第12話 生存のコード
太陽が、砂の上で鳴いていた。
光が金属の残骸に反射して、目の奥を焼く。足元はきしむ砂ばかりで、どこまで歩いても景色は変わらない。
その中で、ひとつだけ違うものがあった。
骨のように突き立った鉄の塔。
風に晒されて白く変色し、脚部には砂が半分まで積もっている。
俺たちはその塔の陰に辿り着いた。
熱が少しだけ和らぐ。影があるだけで、命の密度が変わる。
ルナが砂の上に腰を下ろし、額の汗を拭った。
「……やっと、止まれたね」
「影の角度が短い。あと一時間でここも焼ける」
俺は塔脚の向きを測り、影の伸び方を確認する。時間の代わりに影を使う。太陽が傾けば、次の影へ移動するための線を頭の中で引いた。
「喉、もう限界」
ルナの声が震える。唇が乾いて、かすかに血が滲んでいた。
水はない。けれど、諦められるほど遠いわけでもない。
塔の根元を調べると、かすかな振動を感じた。
地面に膝をつき、砂を手で掘る。指先に冷たいものが触れた。配管だ。錆びているが、まだ生きている。
「……流れてる」
金属の表面がかすかに震えていた。俺は工具を取り出し、留め具を外す。
ルナが覗き込む。「水?」
「いや、冷却管だ。液体は毒。でも、冷気を利用できる」
配管を辿って、半ば埋もれた整流装置を見つけた。
稼働ランプは消えている。けれど内部で微かな圧力音。まだ息をしている。
俺は〈停止ピン〉を差し込み、暴走しかけたバルブを止める。手動で蓄冷槽を開くと、内部の温度差で空気が白く曇った。
「この冷気を使う。水分を“作る”」
布を張り、結露を誘発させる。ルナは光糸を展開して、冷気の流れを操り、砂の湿気を集めるように糸を繋いだ。
やがて布の端に、透明な粒が浮かび上がる。
ルナが息を呑む。「……できた」
粒は震え、重さを得て、滴となって落ちた。
金属皿を差し出し、その一滴を受ける。
喉が鳴った。
それを見ただけで、涙が出そうだった。
俺は慎重にその水をすくい、ルナに渡す。
彼女は迷った末に、俺の方へ差し戻した。
「あなた、先に」
「いい。お前の糸がなかったら、これは生まれなかった」
「でも、あなたが止めたんだよ。冷却を」
言い合う余裕もなく、結局二人で少しずつ飲んだ。
舌に触れた瞬間、世界が静かになった。
味なんてない。けれど、喉を通る感触が確かに“生きている”証だった。
夜が来た。
昼の熱を奪うように、冷気が砂丘を撫でていく。
俺は塔の基部から外したケーブルを束ね、配線を組み替える。金属摩擦で熱を起こし、端子を繋いで簡易の熱源にした。
赤く光る金属片が、弱い灯りを投げる。
「星が、近い」
ルナがつぶやいた。
空には、信じられないほどの星の数。まるで誰かが新しいコードを描いているみたいに、複雑で、完璧で、そして遠い。
「風が止まったら寝よう」
俺がそう言ったときだった。
――音。
金属が砂を踏むような、規則的な足音。
乾いた夜気の中に、くぐもった振動が混じる。
俺は反射的に立ち上がり、工具を握った。
「ルナ、下がれ」
彼女が光糸を伸ばし、周囲を照らす。
闇の向こうから現れたのは、鉄の脚。
複数のレンズを持つ頭部。
錆びた装甲に、消えかけたマーキング。
――旧式戦闘機械。自律徘徊型“リード”。
リードは停止し、俺たちを見た。
瞬間、警告音。
〈識別不能。危険因子。警戒モード〉
俺は叫ぶ間もなく、リードの銃口がこちらを向いた。
銃身は劣化していたが、発射機構が生きているかもしれない。
「待て、撃つな!」
俺は工具を投げ、リードの足元に転がる端子へ飛びつく。
識別口を探し、カバーを外す。内部の回路が露出した。
端末を繋ぎ、即席のコードを走らせる。
“敵対解除フラグ 真”
エラー。再入力。
“敵対解除フラグ 偽→真 強制”
数秒後、リードの警告音が止んだ。
ルナが息をつく。「止まった?」
「いや、誤魔化しただけだ」
俺のコードは不完全だ。再起動すれば、また攻撃モードに戻るかもしれない。
ルナは光糸をリードのセンサー前に伸ばし、蝶の形を描いた。
「これで、味方のサインを覚えさせる」
光がリードのレンズに映り込み、一瞬だけ内部で反応が走る。
〈識別更新 完了〉
その瞬間、リードの脚がわずかに緩んだ。
近づいてみると、機体の装甲の下に焦げ跡があり、内部ログが断片的に残っていた。
〈従属命令:塔防衛〉
塔はもうない。
それでも、命令だけが残っている。
俺は背筋が冷たくなる。
命令に従うしかない存在。
それは、かつての俺だった。
“誰かを救いたい”という理屈に縛られて、失敗の記憶の中で動けずにいた。
「リード……お前は、まだ守ってるのか」
ルナが覗き込む。「守る対象、もういないのに?」
「命令がある限り、動く。それが“設計”だ」
「ケイ、あなたと同じだね」
俺は苦笑した。
確かにそうだ。俺も、止まるべき時を知らない。
夜が深まると、リードは塔の影に戻って立ち、動かなくなった。
俺は熱源の火を弱め、布を肩に掛けた。
「眠れる?」
ルナが問う。
「まだ。頭の中が騒がしい」
「……リードのこと?」
「それも。けど一番は、自分のことだ」
ルナは何も言わず、肩を寄せた。
「怖くても、今は生きてる。それでいい」
その言葉が、乾いた空気を少し柔らかくした。
*
朝。
太陽が再び砂を焼く。
リードがわずかに動いた。
ギギ、と軋む音。脚のモーターが砂を蹴り上げる。
俺たちが出発の準備をしていると、リードが後ろからついてくる。
「付いてくる……?」
ルナが笑う。「ペット?」
「昔の俺だ」
俺は工具袋から紙片を取り出し、ペンで短い命令を書いた。
“守れ。だが、必要なら逃げろ”
それをリードの胸部パネルに挟み込む。
機械のレンズが一瞬だけ明滅した。
ルナが小声で言う。「命令って、優しいね」
「優しさは設計できる。でも、それを“守る”かどうかは……こいつ次第だ」
リードは首を傾げ、理解できないようにその場で足踏みをした。
けれど、その後一歩、俺たちのあとを追った。
まるで自分の居場所を確かめるように。
砂丘を越えると、遠くに黒い影が見えた。
砂の地平に点々と残骸が続き、その中でひとつだけ、淡い光を放つ塔があった。
ルナが目を細める。「あそこ……動いてる?」
「生きてる施設かもしれない」
俺は影の伸びを見ながら歩幅を計算する。次の休憩点まで何歩。太陽が真上に来るまで何分。
影を辿るように進む俺の横で、ルナは光糸を揺らし、風を読む。
「生き延びるって、手順なんだね」
「そうだ。理屈じゃなく、順番の問題だ」
「でも、あなたの手順には、“他人を気にする順番”が早すぎる」
俺は少しだけ笑った。「それ、欠陥かな」
「欠陥じゃないよ。命令の外にある優しさ」
リードが後ろで小さく機械音を鳴らした。
まるでその会話を聞いているようだった。
俺は振り返り、リードの頭に軽く触れる。
熱い金属の感触。
その中で、確かにわずかな脈動を感じた。
もしかしたら、こいつの中にも“恐怖”が生まれ始めているのかもしれない。
命令ではなく、選択としての恐怖。
砂の匂いが濃くなる。遠くで風が鳴る。
影から影へ、俺たちは歩いた。
歩くたび、足跡がすぐに風に消されていく。
けれど、その一歩一歩が、確かに未来を刻んでいた。
ルナが前を向いたまま言う。
「ねえケイ。生きるって、どう設計するの?」
「……まだ分からない。でも、今日の一滴を“次”に繋げることだ」
「じゃあ、わたしもその設計図の一部になれる?」
「もうなってる」
太陽が昇り、世界が白く輝いた。
リードの影が俺たちに重なる。
砂漠の真ん中で、俺たちは歩き続けた。
生きる手順を、一行ずつ確かめながら。




