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スクラップ勇者の再起動記録 ──滅びかけた世界で、もう一度生きる。  作者: 妙原奇天


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第20話 再起動計画

 朝の塔は、鐘の音より先に低い唸りで目を覚ます。冷却層の風が床下を走り、壁に埋め込まれた光のラインが、呼吸のようにわずかに明滅する。大講堂の扉を開けると、音の層がひとつ厚くなった。ざわめき。衣擦れ。紙の擦過音。金属の椅子が床を引っかく短い悲鳴。

 壇の前に黒板を三枚。中央は地図、左は手順、右は指針。粉の箱を足元に寄せ、袖をひと折り。視線の海がこちらに集まる。技師、司祭、教師、看護師、地域代表。胸章の色で役が分かる。けれどどの胸にも同じ影がある。忘れっぽくなった世界の影だ。


「始めます」


 チョークの先で黒板の端を軽く叩き、音で場の輪郭を整える。深呼吸。まずは、速度の話から。


「ひとつ目。限定的再起動。全域ではなく、破綻の大きいノードを“切る”。切断面は生活動線と文化線を解析し、最小の痛みで繋ぎ直せる位置を選定します」


 中央の黒板に街の地図を描く。水路、風の通り道、集会所と市場、学校と診療棟。上からはただの線に見えるけれど、そこを毎日歩く足にはそれぞれの意味がある。線と線が重なる場所に丸を付け、切断面の候補に斜線を引く。斜線は太すぎても細すぎてもいけない。太すぎると広く傷む。細すぎると縫い直せない。

 右の黒板に短く書く。切る勇気。

 七話で学んだものを、紙から街へ出す番だ。俺は一度チョークを置き、手の粉を払ってから続けた。


「ふたつ目。名固定ネットワーク。村ごと、街区ごとに“名の錨”を設置します。紙・音・端末の三層で冗長化。〈停止ピン〉互換口を“名の固定ノード”に兼用し、子どもでも扱える操作数に制限します」


 左の黒板に三つの丸を描き、紙の丸から音の丸へ矢印、音の丸から端末の丸へ矢印、そして端末の丸から紙へ戻る矢印。円環は逃げ場だ。一層が濁っても、別の層が踏み台になる。

 実物を見せる。胸ポケットから細い金属棒を出し、互換口の模型に差し入れる。軽い手応えと、内部のスイッチが触れる小さな音。広場の老女たちが、あの音を好きだと言った。止まる音は怖い。だが、止めるための音は安心を連れてくる。

 俺は棒を抜き、机に寝かせた。


「みっつ目。切断の指針。犠牲の優先順位を明文化します。人命最優先。次に共同体の連続性。最後に便利さ。政治的便益や象徴建築は優先度外です」


 講堂の空気が、わずかに固くなるのが分かった。反発は予想どおりだ。象徴は人を支える。けれど、象徴を支えるのは人だ。

 右の黒板に短い線を三本引き、上から番号を振る。数字は、こういう場では嘘をつきにくい。線の横に小さく書く。壊すことを恐れるな。壊しっぱなしを許すな。ロイの遺言だ。粉で白くなった指に、昔の工房の匂いが一瞬戻る。


 質問の手がいくつか上がる。技師は負荷のグラフを示し、司祭は儀礼の段取りと名の呼称の整合を問う。教師は現場での運用を細かく確認し、看護師は病室での音読の時間帯に配慮を求める。地域代表は市場の休止がもたらす一次的な損失を並べ、補償の仕組みを訊く。

 俺はひとつずつ答える。負荷は波に合わせて段階を切る。呼称は地域で使われる名を優先し、儀礼名は補助に置く。学校では朝の会の歌を名のフレーズに寄せ、病室では夜間の巡回を一回減らし、音読の時間を確保する。市場は第一波の間は午前のみ。代わりに塔が保存食の配給を手配。補償は物ではなく手順で返す。止め方を教え、戻し方を共にする。


 黒板に並んだ線が増え、矢印が絡まりそうになったところで、ルナが立った。白銀の衣は壇の光を吸って輪郭を引き締める。声は相変わらずよく届いた。


「救済速度について」

「はい」

「限定的再起動は、全域再起動よりも波が多くなる。名固定の網を先に張るのは賛成。でも、速度が落ちるのは困る。目の前で薄れていく子を待たせるわけにはいかない」


 彼女は左の黒板に歩み寄り、円環の中に小さく印を打った。印の位置は、波の谷が深い地区だ。俺は頷く。


「速度は落とさない。波の厚みを薄くする。薄くして数を増やす。各波の間隔を“名の杭”の反応に合わせて伸縮させる」


 ルナが静かに首を傾ける。疑義ではなく、確かめるときの癖だ。

「最終権限は、母システムと代理者である私が保持したい。暴走時の即時全停止も、許可してほしい」

 講堂の温度が、さらに半度下がった気がした。即時全停止は、刃の裏側まで鋭い。

 俺は迷いを隠さなかった。隠すと、紙の線が嘘になる。


「条件がある」

「聞く」

「即時全停止を許すのは、“名固定ネットワークのハッシュが最低限揃った区画のみ”。杭のない場所で止めたら、帰る道が消える」


 ルナは一拍置き、うなずいた。

「合意」

 短い言葉で、講堂の緊張がわずかに緩む。


 議論は続いた。政治的な要請が差し挟まる。北の旧王家の広場は象徴だから守ってほしい、という声。古い塔の鐘は残せないか、という声。俺は右の黒板の三本の線を示し、番号を指で叩く。人命の線。共同体の線。便利さの線。叩く順番が、優先順位だ。鐘は鳴らせば戻る。鳴らせば戻るものを、先に守る必要はない。そこまで言うと、広場の代表の肩から力が抜けた。怒る前に、理解は来る。怒るのはその後だ。

 怒りを設計に入れない。俺はロイの文字を思い出し、指先の粉をもう一度払う。


 合意が取れた。紙に残す。署名の欄にそれぞれの名が並び、さらに、その隣に“呼び名”を書く欄を加えた。読んだ名は強くなる。呼んだ名は杭になる。

 会議が終わり、講堂のざわめきが外に溢れ出す。廊下で、俺とルナは短く笑い合った。黒板の粉で白くなった俺の指先を、彼女が目で示す。

「今日のあなたは、粉の匂いがする」

「昔から、粉の匂いで落ち着くんだ」

「わたしは光の焼ける匂いがする」

「それは、少し怖い匂いだ」

「怖がって」

「怖がる。怖がって、止める」


 階段を上がり、屋上へ出る。風が強く、空の高みで薄い閃きが走った。遠雷ではない。演算層の擦過が空に薄い傷を付けると、こういう光になる。兆しだ。

 地図を広げ、実装順を検討する。最初の刃はどこに入れるか。北端の老朽化区画。人命は避難済み。名の固定は三層完了。互換口は全点検を済ませ、矢印の塗り直しも終えてある。

「ここから」

 俺が指を置き、ルナが光で経路を描く。光糸が風に揺れ、線の先が一瞬かすむ。

「切断の音は、静かにしたい」

「わかる。止まる音は、静かであってほしい」

 静かな止まり方は、人の呼吸を壊さない。


 翌朝、計画は走り出した。


 北端区画。互換口が腰の高さで光り、小さな広場には青い印が散っている。名の固定に成功した家に貼られる印だ。住民は避難済み。残るのは、空になった家と、杭に結んだ名の紐。

 俺はレバーを握る。〈停止ピン〉を象った無骨なレバーだ。手の中に金属の冷たさ。吸い込まれていく皮膚の温度。

 ルナが隣で詠唱する。祈りではない。段取りの確認を、言葉の韻律に乗せている。各ノードの準備。名の反応。負荷の分配。切断面の監視。

「三、二、一」

 レバーを引く。

 短い、けれど確かな音が、手の中で鳴った。

 目に見える変化は少ない。通りを吹き抜ける風がわずかに遠回りになり、配管の中の水が一瞬だけ流れを変える。電の線が薄く唸り、すぐに静まる。家の中の古い時計が一拍遅れ、次の一拍からまた揃う。

 切断音。静か。

 街は、まだ呼吸している。


 第一波が終わると、端末に波形が並ぶ。谷は予想通りの深さで、名の杭は想定よりわずかに強かった。昨夜の名呼びが効いたのだろう。紙と歌と端末の円環は、机の上の絵ではなく街の骨になり始めている。

 第二波の準備。今度は斜面の集落。ここは共同体の線が密だ。切断面を間違えると、日々の挨拶の経路が歪む。挨拶の経路は、名の細い根だ。根を切ると、杭が浮く。

 地図の上に透明な板を重ね、歩幅の線を描く。朝の洗濯物を干す主婦の足。子どもの通学路。水売りの荷車。夕方の犬の散歩。線と線が交わる点に小さな丸を打ち、そこを避ける形で切断面をずらす。

「ここはわたしの光で押す」

 ルナが指を走らせる。風の層に小さな渦を作り、砂の流れを肩で受けるようにずらす。切り口が風に焼かれないよう、薄い膜を一瞬かけてから剥がす。

「速度は保つ」

「杭の反応が落ちたら止める」

「止める合図は二重化する。わたしからの停止信号と、現場の〈停止ピン〉の物理信号。どちらかが遅れても、もう片方が届く」

 彼女の指が胸の前で短く動き、光糸が二本、空中に結び目を作ってほどけた。二重化の印だ。


 第三波の準備をしていると、講堂で見た顔のひとつが駆け込んできた。地域代表の男だ。息が上がり、頬が赤い。

「旧王家の広場が、切断の対象に入っていると聞いた。あれは街の誇りだ。先祖の像だ。残してくれ」

 俺は男に地図を見せる。像の台座の下に、配管の古い節が通っている。そこが破綻の核だ。像を残せば、台座ごと流れる。

「誇りは、像の高さでは測れない」

 男の肩が揺れた。怒りが上がる前に、言葉を置く。

「像がなくなっても、誇りは残る。残らない誇りは、初めから像の影にしかなかった。像の代わりに、広場の端に互換口を一本増やす。名の杭を増やす。帰る場所が一つ増える。誇りは、帰る場所の数でも強くなる」

 男は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。

「わかった。怒鳴りに来たが、怒鳴らずに帰る」

「怒鳴っていい。怒鳴る代わりに、歌ってくれ」

「歌か」

「広場で、名を呼ぶ歌を作ってくれ。子どもが覚えやすく、大人が恥ずかしがらずに口にできるやつ」

「やってみる」

 男は足音を軽くして去った。背中が少しだけ広くなっていた。


 午後、診療棟の廊下で、看護師が俺を呼び止めた。

「病室の名呼びの時間、二十分に伸ばせますか」

「伸ばすと巡回が遅れる」

「でも、十分快の子が三人います。二十分なら届く」

 俺は懐から紙を出し、巡回表の列を一本ずらした。廊下の端末に接続し、夜勤の人員配置を入れ替える。

「伸ばそう。巡回の遅れは、明日の朝のボランティアで埋める。学校の先生を一時間だけ借りる」

「先生は忙しい」

「忙しいから、やさしい。やさしい人は、忙しくても来る」

 看護師が笑い、走って戻った。忙しい人間の笑いは、短いのに深い。


 夕方、第一日目の波が終わり、俺は屋上に上がった。ルナがすでに立っていて、袖をたたんでいた。風が少し弱くなり、遠くで犬が吠え、近くで鈴が鳴った。

「今日の保持率」

 俺が問うと、彼女は小さく指を動かし、空中に波形を描いた。

「閾値を少し上回った。あなたの紙のおかげ」

「あなたの速度のおかげ」

 互いに譲り合って、同じ場所に置く。譲り合い過ぎると線が細くなる。今日は、譲り合いすぎない。

「明日、全停止が必要な場面が来るかもしれない」

「条件を忘れないでくれ」

「忘れない。名の杭がそろっていない区画では、止めない」

 彼女は視線を遠くに投げ、ゆっくりうなずいた。

「あなたに“止めないで”と言われるの、嫌いじゃない」

「止めるために、止めない」

「それ、矛盾してる」

「矛盾は、現場の言葉だ」

 彼女は笑い、少しのあいだ黙った。風の音が言葉の跡を消していく。

「昔、あなたの指に光糸を絡めた夜のこと、覚えてる」

「忘れない」

「わたしも忘れない。忘れないでいるために、仕事をする」

「仕事は、思い出を冷やさないための装置だ」

「詩人みたい」

「今日だけ」

 また風が吹き、光のラインが夜の色を薄く塗り替える。塔は呼吸を保っている。世界は、まだ呼吸している。


 夜更け、俺は講堂に戻り、黒板の前に立った。残った粉で、今日の波の履歴を黒板の端に小さく記す。時間。区画。保持率。停止の瞬間に聞いた音の種類。静かな音。硬い音。柔らかい音。音は記録に残らない。だから書く。

 扉の向こうで靴音が止まり、ルナが入ってきた。衣はもう司祭のものではなく、作業の簡素な服に替わっている。光糸の束も外してある。

「明日、第三波の途中で、全停止の可能性」

「わかってる」

「あなたの条件、忘れない。名の杭がそろっているかどうか、わたしが先に確認する。そろっていなかったら、局所に切り替える。あなたが現場を拾う」

「拾えなかった名は、喪の記録に残す」

「喪は骨、だっけ」

「骨だ。体が折れないための、見えない硬さ」

 ルナは黒板の端に寄り、俺の雑な字を指でなぞった。粉が指に移り、白い線が皮膚に残る。

「あなたの字、相変わらず読みにくい」

「読みにくい字は、読み返す回数が増える」

「屁理屈」

「理屈は、手を動かすための棒だ」

 彼女は笑い、粉の付いた指で自分の額を軽く叩いた。印が小さく残る。粉は落ちやすい。印は落ちにくい。


 翌朝、第三波が走る。北の斜面に雲が掛かり、湿った風が谷を撫でる。名の杭の反応は、夜明け前よりも少し強い。歌が効いている。広場に新しい歌が生まれたらしい。子どもが大声で自分と友の名を交互に呼び、老人が笑って付き合う。呼ばれた名は太る。

 中盤、斜面の薄い地区で負荷が跳ねた。波形の谷が急に深くなる。ルナが手を上げ、停止信号の準備に入る。俺は互換口の物理信号を起こすため、現場の接続員に短く指示を飛ばす。

「名の杭、揃ってる?」

「下段は二割弱足りない」

「局所に切り替える」

 ルナは全停止の手を引っ込め、光の経路を狭めて局所の膜を厚くする。俺はその膜の内側に回り込み、互換口の矢印の汚れをブラシで払わせ、杭の応答を一つずつ拾い直す。

 息が合う。合うように作った。昨夜の約束が、速度を落とさずに杭を守る。


 第三波の終わり際、予備の会議が開かれた。象徴建築の保護を求める声は収まり切らず、紙の上で再び火花を散らす。俺は右の黒板の三本の線を、また指で叩いた。叩く順番は変えない。変えないことが、怖さを小さくする。

 議論の隅で、教師が手を挙げた。

「子どもたちの作文に“名を呼ぶ風景”が増えています。再起動の波が来るたびに、みんなで名を呼ぶから」

「その作文、コピーを一部、名の記録に添えさせてもらえますか」

「もちろん」

 名は音で強くなる。言葉で長くなる。紙で広くなる。広くなった名は、戻る場所を増やす。


 夜、塔の屋上で、俺とルナは風に当たった。三日分の波が街に広がり、杭の網は地図の上で筋を太らせる。呼吸はまだ整ってはいないが、乱れても戻る。戻れる。

「条件付き同盟、だね」

 ルナが言った。

「うん」

「あなたは名を残すことを優先する。わたしは壊れる速度を止めることを最優先にする。矛盾は隣り合うけど、並べて歩ける」

「並べるための紙は、用意する。止めるための光は、任せる」

 彼女は短く、でも確かにうなずいた。

 遠くの暗がりで、また薄い閃きが走った。演算層の擦過。兆しは、良いほうにも悪いほうにも働く。兆しがどちらに傾くかを決めるのは、今、この屋上で交わしている約束の重さだ。


 塔の脚元で、夜警が交代する足音が二度、三度。広場で歌が小さく始まり、やがて止む。名を呼ぶ歌は、眠る前の祈りになった。祈りは儀礼ではない。手順だ。呼ぶ。刻む。残す。

 俺は掌を見た。粉がまだ白く縁に残っている。レバーを引いたときの金属の冷たさが、指の内側に薄く残っている。

 明日も波が来る。波を数え、杭を刺し、切るべきを切る。

 速度と記憶と安全を、ひとつの手順にまとめて、間違いを“次の手順”で覆う。

 そのために、今日、同盟を結んだ。条件付きの、壊さない同盟だ。

 街はまだ呼吸している。

 呼吸がある限り、名は呼べる。

 名が呼べる限り、世界は戻れる。

 戻れる世界のために、俺たちは、明日も手を動かす。

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