12話
「凄く美味しかった。……ごめんね、奢って貰って」
「気にしないで下さいませ。ノヴァ様が喜んでくださって嬉しいですわ」
申し訳なさそうに俯くノヴァを気遣うように、ヒムカが微笑む。さりげなく口元を指先で押さえるその仕草には、彼女の育ちの良さが滲み出ていた。
「それじゃあ腹拵えも済んだし、行くとしますか」
「えぇ、よろしくお願いします」
カフェを出ると地下都市の人工太陽がちょうど真上を過ぎ、街路には柔らかな光が溢れていた。地下都市は常に穏やかで過ごしやすい環境に調整されている。仕事さえなければ、道端のベンチで午睡を決め込みたいところだ。
そんなことを考えながら、隣を歩くヒムカに目線を向ける。
彼女の足取りは軽やかで、それでいて凛とした気品を保っていた。ふわりと揺れるワンピースの裾が風に舞い、ヒールの音が小気味よく響く。ノヴァは自分の無骨な軍靴の音がやけに大きく響くような気がして、少しだけ背筋を伸ばした。
「ノヴァ様は機械に詳しいのですわね。先ほど、わたくしの鞄を直してくださった時の手つき……まるで御伽噺に出てくる魔法を見ているようでしたわ」
「魔法だなんて、大袈裟だよ。昔ちょっと齧ったことがあるぐらいだから……」
「ご謙遜なさらずに。わたくしも機械に強い知り合いがいますが、ノヴァ様の手際は本当に見事でしたわ」
「え、へへ……ありがとう」
照れるノヴァを見て、ヒムカは優しく微笑む。
「ノヴァ様は軍人様ですよね。今日はなぜクライシード社へ?」
「使っていた端末が故障しちゃってね。知り合いのツテで、クライシードの調律師を紹介して貰ったんだ」
「まぁ、お仕事で忙しいでしょうに……」
「あ、はは……。まぁ確かに面倒だけど、調律師に会える機会も中々ないし」
ノヴァは先日、カナヒサから貰った名刺を取り出す。
クライシードの調律師。対ゼノタイプ兵器である『エドラ』を製造し、それらをメンテナンスする職人たちだ。当然彼らは機械の扱いに精通しており、軍部に支給される一般端末の修理など容易に行えるだろう。
「頭がいい人たちって、どこか一本ネジが抜けてるイメージがあるし……。会いに行く人が、話しやすいタイプだといいんだけど」
「………」
ゆったりと相槌を打ちながら話を聞いていたヒムカが、ふと動きを止めた。
その視線は、ノヴァの持っている名刺に縫い付けられている。
「ヒムカ?」
「どうされました? ノヴァ様」
一瞬、空気が張り詰めたように感じた。しかしノヴァが気にかけた時には既に、ヒムカは元の柔らかな微笑みを浮かべていた。
「いや、さっき何か……」
「お父様のお使いとはいえ、一人でクライシードの近くに行くのは不安だったんです。ノヴァ様が一緒に来てくれて、本当によかった」
ヒムカがぎゅっ、とノヴァの手を握る。可憐な少女の急な接近に、ノヴァは思わず赤面して目を逸らした。
「ど、どういたしまして。……あ、あそこ、クライシードの本社が見えてきたよ」
「本当ですわね。……ノヴァ様、こちらへどうぞ」
するりと、先ほどまで握られていた手を引かれる。
彼女が向かった先は、華やかな大通りの外れにある、薄暗い路地裏だった。
「ヒムカ? そっちに行くと……」
「近道です。付いてきて下さいませ」
◇◇◇
建物の間を縫うように続く小道は、昼間であるのにも関わらずジメッとした暗い影を落としていた。人の気配はなく、道端で壊れた清掃用ドローンだけが、ひび割れたレンズで二人を見つめている。
「確かに、近道かもしれないけど……ね、ねぇヒムカ」
ノヴァの思考の奥で、違和感が墨を垂らしたようにじわじわと広がっていく。
こんな近道があるなんて、ノヴァは知らない。そもそも、エテルニタスという身分のヒムカが、どうしてこんな薄暗く汚れた裏道を知っているというのか。
「本当にこっちで合ってるの?」
「その胸のエンブレム……満月から芽吹く新芽のシンボル。ノヴァ様は、部隊の指揮官ですのね」
「……そう、だけど」
「数ヶ月前に、痛ましい事故があったと聞きましたわ。確か、新兵たちの初任務で大型ゼノタイプと遭遇し一人の新人指揮官を残して、全滅したとか」
「………!」
ヒムカの言葉をきっかけに、胸の傷が熱く疼いた。
忘れるはずもない記憶が鮮烈に蘇る。突如現れた大型ゼノタイプ――『ニルヴァ』に蹂躙される同期たち。死してなお肉体を利用され、黄金の腕に飲み込まれていった仲間たちの虚ろな顔。
カノンの助けがあったからこそ生き延びることができたが、丸腰だったノヴァが助かったのは奇跡に等しい。
あの痛ましい事故における、たった一人の生き残り。
ノヴァはその重い称号を背負わされている。この時代、ゼノタイプに友人や家族を奪われた軍人など珍しくもない。しかし、自分がその「唯一の生存者」という当事者になるとは思ってもみなかった。
記憶は未だ鮮明にそこにある。しかし、ノヴァにはどこか実感が湧いていなかった。
「………ふふ」
ヒムカの問いかけに、ノヴァは反応することができなかった。
否定の言葉が出ずとも、ぼんやりと迷うその顔色を見ただけで、ヒムカは確信したように笑みを浮かべる。
ノヴァは、その笑みが先程までの可憐なものとはまったく異質であることに、まだ気づけていなかった。
かしゃっ、と。
この場に不相応な、軽い金属音が響いた。
ノヴァの手首を握ったまま、ヒムカは左手で器用に鞄の留め具を外した。僅かに開いた隙間から取り出されたのは、折り畳式のナイフ――いや。
ヒムカが鞄を投げ捨てた瞬間、小さな刃はその手の中で滑るように形を変え、一振りの『剣』となった。
「何……!?」
「遅い」
暗転。遅れて、背中に強烈な衝撃が襲う。
掴まれた手を振り払おうとした時には、既にノヴァは冷たいアスファルトに転がされており、首筋には氷のような刃が這っていた。
「ていうかさぁ、『レディ』が重い荷物持ってるんだよ? 紳士としてエスコートしてくれたら、この仕掛けに気づくチャンスくらいあったと思うんだけどなぁ?」
「あ、ぐっ……!?」
胸元を、硬いヒールでぐりぐりと踏みつけられる。首筋に剣を向けられているため、身じろぐこともできない。
その圧倒的な暴力に、なんで、どうしてと言葉にならず視線を上げる。
そこには、先ほどの令嬢の面影など微塵もない、氷のように冷めきった瞳があった。乱暴にノヴァの胸元へ剣を這わせると、シャツを器用に引き裂いた。肌けた隙間から、あのニルヴァに付けられた凄惨な傷跡が露わになる。
「お前があの時、ニルヴァと接触したことは記録の通りだ。問題は、そこで『何があったか』」
「し、知らない! なんでこんなことをするんだ!」
「最初は半信半疑だったんだよ。まさか、こんな間抜けな奴が……ってね。でもお前が『あの調律師』と繋がりがあるんだったら、話は別だ」
少年は剣先で、ノヴァの胸の傷を軽くなぞる。薄く皮膚が裂け、じわじわと血が滲んだ。
「本当のことを吐いたら、すぐ解放してあげるよ〜?だから、お前とあの調律師――ウトナが、何を企んでいるのか言え」
「くっ……誰か、助け……!」
「無駄だよ。この路地裏、今の時間は誰も通らないから」
「本当に、何も知らないんだ! 僕はあの時、何もできなかった……! ていうか、君はなんでそんなことを知りたがるの……?」
ノヴァがいつまで経っても情報を割らないことに痺れを切らしたのか。ヒムカは舌打ちし、静かにノヴァの肩口へと剣の切先を向けた。
ここには誰の助けもこない。あの初々しい令嬢の姿はおそらく演技で、この冷酷な姿こそが本性なのだろう。
カノンやリコリスはともかく、いつも一緒にいるきなこがこの場にいなくてよかった。絶体絶命の状況で、ノヴァはなぜかそんな他人事のようなことを考えていた。
――その時だった。
カラン、と。空き瓶の転がる音がした。
コロコロと転がってきたそれは、ノヴァの体に当たって停止する。見れば、安酒のラベルが貼られた酒瓶だ。
「誰」
ヒムカが鋭い目つきで、路地裏の奥を睨みつける。
暗闇から、ふらふらと覚束ない足音が近づいてきた。
現れたのは、長身痩躯の男だ。無造作に伸びた前髪、着崩したなシャツ。手には飲みかけの酒瓶が握られている。どう見ても、真昼間から酔っ払っているだらしのない遊び人だった。
「あー……俺はただ、休憩中だったんだけどなー。お前こそ、こんなとこで何してんだ? 『アトリ』?」
「………チッ」
「男女のもつれだったらまぁ、俺は口出ししないけどよ。程々になぁ」
アトリ。それが、この人物の本当の名前なのだろうか。
どうやら二人は顔見知りらしい。アトリはノヴァに向けていたものよりも、さらに鋭い殺気を目の前の男へ向けていた。
「た、助け……!」
「おぉ、少年。何があったかは聞かないでやるが、その上に乗っかってる奴は、少年が手に負える『男』じゃないからな。今回は運が悪かったと思って諦めろ」
「あ、いや……え、女じゃなくって男!? ……じゃなくて、何か勘違いで襲われてるんです! 助けて下さい!」
「ん〜〜?」
男の間の抜けた声に、すっかり毒を抜かれたという風にアトリは深いため息をついた。
ノヴァの上からどき、興味をなくしたように剣を元のナイフの形へと戻す。
「……邪魔が入った。僕はもう帰る」
「お、そうかぁ? まぁ二人とも、喧嘩すんなよ。一応、ここはクライシード社の近くだからよ。下手に死体なんて転がされると、俺の仕事が増えちまうんだわ」
「なんなんだお前……。ていうかアトリ、勘違いしたなら謝ってよ!」
「うるさい」
「あぁ、もう……。ていうか早くクライシードに行かないと……こんな服もボロボロの格好で、中に入れてくれるかわからないけど……」
ノヴァが破れたシャツを押さえながら立ち上がると、酔っ払いの男がピクリと反応した。
「ん? 少年、クライシードに用事があるのか?」
「うん、『ウトナ』っていう調律師を探してて………」
ノヴァの問いに、男は酒瓶を傾けて最後の一滴を飲み干すと、面倒くさそうに頭を掻いた。
「あー……。カナヒサのオッサンの紹介か。運が良かったな、少年。その『ウトナ』ってのは、俺のことだ」
「…………え?」
ノヴァは固まった。
アトリが、これ見よがしに鼻で笑う。
「こんな怪しい調律師を紹介されるなんて、足元見られてるんじゃない?」
「おいおいアトリ、誤解させるようなこと言うなよ。……で、少年。端末直してほしいならついてきな。ただし」
ウトナはニヤリと笑い、アトリの方を指差した。
「お前にも来てもらうぞ、アトリ」
「………はぁ?なんで?」
「俺の客を怪我させたお詫びってことで、付き合ってくれたら、お前が見たがってたエドラの情報を一部見せてやるよ」
ウトナの言葉にヒムカの目の色が変わる。それ以上彼は何も言わずに、ノヴァの方を一瞥しクライシード社の方に向かいさっさと歩き出した。
「はぁ、もう何がなんだか……」
敗れたシャツの胸元を押さえつつ、ノヴァは二人の後を追った。




