転生した王女は傾国の美女な母親をどうにかしたい
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(あぁ、門が開かれたわね。)
大きく開かれた城の門からなだれ込んでくる兵士たちを、尖塔の窓から見下ろしながら少女はひっそりと笑った。
遠く離れたこの場所まで、地響きのような勝鬨の声が聞こえる。
押し寄せる群衆を妨げる者は居ない。
本来なら城を守っているはずの兵士も騎士も、全て敵に回ったのだから当然だ。
そうされて当然なほどの事を、この国の王とその周辺に侍る一部の者達は行ってしまった。
夜ごと開かれる豪華絢爛な夜会に、食べられることなく廃棄されていく豪華な食事。
毎日のように新しく誂えられる豪奢なドレスや煌びやかな宝飾類。
全ては誰かの犠牲のもとに得ていたものだったのだと、想像もしないまま無駄に消費し続けていった。
国を傾けるほどの贅沢を止めようとする声は、彼らの耳にまともに届くことはなかった。
不快な言葉をまき散らすと、それらの良識ある人々はあっという間に蹴散らされてしまったのだから。
掲げられた剣を振り下ろされる先が誰か。
少女はそれを思って、目を閉じた。
(ようやく、この日が来た)
少女の名はエスメラルダ。
金の髪に金の瞳という王家由来の色を持つ美しい少女で、王と5番目の側室の間に生まれた娘であった。
しかし、供の一人もつけずに窓の外を眺めるその顔には、ひどく大人びた疲れが滲んでいる。
(あぁ、鷹の旗印が見える)
どこまでも真っ直ぐに空高く飛んでいくその鳥を、憧れと共に見つめた時に隣にいた人を思い出し、青ざめた頬にわずかに赤みが戻る。
ホロリとその頬を伝った雫は、喜びの涙だった。
エスメラルダの不幸はいつから始まっていたのか。
誰よりも自分に甘い母親と、その母親にすべてを与えようとする父親に違和感を感じた時か。
我が子と分け隔てなく接してくれていた王妃様が凶刃に倒れ、その報を聞いた時にひっそりと扇の陰で歪んだ笑みを浮かべた母親を見てしまった時か。
不自然な事故で消えていく兄弟たちの不幸に奇妙な共通点を見つけてしまった時か。
いや。
全ての不幸は産まれた瞬間。
前世の記憶を手放すことなく生まれてきてしまった事が始まりだったのかもしれない。
エスメラルダには、物心ついた時には自分とは違う女性の記憶があった。
日本という平和な国に産まれ、周りと同じように学校に通い、就職して毎日働いた。適度に友人たちと交流を重ね、やがて伴侶を得て、子供を育てる。
平凡で人に誇れるようなものもないけれど、それなりに満たされた一生。
幸か不幸か死んだ原因は覚えていないけれど、孫までその腕に抱いた記憶があるのだから充分長生きしたのではないかと思う。
それがふと気がついたら、自分で身じろぎすらろくにできない赤ん坊になっていたのだ。
その驚きと言ったらなかった。
混乱に泣きわめいたのは一瞬。
すぐさま誰かの腕に抱き上げられ、甘い香りのするものを口に含まされた。
本能のままに体が動いて、あふれ出したものを飲み下した時、一緒に新たな運命を飲み込んだのだろう。
生まれ変わってしまったのだと、ストンとふに落ちた。
それからは、我ながら育てやすい子供だったと自負している。
少々思考回路が理屈っぽいのはしょうがない。
何しろこちとら人生60年くらいの記憶が残っているのだ。
それでも、自分なりに精一杯子供ムーブを心掛けた。
偏に、奇妙な子供だと産みの親を失望されないためだったけれど、数か月過ごすうちに、どうもそれは杞憂だったようだと気が付いた。
乳を含ませてくれる女性だけで二人いる。
世話をするだけの女性なら、さらに数人。
最初のうちは視力も弱かったし眠っている時間も多かったので気が付かなかったけれど、三か月もする頃にはその違和感に気が付いた。
じっと耳を澄まして、女性たちの話を聞くこと、さらに三か月。
どうやら、自分は、この国の王様の子供として生まれてしまったようだと知った。
正確には、何人かいる側妃の一人が母親のようだ。
私の感覚では、まだ学校に通っていそうな幼い少女が自分の母親だと知った時の衝撃と言ったらなかった。ちなみに、母親の乳を飲んだことは恐らくない。何度か顔を見たけれど、抱き上げる事もなかった。
興味なさそうな顔でチラリと籠の中を覗き込み、それっきりである。
しがない庶民でしかなかった前世からしたら信じられない感覚ではあるが、王侯貴族とはそんなものなのかもしれないと、納得することにした。
何しろ中身は大人であるから、母親の腕を恋しいと思う事もない。
お世話は二人の乳母と三人の侍女がしっかりと目を光らせているのだから問題なかった。
なんなら、箸より重いものを持ったことのなさそうなか細い母親の腕に抱かれる方が危険そうである。
一歳のお披露目パーティーらしきものも、綺麗に着飾ったエスメラルダを乳母が抱っこして、母親の後ろをしずしずと歩く方式だった。
その時に、ようやく他のロイヤルファミリーにお目見えする事ができたのだけど、母親は残念ながら他の妃との友好な関係は築けていない様子である。
目が笑っていない笑みを向けられて、危うく恐怖に泣き出すかと思ったほどだ。
幸い、必殺私は無邪気な赤子ですよ~と愛嬌を振りまくことで事なきを得たけれど。
二歳になるころには、なぜか母親が接触するようになってきた。
どうやら、会話が成立するようになってきたことと、ある程度大きくなっていたことで暇つぶしの玩具認定されたようだ。
ヒラヒラのドレスを着せられても、ようやくよちよち歩けるようになったばかりの体には重しにしかならないのだけど。
お揃いで誂えたらしきドレス姿を父親に披露しようと、王の執務室へと連れ出された時に感じた違和感をどういえばいいのか?
父親と母親の年齢が親子ほど離れていそうなことは、まだいい。
王侯貴族の婚姻だ。それくらいの年齢差はあるだろうと、前世の知識からなんとなくイメージできた。
しかし、押しかけた場所は王の執務室だ。
いくら奥さんとはいえ、そんなホイホイ入り込めるものなのか?
仮にも一国のトップだぞ?
机の上に置かれた書類を放り出して、突然訪ねてきた妻子とのんびりお茶を飲んでていいの?
なんか部屋の隅で渋い顔してる文官っぽい人が見えるんだけど?
さらには、なんか母親のおねだりが始まってるんだけど?
でれでれの顔でそれじゃあ、一緒にお忍びで出かけようかってなに? 仕事は?
あ、流石に止められたけど、今度は宝石商人を呼び寄せてる。
そうですか。新しいネックレスとリングが欲しいんですか。同じデザインを石の色違いで三つですか……。
うすうす気が付いていたけれど、確信したのは3歳の時。
父親は、若い奥さんに骨抜きにされて仕事を放り出し散財するダメおやじでした。
母親は、父親の愛情を盾に放蕩を繰り返すヤバい人でした。
リアルで「パンがなければお菓子を~」って言いそう。
あ、あれって後から勝手に作られたエピソードだったっけ?
それでも、正妻である王妃様が健在のうちはまだ良かったんだよ?
最後のストッパーとして、頑張ってくれていたから。
ちょっと一人だけに予算使い過ぎじゃない?とか、遊んでばっかりじゃなくてちゃんと仕事しなさい、とかね。
だけど、どんどん母親の手管に絡めとられていた王様にとっては、煩わしくなってきていたんだろうね。
ある日、王妃様が倒れた。
不自然なほどどんどんと状態は悪化して、お医者様もどんな薬も役に立たない。
亡くなるまで、一月もかからなかったと思う。
それと同時くらいに、国の重要な地位を担う人たちが、次々と挿げ替えられた。
理由は様々。
体調を崩した。不正を働いていた。代替わりのため。事故にあって命を落とした。
母親の元にご挨拶に来る人達が増えて、ご機嫌に笑う母親の手元には豪華な宝飾や美しい織物が溢れていく。
その様子に、私はそっとうつむいた。
だって、年端のいかない幼女にいったい何ができただろう。
上品に整えられていた王城が気がつけばハデハデしく飾り立てられ、毎夜開かれる夜会により国の政治が滞り、享楽にふける一部の人の裏で、仕事を詰め込まれ過ぎて顔色を悪くする人たちが増えていく。
勇気をもって王に諫言をあげた人々は王城から追い払われ、ついには後継であった王子たちにまで魔の手は伸びた。
友好国との橋渡しという名目で外に出されるのはまだいい方で、まだ起こってもいない争いの芽を摘むためにと辺境の地に住む少数民族の討伐に少人数で行かされたり、河岸工事を終えるまで戻るなと無茶な工期を押し付けて責任を取らせたり。
あきらかな言いがかりや嫌がらせに、姿を消してしていく兄姉たち。
四歳になるころ、私は母親の真似を始めた。
母親が望むままお揃いのドレスや宝飾に身を包み、父親に笑顔を振りまく。
「母様が大好きだから同じがいいの」は最強の呪文だった。
たちまちにあふれるクローゼットの中身と、食べきれないほどの贅を尽くしたお菓子や料理。
私が何でも欲しがる愚かな娘としてふるまうほど、母親は喜んだ。
「姉さまの方が綺麗な金の髪でズルい! 見せびらかすなんてひどいわ!」
礼儀作法を教えようと四苦八苦してくれた姉に言いがかりをつけて、目に入る所にいてほしくないと駄々をこねて、他国へと嫁いでもらう。
「兄様が馬をくれないの。いじわる! そんなに馬が好きなら、辺境でずっと馬と遊んでいればいいんだわ!」
抱き上げて慈しんでくれた兄を、癇癪を起して辺境へと追い払ってもらう。
母親そっくりの我儘姫。
そう噂されているのは知っていたけれど、気にしないことにする。
早く早く。
これ以上、国が壊れてしまう前に。
兄さまや姉さまが傷つかないように。
何もわからない幼い姫だからと目こぼされているうちに。
ものの道理も分からない我儘姫でいられるうちに。
泣いている暇なんてなかった。
本当は母親を変える事ができるのが一番だったけれど、母親には母親の目的があって国を壊そうとしているのだと気が付いてしまったから。
望んだわけではないけれど、あの人から生まれてしまった責任だと自分に言い聞かせて動くしかなかった。
5歳になるころには、ドレスよりも宝石を多く欲しがるようにした。
「キラキラ光ってきれいなんだもの」と腕や首にジャラジャラと巻き付けて遊んでみせれば、母親は頬をバラ色に染めて微笑んでくれた。
「あなたがこの国の女王様になるのよ」
その頃には、王の腕に抱かれながら、そんなことを堂々と言うようになっていた母親を、咎める声はもはやなかった。
「それなら、もっとキラキラの国にするね」
無邪気な笑顔で答えながら、私はそっと人影で苦虫を噛み潰したような顔をしている大人たちの姿を見つけては、心のメモに書きとめる。
一人一人と追い出して最後に残ったのは、私の五歳上の兄だった。
父親が酔った戯れに手をつけた侍女が母親で、一応男爵家の娘だったために側妃としての立場を整えたような後ろ盾もない弱い存在だった。だからこそ、わざわざ排除するまでもないと捨て置かれていたのだ。
だけど、彼は誰よりも聡明な頭脳を持って産まれていた。
早いうちにそのことに気が付いた彼の母親が、目立てば排除されてしまうと恐れて隠すようにして育てたため発覚していなかったのだ。
ひょんなことからそのことに気が付いた私は、唯一の味方として彼を引き込むことにした。
子供ゆえに目こぼしされるのは彼も同じで、それだからこそ連絡係として、最適だった。
なにより、私と違って一度目の人生のはずの兄は、二度目の私よりもよほど頭が良かったのだ。
私が彼の存在に気が付くよりも先に、私の違和感に気が付いていたのだから。
そもそも私が兄の特質に気がつけたのだって、兄がそうなるように誘導していたのだと後から教えられた。
秘密の逢瀬は、ほとんど人が立ち入ることのない尖塔の最上階で。
窓から外を眺めながらたわいもない話をする時間が、唯一ともいえる私の息抜きだった。
空を飛びまわる鳥の姿をぼんやりと目で追っていた私に、「あほ面になってるぞ」と兄が笑う。
酷いと唇を尖らせながら、私は空を飛ぶ鷹を指さした。
「兄様みたいね。きっとどこまでも遠くまで飛んでいけるわ」
「お前もそうだろう?」
王家の紋章は鷹の印が入っていて、それぞれの個人を示す印にも組み込まれていた。
「私はカッコウだもの。木にしがみついて虫を探しているのがお似合いだわ」
「なんだ、それ?」
不思議そうに首を傾げた兄に、私も笑いながら肩を竦めて見せる。
「コンコンコンって木をつついて、ここにいるよって知らせるの。兄さま、見つけてくれる?」
冗談めかして伝えれば、変な奴だな、と笑いながらも頷いてくれた。
計画は単純にした。
両親の寵愛を盾に、王家の姫は私だけでいいと我儘を振りかざして、兄妹たちを地方へと飛ばす。
だけど、とばした先はひそかに今の王家に反意を持っている貴族の領地だ。
そこを起点にそれぞれが手を組み、反乱を起こす。
王城に残っている良識ある人々には、最後まで残った兄さまが伝達係としてつなぎをとるのだ。
資金源には、たくさん買ってもらっていた宝飾類を使った。
見分けがつきにくいように、同じようなデザインや色の石ばかり強請ったため、私のあだ名が紅狂いになっていたのには笑ってしまったけれど。
綿密な計画はあえて立てない。
ざっくりとした計画の方が、問題が起きた場合その時その時に判断して動きやすいと思ったからだ。
私には無理でも、きっと兄様達ならなんとかできるはずだと信じていた。
そうして、最後の兄さまを王城から逃がして、二か月後に反乱は起こったのだ。
「そろそろ時間かな」
王城のどこかで幾度目かの勝鬨の声が上がるのが聞こえた。
きっと、また誰かの命が刈り取られたのだろう。
自分たちが好き勝手に国を荒らしたつけを払っているのだと思えば、その結末もしょうがないかな、とは思える。
甘言に踊らされて、甘い汁を吸う事を選んだのは自分自身なのだから。
「まあ、そうならないようにできなかった私も、ある意味同罪だけど」
もっとうまい方法があったのではないかと、今でも思う。
そうすれば、救えた命もあったはずだ。
「なんてね。無理だよねぇ。悲劇の引き金は私の生まれる前に引かれてたんだし」
「こんな所にいたの」
ポツリとつぶやいた時、背後から声が響いた。
「あら、お母さま。てっきりもう捕まったのだとばかり」
振り返った先には、母親が立っていた。
どうやってここまでたどり着いたのか知らないけれど、いつもきれいに整えられている髪もドレスも随分とボロボロになっている。
「おまえこそ、ずいぶんと余裕ね。こんな所にいたら、捕まってしまうわよ?それとも、あなただけは助けてもらえる算段でもできているのかしら?」
憎々しげな声に、思わず目が丸くなる。
「なんでそんな考えが? 私は、親の権威をかさに着た我儘姫よ?」
「空々しい! 逃げる途中に、反乱軍の中にお前と仲が良かった王子を見つけたのよ! あの子とたくらんだのでしょう? おまえを探していたわ!」
叫ぶような糾弾に、思わずこぼれたのは笑顔だった。
旗印が見えたからいるとは思ったけど、本当に来ていたのね。
体を動かすのは面倒だからキライだって言ってたから、高みの見物をすると思っていたのに。
「おまえだけ、助かるなんて許さないわ! おまえも私と共に滅びるのよ! あの人と私を引き裂いた元凶の血など残してなどやるものか!」
その笑顔をどう勘違いしたのか、激昂して掴みかかってくる手をかいくぐるようにして、逃げるのではなくその胸に飛び込んだ。
本当は、このまま黙っているつもりだったけど、最後に顔を見たら気が変わったんだからしょうがない。
「なにを!?」
そのまま抱きつけば、思わぬ行動だったのだろう。母親が驚いたように硬直した。
「かわいそうなお母さま」
その一瞬のすきに、小さくつぶやく。
「どうしてちゃんと私を見てくださらなかったの? 憎しみに曇った目を見開いて、きちんと私と向き合ってくださっていたら、もしかしたらこんな悲しい終わりを迎えなくてすんだかもしれなかったのに」
「なにを言って・・・・・」
私の言葉に母親の腕の中でそっと顔をあげると、戸惑いをにじませたその瞳をしっかりと覗き込む。
王家の色は、金の髪に金の瞳。王である父親も当然その色を持っていた。そして、母様は金の髪に紫の瞳のもちぬしだ。だけど、私の色は……。
「……うそよ!生まれた時、お前は金の瞳をしていたわ!!」
母親は、驚愕に目を見開き叫んだ。
「生まれたばかりの赤子の目はまだはっきりと見えていないし、ぼんやりと膜が張ったように曇っていることがあるんですって。成長の過程で変化することも、よくあることだそうよ?」
私の瞳は一見金色に見えるけれど、よく見るとその中にオレンジと緑の色が散っているのだ。
小さな私と目線を合わせるために膝をついてくれる人なんていなかったから、乳母以外、誰も気が付かなかったけれど。
侍女たちはね。尊き人と目を合わせるのはおそれ多いって、真っ直ぐ顔を見る事はないんだよ。ちょっと寂しかったけれど、瞳の秘密がばれないためには都合が良かったから、黙ってたの。
「髪もね。生まれた時は色が薄くても、だんだん濃くなっていくこともあるの。変化する私の色に気が付いた乳母が、命に係わるかもしれないと憐れんで隠してくれたのよ」
被っていたベールをするりと剝ぎ取ると、私の髪があらわになる。
窓から入ってくる光に透ける髪の色は赤金だった。
「……うそよ。……うそようそようそよ!! そんな事って!?」
母親の顔が驚愕から絶望へと染まっていく。
「なんで、おまえがディーンの色を持っているのよ!?」
悲鳴のような叫びが響き渡る。
痛いくらいに肩を掴まれながら、私はじっと立ち尽くした。
王家に嫁ぐ前、母親には幼いころから決められた婚約者がいた。
物心つくころより前に出会い、相思相愛の仲睦まじい婚約者だったそうだ。
しかし、デビュタントの時に、その美しさが王の目に留まってしまった事で、運命は激変する。
大人達の間でどんなやり取りがあったのかは分からない。
しかし、二人は王命によって引き裂かれ、母親は側室となることが決まった。
それだけならまだ母親の心は耐えられたのかもしれない。
しかし、婚姻の日に元婚約者はならず者たちに襲われて無残に命を落としたのだ。
「王の側室は複数いたし、容色が衰えてくれば王が興味を無くすことは知られていたわ。あの人は、いつまででも待っていると誓ってくれた。十年後、二十年後になるかもわからない。もしかしたら、その日は来ないかもしれない。だけど、その約束を支えに私は生きていけると思っていたのに……」
母親は小さな声でつぶやきながら、ヘナヘナと崩れ落ちた。
「私の乳母は、元婚約者さんの従姉だったの。徐々に色が変化する私に「もしかして」と思ったけれど、その頃には母さんは人が変わったようになっていて、とても相談できなかったって言っていたわ。でも、その様子なら、やっぱり私はカッコウの子だったのね」
「……誰にも秘密の逢瀬だった。本当は、念のために避妊薬を飲む予定だったの。だけど、あの人が殺されたと知って、何かが私にささやいたのよ。もしかしたら。万が一にでも。そうなれば、私は約束をなくしても生きていけると思った」
全ての悲劇の始まりは、王の横恋慕だった。
そして、国を支えるには能力も我慢も足りない王を大人しくしているように宥めるために、生贄として一人の少女を差し出すことを決めた王の周囲にも、その罪はあるのかもしれない。
自分の幸せを壊された少女は、その仕返しに、全てを滅茶苦茶にしようとたくらんだのだ。
「可哀想で愚かなお母さま。あなたの愛した人の欠片は確かにここにあったのに。憎しみに目がくらんで何も見えなくなってしまったのね。そして、私もお母さまを止めるには足りなかったんだわ」
一回り小さくなってしまったように見える母親を、私は精一杯抱きしめた。
まだ六歳の小さな体では、包み込んであげることはできないけれど……。
「お母さまはかわいそうだけど、その自暴自棄に国も人もたくさん巻き込まれたわ。その罪は消えないから……」
精一杯力を込めて抱きしめる。しがみつく、に近いかもだけど。
「一緒にあの世へ、謝りに行ってあげる。それで、ちゃんと罪を償えたら、今度は本当のお父さんを私に紹介してね?」
「エスメラルダ……」
母親はあっけにとられたように私の顔を見つめると、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「ごめん……なさい……。ごめんなさい!」
ギュッと、母親の腕が私を抱きしめた。
生まれて初めて感じる母親のぬくもりに、知らないうちに零れた涙がポロリと頬を伝う。
子供にとって、母親は絶対の存在だ。
いくら生まれた時から前世の記憶を持っているとはいえ、ここにいる私は、やっぱり『エスメラルダ』なんだと思う。
心のどこかに開いていた穴にぎゅっと何かが詰め込まれた気がした。
「やっと、抱っこしてもらえた」
「……エスメラルダ」
思わずこぼれた言葉は、ひどく満足そうな響きを持っていて、少し恥ずかしくなる。
だけど、なんだか今だけは甘えたい気分だったから、ギュッとしがみつく腕に力を込めた。
「もっと」
「……そうね。抱っこしていきましょう。ずっと、抱っこしていてあげる」
その細い体のどこにそんな力があったのか、母親は私を腕に抱いたまま立ち上がった。
尖塔のてっぺんには鐘がついていて、室内にはそれを鳴らすために上に登る階段があった。
私を抱いたまま、母親はゆっくりと踏みしめるように一段一段昇っていく。
階段途中にある明り取りの窓が、私達の最後の目的地なのだろう。
不思議と怖さよりも、抱っこされている幸福感の方が勝った。
母親の口から小さく歌がもれる。
静かな旋律は、子守歌だった。
「……お空が、きれいね」
窓へとたどり着いて、母親がポツリとつぶやく。
窓の戸は開け放たれていて、母親は私を腕に抱いたまま窓枠へと腰を下ろした。
力を抜いて、その胸に体を預ける。
「やめろ!そいつを連れて行くな!!」
全てを受け入れるように目を閉じて大きく息を吐いた瞬間、階下から声が響いた。
驚いて閉じていた目を開くと、そこには少年の姿があった。
「あなたの罪はあなたのものだ! エスメラルダを巻き込まないでくれ!!」
「……兄さま」
それは二か月前に別れた、一番下の兄の姿だった。
たぶん階段を駆け上がる途中で邪魔になって脱ぎ捨ててしまっんだろう。鎧は脚の部分しかつけてない中途半端な姿で、いまだに苦しそうに大きく肩で息をしていた。
運動が苦手なくせに、無茶するんだから……。
「この子を残して逝けば、きっと辛い目に合うわ。国を滅ぼしかけた女の娘だもの」
私を抱く手に力を込めて、母親が歌うように言葉を紡ぐ。
「辛い目になど合わせるものか! 私が護ってみせる!」
それに間髪を容れずに返事が返ってきた。
「エスメラルダ。いいか!お前の髪が赤かろうと、お前の瞳に緑の花が咲いていようと、俺がお前を大切に思っている心に何の関係がある!?」
「……兄さま、知っていたの?」
思いもよらない言葉に、私の目が丸くなる。
そんな表情が見えるわけもないのに、まるで全部お見通しというように、兄は鼻で笑ってみせた。
「どれほどの時を隣に並んですごしたと思ってるんだ! だいたい、お前はいつも詰めが甘いんだよ!」
「そ……、そんなこと、ないもの!」
思わず反論が口をついて飛び出る。
「兄様が、細かすぎるだけだもの!」
小さな子供が駄々をこねるような言葉に、クスリと耳元で笑う声がした。
「……こまったわ」
「かあさま?」
どこか楽しそうな声に、思わず母親を振り仰ぐ。
「やっと大切なものを見つけたと思ったのに、もう私のものじゃなくなっていたのね」
ジワリと滲むような微笑みは、どこまでも澄んでいて、ドクリと心臓が嫌な音を立てた。
「なにを言ってるの……?」
思わず、ギュッと母親のドレスの胸元を握り締める。
その手を、母親の手が優しく包み込んだ。
「母さまはこれでも大人だから、やっぱり一人で謝りに行ってくるわね。いつかずっと先の未来にあなたが来る頃には、謝罪は全部終わらせておくから、父さんの紹介はその時に、ね」
ふわりと額にキスが落ちてきて、初めての感触に驚いて力が抜けたところをトンッと突き放された。
「いやっ!母さん!?」
落ちながらも必死で母親に手を伸ばすと、その唇が「愛してるわ」と動いて窓の向こうへと消えていく。
瞬きもできずに見つめたその顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「いって~~!」
いくら幼女とはいえ、三メートルほどの高さから落ちてきた体を抱きとめるには兄もまだ小さくて、二人して地面に倒れ伏した。
「大丈夫か?エメ?!」
それでも、次の瞬間には妹の心配をして声をかけた兄はさすがである。
しかし、声をかけられた妹の方は、まるで魂が抜けてしまったかのように呆けたままで、ピクリとも動かない。
「おい! エメ? エスメラルダ!?」
ぱんぱんと軽く頬を叩いて、何度も呼び掛けると、じわじわと瞳に光が戻り始める。
「大丈夫か? どこか痛いところあるか?」
「……母さん、一人で逝っちゃった」
怪我はないかとあちらこちら確かめている兄に、妹がポツリとこぼす。
そして次の瞬間。
「うえぇぇぇ~~~ん!!!」
少女の大きな鳴き声が響き渡る。
どんな時も飄々としているか笑っている顔しか見たことがなかった兄は、妹の大号泣に目を丸くした。
それから、何か声をかけようと口を何度かパクパクと開け閉めした後、大きくため息を一つついて自分より小さな体をぎゅっと抱きしめる。
「好きなだけ、泣いていい。一緒にいるからさ」
泣きつかれた妹が、気絶するように眠りにつくまで、兄はただ黙ってその体を抱きしめていた。
お読みくださり、ありがとうございました。
一番最初の違和感は、決して触れようとしない母親の態度だったのだと思います。
それから、周囲の言葉に耳を澄まし、ひとつずつ疑問を埋めていく気の長い作業の果てに、母親の身に起こった悲劇を知りました。
誰か一人でも反対の声をあげていたら、もしかしたら違う結末になっていたはずでした。
何気に、私の書いた小説で初めてのバットエンドな気がします。
本当は、お母さんといっしょに飛び降りる予定だったのですが、あまりにも救いがなさ過ぎてああゆう形にしました。
あの後は、エスメラルダは王城を出てひっそりと普通の暮らしを送る予定です。
まだ小さかったし、エスメラルダ王女は金の髪に金の瞳として知られているので、反乱の中で死んだことにして、エメとして再出発が妥当な点ですかね。
結局名前の出なかった一番下の兄が、宣言通り守ってくれることでしょう。
血のつながりはないので、その後恋仲になるもよし、兄妹エンドを迎えるもよし。
頑張って幸せになってくれるといいなあ、と思います。




