アルバイト
その日、陽翔はまだ慣れないギャルソンの制服に身を包み、
カウンターの奥で落ち着きなく姿勢を直していた。
二人についてはまだ謎も多いが、一旦考えるのは後回しだ。
なんといっても今日はアルバイト初日。
白いシャツの袖口がきゅっと締まり、黒のベストがやけに窮屈に感じる。
「似合っていますよ」
隣でカップを磨いていた雅臣が、穏やかに笑った。
「に、似合ってないですよ、絶対……。なんかコスプレみたいで」
陽翔は赤くなりながら裾を引っ張る。
「ふふ。そう思うのは、まだ“制服”に気持ちが追いついていないからです」
雅臣は柔らかな声で言い、再びクロスを動かした。
そのやり取りを横目に見ながら、窓際の席で本を読んでいた翠がふと顔を上げる。
「そろそろ来るわ」
「……え?」
陽翔が首をかしげると、カラン――と扉のベルが鳴った。
入ってきたのは、二十代半ばくらいの女性だった。
肩まである髪を揺らしながら、落ち着かない様子で店内を見回す。
「い、いらっしゃいませっ」
陽翔は慌てて声を張り上げ、半ば反射的に小さなお辞儀をした。
声が裏返り、女性が驚いたように瞬きをする。
「す、すみません! あの、ご案内します!」
ぎこちない動作で席へと導くと、女性は小さく笑って「ありがとう」と答えた。
カウンターへ戻る途中、陽翔は小声でつぶやく。
「……やっぱり俺、接客向いてないかも」
「最初から完璧な人などいませんよ」
雅臣が微笑む。
翠も本を閉じて、静かに言葉を添えた。
「肝心なのは“耳を傾ける”こと。……それは、あなたの方がずっと得意でしょう」
「……俺が?」
陽翔は首を傾げつつも、女性の前に水を置いた。
「こちらがメニューでございます」
この店では、コーヒーや紅茶、ソフトドリンクの他に、ケーキやパフェなどのスイーツに加え、サンドイッチやパスタ、オムライスなどの軽食も提供している。
「じゃあ、コーヒーを一杯。ブラックで」
「かしこまりました!コーヒーを一杯、ブラックですね。少々お待ちください!」
今度は上手く出来たと頬が緩む。
「マスター!コーヒーを一杯、ブラックでお願いします!」
「やればできるじゃないですか。その調子ですよ」
そう言って雅臣はウインクをした。
淹れてもらったコーヒーを席に運ぶ。
「お待たせいたしました!コーヒーです」
「ありがとう…」
どこか不安気で落ち着かない様子の女性に、いつかの自分が重なって見えた。
(ここに来るお客様ってことは、そういうことだよな…?)
「……最近、何か困ったことや悩んでることはありませんか?」
(――俺のバカ!話しかけるにしても、もっとなんかあるだろ!)
ハッと顔を上げた女性と視線が合う。
何か話すことを躊躇っているように感じた。
「あの!えーっと…お姉さんが昔の自分とちょっと似てたので。
何か困ってるんじゃないかって思って…急にすみません!」
顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに視線を落とす男の子を見て、
女性は少し戸惑いながら口を開いた。
「最近……夜になると、ずっと見られている気がして…。
振り向いても誰もいないのに、視線だけは感じるんです。
それで怖くて眠れなくなってしまって…気のせいだとは思うんですけどね」
女性は照れたように笑ってごまかそうとした。
その直後、陽翔の背筋に薄ら寒さが走ると同時に、胸の奥がざわめいた。
――なにかが、流れ込んでくる。
「……“視線”じゃなくて、“見守ってる”……?」
ふと、そんな感情が頭をかすめた。
「えっ……?」
女性は怪訝そうにこちらを見ている。
陽翔はハッとして口を噤んでしまう。
自分は今、何を口走ったのだろうか。
言葉にするつもりはなかったのに。
ただ胸の奥に温かな「心配」している気配が滲んできて、気付けば声に出していた。