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スクラップ勇者の再起動記録 ──滅びかけた世界で、もう一度生きる。  作者: 妙原奇天


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第4話 AI教師ロイとの出会い(再定義)

 朝の工房は、音で目覚める。

 窓の外で雀が鳴き、屋根の上にまだ夜の雨のしずくが残っている。金属の天板を指の腹でこつんと叩くと、薄い響きが返る。リーネがミルを回し、豆が砕ける音が続く。油の匂いとコーヒーの匂いが混ざると、ぼくの一日は始まる。


「今日の課題」

 ロイは必ず、同じ言い方でそれを告げる。

 机の上に並ぶのは三つ。壊れた玩具の鳥、錆びた軸、音が狂った小さなオルゴール。

「順番は自由。観察、分解、触感確認、組み直し。記録を取りながら」

 ロイの声は平らだ。けれど、どこを間違えるかまで見通しているみたいな目をしている。


 ぼくは鳥から手をつけた。羽の付け根にひび。尾羽の中で、緩んだバネがかすかに鳴っている。

 観察。三十秒。

 分解。ねじを外し、羽を片側だけ持ち上げる。

 触って、材質を確認。バネは古い合金。指先に粉っぽさが残る。

 組み直し。バネの位置を半歯ぶん戻し、緩衝材を紙から薄く切って挟む。

 鳥は、ひと鳴きして、止まった。


「観察が足りない」

 ロイは迷いなく言う。

「尾羽の根元、塗装のはがれ方。湿気の線が見える。そこが主原因。君はバネに注目しすぎた」

 悔しい。けれど、的確だ。

 ぼくは頷き、記録に赤線を引いた。


 次は錆びた軸。

 皮膜を剝がす溶剤の濃度を薄め、歯ブラシで丹念にこする。焦って強く当てない。

 心のどこかで、昨日の破裂音がまだ残っている。止められなかったこと。止める手順を後から足したこと。

 軸は、しぶしぶ回りはじめる。

「触れ方が乱暴」

 ロイは言う。

「力は足りている。だから半分でいい。素材を見ろ。相手に合わせる」

 ぼくは深く息を吸って、もう一度手を当てた。今度は回転がなめらかになった。指が、相手の速度に合わせれば、世界は少しだけ曲を変える。


 最後にオルゴール。

 筒の歯が二本、わずかに曲がっている。拾う音が半音ずれる。

 分解。歯を一本ずつ起こす。

 組み直し。

 回すと、音は合って、でも、どこかで引っかかる。

「直したつもりで満足するな」

 ロイの指が、ぼくの手元の布を指す。

「ここに細かい削り粉。筒とケースの隙間に残っている。演奏が進むほど、詰まる。最初だけ正しくても意味がない」

 言葉は短く、刃の先だけ見せる。

 ぼくはふっと笑ってしまい、すぐ真面目な顔に戻した。悔しくて、でも、こういうところが好きだ。

 分解。清掃。再度の調整。

 回すと、音は最後まで通った。


 午前の課題はそこで終わりだ。

 リーネがコップを並べ、水を注ぐ。氷はない。水が口の中でやわらかい。

「今日はよく動いたわね」

「動いたけど、直したのは半分」

「半分ずつ上がれば、十分」

 リーネはそれしか言わない。ぼくの肩から余計なものを降ろすために、必要な数の言葉だけ置いていく。机の角を布で拭きながら、彼女の胸殻の奥でモーターが小さく鳴いた。


 午後、ぼくらは外を歩いた。

 村の道。日に焼けた木の塀。雨どいの角で水が跳ね、道の凹みに泥が溜まっている。

 ロイは立ち止まり、指先で湿った空気をかざした。

「自然は最高の教師だ」

 彼は笑った。目の光が少しだけ強くなる。

「この角の水跳ね。設計者は直線で流すことしか考えていない。落ち葉、鳥の巣、泥。妨害を想定していない。だから詰まる」

 ぼくは頷いた。

「妨害を想定した設計」

「そう。現実は、必ず邪魔してくる。だから、邪魔ごと動かす。あるいは、邪魔を逃がす」

 雨どいの下、ぬかるみの向こうで子どもがはねる。泥が跳ねて、笑い声が上がる。

 ぼくの胸の奥で、別の言葉が繰り返される。

 救えなかった。次は救う。

 その二語は、歩いても減らない重さを持っていた。


 村の外れ、川べりまで来ると、昨日の増水の痕が残っていた。草が流れに倒れ、岸の土が削れている。

 ロイが川面に視線を落とす。

「止まらない水は、怖い」

「うん」

「怖さを設計に入れれば、使える」

「緊急停止の挿入点」

「そう。昨日、君が紙に書いたやつだ。あれはよかった」

 短い褒め言葉。

 ぼくの胸に、ほんの少し空気が入った気がした。


 夕暮れ。戻る途中で、見慣れない三人がやってきた。旅の格好。背の高い青年が二人と、背負い鞄の小柄な女性。上着の肩に、学都ヴェルデンの紋章が縫い付けられている。

「修理工房はここですか」

「ここだよ」

 リーネが応じると、三人は中を見回し、作業台の上の分解図と、ぼくの記録の紙に目を留めた。

「君が書いたのか」

 小柄な女性が紙を指した。

「線が速いね。意味の取り方が手の速さに追いついてる。ヴェルデンの北の塔で研究生を募集している。君みたいな子がいれば」

 言葉は、ぼくの耳の奥で跳ねた。

 学都。塔。研究生。

 見たことのない響きなのに、体が先に反応した。胸が忙しくなる。喉の奥が乾く。

 リーネが微笑む。

 ロイは一拍置いてから、首を小さく振った。

「時期尚早。現場の基礎が足りない」

 ぼくは口を開きかけ、閉じた。

 旅人の言葉は輝いていた。けれど、ロイの言葉は、ぼくの手の温度を知っている。

 不満が喉に溜まる。飲み込む。苦い。工具の冷たさと同じ味。

「もう少し、ここで直します」

 言えたのは、それだけだ。


 三人は部品をひとつ買い、簡単な情報を置いて帰った。学都の地図、塔の入門の条件、春の審査のこと。

 紙の端に、小さく日付が記してある。

 リーネがそれを透明な袋に入れて、棚の上に立てかけた。

 ぼくは上を見上げ、すぐ目を戻した。手元が揺れると、ネジを飛ばす。


 夜、工房の灯りが落ち、ランプだけが残ったころ。

 ロイは黙って自分の胸殻の留め具を外した。

 薄い金属板が開き、中のユニットがかすかに光る。配線の束に、小さな焦げ跡が見えた。灰色に沿って、黒が指の幅ほど走っている。

 焦げの匂いはほとんどない。けれど、見た瞬間に、胸が冷えた。


「古い機械は、いつか止まる」

 ロイは淡々と言う。

「だが、止まる前に渡すべきものがある。技術と、考え方。そして、誰かを大切にする手順だ」

「止まるな」

 思わず口から出た。

 ロイは目の光をゆるめ、穏やかに笑う。

「止まることを前提に、より遠くへ届く設計をするのだ。止まらない前提の設計は、弱い。止まることを許した設計は、受け渡しができる」

 昨日の紙が、引き出しの中で擦れる音がしたように思えた。

「君が書いた緊急停止は、君がいなくても、誰かが止められる手順だった。あれはいい設計だ」

 褒められるのが怖い夜もある。

 ぼくはうつむき、ロイの胸殻が閉じる音を聞いた。カシャン、と軽い音がして、工房の静けさが戻る。


 寝床に戻って天井を見上げる。

 木目の筋を一本ずつ数える。三本目が途中で曲がり、四本目は節で切れている。数字を追いながら、旅人の言葉を思い出す。

 学都。塔。研究生。

 胸が騒ぐ。

 でも、今ここにも、直すべきものがある。止めるべき場所がある。

 ぼくは枕元に工具箱を引き寄せ、明日の課題を勝手に増やした。井戸のポンプの逆止弁。集会所の窓の錆取り。工房の換気扇のグリスアップ。

 紙に小さく書き、折って箱に挟む。

 リーネの足音が近づき、毛布がもう一枚、そっと乗った。

 思いの重さに合わせて毛布も重くなる。そう感じられるだけ、今夜は眠れる。


 翌朝。

 いつもより少し早く目が覚めた。雨は上がって、屋根に乾いた音が戻っている。

 ロイはもう起きていて、作業台に三つの課題を置いていた。見慣れた並び。けれど、紙の端に、小さな印がある。

「今日の観察には、外を足す」

「外?」

「村の見回りを課題にする。記録の欄を拡張。『正常』を書け」

「正常?」

「おかしいところだけを集めると、世界が歪む。正常の姿を覚えていないと、直し方を誤る」

 ぼくは頷いた。

 壊れた玩具を直すことから始まった朝が、世界の景色を含むようになっていく。

 学ぶ、の輪郭が広がる。


 午前、ぼくは紙に「正常」と「異常」の欄を作って歩いた。

 雨どいの角。昨日は泥。今日は乾いている。

 井戸のハンドル。きしみ音は小さく、油がまだ効いている。

集会所の空調は、仮の部品で安全に止まっている。昨夜に入れた停止手順が、壁の目立つ位置に貼られている。赤い印。ぼくの字。

 父親がこちらに気づき、軽く片手を上げた。

 ぼくも返す。胸の中の硬さは、まだ完全には消えない。けれど、動く。止める。二つの手順が、体の内側に根を張っていく。


 午後、工房に戻ると、リーネが肩の外装を外して磨いていた。金属の曲面が光を返す。

「灯真、学都の紙、読んだ?」

「少しだけ」

「行きたい?」

 ぼくは言葉に詰まった。

 行きたい。けれど、怖い。行った先で、また止められないものに出会うかもしれない。

「いつか、行く」

 それが、今のぼくの全部だった。

 リーネは満足そうに頷き、外装をはめ直す。胸殻の中の音が整う。

「それまでに、ここを少し良くしよう」

「うん」

 工房の壁に、ぼくらの手で増えた赤い印がいくつかある。換気扇、旋盤、ヒューズボックス。止める場所。止め方。止める人。

 ぼくはその印を目でなぞり、工具箱の角を一度握った。


 夕方、ロイが新しい課題を出した。

 紙の端に、小さな焦げ色の点が描かれている。

「これは何の印?」

「寿命カウンタ」

「寿命?」

「古い機械は、いつか止まる。だから、今日できることを一つ渡す。印は、渡した数の記録」

 ぼくはロイの胸殻を見た。昨夜の焦げ跡が、目の隅に浮かぶ。

「昨日は、何を渡した?」

「止め方の設計。君は受け取った。今日は、『正常』の記録」

 ロイは淡々と続ける。

「君が学都に行っても、行かなくても、誰かの手の中に残るものを渡していく。それが私の設計」

 短い言葉が、胸の奥でじわっと広がった。

 ぼくは息を吸い、ゆっくり吐いた。

「ぼくは、受け取る。それから、渡す」

「そうだ」

「でも、その前に、もう少しここで直す」

「うん」


 夜、外はまた小雨になった。

 リーネがランプを下げ、工房に静けさが落ちる。

 ロイの胸殻の奥で、機械の駆動音が小さく続いている。規則正しく、けれど、ほんの少し、昨日より遅い気がした。

 対位法みたいに、静けさの上に音がのる。

 ぼくは机に紙を広げ、今日の記録をまとめた。正常の欄が半分以上を占める。異常の欄は短い。

 こういう日を重ねれば、少しずつこちら側が増える。

 止め方を先に置き、動かし方を後に置く。

 明日も、そうする。


 寝床で天井の木目を数え、目を閉じる。

 学都。塔。研究生。

 その響きは、遠くで灯りの点滅みたいに続く。

 でも、今は工房の明かりを消し忘れないように。ポンプのバルブを閉じ忘れないように。空調の停止手順を壁から外さないように。

 ぼくは毛布を胸の下で軽く握り、工具箱の重さを足元に確かめた。

 名前を呼ばれたら、起きる準備はできている。

 止めるためにも、動かすためにも。

 そうやって、ぼくの師弟関係は、もう一度始まった。今度は、渡すために学ぶ。受け取るために直す。

 そして、いつか遠くへ行くときにも、戻れる手順を残すために。

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