邂逅
重厚な扉を押し開けると、カラン…と澄んだ鈴の音が響いた。
同時に背後の影は扉の外で立ち止まり、薄闇に揺らめきながら留まった。
鈴の音が消えると、落ち着いた香りが鼻腔を満たした。
コーヒー豆を挽く香ばしい音と香り。
店内は落ち着いたアンティーク調の空間。
磨き込まれた木の床、奥に伸びるカウンター。
その向こうには、白いシャツに黒いカフェベストを身に纏った青年が、優雅な手つきでポットを傾けていた。
濃い茶色の髪は整えられ、知的な眼鏡越しに柔らかな光を帯びた瞳が陽翔を見ている。
「…いらっしゃいませ。」
低く澄んだ声が響いた。
柔らかな笑みを浮かべる彼のその声に、緊張の糸が切れた陽翔は返事もできず、その場に崩れ落ちる。
「……っ!」
彼はすぐに駆け寄り、陽翔の肩を支える。
「大丈夫ですか?――これは……」
陽翔の肩に黒いモヤのようなものが絡みついている。
一瞬思案した彼の指先から、淡い光が広がったような気がした。
それはとても暖かく、影に触れられた肩の重苦しさが、ふっとほどけるように遠のいていく。
黒いモヤは消えていた。
陽翔の胸の鼓動がようやく落ち着き始めた。
「今、コーヒーを淹れますからこちらへどうぞ。」
その優しい声に、陽翔は震える唇でやっと「はい…」と答え、支えられながらカウンター席へと移動した。
椅子に腰かけた陽翔は先程の影の存在を思い出す。
入口の扉をチラリと眺め、影が入ってくるのではないかとソワソワしながら
「えっと…あの……」と、彼になんと声をかけてよいのか考えていると
「大丈夫ですよ。ここには入れませんから。」
そう言いながら洗練された所作でカップを差し出す。
コーヒーの芳醇な香りが漂ってくる。
どうぞ、と視線で促された陽翔は、少し迷ったが砂糖とミルクをたっぷり入れ、思い切ってひと口飲んだ。
とても優しい味とその温かさに恐怖や緊張が溶かされてゆき、ようやく震えが収まった。
人心地ついた陽翔は改めて店内を見渡す。
先程は気付かなかったが、カウンターの隅には、白いワンピースを着た中学生くらいの少女が座っていた。
白く透き通る肌、絹糸のような銀髪の長い髪。前髪はきっちりと整えられ、まるで人形のように整った顔立ち。
どこか浮世離れした少女の膝の上には分厚い本が開かれており、静かに読み耽っている。
「……影が、ついていましたね。」
そう呟き少女は顔を上げ、大きな翡翠色の瞳で陽翔を見つめる。
その瞳の奥には年齢に似合わぬ深い光が宿っていた。
思わず息をのみ返事に詰まると、少女は静かに本を閉じた。
「雅臣、私にも紅茶を。」
カウンターの向こうにいる彼が、紅茶を淹れる準備を始めた。
彼の名は“雅臣”と言うらしい。
再び陽翔に視線を移した少女が席を立つ。
「はじめまして。私は、この境界喫茶カクリヨの主――御影 翠と申します。」
一瞬少女が何を言っているのか理解ができなかった。
「カクリヨの…アル…ジ……?」
「そうです。……オーナーと言えば伝わりますか?」
どう見ても中学生くらいにしか見えない。
陽翔は困惑しながらもコクコクと頷く。
「――どうぞ。」
雅臣が翠に紅茶を差し出す。
「ありがとう。――自己紹介はまだですよね?彼はこの喫茶店のマスターで、氷室 雅臣と言います。」
「どうも、氷室です。コーヒーのおかわりはいかがですか?」
笑顔の雅臣に問いかけられた。
「だ、大丈夫です!」
慌てて勢いよく席を立つ。
「俺は、高坂 陽翔!高校2年生です!よろしくお願いします!!」
上ずった声で自己紹介した。
(――いったい何をよろしくするんだ!?)
反射的に出た挨拶に少し戸惑っていると、緊張しているさまが可笑しかったのか、翠はクスリと微笑む。
「どうぞ座ってください。」
翠に言われるがまま椅子に座り直し、緊張を解そうと一気に残りのコーヒーを飲み干した。