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スクラップ勇者の再起動記録 ──滅びかけた世界で、もう一度生きる。  作者: 妙原奇天


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第6話 学都ヴェルデン

 学都ヴェルデンは、雨上がりの匂いが違った。

 石畳の乾きかけた面から立つ蒸気に、薄くガラスの匂いが混じる。塔の外壁を走る光のラインが、昼でも淡く脈を打っている。遠くの広場では、見習いたちが空に向かって糸のような光を伸ばし、指で弾いては解き、また結んでいる。

 護送隊の荷車から降りると、靴裏が石を確かめた。乾きと湿りの境目。吸い込んだ空気が胸の奥を広げる。ここで学ぶ。ここで直す手を、もっと遠くまで届く手にする。

 受付のホールは広く、天井の梁に小さな演算体が止まっていた。羽音に似た微かな震えが、空気の奥で絶えず散っている。

 旅人からの紹介状を差し出す。銅の札が端末に触れ、刻印が光って読み取られる。背後で工具箱の留め具が揺れた。

「導入課程へ。入室前に簡易テスト」

 受付の人は淡々としていた。平たい声。緊張を余計に増やさない配慮の温度。

 連れていかれた小部屋の中に、三つの機器が置かれていた。

 ひとつは古い振り子時計。もうひとつは電磁式のメトロノーム。そして小型のオルゴール。

 それぞれが別のテンポで鳴り、音のぶつかり合う場所で、ひどい騒音になっている。

「課題は“壊れた合奏”。制限時間は十五分。条件は二つ。機器の構造に大改造はしないこと。介入は最小限であること」

 壁の鏡の向こうに審査官が立っている気配がした。ぼくは深呼吸して、まず見た。

 観察。

 振り子の幅がわずかに広い。メトロノームの電子設定は正確だが、発音が耳に刺さる高さで、オルゴールの旋律と互いを削り合っている。

 “同期させる”が最短に見える。けれど、全部を合わせるより、互いが邪魔をしない場所に逃がすほうが、機械に優しい。

 メトロノームの拍を半拍ずらし、オルゴールのテンポを微調整する。振り子は重りを下げるのではなく、支柱の摩擦を少し増やして振幅を絞る。

 指先でねじを半分だけ回し、吸音材をあて布として少し噛ませた。

 音は合わない。けれど、ぶつからない。

 ずれの溝に、音がそれぞれ居場所を見つける。

 時計が背骨になり、メトロノームが脇で歩幅を刻み、オルゴールが斜めのメロディーで絡む。

 騒音は消えない。でも、騒音の形が変わる。耳に痛い尖りが、丸くなる。

 終わりの合図の前に、ぼくは手を止めた。

 鏡の向こうの審査官が目を細める。

「理に偏る癖はあるが、悪くない。最小の介入で、各々の機嫌を取った」

 機嫌、という言葉をここで聞くとは思わなかった。ぼくは軽く会釈して、退出のドアに向かう。

 廊下は白く長い。踊り場の窓から入る光が、床に四角く落ちる。その四角に、小さな蝶がふわりと入り込んだ。

 蝶は、光でできていた。糸の束をほどいたような、透明な翅。指先の動きに合わせて、演算の痕跡が空気に線を残す。

 ぼくが一歩踏み出すと、その蝶が足元をかすめた。

「わ、踏まないで」

 軽い声。

 顔を上げると、女の子が立っていた。ぼくより少し年上に見える。髪は短く、光を受けて薄青に見える。目の色は、高い窓から落ちた四角の光と同じ明るさだった。

 彼女は笑って、すぐ真顔に戻る。蝶を指で束ねて胸元に戻しながら、こちらの手元を見た。

「あなた、手が迷ってる」

「迷ってない」

「じゃあ、次の一歩が遅い」

 図星だった。言い当てられるのは嫌いじゃない。ただ、胸の奥が少しざらざらする。

 彼女は自分の名札を指で弾いた。

「ルナ。導入課程の見習い」

「灯真。今日から」

「知ってる。試験室の音、聞こえてた。ずらし方、きれいだったよ」

 褒められると、逆に距離ができる気がする。ぼくは少しうなずいて、視線を四角の光に落とした。

 導入課程のクラスは、塔の三層目にあった。

 教室に入ると、窓の外に広場が見える。光の糸が空にいくつも描かれて、上へ下へ移ろっていく。

 講師が入ってきて、黒板代わりの透明板に文字を走らせた。

「まずは安全基準だ。塔に入る者は、これを暗唱する」

 手順の列。閾値の数値。非常時の切り離し規定。

 ぼくはノートに写しながら、気づく矛盾に鉛筆の先を止めた。

 規格Aの想定負荷が、規格Bの応答時間と重ならない。現場で両方を満たす操作は難しい。

 手が上がった。ぼくのものだった。

「ここ、同時に守ると、停止時間が増えます」

 講師は一瞬だけ黙り、舌打ちに近い小さな音を出した。

「規格は現場の妥協の産物だ。どちらも守れることは滅多にない。だから、現場の人間は“どちらを先に折るか”を知っている」

 教室の後ろで笑いが漏れた。

 隣の席のルナが小さな声で言った。

「妥協の中にも、優しさってあるよ」

 ぼくはノートに戻り、線を引いた。優しさ、という語が、この塔の言葉に混ざるのが新しくて、どう扱えばいいかわからない。

 初日の実習は、温室だった。

 塔の脇に併設された大きな温室。屋根はガラスで、光のラインが骨のように走っている。

 雨の名残がまだ端に溜まり、継ぎ目の甘いところからぽたぽた落ちていた。落ちる先には苗。葉に傷がつき、土がえぐれる。

「課題。雨漏りの緊急対処」

 講師の指示は短い。道具は限られている。時間も。

 ぼくは継ぎ目の角度を測った。ガラスの傾き、支柱のたわみ。落ちる水は止めない。落ち方を変える。

 継ぎ目の間に薄く詰め物を入れ、角度を一度だけ追い込む。

 ルナは光の糸を指で束ね、水滴の落下経路に沿って滑らせた。糸が接触すると、水がふっと横へ逃げる。

 ぼくの角度調整と、ルナの糸の操作。

 二つを重ねると、落ちる水は苗の間を選んで抜けるようになった。

 講師が眉を上げた。

「珍しい組み合わせだ。角度が先、糸が後。逆順に見えるが、現場ではこういう重ね方を覚えろ」

 ぼくは頷いた。ルナは蝶をひとつ放ち、糸の端に結んで、止水の目印にした。

 昼の鐘が鳴る。

 塔の食堂は思ったよりも静かで、金属の皿が当たる音だけが小さく続いた。

 ルナはスープをすすりながら、ひょいと向かいの皿のパンをちぎって蝶の背に乗せた。蝶はそれを運ぶふりをして、すぐ落とした。

「ねえ、灯真。あなた、さっきの“妥協”で黙ったよね」

「……うん」

「妥協って、負けじゃないよ。誰かを守るための折り方」

 言いながら、彼女は指先でパンの屑を集め、皿の端に寄せた。

「折り方を知らないと、折った衝撃で、他のものまで割れちゃう。だから、優しい設計がいる」

 ぼくは、スープの表面に映る天井の灯りを見た。

 優しい設計。

 紙に先に書いておくには、重すぎる言葉だった。けれど、いつか書くべきだと思った。

 午後の座学は短く、塔の規則が続いただけで終わった。

 夕暮れ、ルナに連れられてバルコニーに出る。

 風が高いところでくるりと向きを変え、塔の側面を撫でる。

 光のラインが少し強く脈を打ち、広場の演算体の羽音が遠鳴りになって届く。

 ルナは手すりに腰かけた。片足をぶら下げ、指で蝶を空に紛れさせる。

「ねえ、あなたは何を直したいの?」

 ぼくは答えられなかった。

 言葉にしたら、崩れてしまう形が胸の中にある。触れたら、音が止まる気がした。

 代わりに、工具箱を軽く叩いた。

「全部」

 ルナは笑った。

「欲張り」

 からかう声のあと、彼女は自分の胸に手を当てた。

「わたしは“忘れ物”。自分で自分を探してる」

 言い方はさらりとしているのに、言葉がやけに静かに残る。

「忘れ物?」

「うん。ここにいるはずのものが、時々、ずれるの。蝶で埋め合わせてるけど、本当は、名前で埋めたい」

 彼女の目が、塔の光の四角をひとつ飲み込んだ。

 名前。

 その語が、ぼくの中の箱の蓋に触れた。まだ開けない。今は、手を離す。

 寮の部屋は、机と棚と寝台があるだけだった。

 端末に今日の記録を打ち込み、地図データの上に自分の動線を重ねる。

 手順を並べ、うまくいった箇所と、うまくいかなかった箇所を色で分ける。

 それから、ノートを開いた。

 見出しを一行。

 “設計の優しさ”

 その下は空白のままにした。埋めるのは、今日ではない。

 問いだけを置く。問いは、前へ進むためのエンジンだ。

 ページを閉じ、工具箱を枕元に引き寄せる。

 寮の窓の外で、小さな羽音が通り過ぎた。

 ロイならなんと言うだろう。

 “正常を書け。正常を忘れると、直し方を誤る”

 そう言った顔が浮かぶ。

 ぼくはノートの余白に小さく書き足した。

 正常=妥協の中の優しさ。

 字は汚く、線はやや震えた。でも、線は、まっすぐだった。

 翌朝、塔の広場で始業の鐘を聞きながら、ぼくは昨日の温室をもう一度見に行った。

 止水の目印にした蝶は、薄くなっていた。ルナが別の色で上書きして、糸を引き直していた。

「おはよう」

「おはよう」

 短い挨拶のあと、ルナはぼくの手元を覗いた。

「手が、少し迷わなくなった」

「……うん」

「どこで?」

「質問の順番」

 彼女は首をかしげる。

「前は“どうやって直すか”が最初だった。今は“どこまで直さずに済むか”が最初」

 ルナは満足そうに頷いた。

「優しさは、手間を増やすけど、壊す量を減らす」

「手間を増やすと、怒る人がいる」

「だから、二人でやる」

 彼女は指で蝶を増やし、ぼくは角度をもう一度追い込んだ。

 光と金属。糸と角度。

 二つの手が重なる場所で、ずれのハーモニーが生まれる。

 それは、機械の機嫌だけじゃなく、人の機嫌も少しだけ良くする音色だった。

 導入課程の廊下を戻る途中、壁の掲示板に新しい紙が貼られていた。

 塔の修繕志願者募集。雨期前の仮補修。

 ルナが紙を指で叩いた。

「出る?」

「出る」

 ぼくは迷わなかった。

 扉の向こうで何が待っていても、止める手順を先に決めてから動く。

 それが、ここへ来て最初に掴んだやり方だ。

 そして、もう一つ。

 誰かと組む。

 ずれを、ずれのまま響かせる。

 この塔で学ぶのは、きっとそういうことだ。

 夜、寮の窓に外の光が薄く映った。

 ぼくは箱の角を指でさわった。持ってきた箱。重い、中身の静かな箱。

 開けない。今は、触れるだけ。

 ルナの言った忘れ物のことを考える。

 ぼくの中にも、呼びたい名前がある。けれど、呼んだら、戻れない気がする。

 だから今日は、ノートに問いだけを増やす。

 “忘れ物は、どこへ戻すのが優しいか”

 書いてから、線で囲み、明日の欄へ矢印を引いた。

 明日は温室の本補修。講師は言った。

 「角度を二度、糸を三筋、ガラスの継ぎ目に仮封止。それで雨期まで持たせる」

 持たせる。

 その言い方に、ぼくは少しだけ安堵した。

 完全じゃないものを、壊さずに持たせる方法。

 その練習を、ここで続ける。

 寝台に横になり、天井を見た。

 塔の心臓の音は聞こえない。かわりに、どこか遠くで羽音が続いている。

 目を閉じる。

 問いの数を数える。

 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 数が増えるたび、胸が少しだけ軽くなる。

 問いは、前へ進むためのエンジン。

 明日も、質問の順番から始める。

 どこまで直さずに済むか。どこから直すべきか。

 そして、だれと重ねれば、最小で最大になるか。

 ぼくは、眠りに落ちる前に、指で机の角を一度だけ叩いた。

 音は小さく、まっすぐだった。

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