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そのいち

 どこの会社にもよれよれのスーツに猫背、眠そうな目、疲れた表情を浮かべたサラリーマンはいるものである。だがここに、ここまでいわゆる『疲れたサラリーマン』を体現したものがいただろうか、と言いたくなる男がいた。

 着古したビジネススーツに手入れの行き届かない頭髪、そして疲れきった表情と、窓際社員の具現のような影の薄い男だった。

「お前だけ今年のノルマを達成していないじゃないか!」

 会社のオフィスで高鬼(たかぎ)(りょう)は上司の赤鬼(あかぎ)部長から頭ごなしに怒鳴られていた。同僚たちはそれをいつもの光景の如く黙殺し、各々の仕事に精を出している。もはや高鬼自身も説教を食らっているという感覚がなくなってきていた。

「他の皆はきちんと予定分の人間を我が『地獄株式会社』に入社させているというのに……お前のこの成績は何だ!」

「いや……ですがね部長」

 高鬼も無駄だとは分かりつつ、一応は反論を試みてみる。だが赤鬼は名前通りの迫力のある眼光で高鬼を睨み付ける。

 説教の感覚は麻痺していても、恐怖だけは一丁前に感じるのだ。

 恐怖で情けない顔つきをさらに震わせる。だが一度口にしてしまったのだから引っ込みがつかない。高鬼は恐る恐る口を開いた。

「何か、俺の執ろうとしている人間がことごとく『天国株式会社』のやつらに横取りされるんですよ……」

「言い訳は許さん!」

 ほらやっぱり、と同僚の呟く声が聞こえてくるようだった。

「次の決算までにノルマを達成できなかったら……お前を本当の地獄に送ってやる」

「ええっ!?」

 と、とりあえず驚いてみたところで冷静に考える。今期、高鬼から課せられたノルマは十人の人間の勧誘。そして今のところ九人の勧誘に成功している。つまり、

「なーんだ、ノルマまであと一人じゃないですか。じゃあ急がなくても……」

「馬鹿者! そんなのだから万年平社員なんだ。少しは同期の青鬼(あおき)を見習え。いまや閻魔社長の秘書も勤めるエリートだぞ」

「いや、青鬼と俺を比べないでくださいよ……」

 高鬼は今この場にいない同期にして友人の顔を思い浮かべる。

 自分と違って生き生きと仕事をこなす彼女こそ、出世頭の文字が似合う女性だろう。

 あんな化物みたいな秀才と比べられると、高鬼どころか他の同期まで見劣りしてしまう。そもそも赤鬼も青鬼が閻魔社長に気に入られるまで煙たがっていたではないか。

 もっとも、そんなこと恐ろしくて誰も口にしないが。

「全く……お前みたいな部下を持つ私の身にもなってくれよ」

「分かってるんですけどね」

 ポリポリと頭を掻く。

「なかなか上手くいかないんですよ」

「……いいから、早く手ごろな人間を探して来い!」

 いい加減痺れを切らしたのか、その辺にあったファイルで机を叩く赤鬼。

 ガンッと暴力的な音がオフィスに響き、高鬼は思わず首を竦める。

「人間界への水鏡の間はもう開放してある! さっさと行け!」

「はいはい、分かってますよー。行ってきまーす」

「返事は一回!!」

「はーい」

 高鬼はどっこいしょ、と必要書類が入った鞄を手にし、やる気なさげにオフィスを出て行った。その後姿もやはりどこか頼りない。

 それを同僚たちはこっそりと見送り、そしてそのまま赤鬼の顔を窺った。

 眉間に渓谷のようなシワを寄せ、高鬼が消えていったドアを睨む赤鬼。だがすぐに部下たちの視線に気付き、そっちの方にも眼を飛ばす。

「何だね!?」

 気のせいではなく、大気が震えた。ササッと一瞬で何事もなかったかのように仕事に戻る面々。高鬼以下、彼らはどれもこれもふてぶてしい神経を持ち合わせていたのだった。

「はあ、面倒だなー」

 オフィスを出た高鬼はそう呟き、赤鬼が見ていたらイライラと尻を蹴飛ばしそうなゆっくりとした歩調で、玄関ロビーの水鏡に向かった。

 やはりその背中は、どうにも頼りなかった。


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