6 街へお出かけ
馬車の中は二人きりで、気まずい空間が流れていた。
何より、公爵様の顔が怖かった。
眉間にシワを寄せていて、口はきゅっと硬く結ばれている。
私はこの状況を何か話そうと話題を探す。
そうだ、公爵様は小動物が好きだって言ってた。
じゃあ、小動物の話をしたらいいのかな。
私は名案だ、と一人で頷いて、公爵様に恐る恐る聞いてみる。
「あの……公爵邸では小動物は飼われてないんですか?」
「……急に何だ?」
「いえ……公爵様は小動物がお好きだと聞いたので……」
眉間にシワがさらに寄っていて怖い。
やっぱり話すべきでは無かったかな?
と、少しパニックになっていたその時、ガタンと馬車が揺れて私は体勢を崩してしまった。
「……バランス感覚が無いのか?」
「す、すみません……」
私が謝った後、また無言になってしまった。
私は寝たフリをして凌ぐことにして、窓へ頭を傾ける。
暫く目を瞑っていると、馬車が一段と大きく揺れて止まったみたいだった。
扉が開いて御者が手を差し出しているのが目に入った。
御者……いい思い出はないけれど、きっとシルベリアの御者さんは私に危害を与えてはこないと思う。
一応警戒はしたけれど、やっぱり手を貸してくれただけだった。
「ここが……シルベリアの街……!」
「……そんなに驚くのか?カシエレの街も大きいと聞いたが。」
「あ……行ったことがないので……」
(行ったことが無い?怪しいな。)
公爵様が怪しげな視線を送っているのを知らずに、私は見えるお店のショーウィンドウをじっと見つめていた。
可愛らしいお洋服、帽子、靴。
どれも私には縁のない物ばかりだった。
「行くぞ。」
「は、はい!」
私達は街の中心部に向かって、整備された道を歩き始めた。
公爵様は背が高く足も長いから、歩くのが早くてついていくのが大変だけど、街の人々の賑やかな感じとキラキラしたショーウィンドウが私にとってどれも貴重な体験で。
私は頬が緩むのを止めることができない。
私が歩くのが遅かったのか、公爵様はいつの間にか振り返ってこちらを見ていた。
「……何故笑っている?」
「あっ、ごめんなさい……」
「別に怒っていない。」
「その……楽しくて……」
「……そうか。」
公爵様はすぐに前を向いて歩いていく。
私は一人だけ浮かれていて、恥ずかしくなって下を向いて歩いた。
途中で顔を上げると、キラキラした派手なドレスが目に入って、妹のエレンを思い出した。
あの子、私がいなくても元気にしてるのかな。
『お姉様は本当に面白い玩具ね!エレン、お姉様がいてよかった!』
なんてことを言われながらその辺の物で叩かれたりしたっけ。
まだここに来て日が浅いけれど、それでも今の生活は私にとってとても幸せなものなんだな。
考えるのを止めたくて横を向くと、出店に並べられていた不思議なものが目に入った。
「……お星様?」
「おや、お嬢さん。これは金平糖というものでして、甘くて可愛らしい砂糖です。」
「コン、ペイ、トウ……。」
出店の店員さんが私に話しかけてくれた。
コンペイトウは青を基調としたものや黄色を基調としたものなど、色も沢山あって見ていて飽きない。
「他にもバラの花の砂糖漬けや、東の国から仕入れた猫の瞳のようなキャンディなど沢山ありますよ。」
「わぁ、わぁぁ……!」
バラの砂糖漬けはとても綺麗な花弁が砂糖に包まれて美味しそうだし、猫の瞳みたいに透き通ったキャンディはコロコロしていてまん丸で可愛らしい。
「あっ、でも、お金が……」
「おや、お連れ様はいないんですか?」
お金もないし、見るだけで買うつもりも無かったから、私は困ってしまって泣きそうになった。
すると、後ろから声がした。
「俺のことか?」
「こ、公爵様!?となると……そちらの方は……」
「俺の妻だ。全く、勝手にいなくなるなんてな。」
勝手に歩いていったのは公爵様の方なのに……
私は精一杯の抵抗で、口を尖らせて睨みつけた。
「公爵様、夫人はこちらがお気に召したようです。」
「……金平糖か?」
公爵様が財布を出そうとしている。
きっと女性が欲しいと言ったものは買わないと女性が面倒くさいとか思ってるんでしょう。
エレンがそうだったから。
『やだやだ!お父様、買って!!』
私には何も買ってくれなかったお父様も、エレンには甘くて最終的には欲しいものを買ってもらっていたな。
そこで私は過去にふけっている場合ではないと財布をしまうように促す。
「あの!お星様みたいで綺麗だなと思っただけで……!」
「いらないのか?」
「はい!!!!あっ、えっと、その違います!」
「はっはっは!夫人、少しだけ試食しますか?」
「えっ!!」
試食、させてくれるの?本当に?
我慢して買わないって思ってたのに、買ってもらうの申し訳ないと思って我慢したのに。
そんな事言われたら、食べてみたくなっちゃう。
私は差し出された小さな瓶の中に入った金平糖を一つ摘んで、パクリと口の中に入れてみた。
途端に甘い砂糖の味が広がって、言葉になっていない高い声が出てしまった。
「お、美味しいです……!!」
「そりゃよかった。公爵夫人、特別に値下げするからどうです?」
「で、でも……」
「俺は構わない、これくらいで破産したりしない。」
そんな自信満々に言わなくても。
でも、今はちょっと頼もしいかもしれない。
私なんかが欲しいものを買ってくれるなんて、優しいな。
じんわりあたたまった心の温もりを感じていると、子供の声がしてそちらを見る。
「綺麗だね!」
「お姫様みたいだよ!」
なんて言っているのが聞こえてきて、私は後ろを見たけれど誰もいなかった。
きっと、空想の中のお姫様なんだろう。
公爵様が金平糖を売っていた出店の店員さんと話しているのをよそ目に見ながら、子供たちを見ていた。
すると、馬車が向こうから来るのが見えた。
しかし、子供の一人が道路に出てしまっている。
このままでは轢かれてしまう。
「あっ、危ない!!!」
私の体は勝手に動いていて、今出せる最高速度で走った。
間に合え、間に合って!!
気づくとドンッと音がして、目の前の子供は歩道の方へ突き飛ばされていた。
私が突き飛ばしたのだろう。
じゃあ、私は今どこに……
馬の鳴き声と蹄を引きずる音が聞こえて、私はハッとする。
目の前には、前脚を高く上げた馬がいた。
しかし、座り込んでしまって私の足は動かず、全てが遅く見えた。
走馬灯とはきっとこれのことなんだ。
エレンの顔、お父様の顔、お父様の愛人の顔。
傷ついた私の体、痛み、苦しみ。
思い出すのは嫌な記憶ばかりで、涙が溢れてきた。
けれど思いのほか私は冷静で、次は犬にでも生まれ変われたらいいな、なんて考えていた。
さよなら、私の人生。
来世では幸せになれるといいな。
「ッ……おい、おい!!」
「……公爵……様……?」
あれ?
私は馬車に轢かれた筈じゃ、それに公爵様が近い。
先程とは逆で、回らない頭をフル回転させながら状況を整理しようとした。
まず、私は子供を助ける為に仕方なく突き飛ばして、子供を安全な方へ逃がした。
そして、私は馬車に轢かれそうになって……
チラリと自分の腕を見ると、公爵様に掴まれていて、公爵様が助けてくれたのだと理解すると同時に、掠れた声で謝った。
「ご、ごめんなさい……勝手な事をしてごめんなさい……」
「……いや、いい。」
公爵様は私の腕を見つめていた。
何を考えているのか分からなかったけれど、私は子供が心配なのでとりあえず離れてほしい。
「公爵様、子供が……」
「あ、あぁ、そうだな。」
そう言うと、パッとすぐに手を離してくれたので、一礼してから子供の元へ走った。
「大丈夫?突き飛ばしてごめんなさい……!」
「大丈夫だよ、お姫様のお姉ちゃんありがとう。」
「でも、足を擦りむいてる……どうしよう……」
すると、子供の母親らしき人物がこちらへ急いで駆け寄ってきた。
「大丈夫!?何が……」
「お母様ですか?実は……」
私が事の経緯を話すと、母親は私に沢山謝ってきてくれた。
「本当にありがとうございました!」
「頭を上げて下さい!お子さんが無事でよかったです!」
「……あの、貴族の方ですか?」
「あっ、それは……」
「お姉ちゃん、お姫様なんだよ!綺麗だもん!」
「お、お姫様?」
あぁ、先程言っていたのは、私の事だったんだ。
「……私はお姫様じゃないの、ごめんね。」
そう言って、母親と子供から一歩離れた。
私はお姫様になんかなれない。
お姫様じゃなくても、幸せになれるなら何でもいい。
少しの間目を閉じて、考えに浸って。
それも落ち着いたので、私は公爵様がいた方をチラリと見たけれど、公爵様はいなかった。
私を置いて何処かへいってしまったのかな。
もしかして見捨てられてたりしないよね……?
なんて不安を抱えながら母親と子供を見送って待っていると、公爵様が小走りでキョロキョロしているのが見えた。
そしてこちらに気づくと凄いスピードで走ってきてくれた。
「手を出せ、怪我をしているだろう。」
「あっ、本当だ……」
私の手からは血が出ていて、擦り傷と地面の石による切り傷があった。
公爵様は薬を塗って包帯を巻いてくれた。
いなくなったのは薬屋に行っていたからだそうだ。
今までお父様が薬をくれなかったので傷は放置か自力で包帯を巻くだけだった。
なので誰かに包帯を巻いてもらうのは初めてだった。
「ありがとう、ございます。」
「……服、汚れてしまったな。」
「えっ!?申し訳ありません!!」
「付いてきてくれ。」
公爵様は私に手を差し出してくれて、おずおずと手を出すと掴まれてそのまま歩き始めた。
手、繋いでる……
「あの、どこへ……?」
「服を買いに行く。」
そっか、私の服が汚れちゃって、公爵夫人に相応しくない格好になってしまっているから。
だから、代わりの服を買いに行くのかな?
でも、服って高そうだし負担にならないかな。
なんて考えながら公爵様に手を引かれて付いていく。
先程よりも歩く速度が落ちてる気がするし、気を遣ってくれてるんだろう。
途中で公爵様を知っている街の人がこそこそと何か話していたから恥ずかしい。
下を向きながら歩いていると、いつの間にか店に着いたようで顔を上げた。
そこはいかにも敷居の高い店で入るのを躊躇ったけれど、公爵様がすんなり入っていくのを見てしぶしぶ入った。




