

「……命がかかるからだ」

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。

「どういう……ことですか……?」

「人、一人の寿命を延ばすには、俺たち天使か死神の魂を使うからだ」

「それって……」

「ああ……俺たちの魂が、消滅する。つまり二度と人間に生き返ることは出来ない」

「そん……」

 思わず息を詰まらせる竹中。隣から、緊張で表情を強張らせる真島の気配が伝わってくる。二人とも、声が出せない。

「人の命ってのは……そんだけ重いんだよ」

「「…………」」

「ちなみに絶対やるなよ……方法を知らないでもないけど、基本的な理論が穴だらけだから間違いなく失敗する。やって失敗しても魂冒涜の罪で社長達に魂を消されるぞ。助けられなかった上に自分も消滅しちゃ、意味も何もあったもんじゃないだろ」

 ま、やったっていう天使も死神も聞かないけどな、と関本は呟く。

 だが待てよ、と真島は考えた。

 何で学校でも教えないようなことの知識を、この人は持っている? それに前例がないはずなのに、方法まで知っているんだ?

 この関本静香という天使――一体何者なのだろうか。

「さて……」

 関本はパンと手を叩いた

「俺たちもプリンでも食べに行くか」

「「は、はいっ!」」

 真島と竹中はあえて元気よく返事をした。

 別に関本は本当にプリンが食べたいわけではない。そんなことは十分承知している。そして、この重くなってしまった空気を変えようとしていることも。

 何だかんだで、関本は部下に優しい。

 ふと、早川家が向かった方に歩き出していた関本は振り向いた。

「……言っとくけど、俺は奢らんぞ」

「「えぇーっ!?」」

 不満の声を上げる二人。

「この展開から言うと奢ってくれる感じじゃないですか」

「そーですよ。いくらなんでもセコすぎますぅ」

「バカヤロ。俺はこのセコさで部長まで昇進……そんな腐った魚を見るような目で俺を睨むな! 分かったよ……奢ればいいんだろ……」

「「やったーっ」」

 パチンと手を合わせる。

 ついでだ、もう少し媚びておこう。

「部長、カッコイイ!」

「モデルみた~い」

「グラマ~」

「天国のぉっ、藤原紀香ぁっ!」

「おいおいやめろよ。さすがに藤原紀香は言い過ぎだって~」

 いい加減痒くなってきたのか、関本はテレ顔で頭を掻いた。だが、ちゃっかりと手は腰に当ててポーズはとっている。

「そんなことないっすよ~……アレ? 叶姉妹にも似てんじゃない?」

「ちょっ、やめろよ~。そんなこと言っても、何も出ないぞ~」

 バシバシと真島の背中を叩く。見かけによらぬ怪力で叩かれ、真島は思いっきり咳き込む。

「いやホントですってえ。あ、そう言えばあそこのお店、クリームソーダも美味しいらしいですよ?」

「ふふん、じゃあ今日は部長、奢っちゃう!」

「「やったー!」」

 パチンともう一度手を合わせ――笑顔の下で二人はニヤリと嗤った。

「じゃあ行くぞ!」

「「はーい」」

 本当に機嫌がよくなったらしく、関本はヘタクソなスキップでかけて行った。

 それを追いかけるフリをして、真島と竹中は足を止めてメンチの切り合いをしていた。

 双方眉間にシワを寄せ、真島は悪い目つきをさらに険しく細め、竹中も冷め切った視線を向けていた。チンピラの喧嘩の寸前のような空気が漂っている。

「……おい、何だよ藤原紀香って。全然似てないじゃん」

「……はあ? あんたの叶姉妹の方が信じられないから。何、あの中年デブに信じらんない」

「……は? 叶姉妹は明らかな冗談だって思われるだろうけどな、部長が藤原紀香のファンだって知ってるだろ。あいつマジになったらどうすんだ」

「……言いがかりにも程があるわ。あんなのと一緒にされて、叶姉妹が名誉棄損で訴えてこないことを祈りなさいよ」

「……あぁっ!?」

「……何よ」

 あわや殴りあいに発展するかと思われた。だが向こうで関本がお~い、と手を振っているのが見え、一気に冷めた。

「……まあお互い」

「……ヨイショのしすぎよね」

 二人は早歩きで関本の下へ向かう。

「……それにしても、扱いやすい上司で助かったよ」

「……プリンとクリームソーダ奢ってもらえるし、今だけ利用しようよ」

「……だな。でもあいつと一緒にいると加齢臭が服にうつるんだよね」

「……分かる。マジ臭い!」

 キシシと悪役の三下っぽい笑みを浮かべ、歩を進める。

 だが真島は少し真面目な表情を浮かべた。

「でもさ……部長が言ってたこと本当かな?」

「? クリームソーダ奢ってくれるって話?」

「違うって……人の寿命を延ばすって話」

「ああ、嘘じゃない? あの人、かなりテキトーだし」

 竹中はあっさり切り捨てる。だが真島には、そう一言では片付けられないような気がしてしかたがなかった。

「でもさ……部長のあんな真面目な顔見たのって、確か社長の花瓶割って以来初めてじゃなかったか……?」

「そう言えば……そうね」

 竹中も、先ほどの関本の表情を思い出す。

 確か真島が天使としての仕事に慣れ始め、竹中がまだ入社したての頃だったはず。当事課長だった関本は天国株式会社社長に呼び出され、書類を提出しに行った。その時関本はガッチガチに緊張しており――社長室の棚に足をぶつけ、メチャクチャ高価そうな花瓶を落として割ってしまったのだ。

 あの時の絶望色の表情も酷かったが、今回はそれ以上だった。

 まるでこの世の悲哀全てを凝縮し、結晶化したかのような――冷たい瞳だった。あんな目が、普段はオチャラケている上司から見られるとは思ってもみなかった。

「実際俺達、部長の過去って何も知らないんだよな」

「そう言えば……そうね」

 前に他の同僚たちと何度か呑みに連れて行ってもらい、ほろ酔い状態でお互いの過去の失敗談に盛り上がった。だが関本だけはのらりくらりと皆のフリを避け続け、話しに混ざろうとしなかったのだ。

 間違いなく、あの人には何かがある――もしくは、何かあった。

「何してんだー? 早くこーい」

「「あ、は、はいっ!」」

 だがとりあえず今は、プリンとクリームソーダである。

真島と竹中は急いで関本の後を追った。



『先生……あと、どれくらいですか……?』

『……非常に言いにくいのですが、だいぶ短いです。やはり回復の見込みは……ないですね。手術も、今の体力ではもたないでしょう』

『そう……ですか』

『……気を落とさないで下さい。まだ時間はあります。その間に娘さんと少しでも長くいてあげてください』

『……まだ……遣り残したことが……たくさん……』

『お母様がそれだと、娘さんが悲しみますよ』

『はい……』

 ――以上は、某日の病院の診察室で交わされた会話の一部である。


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