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そのに

 小林(こばやし)亜季(あき)はそっと腕時計を確認した。

 それは明らかに時間を見るために買ったのではない、高校生には不釣合いな高級ブランドだった。白を基調にした可愛らしいデザインが気に入り、ついつい衝動買いしてしまったものだ。

 いや、腕時計だけではない。マニキュアからファンデーション、マスカラ、ついでに制服の下に身に付けているものまで一つ一つ、自分で自信を持って選んで買い揃えたのだ。この、どちらかと言うと田舎に属する地域の高校に通う身としてはかなり無理をした。

 だがそのおかげで亜季は彼女自身納得のいくオシャレを楽しむことが出来ていた。

 しかし目の前には、納得のいかない光景が広がっている。

 かれこれ十分以上同じようなやり取りがなされていた。

「やはりこのままだと第一志望の大学はちょっと難しいですね」

「第二志望は?」

「ちょっと……」

「だ、第三志望は?」

「んまぁ……ねえ」

 母親の夏美(なつみ)は担任の新田(にった)に食い下がり、似たような質問を繰り返していた。新田も新田で、同じような曖昧な返事しかしない。

 いわゆる三者面談というやつで、亜季は夏美と共に新田と向かい合っていた。

 珍しく普段着ではない、スタイリッシュな服装で学校に来た夏美は、亜季が見てイライラするほどの『お母さん』だった。邪魔にならないよう後ろでまとめられた髪の毛も、ごくごく薄い化粧も、喋り方も、自分と似た造形の顔つきも、全てが気に食わなかった。

「……………………」

 面談が始まってかれこれ三十分以上。まだ終わらないのか、と亜季は流石にうんざりしてきた。

確かに夏美が顔面蒼白になるような点数を模試で取った自分が悪い。悪いのだが、ここまで食い付くことだろうかと疑問だった。

「えっと……先生。ではうちの子はどの程度の大学なら大丈夫なんでしょうか?」

「亜季ちゃんが現時点で受験して合格率が50パーセントを超える学校は……」

 言い淀む新田。

「……………………」

「……先生?」

 夏美はジッと新田の顔を覗き込む。それに押し負け、新田は渋々といった風に答えた。

「非常に言いにくいのですが、専門学校や地方の私立大学がギリギリです」

「つまりそれは……」

「お母様が希望していらっしゃる国公立、有名私立大学への進学はかなり難しいです」

「そんな……」

 口元を手で押さえる夏美。対して亜季はというと、自分のことなのにまるで他人事のように耳を傾けていた。

「……………………」

 そんなの当たり前じゃん、と思う。

 自分で言うのもなんだが、この点数で国公立目指します――何て言ったら本当に国公立を目指しているクラスメートに失礼というものだろう。

 それほどまでに亜季の成績は酷かった。

「後は亜季ちゃんの努力次第となります」

そう当たり障りのない常套句で締めくくり、新田は机の上に散らばった資料を一瞬でまとめ上げた。そしてさっと立ち上がり、

「すみません、この後会議が入っていますので、今日はこれで。お疲れ様でした」

「お、お疲れ様でした……」

 まるで逃げるように教室を後にする新田。夏美はそれをただ静かに見送り、亜季は挨拶すらせずにそっぽを向いたままだった。

 そして長い沈黙の後、

「ちょっとあんた」

 当然ながら、口火を切ったのは夏美だった。

 煩わしそうに声の主の方を向くと、困ったような焦ったような、そんな複雑かつ器用な表情を浮かべた夏美がいた。

「このままで大丈夫なの?」

「……あたしなりには頑張ってるつもりだよ」

「そんなんじゃダメよ。いい? 今この不景気で誰が三流大学や専門学校を卒業した子を雇うと思う? どこも雇ってくれないわよ。冬斗(ふゆと)だって名門私立を卒業して春から弁護士をやるのよ。その妹がそんなんでどうするのよ」

 眉間に見合わないシワを寄せながら、亜季は素っ気なく答える。

「分かってるよ」

「もう、いつもそればっかり。ホントに大丈夫なの? お兄ちゃんはもっとしっかりしていたのに……」

 プチンと亜季の中で何かが切れ、熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 もう亜季自身にも、止めることは出来ない。

「お母さんこそ何よ!」

 怒鳴ると、夏美はあからさまにビクッと怯えた。

 そんな目であたしを見るな! 亜季はそう叫びたかった。だが今言いたいことはそんなことじゃない。

「お兄ちゃんとあたしは関係ないじゃない! お兄ちゃんは確かにすごいよ。でもお兄ちゃんに言われるならまだ納得するけど、何でろくに大学も卒業していないお母さんにそんなこと言う資格があんの? もう意味わかんない!」

「お、お母さんは亜季のことを……」

「やめて、そんなこと思ってもいないくせに!」

 ガタンと音がして、亜季は始めて椅子を倒して立ち上がったことに気付いた。

 流石に熱くなりすぎたかとも思ったが、もう後に引ける雰囲気ではない。亜季はバックをひったくるように抱え込むとそのまま教室を飛び出していった。

 赤い夕日が目を刺したが、亜季は構わず廊下を走り出した。

「亜季! 待ちなさい、亜季!」

 夏美のそんな声は、娘の耳には届かなかった。


「……今の時代の人間たちも大変みたいだな」

 母子のやり取りを、同じ教室の中で見ていた疲れたサラリーマン風の男――高鬼はそう呟いて感想とした。

「何て言うか、似たようなもんを感じるな。俺だってきちんと大学を卒業していたら係長ぐらいにはなってたのになあ」

 今さらなことを振り返りながら、高鬼は顔を上げた。

「おっと……」

 そこにはさっきの母親の姿はなく、代わりに見覚えのある三人組が立っていた。

 高鬼と違い、下ろしたてのようなピシッとしたスーツに身を包んだ三人は、まさにビジネスマンといった風格を揃えていた。頭髪はきちんと整えられ、もちろん表情に疲れはなく、むしろ覇気に溢れている。

天国株式会社に勤める高鬼の旧友、関本(せきもと)静香(しずか)部長とその部下、真島(ましま)耕治(こうじ)竹中(たけなか)(あい)だった。

「やあ。これはこれは、高鬼君ではありませんか」

「よう……」

 高校時代はよく青鬼を混ぜてよくつるんでいたが、最近は肩書きの違いもあってか、すっかり交流が希薄になっていた。しかし久しぶりに会ったが、学生時代のあだ名である『小さい暴君』通りの小柄な体躯は健在のようだ。身に付けたレディーススーツも特注品だろう。

 その後ろで控えている部下二人は対照的に長身だ。竹中は長身を隠すためか、あえて可愛らしいデザインのスーツを着ていた。真島はその目つきの悪さから、堅気には見えない。

「高鬼君って、確か卒論を提出し忘れて……」

「大学を卒業できなかった……」

「「あの高鬼く~ん?」」

 関本部下二人組みのわざとらしい嫌味にクッと、高鬼は顔を歪めた。

「……丁寧な説明をありがとう……相変わらずだなお前ら。一体何の用だよ」

 フフン、と付き合いは長く口の悪い関本が代表して口を開く。

「いやね、あの人間を私たちも狙っているのだよ」

「あの人間? それってさっきの?」

 キョトンとした表情で聞き返す高鬼。それに対し関本はおろか、彼女の部下二人組みまで高鬼を気の毒そうな目で見た。

「も、もしかしてもしかしてぇ」

「まだあの人間が死ぬってことにぃ」

「「気付いてないぃ?」」

 そして関本もそれに乗っかり、大仰しく、そして大げさに嘆いてみせた。

「何だって!? まったく、君は高校時代から何も変わらないな」

 ここで、お前の方が変わらねーよ、と突っこんでも無視されるだけということは、いくら高鬼でも分かっている。

 高鬼がある意味そんな失礼なことを考えているとは露知らず、関本は懐から何やら機械のようなものを取り出した。

「ほら、この春に我が社から発売された『人がいつ死ぬか数値で表示してくれるリモコン』を見たまえ」

「……何……その怪しい機械?」

 どこか、古臭い携帯ゲーム機に似ている気がしてならない。

「やれやれ……この『人がいつ死ぬのか数値で表示してくれるリモコン』を知らない死神がいるなんて……もちろん我ら天使の中にはそんな者は一人たりともいないぞ。真島、愛ちゃん、説明してあげろ」

「「はい!」」

 真島と竹中はどこから取り出したのか、それぞれのリモコンを持って解説を始めた。

「コホン……今回おとどけするのはナント……『人がいつ死ぬのか数値で教えてくれるリモコン』でーす!」

 なぜかテレフォンショッピング風に。

「キャーッ、素敵!」

 そしてなぜか関本が合いの手。

「これさえあれば今まで悩んでいた寿命測定もあっという間! ちょっとした時間に寿命を測定できまーす!」

「キャーッ、便利ー! この『人がいつ死ぬのか数値で教えてくれるリモコン』ってどこで売ってるの?」

「それがこの『人がいつ死ぬのか数値で教えてくれるリモコン』、当社だけの限定販売となっておりまーす!」

 もう我慢の限界である。

「ねえ……それもうリモコンでいいじゃん。いちいち『人がいつ死ぬのか数値で教えてくれるリモコン』って言うのだるくない?」

「いちいち突っこむな! 黙って聞け!」

「……………………」

 酷い。

 そして続く、真島と竹中のテレフォンショッピング。

「そして今なら二十分以内にお電話いただくと、通常ならこの『人がいつ死ぬのか数値で教えてくれるリモコン』、五万円でご提供のところ……」

「高っ」

 思わず反応。だが三人組は高鬼を全くの完全に無視して話を進める。

「四万九千八百円でのご提供になりまーす!」

「キャーッ、お買い得ぅ~!」

「……しかもセコっ。二百円しか安くなってないじゃん。てかさっきから『キャーッ』って何?」

「えーい、いちいちうるさいなお前は……」

 不快感を包み隠さずあらわにし、関本は腰に手を当てた。だがもう説明は終わったらしくそれ以上の追撃はなかった。

 ついでにもう一つ質問。

「てかさ、何でお前のだけ他のとデザインが違うんだ?」

「ん? おお、よく気付いたな」

 関本は心底感心したように高鬼を見た。

たまに、こいつは俺をどこまでバカにしてるんだと問い詰めたくなってくる。

「そんなあからさまに違うデザイン、気付かない方がおかしいだろ」

 何て言ったって、関本のリモコンだけやたらと目立つド派手な赤色に、邪魔としか思えない角のようなアンテナがど真ん中に立っているのだ。

 何かを彷彿とさせるなあ、と高鬼は思ったが口にしない。何か危険な香りがする。

「フフン、これは俺だけの特別仕様なんだ」

「へえ?」

 デザイン以外、全く同じに見える。

「やれやれ、君も鈍い男だな」

 真島と竹中が首を大げさに振る。

「彗星のように赤い色……」

「自らを主張するかのようなそびえ立つ角……」

 ほら見ろ、やっぱり危険だ。

「と言ったらもう分かるだろ」

「てかそれ以上言わせねーよ」

 地雷もいいところである。

「ふふん。君の予想通り、他の製品とは二倍性能が違うんだ」

「具体的には?」

「赤色だったり……角があったり…………赤色だったり?」

「それだけじゃねーかよ!」

 こいつ、こんなんでよく部長職が務まるな、と高鬼はつくづく感心する。

 だがこんな地雷原のような話題からはさっさとおさらばした方がいい。高鬼は竹中が持っている普通のリモコンをじっと見た。

「な、何よ」

「ちょっと貸してよ」

「えー、どーしよーかなー」

「貸してよ」

 渋る竹中。その表情はどこか無邪気で、明らかに遊んでいることが窺えた。

 まったく、部長が部長なら部下も部下か。

「まあちょっとくらいなら貸してやりなよ」

 前言撤回。やはり持つべきものは友である、と高鬼が心の底から実感できた瞬間であった。そしてこの瞬間のみの友情を誓うのだった。

「うちの製品を実感してもらいなさい。あ、いや待てよ……今偶然試作品が一つ余っているんだ。君にも一つ譲ろう。ついでだ。君にはこのモニターとなってもらおうかな」

 そう言って関本は懐からもう一つのリモコンを取り出した。今度は赤くも、角が生えているわけでもなく、むしろ真島たちが持っているものよりずいぶん小型化していた。

「え、いいの? マジで? おー、太っ腹~」

「フフン、それほどでもないよ」

 機嫌よさげに笑う関本。だがその後ろでは――

「……いや、十分太っ腹だって」

「……だよね。ベルトに肉のってるしさ」

「……毎日風呂上りにアイス三個も食うからだよ」

「……そうそう、俺の唯一の幸せとか言って、バッカみたい」

「……だから四十にもなって結婚できないんだよ」

「……この前のお見合いも顔見た瞬間『用事出来たから』ってドタキャンされてやんの」

 ――どうやら関本は腹に一物を抱えた部下を従えているようで。

 もちろん高鬼にも聞こえているのだ。関本に聞こえないわけがない。

「………………今、何つったコラ」

 関本は恐ろしすぎて描写できない形相で、地声の大きい部下二人を睨みつけた。ベキベキと、全身の関節から怪しい音が聞こえる。

「へ? あっ……」

「……今、何て、言った?」

 爛々と輝く目を直視してしまった二人は、凍った表情を浮かべて硬直した。

「あ、ああああああああの、その……」

 恐怖で後ずさることも出来ない二人。哀れ、真島と竹中は関本の手によってその短い生涯を終えたのでした――

「ってなわけにいかないか、やっぱ」

 こんなところで関本が暴れるのだけは避けたい。と言うか後処理が面倒臭くて迷惑この上ないのだ。昔から暴れた関本の尻拭いは高鬼か青鬼と決まっていた。

 高鬼は今にも部下二人に飛び掛りそうだった関本を無理やりに羽交い絞めにし、押さえつけた。

 背は小さいくせに、無茶苦茶なパワーがあった。

「離せぇ、高鬼ぃ……こいつらにはなぁ……締まりのない喉笛を食い破るという体罰が必要なのだぁ……」

「まあまあ関本、抑えて抑えて……それにそれは体罰じゃなくて処刑だって」

 と、その時どうやら高鬼はリモコンスイッチを入れてしまったようで、ピピピッと電子音が鳴った。画面には小さい文字で名前と残りの寿命が表示されていた。

「なになに……あれ? 関本静香四十歳――残り寿命一年? なあ、これって……」

「えっ……」

 正気に戻った関本。だが高鬼の言葉が理解しきれない様子で目を瞬かせていた。

 その一瞬の隙を逃すほど、関本の部下は教育がなされていないわけがなかったようだ。

「さ、わたし達は仕事が押してますので……」

「えっ、何? 俺死ぬの!? ねえっ!?」

「さあ……何のことだか……」

 刹那の間に身支度を整え、二人は仲良く明後日の方向を指差した。

「「あっ、赤い彗星がっ!!」」

「え、どこどこ? っておいっ!? 二人とも!? ちょっ……」

 脱兎の如く、とはこのことか。真島と竹中は目にも止まらぬスピードでその場から姿を消していた。

 夕日の差し込む教室に残されたのは、高鬼と関本の中年二人だけ。

「……………………」

「…………………………………………」

「……ドンマイ」

 沈黙が非常に痛く、高鬼は何か声をかけようとした結果がこれだ。

 何がドンマイ、だ。

 そして、

「ま、待ってくれぇ~!」

 年老いた鶏のような、情けない声を上げながら関本も逃げた二人の後を追った。

 一人残された高鬼はフウ、と溜息をつき手の中にすっぽり収まるリモコンを見やった。そして妙に達観したように呟く。

「技術の発展って、必ずしも良いって訳じゃないのか。人間達にこんなリモコンが出回ったら大変なことになりそうだ……」

 リモコンを弄りながら高鬼は廊下の外に出る。無人の廊下は未だに赤い夕日に照らされているだけだった。

「そう言えばさっきの人間の寿命が短いとか言ってたな。えー……小林夏美四十二歳――残り寿命一週間、か……」

高鬼はやれやれと首を振った。

「後をつけてみるかな」

 そして面倒臭そうに学校を後にした。



「もしもし!」

 それほど夜遅くもない時間にかかってきた電話の番号を見て、早川(はやかわ)一樹(かずき)は嬉しそうにケータイを手にした。

 相手は、それほど顔は悪くないはずなのにただひたすら運のなかった一樹に、ようやく出来た彼女の真央(まお)だった。

「あ、真央? 今? 大丈夫だよ」

 やっべ……何話したらいいのか分かんね……!

 電話に出てみたはいいものの、つい数日前まで年齢=彼女イナイ暦だった一樹には、自分の彼女と何を話したらいいのかすら見当がつかない。

 えーと、何か共通の話題、共通の話題……!

 一樹は部屋着のティーシャツと短パンを掻き毟りながら悶絶した。こういうときに限って、頭脳というものは正常に働いてくれないものである。

 そして一秒にも満たない一瞬の間に熟考し、一樹は口を開いた。

「今日のテスト簡単だったよな」

 思いつく限り、最悪の選択だった。

 あ、終わった……いやいや、いくらなんでもこんな短期間のうちにフラれることはあるまい! 幸いにも真央は勉強嫌いというわけではなかったはず!

 そう自分に言い聞かせたのがよかったのか、単に彼女が一樹に優しかったのか、真央は一樹の話題に乗ってきてくれた。

「そんなことないって? もしかして二問目の問題に見事引っかかったの? あんな問題に引っかかるなんて真央くらいだろ。まあ確かに木村先生の問題はイチイチ罠張ってくるけどさ……」

 おいおい、彼女がいるってこんなに幸せなことなのか? クラスのやつと同じことを話すと教師の悪口合戦に発展するような話題がここまで幸せな雰囲気になるなんて!

 最後の方は幸せすぎて真央と何を話したのかすら覚えていない。まあ変な話題にずれることはなかったはずだからお互いにいい気分で今夜は眠れそうである。

「うん、うん……そうだな……うん、それじゃ、おやすみ」

 そう言って電話を切ろうとして、ケータイの向こうから恥しそうな、それでいて何かを期待するような声で真央が待ったをかけてきた。

「……え? 約束の、アレ? 無理だって……恥かしいし…………分かったよ」

 そう言えば、付き合う間にそんな約束をしたっけ。マジで要求してくるとは。

 一樹は自分以外誰もいないはずの自室を見渡し、大きく深呼吸をした。そして自分でも顔が真っ赤になっているのを感じながら、意を決して囁くように答えた。

「愛してる。君だけが僕の小宇宙さ☆ ……じゃ、おやすみ」

 恥しさのあまり悶絶しそうだったが何とか堪え、彼女との電話を終えた一樹はベッドに横たわった。

「ヤベ……めっちゃハズいんだけど……」

 そう呟きながらも、顔は締まりなくニヤけているのには気付かなかった。

 代わりに違うことに気づいた。

「ん……?」

 部屋のドアが、若干開いている……。

「ま、まさかっ……!?」

 その、まさかだった。

「へぇ~、お兄ちゃんラブラブだね~」

「うおっ!? え、笑美(えみ)! お前、いたのかよ!」

 細く開かれたドアの隙間から一樹の二つ歳下の妹にして天敵その一、笑美登場。

「い、いやただの友達だよ、うん!」

 慌ててそう否定するも、

「……『愛してる』って友達に言うんだ。ふーん、妹としては複雑だなー。しかも『君だけの小宇宙さ☆』って、さすがに引くわー」

 よりにもよって一番恥かしいシーンを見られていたようだ。

「はあ……彼女だよ。最近出来たんだ」

 諦めて白状……いや、自白か自爆か。ともかく笑美の冷ややかな視線が恐ろしく激痛モノだったため、さっさとゲロった方がよさそうだった。精神的に。

「なんつーか、付き合ったときに『電話とかの最後に絶対愛してる、って言って』ってさ。母さんとお前だけには知られたくなかったのに……頼む、母さんには内緒にしてくれ!」

 両手を合わせて大げさに懇願する。これくらいして頼み込まないと口の軽い妹はあっさりと口を割ってしまいそうだ。必要によっては後で何か好物でも奢ってやらないといけないかもしれない。

 だが笑美は苦笑いを浮かべながら、勝手に一樹の椅子に座った。

「うーん、それはちょっと難しいかもなー」

「は? お、お前……ひょっとして……!」

「それでは、スペシャルゲストの登場でーす」

 バターンッ、と盛大な音と共にドアが開け放たれ、一樹第二の天敵登場。

「は~い、お母さんで~す」

 昼間の化粧を落とし終え、すっかりすっぴんになったにもかかわらず妙に若々しい母・(あかね)はズカズカと無遠慮に一樹の部屋に入ってきた。

「……最悪だっ。うわ、マジかよ……」

「母さんだってそーゆーお話したいもん」

 したいもん、なんて口調が許される年齢じゃねーだろあんた。

 もちろんそんなこと、命に関わるため口が裂けても言えないが。

「ねね、その子ってかわいいの? 母さんよりも可愛いの? 母さんよりも可愛かったら承知しないからねっ」

「可愛くないわけないだろクソババァ」

「あら、負け惜しみ?」

 年齢以外は弄ってもわりと寛容な(相当自信があるらしい)茜を一蹴したところで、さらに面倒臭い人物登場。

「一樹、父さんの愛しの母さんを虐めるとは、男として見過ごせんな」

「あなたっ♪」

「父さんまで来たし!? とことん最悪だぁっ!!」

 早川家の大黒柱、(しげる)の乱入によって一樹の部屋に一家全員が勢ぞろいしたことになった。いくらなんでも四人も揃えばいい加減狭い。と言うか、プライベートなんてあったものじゃない。

 そして更なる波乱は、最初の闖入者である笑美によってもたらされた。

「あったっ! 見て見てこれ彼女じゃない? かーわーいーいー」

「おまっ……!? 一体どっからそんなの見つけて来るんだ!」

 机のかなり奥の方に隠してあったはずの二人の写真(額縁入り)を高らかに掲げ、笑美は茜と茂るにも見せた。

「あら、なかなかね」

「そうか? 父さんはやっぱり、母さんのほうが可愛いと思うぞ」

 よくそんな背中が痒くなるようなセリフを素面で言えるもんだな、とつくづく茂には感心させられる。どうやら一樹は父親ののろけ癖は受け継がなかったようである。

 嬉しいんだか、悲しいんだか……。

「茂さん……」

「茜……」

 いや、どっちにも似ていて欲しくないと一樹は思った。

 目の前では、結婚二十年目にしてお互いの愛を再確認した二人が星の散った瞳を向き合わせて何やらいい雰囲気になっていた。

 勘弁してくれ!

「ストーップ! 分かった、止めろ! 年頃の息子の前でそんなことすんな! てか笑美も写メ撮ってないで止めろよ!」

「えー、だって面白いもん」

 えー、じゃねえよ。

 目の前でいい歳した両親が抱き合おうとしていたのを面白がってケータイで撮ろうなんて、一樹の脳細胞からはそんな発想は搾り出せない。

 最近、俺は本当にこいつらと血の繋がった家族なのかと疑問になる。だが悲しいことに、性格以外は間違いなく母親似だった。

「絶対に真央ちゃんを泣かすんじゃないぞ。女の子を泣かすやつは(オトコ)じゃないからな」

 改めて真面目な表情で言われても、どうも茂からは説得力の微塵も感じないのはなぜだろうか。

 だがここは素直に頷いておく。

「……分かってるって」

 と、そこで一樹の視界に未だに真央のツーショット写真を眺めていた笑美の姿が入った。そしてニヤリと怪しい笑みを浮かべ、特大の爆弾を落としてやった。

 報復というものである。

「てか、笑美だって彼氏いるんじゃないの?」

「へ?」

 人間ってこうまで一瞬に顔色が変わるものなのか? 笑美は硬直の白から羞恥の赤、そして動揺の青へとカメレオンのように変色した

「あら~、なーに? 笑美もお母さんに隠し事~?」

「い、いや別に何でも……」

 一樹への注意が反れ、まず茜が食いつく。

 よし、もう一押し。

「ずっと好きだったやつとやっと付き合えたもんな」

「な、何でそんなこと言うかな!?」

 そしてダメ押し。

「この前、佐田(さだ)君のことが世界で一番好……」

「わーわーっ!?」

「父さんにそいつが誰だか教えなさい……うちの娘に手を出したりしたら……承知しないからな……」

 血の涙を流しながら茂がゆっくりと笑美に詰め寄る。目つきがヤバイ。実の娘に向けるものではない気がする。

「お、お父さんに関係ないじゃない! フンっ!」

 そっぽを向いて、笑美、退場。

 茂はかなり嫌われてしまったようだ。少しやりすぎたか、と見てみると案の定、この世の終わりの如き落ち込みようだった。

「……小さいころは……一歳までは……『お父さんと結婚する』が口癖だったのに……」

「イヤ父さん、それは記憶の捏造だ」

 一歳やそこらの幼児と会話が成立するわけがない。というか娘との記憶を改竄するな。

「……風呂に入ってくる」

 ションボリと目に見えて肩を落ち込ませて部屋を出ようとドアに向かう茂。と、先に出て行った笑美が戻ってきてドアの隙間から顔を出した。

「入ったらお湯、捨ててね」

 何もトドメを刺しに戻って来なくても。

 生ける屍同然の茂はゆらゆらと覚束ない足取りで今度こそ部屋を後にした。

「はあ……」

 そして残るは一人。その一人が最強の敵だ。

「ふーん……あんたうまいこと部屋から出したわね。腕上げたじゃない」

「母さんには敵わないけどね」

 茜の言うところの『ドサクサに紛れて邪魔者の排除』を小学生の時点で修得していた一樹だったが、師である茜にだけは成功した試しがない。いや、成功する気もしない。

「ふっ、途中経過は教えるのよ。協力してあげるから」

「……何だ? ずいぶん優しいな……?」

 こう――妙に優しい茜は腹の中で何を企んでいるか分からない。一樹が心持警戒していると、

「だって母さんより可愛くないからね~」

「ふざけんなこのババァ!」

「おほほほ~」

 ただの自称勝者の余裕だった。

 茜は昭和臭い奥様笑いをあげながら部屋を後にした。

「はあ、疲れた……あいつら、何つーか……はあ、部屋もこんなに散らかして……」

 主に笑美が写真探しで荒らした部屋を見渡し、今夜はもう少し眠るのが遅くなることを悟った。


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