愛する人
白髪のメッシュが混じった黒髪。私を包んでくれた大きな体。
遠くからでも、背中を向けていてもわかってしまう。あれは間違いなくレアンであると。
「お姉様……!」
「エレン、いいの。パティスリーに行きましょう。」
「えっ……で、でも……!!」
「いいから!」
エレンの手を取って、レアンがいる方とは反対に走る。
しかし、途中でエレンに後ろへ引っ張られてしまい、私はバランスを崩して地面に座り込んだ。
「お姉様、あの人は夫だったのですよね?何で会いに行かないのですか!?」
「エレン……いいから……」
「だって、あの人を愛しているんでしょう!?」
「エレンッ!!」
私の大声に、エレンは肩を震わせて固まった。
周りの人々が私の方を見ていたので、騒ぎになる前にその場を去った。
「お姉様……」
困惑するエレンを置いて。
(そんな……何故公爵領の街ではなく、首都にいるの……!?)
レアンは首都に行くことが好きではない。
公務で行くときは、いつも嫌そうな顔をしていたのをよく覚えている。
わざと公爵領を避けていたのに、これでは本末転倒ではないか。
(でも、少し元気がなさそうな背中だった……)
だめ、考えてはいけない、会いたいと願ってはいけない。
今のレアンに会っても、もうあの日々は戻ってこないから。
他人扱いされて、冷たい目を向けられるのだけは嫌だ。
「ッうぅ……!!」
だけど、懐かしい姿を目にした瞬間に、顔を見たいと思ってしまった。
前のように、優しく頭を撫でてほしいと思ってしまった。
叶わないことなのに、どうしても欲が出てしまう。
気持ちを誤魔化すために走り続けていたら、急に周りの人々が叫び始めた。
「……えっ?」
道の真ん中を走る私に、大きな馬車が迫っていたのだ。
このままでは、轢かれて死んでしまう。
そう思って目を固く閉じた瞬間、ふわっと体が軽くなった気がした。
「……大丈夫か。」
耳に響く低音に、私はゆっくりと目を開いた。
目の前には、愛しいの彼の顔があった。
どうやら私は、レアンの腕の中にいるらしい。
腰に手を回され、腕を引かれ、まるでダンスのワンシーンのような体制になっている。
ああ、私が馬車に轢かれそうになったのは二回目だ。
そこをレアンに助けられたのも、二回目。
「ッ……あの、もう大丈夫ですから。」
「あぁ……すまない。」
私はレアンから離れようとして反った状態から戻ったが、腰に添えられた手は離れる気配がなかった。
「離してくださいませんか?」
「……あ、あぁ。」
レアンは先ほどからずっと表情が崩れている。
残虐公爵であるあのレアンが、知らない人の前で動揺を隠せていない。
「なあ、俺は君とどこかで会ったことがないか?」
そう聞かれた私は、思わず俯いてしまった。
「……会ったことなど、ありません。」
レアンは記憶がないのだから、私と出会ったことも覚えているはずがない。
「教えてくれ、心に穴が空いたように苦しい。これは何なんだ。君を見ると、泣きたくなってくるんだ。」
その一言に顔を上げると、今にも泣き出しそうなほど苦しげな表情をするレアンが目に入った。
関わってはいけない、彼の幸せのためにも私は身を引くべきだ。
なのに、母を失った子供のようなレアンを見て、喉の奥にしまっておいた言葉が出てきてしまった。
「貴方は孤独なんかじゃない。」
レアンは私の言葉に目を見開いて、一筋の涙を流した。
「貴方を愛する人は、必ずどこかにいます。幸せは、誰にだって訪れるものなんです。」
泣きながらそう言うと、私は無理やり笑顔を作った。
きっと、涙でぐしゃぐしゃの酷い笑顔だろう。
「たとえ覚えていなくても、他の誰かと結ばれても、私は貴方を愛しています。」
そう言い残して、レアンに背中を向けてその場を去った。
最後に呪いのような言葉を残していく私は、悪い精霊だ。




